2008年09月19日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

「未完成」

先月、殆ど毎日、立ち寄っていたカフェルーム付き書店が大改装した。
開店初日、立ち寄ってみるとオーナーの入れ替わりと共に本のジャンル
が大幅に変わっていた。

以前は哲学・脳科学・心理学等の分野は、ほんの数十冊位しか並んでい
なかったにも関わらず、今回はワンコーナー、ずら〜っとびっしり並ん
でいる。最近の哲学ブームが窺える。

そして、少し離れた所にブックオフが有り、ここも最近改装された。
ブックオフも頻繁に出入りする所ではあるが大抵は本のコーナーで時間を
使う事が多くCDコーナーは月に3回位、じっくり立ち寄る。

久々に寄ったCDのクラシックコーナーが、無い!と大慌てしていると、ほ
んの数週間の間に、片隅にひっそりとしか無かったクラシックコーナーが、
しっかりジャンル分けされていた。しかも聴きたかったCDが格安でズラリ!
最近、どーもクラシックもブームが来ているように感じる。

そうは言っても私の周囲でクラシック音楽が好きだという人は少ない。
私の場合は高校生時代のクラブが吹奏楽部という事も有り、聴くCDは殆ど
クラシックに近い。

音感はあるがリズム感が無いのが悩みだった。
リズム感は人間以外の動物には無いと言われていたので、リズム感の無さ
は天性だと諦めていた。

しかし、鳥には有るらい。人間のリズム感は年を取っても鍛える事が可
能で鍛えるゲームが作られているという。しかも、つんくプロデユース。
もっと早く作って欲しかったな〜!

ブックオフでカラヤン指揮のシューベルト「未完成」を見つけた。
たったの2楽章なのに非常な感銘を受けた。10代から20代にかけて聴
いていたにも関わらず、それほど感動した記憶がないので「えっ?!」
と驚いた。

シューベルトは何となく優しく人間的で日常的というイメージが自分の中
にあったのが、何故かとても神秘的で、もっと聴きたいという欲求と何か
掻き立てられるような思いが込み上げてくる。躍動感とは違う不思議な感
覚がした。

私はクラシックを聴くのは好きだが難しい知識は無い。
主旋律や作曲家の名前が一致しなかったり、題名すら分からない。
しかし、そこに流れる作曲家の哲学的なものや演奏家の出す音色に、とて
も魅かれる。

シューベルトは父親との不和が原因なのか劣等感が強かったようだ。
人間の感受性は優越感より劣等感の方が、より深く研ぎ澄まされる気がする。
31歳の若さで他界するまで経済的な理由で、自分の作曲した交響曲を一
度も聴いていないという。だとすればCDを思い存分聴ける現代人は、何と
幸せな事だろうか。

音楽は言葉が無くても聴き手に伝わるものがある。
その時その場所で、感じて受け取るものが違う。

聴き手が自分の人生を悩み苦しんだり、愉快に楽しく生きる事で経験し、勝ち
得た哲学的な感覚が、何百年も前に生きた人達と共感できる何かを音楽を通し
て感じる事ができる。・・・と、実感できるのは年のせい?

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2008年09月12日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

「岐路に立つ」

「岐路に立つ」
この言葉を聞いた時に、人はどういう事を連想し感じるのだろうか?
孤独、雑多、焦り、立ち止まり、苦悩、希望、自然、音楽・手段・・・。
人それぞれの感性・理性・環境等により色々連想される世界は違う。
そして、誰人たりとも究極的に同じ岐路に立つ事は無く、できる筈
も無い。

私は、かつて思っていた。
岐路に立った時はできるだけジタバタしよう。と。

必死に泳げば道は開けると思っていた。
方向性の無い行動と対話。波寄せる不安と孤独の中、必死に目を閉じて
泳いでいた。若さと無知の己に周囲の目と声は単なる雑音でしかなかった。

そして今思う。
ああ、目をあけ耳を澄まして泳げば良かった。と。

振り返れば、随分遠回りした。
でも何故か、目を閉じながら必死に泳ぎ、思いっきりジタバタしていた
過去の自分を今は懐かしく、微笑ましく思う。

若かりし時の盲目さのお陰で自分色の人生を歩けた。
穴に落ちたり這い上がっては又落ちたり。
自分だけの人生ストーリー。なかなかのものだ!

目を開け耳を澄まして泳ごうと思う、今の自分は周囲の目と声が以前よりは
見え耳に入る。時間がゆっくり過ぎて行く。
これも、なかなかいいもんだ!

先週、山本コウタローの講演会が 杉並保健所主催で行われ、思いがけず聞く
機会に恵まれた。タイトルは〜生きてほしい あなたらしくイキイキと〜。
だった。

山本コウタローの講演は「走れコウタローと岬めぐりのたった2曲で38年」と
いう出だしから始まった。白鳳大学で経済学を教えてながら現在60歳だという。
私の世代の人なら誰でも懐かしく思い出されるフォークシンガーの一人だ。

そんな山本コウタローの芸能活動は随分長い間、休止状態だったようだ。
その裏には大きな病気と鬱、そして海外留学があったという。
そんな折、最近テレビの脇役で出演したり、久しぶりにフォークシンガーとして
活動再開し始めたのは、繰り返し見た夢に因る所が大きいと話していた。

その夢はステージで自分が歌う順番になって声が出なかったり、歌っている最中に、
どんどん客席から客が居なくなり、恐怖で目がさめるという夢だったという。
繰り返し見た夢は自分が歌いたいという欲望の裏返しだと彼は気づいた。
そして動かない指や狂った音感、リズム感を取り戻し、もう一度歌おう、精一杯
生きようと思ったという。

最近の政治経済の不振を思う時、私達の世代は自分達の子供の世代に何をどう残し、
何をどう伝えれば生きやすい時代に繋げてあげられるのか思案に暮れる事がある。

しかし、山本コウタローは言う。
言葉で言わなくても伝えられなくても、自分自身が精一杯生き、笑いながら、泣きな
がらでも、日々の生活に明日への希望を見出す事ができれば、その姿を通して次の世代
に何かを残せるはずだと。

何の変哲もない言葉のようだが、妙に納得する自分がいた。


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2008年09月05日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

尾瀬陳道中


尾瀬ヶ原のイメージは広大な湿原地帯に咲く水芭蕉。
8月末にはニッコウキスゲかな?と思いきや豪雨で先が見えない。

先週末、長女と二人、夜行バスに揺られ尾瀬に出かけた。
長女は前日、豪雨の中、富士山の頂上まで登ったばかり。
まさか、尾瀬でも豪雨にあうとは・・・。雨女?

晴れ女の私としては尾瀬にバスが到着した途端、絶対に晴れる筈。
と、決め込んでいた。しかし朝6時、かなりの土砂降りだった。
元来、無精な私は靴はスニーカーで雨具は傘のみを持参した。
周りを見渡すと長女を含め全員、上下別々の雨合羽と登山靴、おまけに
リュックの防水用シートまで用意している。

さすがにマズイと思ったが・・・。
しかし、登山靴もスニーカーも豪雨の前では同じだった。
木道が川の増水で浸水し膝下までズップリとつかり、諦めの境地。

沼山峠から入り小瀬沼を一周し大清水に抜けた。
こんなに急な山道を登るとは予想しておらず、雨で濡れたジーパンでは
歩幅が開き辛い。なんと沼山峠展望台は海抜1784mもあった。
ただの湿地帯だと下調べもしなかった私が無謀だった。

初級ハイキングコース12kmコース約6時間弱。結構足腰疲れた〜!
お昼過ぎはパラパラの雨から晴れとなりジーパンは渇いたが靴はグショ
グショ。おまけに着替えは雨で、ずぶ濡れ。しかし雄大な山と草原は
とても清々しかった。

雨に濡れながらも所々に咲く可憐な花々が愛らしかった。
オゼミズギク(黄色)、ウメバチソウ(白)、オンノヤガラ(白)、
コバイケイソウ(白)、コバギボウシ(紫)など。初めて見る高山植物達。

老神温泉の旅館に一泊した。
宿泊客は娘と私の二人だけで広い温泉を優雅に独占し、目前に広がる山々の
木々が目に優しかった。

一夜開け、見事に晴れた。
東洋のナイアガラ(吹割の滝)を鑑賞しながら周囲を2時間位ハイキング
していると、いきなりサイレンが鳴り響いた。パトカー、救急車、消防車が
次々と到着。水かさが増した滝の畔に観光客が足を滑らし流されたと言う。

最初は、お婆さんが落ちたというので大騒ぎだった。
しかし落ちたのは立派な体格の若い男性で上流から随分流されたとは言え
自力で中洲にたどり着き元気だった。逞しい!しかし10数名の救急隊にロ
ープで助け上げられた。

迫力ある濁流で警戒宣言が出されているのに落ちるとは呑気だ。
トウモロコシ、トマト、もも、田舎団子。とっても懐かしい味がした。
う〜ん。はるばる出かけて来て良かった。

帰りも大雨。自宅に帰り着くとバッグごと全身ズブ濡れ。
往復の(横浜⇔新宿)シャトルバスがそれぞれ2時間もかかったのにはビッ
クリした。渋滞無くスムーズに流れたにも関わらず何故?

行きは最悪で新宿の集合時間に間に合わず長女との待ち合わせに気持ちが
焦った。途中、遠回りしているのには気付いたが理由が有っての事だろうと
勝手に解釈した。ところが帰りも横浜を通り越し、保土ヶ谷で第3京浜を降り
た。横浜駅にたどり着くまでウロウロと道を間違え時間がかかった。

そして最後のオチは「私らこちらの人間じゃないから誰か横浜駅に着く道案内
をしてけれませんか。ナビも使えないんで!」
なんだ道が分からないだけだったんだ〜。


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2008年08月29日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

伝染性単核球症

ゴソゴソ、カサカサ。
ホッチキスが見つからない。
う〜ん。どこに入れたか・・・?
必要な時に必要な物が見つからない。

一見きれいに整理整頓されているように見えても実はそうでは無い。
夫は「おまえは、物を片付けているようで物を移動しているだけだ。」
と言う。夫本人は散らかす一方で気が付くと書類の山と無造作に物が
置かれているというのに・・・。

勝手に夫の物を片付けると、「あれはどこ?これはどこ?」
と聞いてくる。聞いてくるのは本人が必要としている時に限り、時間
の経過と共に私は、すっかり何処に片付けたか覚えていない。
そうするとチョッとしたトラブルが起こる。
イライラする夫と私で物探しが始まり、私は内心ヒヤヒヤ・・・。
そんな時はもう二度と夫の物は片付けないぞ。と思うのだが、ほうって
おけない。

今日は朝からホッチキスが見つからない。
書類を留めたいのに留められず、諦めていたら娘の幼い頃の写真が出てきた。
幼稚園の頃に撮った写真で、顔は発疹で真っ赤に腫れている。
伝染性単核球症にかかり心配したのを思い出した。

当時、血液検査室で仕事をしていたので、自分で娘の血液像を見る事になった。
普通の場合、末血と呼んでいる静脈血の場合には顕微鏡の視野には成熟した
白血球しか出て来ないのだが、その時は未熟な白血球がゴロゴロで、まるで
骨髄像だ。悪性リンパ腫との鑑別に真っさおに、うろたえたのを覚えている。

伝染性単核球症はEBウイルスが原因で発症するが大抵の大人は知らない間に感染
して抗体を持っている。しかし抗体を持たないで大人になり感染したら入院の
可能性は大で、肝機能の数値がグッと高くなる。発疹、発熱、鼠頚リンパ浮腫
、脾臓浮腫、扁桃腺肥大、異型リンパ球出現が主訴で大騒ぎする事になる。

最近は欧米と同様、青年期に多く、別名キッス病と呼ばれている。キッスにより
感染する。

幼児の場合は幼稚園で感染したり、母親からの垂直感染だったりする。
大抵の場合はちょっとした発熱やリンパ腺の腫れで見過ごされる場合が多く、予
後良好な為、対処療法で症状は治まる。例外的には慢性に移行して肝臓を悪くす
る場合もあるので、親としては注意が必要だ。

話は変わるが、ウイルスには抗生物質は効かない。抗生物質は細菌による感染に
のみ効く薬だ。
私の友人は、風邪にかかり高熱で大学病院を受診したのに抗生物質が出ない。と
怒っていたが、ウイルスによる風邪の症状には抗生物質は出しても効果が無いの
で出さないのが正解だ。

医師の中には、あまりにも受診者が抗生物質を欲しがるので、つい出してしまう
という現状があるらしい。

細菌とウイルスはどう違うか分からない人の為に一言、説明です。

細菌は元々は植物に属する単細胞生物で細胞膜を持つ。ウイルスは細胞体がなく、
DNAを持つが細胞膜を持たない小さな微粒子。よってウイルスは遺伝子組み換え
に使われる事もあり、エイズウイルスやサーズウイルスが人工の産物ではないか
と疑惑を持たれる1つの理由がここにある。

ウイルスや細菌を外的と判断して攻撃する細胞は胸腺にあり、約30〜40gの
重さで心臓の近くに位置する。胸腺は青年期を境に段々委縮し50才過ぎには半分
程度になり老化と共に免疫力が低下する原因になる。

免疫不良や免疫不全になると雑菌だらけの環境で生きていく不安が残されているが、
現代医学は素晴らしく、理化学研究所は平成19年に人工リンパ節を開発し、免疫
能力の低下したマウス、あるいは正常マウスに移植した。その結果、移植を受けた
マウスの人工リンパ節が強い免疫反応を惹起する事を発見した。

それは、取りも直さず重症感染症、癌、免疫不全など様々な難病への臨床応用の可
能性を示唆する。

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2008年08月22日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

出会い

「N先生はドイツに行くらしいよ!ドイツに骨を埋めるらしい。」
と、暫くぶりに逢った友人から聞いた。
遠く懐かしい思いが込み上げて来た。

人間は一生のうちに、忘れ得ぬ出会いが、何回か有ると言う。
悲しい出会い、辛い出会い、嬉しい出会い、感謝の出会いなど、色々。
同級生、おさななじみ、同僚、先輩、恋人、友人、恩師・・・。

出会って同じ時間と空間を過ごしていた時には、近視眼的で理解出来なかった事が、
時間の経過と環境の変化によって、その出会いが自分にとって重要な意味を持つ出
会いで有った事を良きも悪きも思い知らされる事がある。

振り返ると多くの出会いがあった。
幼い頃、よく遊んだ仲間達とは、ほぼ半永久的に逢えないだろうし、心温かく支援
して頂いた恩師や上司の中には永久に逢えない人も何人か思い浮かぶ。

そんな中、約3年前に職場の院長と検査技師として出会ったN先生は、年齢は60代
後半で経営には適さない学者先生だった。学会発表の為の検査や診療で、経営は
赤字状態。受診者がいない時は、抜き打ちテストや質問が飛び交う事が多かった。

僅か半年の間に随分、専門分野を勉強させてもらった。
その分野では、結構有名な先生で論文や医学書も出版されており、時々質問すると
熱心に分かりやすく解説が返ってきた。
大学講師という事も有り、教え方が非常にうまく、うっとりする程だった。

ずっと院長のそばで勉強しながら技師として働きたかった。
ところがある日、経営方針の意見相違で院長と従業員間にトラブルが発生した。
そしてトラブルに巻き込まれた私は不本意ながらも職場を離れる事になった。
僅か半年間の繋がりだというのに後ろ髪をひかれる思いで涙が流れた。

その後、病院に残った従業員から経営が悪化していく状況を度々聞かされた。
痛恨の思いだった。そして今年の一月、ついに病院は閉鎖になった。
予測していた事では有ったが、ショックでも有った。

フッとN先生の顔を思い浮かべては安否が気になっていた矢先、ドイツ行きの話が決
まったと聞きホッとした。ドイツの大学講師として行かれるらしい。
病院閉鎖においては気苦労も多かっただろうと推測される。
しかし、N先生の笑ってハツラツとした姿が目に浮かぶ。
70歳に近い先生が日本の地を離れてドイツに骨を埋める覚悟をされた。と聞き、
何故あの時、自分が後ろ髪を引かれる思いをしたのか分かったような気がする。

生きる姿勢とあふれ出る知識欲、探究心そして冒険心に魅かれたのだと思う。
できれば、そばにいて学びたかった。しかし、その時はプレッシャーを払いのけるのに
精一杯で気が付かなかった。

私は、N先生との関係性と同じような体験を過去に何度も味わっている。
何故その時、自分にとっての絶好のチャンスを手に入れる事をしなかったのか・・。
未熟な社会性と自分に対する自信のなさは勿論の事、他人の思いを素直に組み入れる
力の無さ、そして周囲に対する変な気使いからの脱線、そして人生脚本が理由だ。


今週の月曜日に観に行った「幕末純情伝」;つかこうへい演出は驚きだった。
自分から進んで買う筈の無いお芝居の券だった。
演出家つかこうへい;名前すら知らず歌舞伎役者か俳優ぐらいにしか思っていなかった。

開演を前にしてゾロゾロと席に着く人達の人間層がいつも自分が好んで鑑賞する演劇と
違う人間層なのに、まず驚いた。何故?

そして第一幕、う〜ん?舞台装置、ダンス、歌、三流かな〜。内容はコロコロ回転速く
毒々しく奇抜。う〜ん・・。このお芝居を観にきている人達は何を考えているのだろう?

第二幕、益々毒々しく奇抜。しかし見えてきた!つかこうへいの哲学と思想。
強き者の独断と偏見が、さも善であるかの如くまかり通る歴史や政治に対する怒り、弱き
者、或いは光のあたる事の無い闇の部分。ここに焦点をあてて慈しみの心を表現している。

私の中では「見たくないもの」だった。
しかし、「見るべきもの」だった。この世は確かに光と闇が混在している。
闇をみるには勇気が必要だ。この世は美しいものばかりでは無い。この世に生きている限り、
善と悪は隣合わせ。光と闇も隣合わせ。

終わってすぐ感想の言えるものでは無かった。言えるとしたら私はブルジョアジーでは無い。
何でチケットが9000円もするのだ〜。高い!弱い者の見方なら4000円ぐらいにまけて〜!
石原さとみは清純なイメージから妖艶なイメージを創り替えていた。その変容ぶりは凄い。

お芝居を通しての「つかこうへい」との出会い。これも又、意義深い出会いだった。
 
この世はままならぬ事が多い。自分の理想とはほど遠い現状に憤り、焦燥、孤独感、を感じ
るのは日常茶飯事だ。しかし、それを少しでも越えようと思うなら、超えたいと願うならば
道は開けるのだと私は思いたい。

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2008年08月15日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

エゴグラムと高血圧

ヤ、ヤ、ヤバ〜イ。
あまりの暑さにクーラー点けっ放し。
長時間、同じ姿勢で本を読みながら寝てしまった。
起き上がろうと背中を起こした瞬間、ギクッ。

なんと、背筋の筋違いを起こしてしまった。
悲しい事にエストロゲン低下が証明されてしまったかな?
ど〜しよ〜。と、思いながら無理に起き上ろうとしても、
胸郭ボックスに力が入らず、四苦八苦。

それでも何とか、ソロソロと電車に乗って出勤した。
いつも何気にやっている動作がギクシャクと機械仕掛けの様だ。
お陰で、今まで自覚していなかった背筋の重要性を認識した。

声までが背筋の痛みに応じて途切れてしまうとはビックリ。
老化現象は局部だけに限らず連結しているのだと考えている
うちに歯まで痛くなった。
背筋の力不足を顎の筋肉で補おうとしたようだ。

腹筋と背筋のバランス良く強化するのには正しい姿勢と呼吸が
大事だと言われるが、どうも上手くいかない。
知らないうちに息を止めていたり、肩に力が入っていたりで、
どの状態が正しい姿勢なのか見当もつかない。

過去を振り返って考えてみると、どうも常に緊張しながら仕事を
していたので肩に力が入っているのが普通になっていたようだ。

チラッと見たTA理論の本に、エゴグラムと疾病の関係を説明した
ページが有ったのを思い出した。
Pの高い人は高血圧になリ易いというのが記憶に残った。

そこで詳しくネットで調べてみる事にした。
エゴグラムで性格傾向をつかみ、生活面を改善する事で病気の予
防に役立っているようだ。

簡単にネットで調べられるのに心理研式タイプ検査が有るような
ので興味の有る方は、やってみたら如何でしょうか?

私の場合はタイプAのせっかちタイプで競争的、野心的、精力的、
機敏などの性格面があり、身体面では高血圧、高脂血症、虚血性
心疾患、鬱病、ストレス障害の危険性が有るというもの。
エゴグラムは予想がつくように、CP(父親的な役割)が高い人が
タイプAに多いようだ。

そして、私は血圧が高く虚血性心疾患の心電図をしているので、
ピタリと当たっているように思う。

ちなみに性格対策は@よく笑う。
         A自分の非を認める。
         Bしかめっつらをしない。
         C腹が立ったら間をおく。
         D相手の目を良くみる。


う〜ん。肩に力が入っているようでは血圧が高いのもうなずける。
虚血性心疾患で苦しむのも怖いので、何とか5個の性格対策をし
ながら、心身のバランスを上手く取れるよう努力したい!

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2008年08月08日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

哲学への道


先週末、ひょんな事から長野の友人に逢いに出かけた。
約5年ぶりの再会で、小諸駅に迎えに来てくれた彼女の顔を車の窓越しに見るや否や、
懐かしさが込み上げた。
変わらないな〜!という私の彼女に対する印象は単なる外見では無く、私が彼女に期
待するところの人間象の様なものに対しての思いだった。

変わらない印象が嬉しかった。
私が誇りに思う友人の一人だ。
私と彼女は、約5年間同じ職場の同僚だった。
私を個性的な非常識人と言うなら、彼女は個性的な常識人と言える感じの人だった。

そんな彼女は長野の病院で技師長を務め、家庭と職場の両立を立派に果たした。
その苦労は彼女のきりっとした表情を見れば、脈々と伝わって来る。

友人は土曜日が仕事だと私は知っていたので、少し顔を見て話せれば、それで十分だと
安易に考えながら、彼女の住所に近いホテルを予約してあった。

仕事を終えた後、自宅に帰る途中、車で駅に迎えに来てくれた。
私の顔を見るなり彼女は「何でこのホテルなの?どうして?因りによってなんで?」と
畳込むように聞いてきた。
聞かれた私はポカンとしながら「えっ?ネットで調べたら偶々、あなたの住所に近いホ
テルが1室だけ残っていたから。」と、答えた。何故そんなに不思議がるのだろうと思
いながら。

「いつも、やる事が急で驚くんだけど、あのホテルは家から歩いて行ける距離なのよ。
しかも美味しい居酒屋が有って飲んでも車は気にしなくていいし。同じ住所だと言って
も広いこの土地には他にも一杯、ホテルは有るのに・・。偶然にしては凄い!」

なるほど!それは凄い!お陰で、近くの温泉に行く余裕と居酒屋でお酒を飲みながら、
ゆっくり昔話に浸る余裕ができた。

話は次から次と絶え間がなく懐かしい話ばかりだったが山場は宗教の話だった。
実を言うと彼女ともう一人の友人を入れ3人でカナダに旅行しようと大学病院に就職し
て3年目頃に約束した。
そしてカナダ行きの旅程も決まり、お金を払い込む段階で私だけがキャンセルした。

何と、お金を払い込む前日に、ある宗教団体の人と私一人だけが出会ってしまった。
当時、私は病院に居ながら、死生観に対する疑問の答えが見つからず迷いに迷っていた。
その隙間に哲学という名を借りた新興宗教が入りこみ、すっかり友人の忠告は耳に入ら
なかった。

その結果、二人の友人はカナダに一週間行き、私は宗教団体の虜になった。
半年間、キリスト教と東洋思想の入り混じった宗教に興じたが、ある種の危険性をはら
んだ団体だと気付き、団体と縁を切るまでには大変な葛藤が有った。

そんな経緯を知りながらも変わらぬ目で接してくれた友人達に大感謝の思いだ。
そして懲りない私はあれやこれやと宗教を渡り歩き、ついに去年、もう宗教は卒業しよう。
と、思い至った。

長野の友人は、いつも私が考えては立ち止まり、又考えては悩みする、その姿を黙って
見守ってくれた。そして自分は友人や周りの人に恵まれたと。私に向かって話してくれた。
その言葉がジーンと胸にしみた。

西洋哲学を勉強するには20代では無理があったのかも知れない。
興味が有るというだけで哲学書を読んでもサッパリ理解できなかった。
ついには哲学なんてものは人間の理解の範疇にはないシロモノだと決めつけた。

随分長い間、ご無沙汰していた哲学を又、覗いて観ようと思いなおしたのは、今年の4月、
爆笑問題が取り上げた、木田元のインタビューだった。「この歳でやっと見えてきた。
ハイデッガーの論文を書くために33年費やした・・。」という、その言葉が新鮮だった。
その時は木田元のヤミ市で生計を立てながら哲学を勉強したという破天荒な経歴に非常に
興味を覚えた。

必然的偶然からか近々CSNで木田元の「反哲学入門」を題材に勉強会が開かれると聞いて、
胸を躍らせている。

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