2009年12月11日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

クリスマスツリー

この時季になると、マンデリン・アイスコーヒーの香りがフワ〜ッとして来る。
昨年訪れた仏果堂のマスターと常連のお客さん達との語らいが懐かしく思い出される。
ほんの数時間の語らいで、こんなにも懐かしく思い出されるのも珍しい。

仏果堂は神奈川県相模原市愛川町半原、国道412号線沿いに在り、仏果山登山口を
教えてもらうのに立ち寄った素敵なお店だった。楽しいひと時を過ごしながら帰り際に
聞かれた言葉をしっかり記憶に残しておいた。

「宮が瀬のクリスマスツリーは観て来たの?」・・宮が瀬ダムは知っているけど・・。
昨年12月26日に登頂した仏果山の頂上から宮が瀬湖と相模原市は一望できた。
仏果堂からダムまで距離にして5km位だろうか?「宮が瀬のクリスマスツリー」を観に
行く車の渋滞がお店の前まで続くと言っていた。夜遅くまで続くと聞き、来年は必ず観に
行くと決め・・そして今週火曜日行って来た。

宮が瀬ダムハイキングパスが小田急から販売されている為、安くて手軽に行ける。
私の場合は町田から本厚木に出て本厚木から宮が瀬行きのバスに約1時間乗った。
町田からのフリーチケット料金は1300円。宮が瀬に着いたのが13時30分。散策しながら
ダムまで行き、帰りは最終便の遊覧船「みやがせ21」で湖を渡り、もみの木の有る広場
まで帰って来た。
035.JPG
水の郷大吊り橋(315m)、広々とした2.5haの芝生、高さ30mのもみの木、遊覧船、ミニ
トレイン、湖の上に虹色に噴射する噴水、美しい紅葉と山々、見どころ満杯。
083.JPG
ツリーの周りをミニトレインが一周してツリーの前に止まった。
しかも子供達が乗っていてロマンチック。
クリスマスツリーの点灯は17時、その他のイルミネーションも豪華絢爛で並はずれ。
平日にも関わらず夜店はズラーッと出るし多くの人で賑わう。
少し早いクリスマス。まだまだこれからが本番。
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2009年12月04日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

「褒められたくない」自分

私の中には「褒められたい」のに「褒められたくない」自分がいる。
「感謝している」と言いたいのに「感謝している」と言いたくない自分がいる。

これは、やはり幼き頃の心的外傷に由来する。
日々、コロコロ変容する母の心情に対する自己防衛だった。
この事に気が付いてはいた。しかし、無視していた。

TA講座最終回における「変容の為の行動」を話している時、フッとよぎった息子
の言葉・・『お母さんは「お母さんの作った料理は美味しい」と僕が言ってるのに何で不
愉快そうになるの?』・・。

夫も息子も私の手料理は大好きで、チョコチョコ褒めてくれる。内心は、とても嬉
しく思っているのに「褒めてくれて有難う。」とか「嬉しい」の一言が言えない。
その裏には母の顔が張り付いて見えるからだ。
同じ行動をしても褒めたと思ったら次の瞬間、貶される。人間不信の始まり。

感情表現のストレートな家庭で育った夫は、やはりストレート。
葛藤の中で育った私は、ストレートに表現できない。しかし全くの他人に対しては
恐ろしくガードが甘くなり、瞬時に感情表現してしまう。身近な家族と他人とでは
甘えの度合いが極端に違う。家族には甘えの期待が大きいだけ、葛藤をそのままぶ
つけてしまう。この事は自分の母と同じだと自覚しているから、言葉は発さず、表
情に出てしまう。その結果、料理が美味しいと言われてもムッとした表情になる。

私の中には人を「信じたい自分」がいる。そして、この人は「こんな人だ。」と、
勝手に自己イメージを造り、そのイメージが勝手に自分の中で先走る。
そして、そのイメージが壊れると自分の中で180度転換し「信じれない自分」が出
来上がり、そんな嫌な自分から目を背けたくなる。

人が好きだと近寄って行きながら、接近し過ぎると逃げ出したくなる自分がいる。
勝手に造り出したイメージが壊れて、嫌になってしまう自分の行動を避けたいからだ。

これは人の長所(共感)を見つけるのも早いが、欠点(共感できない)も見つける
のが早い事による。長所、欠点は自分の準拠枠による。
若い頃は、この傾向は顕著だった。少し成長したと、勝手に言いきりたい今、距離を
おいて、客観的に見つめようとしている。

私はドロドロとしたものは見たくない。そして関係性をドロドロには、したくない。
だから関係性が網の目状に繋がり始めると、糸をプツリと切りたくなる。
ドロドロの本当の自分を相手に見せない、自分自身も見ない為に。

家庭において、夫は言葉で関係性を密に繋ぎたがる。
しかし私は、言葉を発するのが億劫。行動を観れば分かるだろうと言いたくなる。
長女は、私達両親の気質を上手く理解できるように見えるが長男は、時々ストレスに
感じている事を言葉で表現する。
時々、自分がそうであった様に子供達に嫌な自分の影響を及ぼしてはいないか不安に
なる事が有る。

TA講座最終回においての決断は「他人の行動に感謝の言葉を一日一回言う」事。
簡単な様だが、もうすでに自分の中で抵抗勢力に押され気味だ。

感謝の言葉を素直に表現する事で、自分の中の葛藤する感情にも目を向ける事を目標
にする。自分の中のドロドロな感情は、実母へのドロドロの感情へと直結する。
無理に蓋をしていたものを少しだけ隙間を開ける事にした。

まだまだ内在する自分の課題は切れ目無く出て来そうだ。
目を背けようとすると連れ戻される。切れそうで切れない繋がり・・CSN。

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2009年11月27日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

三ツ峠とルート139

先週土曜日、ちょっと遅めの起床ながら外は晴れ!
前日の様子から快晴なんて夢の様で、もう慌てて家を出た。
随分前から三ツ峠山(都留市二十一秀峰)1785.2mに登る日を狙っていた。

出遅れた為、電車の乗り継ぎが悪く三ツ峠駅に着いたのが12:00。
焦って登頂しても、PM.3:30。それから降りるなんて無謀すぎる。
仕方なくハイキングに切り替える事にした。

コースは三ツ峠駅からルート139で河口湖を目指す。距離にして約14km。
大月駅までは観光客は少なく、富士急行線に乗り継いだ途端混み始め、
大抵の人は河口湖に直行するようだった。

フッと窓の外を見ると真っ白な富士山の頂上が家々の合間をぬって顔を出す。
いつも遠くから眺めている富士山が電車の移動と共に付いてくる。とても不思議
な事に頂上が、すぐ、そこに在る。アチコチからカシャカシャと撮る音がした。

三ツ峠駅に降り立ち、歩き出した途端、視界一杯に美しい富士山が、左手に見えて
来る。あまりの美しさにグッと息を呑む。ルート139を歩いているのは私一人。
なんて、贅沢な事だろうか!こんな快晴の日に歩道を独占。前方に見える富士山は
裾野近くまでクッキリと空は真っ青。歩く事なんて全く苦にならない。
途中でルートを外れようと何処からでも富士山は見えた。
053.JPG
凄い!ルート139!絶景!
途中、アップルシナモン入りクリームタイ焼きとお好み焼き入りタイ焼きを食べた。
とても美味しかった。お店の人が言うには、静岡より山梨から見る富士山の方が綺麗
で、静岡の方からは歪な形に見えるらしい。確かに、タイ焼き食べながらも見える富
士山の姿は神々しく美しかった。もう三ツ峠山に登れなくても後悔は、なかった。
067.JPG

アチコチ寄り道して富士急ハイランド駅に着いた頃はPM.4:00
空が少しづつ夕焼け色に染まって来た。富士河口湖町船津の御坂みちから見えた富士
山の頂上がユックリと夕焼け色に染まり、あっという間に陽が沈み暗くなった。

PM.5:00河口湖着。もう何も見えず河口湖の湖の全貌さえ見えなかった。
アチコチに温泉が点在し、車での宿泊客が入って行く。その姿を横目で見ながら暗い
河口湖周辺を一周して河口湖駅に戻りPM.9:00に家路についた。
約9時間のハイキングだったが大満足。
先月曜日は小田原から箱根登山道を歩き約9時間の一人ハイキングを楽しんだ。

雨続きの日々のストレスが一気に解消され、大感激の余韻を残しながら過ごしていた
水曜日の夜、ふと鏡を見た。ガーン。ショック〜〜。顔にシミが・・・。
1コ、2コ、3コ・・。覚悟していたけど〜〜。やっぱり、できてみるとショック。
UVカットしても出来るシミ・・今、薄くするのに格闘中・・でも又山に登ると出来るし。

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2009年11月20日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

無知は損をする。

久々の青空に、ゆったりと歩いていると一通のメールが届いた。
「やっちゃった。転入届のせいで罰金払う事になってしまった↓」
転入届で罰金?何それ?聞いた事がない。どういう事?

娘が今の職場(S県H市)に就職して2年半が過ぎた。
県を越えての引っ越しにも関わらず、住民票の移動をしていなかった。
住民票の移動を必ず、しなければならないという事自体を私も娘も認識
していなかった。

遠い昔、人に訊いた住民票は特に問題が生じ無ければ移動しなくてもいい・・等と
間違った記憶が頭を支配していた。土日は実家に帰る事も多い事だし。

ところが、それは大きな間違いだった。
住民票は引っ越しして2週間以内に住民票を移動しなければならないという
条例になっていた。

娘が仕事上、必要とする免許は都道府県知事による発行の物で、申請するの
に住民票が、必要だった。呑気な娘は申請を3ヶ月も放置していて上司に急
かされ、焦って私に住民票を送ってくれと頼んだ。

私は素直に私達家族の現住所記載(K県Y市)の住民票を送り、娘は保健所で
足止めに成った。当然の事ながらH市の住民票でなければ成らなかった。
その為には転出転入届をする作業が先だ。

そして、私はY市に転出届を出しに行き、ハテ?と考えた。
転出日をどうしようか?窓口係の職員に相談した。すると丁寧に説明してくれた。
別に今日の日付でも良く、逆に2年半も前の転出届を出されても先方が困るし、
遡ってまで住居を調べる事はないとの事だった。それを素直に私は聞き入れた。

娘は今日、Y市転出届を出してH市転入処理後、住民票を受け取った。
何と、裁判所から罰金のお知らせが行くから支払うようにとの宣告付きで。
因みに3千円との事。

罰金を取られる理由は転入届の遅れ。転出日と転入日の食い違い。
親切なY市の職員の話だと、転出日と転入日の食い違いが生じた時は窓口で相談
に乗ってくれるから大丈夫だという事だった。

納得いかない私はY市に電話して質問した。
2週間以内に住所変更を、しなければならない条例は確かに有るが、それに反し
たからと言って、罰金をとるとか、何年過ぎれば罰金とかは都道府県によって違う
という事だった。

そして、H市転入届が遅れたという理由でH市が罰金を徴収するなら、当然転出届
が遅れたという理由でY市も罰金徴収の理由はつく筈だがY市は、そこまではしな
いで警告止まりだという。

う〜ん。経験して初めて知った都道府県の行政の違い!そして無知は損をする!
何回も足を運んで、まだ取得できない娘の資格。来週には取得できるだろうか?

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2009年11月13日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

関わりたくない私

私の母は、外向きには聡明で穏やかな人だった。
内向きには、日々というより刻々と感情が激変した。
世間体という仮面と自己愛の強さに家族は振り回された。

姉は完璧な標的で、真ん中の私は、姉のお陰で守られた。
そして弟は、溺愛された事で家族を利用する事を無意識に覚え、その代償
を親・兄弟全員が払わされた。親・兄弟の契りの名の下で。

私は真ん中だった事に感謝する事が多い中、姉と弟が羨ましくも在った。
小学生の頃から母から遠く離れ、家を出て独立する事が自分の目標だった。
社会人になって辛い時でさえも、母親に対する憎悪を自分の生きるエネルギー
に換え、泣き言は言わなかった。冷やかで内在化した反抗。

母の子供に対する愛情は、半端なく強かった。
しかし、その愛情は自己愛の延長上に在った。
その事に気が付いたのは自分が家庭を持ち、義理の母と同居した事によった。
初めは仲のいい義母と嫁だった。が、次第に自分の内面の葛藤が露呈した。
見たくもないドロドロとしたものは、苛立ち、怒り、憎しみだった。

義母のオットリとした優しさは、実母の自己愛から来る子供を踏み台にした愛情
とは対照的だった。義母と実母。客観的に観れば義母の愛はストレートだった。
でも、自分にとってストレートの愛は苛立ち、怒り、憎しみに変わって行った。
変形した愛情が、否が応でも骨身に染みていた。ストレートの愛は嘘っぽく感
じた。そんな自分の感情を観るのは苦痛で、どうにもならず、義母に無言の八つ
当たりをした。義母にも夫にも理由が分からなかった。

そんな中、長女が幼稚園の登校拒否をしていた事が発覚した。
多忙な私は娘の異常に気が付かなかった。そして義母を責めた。
「何故、早く教えてくれなかったの、酷い。」と責めた。
義母は「どうせ、あなたに言ったところで00子を責めるだけでしょ!」

腹の怒りは頂点に達した。翌日、嫌がる娘を幼稚園バスに無理やり乗せた。
未だに覚えている。娘の腕を引きずって義母に対する怒りを沈めた。
それから、暫くして義母とは別居し自分は仕事を辞めた。
長女の小さな抵抗と義母の優しさに感謝出来る様になったのは、それから数年経
ってからだった。

子育ては、ゆっくりと時間が過ぎた。
子供の行動や表情の中に自分の波立つ感情を感じ、その後ろに実母と重なる感情を
感じる事も意識していた。しかし、それを多少認識できるように成って、少しずつ自分
の感情を抑え、奥の方に沈めて蓋をした。穏やかで波風立たない家庭。

自分の感情を抑えるのが精一杯で、周りの感情は観ないで来たかも知れない。
好き嫌いの関係無く、愛情、感情を無視し、感じない様にしてきたかも知れない。
その方が生き易く、傷つき悩まなくて済む。この世は、傷つき易い人間には住み辛い。
こんな自己中な生き方では、傍迷惑だったのか・・?と考え込んだ。
CSNでの振り返りの振り返り。関わりたく無いのに交わる自分勝手な自分。

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2009年11月06日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

私の中の「死」

私の中の「死」。
久々というよりも、真正面から対峙しようとするのは初めてかも知れない。
先日のCSN主催、エンカウンターグループでの後遺症は、今週ずっと尾を引いて
いた。心身の疲れは、仕事に行くのがやっとで毎晩、早く就寝した。

ただ椅子に座り、十数名で思い思いに話すだけだったのだが・・。
さまざまな感情が渦を巻き、全員を巻きこんで良くも悪くも、かなりのパワー
で静かに脈々と吹き荒れた感覚が残った。

私にとって「死」は、いつも畏敬というより目を背けたくなるような恐怖だった。
臨床検査技師になって数年は、検体だけを扱う仕事だけで楽だった。
しかし、ベッドサイドで採血したり骨髄穿刺による血液を標本にして顕微鏡で見たり
する検査は、若い頃の自分にとって「死」を意識するに十分すぎて、日に日に神経が
すり減って行った。

小さい子供達の「死」や生きたいのに生きれない人達の「死」が身近に在った。
逃げたかった。全てのドクターに訊きたかった。「死」をどうすれば客観的に捉えら
れるのか?どうすれば「死」を乗り越えられるのか?

そんな中、立て続けに起きた若い技師の同僚、上司、身近にいた人達の死は、あまり
にも強烈で、「死」の恐怖が自分自身を悩ませた。
自分の中で、「死」に対する境界線が引けない事に、もがき苦しんだ。
周りにいる医療従事者は平然と「死」に対する線が引けている様に見えた。

悩みまくったが答えは出なかった。哲学と宗教の世界に答えを見出そうとした。
しかし私にとって納得できる答えは、無かった。そのうち家庭を持ち、生きる事に
必死で「死」からは遠ざかって行った。

人間の生死に日々関わっている看護師や医師、介護職は、「死」だけでは無く「生きる」
という事も、同じ様に対峙しているのではないだろうか?私達パラメディカルとの差は、
生身の人間と直に関わり、避けがたい現状や喜びを日常茶飯事に直視し、寄り添って生き
る事にある。

そんな環境が「死」を客観視できる要因、嫌、しなければならない要因になっている
のではないか、と最近は思う様になった。勿論それだけでは、ないだろうが。
大変な精神力と心構えが必要なのだろうと敬服する。

私は、「死」が先にあるのでは無く、「生」が先にあるのだと思いたい。
私は、「死」を追及する前に「生」を追及したい。自分の為の「生」と自分の為の「死」。
「生」を懸命に貫く事で「死」を自然に受け入れる自分で在りたい。
「死」も歓喜「生」も歓喜なんて境涯には、程遠くても、自分の人生、在るがままに、生
きて行けたらいいな、と最近は思う。

恐るべき一泊二日のエンカウンターグループだったが、疲れた分だけ、得たものも大き
いような気がする。参加する前は気が重く、終えた後は、貴重な温もりと優しさを貰った
事に感謝したい気持ちが残った。皆様お疲れ様でした!そして、有難う!

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2009年10月30日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

誰か、ビッキーを知りませんか?

誰か、ビッキーを知りませんか?
今週、火曜日2009.10.27に高川山のビッキーに逢いに行った。
初めてビッキーに逢ったのは2009.7.28(火)だった。

曇り空の中、頂上で出会ったビッキーは鳴き声ひとつ出さない、大人しく、
どことなく寂しげで、優しそうなグレーの毛を持つ不思議なワンちゃんだった。
高川山の頂上にある、ビッキー専用の岩とでも名前を付けたいような崖っぷちの
平らな岩の上に座って、富士山を見て居る姿が印象的で忘れられない。

必ず、秋冬にビッキーのお水とドッグフードを持って来るからと約束した。
10月に入って気になって仕方無く、ネットを見たりして健在かどうか調べていた。
10月は多忙で登山の予定が立たなかった。でも、どうしても気になり、先週の土曜日
に行こうとしたが、昼過ぎから雨で行けなかった。

今週月曜日も土砂降りの雨。火曜日は山の土がぬかるんで滑りやすいかも、と思い火
曜日は断念して11月の土曜日に行く予定にしていた。
しかし、余程、気にしていたのか?夢に、空の缶詰と細長い板切れが出て来た。
いつもは夢は忘れるのに、残像がしっかり記憶に残った。
もしかしたら、連日の雨でビッキーがお腹が空いているかも知れない。

火曜日は雨上がりのすっきりとした秋晴れだった。
逸る気持ちを抑えながら山梨県大月市初狩駅に着いたのが13時。
少し紅葉していた。でも何故か、栄養失調の様な山の雰囲気は8月に訪れた時と変わら
なかった。猪注意が熊注意に変わっていた。小鳥の鳴き声に混ざってブルドーザーの動
く音が麓でしていた。

そのうちサイレンが鳴り、地響きがした。樹が倒れる音なのだろうか?
どんどん急な坂を上って行くと、やはり樹々に息吹を感じない。
雨上がりだというのに。八手の葉が真っ黒に枯れていた。樹の枝の葉も落ちた葉も黒い。
針葉樹の幹が細く落葉樹の葉は脆く、今にもハラハラと落ちそうだ。

そんな樹々の中を歩くのは胸が痛んだ。しかしビッキーに逢う為、先を急いだ。
前方から登山者が二人降りてきた。ビッキーの事を聞こうか、と思ってやめた。
「居ない」と言われたらガッカリしそうだった。
何故か、いない予感がした。

頂上に近づいてもビッキーのお迎えは無く、恐る恐る登った。
やはり、姿は、なかった。遅かったのか・・。14時15分登頂。
ビッキーの水と書かれた器には雨水だろうか?万杯の水に少しの土が混ざっていた。

以前、ブログで読んだノートを探せば様子が分かるだろうと思った。
目安箱みたいな気の箱を見つけた。簡単に開けられる鍵がついていた。
扉ごと外れた。ポスト大の大きさの中に数冊のノートと写真入れ、鉛筆、ボールペン、
犬用のビーフジャッキーが入っていた。ノートの最後の記入は2009.9.29男性二人によ
って書かれていて、ビーッキーが迎えてくれたと書かれていた。

どうしたのか?ビッキー。もう結構な老犬で急に年老いた気がすると書かれたブログを
読んだのは、今年の8月。まさか本当に病気になったのだろうか?誰か介護してくれてい
るのだろうか?それとも、午前は山頂で午後は麓に降りるのだろうか?

360度、スッキリ、クッキリと見えた山々。富士の広大な裾野は、はっきりとしたが雪の
積もった頂上は厚い雲に覆われていた。ビッキーを待って1時間。富士山頂上の半分が
雲の合間から見え隠れして幻想的だった。やはり雄大だ!

15時15分、もう待てなった。陽が沈む。
高川山は登りより下りが危ない。急な上、掴む所も少なく、滑りやすい。
誰も居なかった。8月に逢った農家のオジサンも居なかった。
ビッキーの消息は分からず仕舞い。
誰か、ビッキー知りませんか?どうして居るのでしょうか?

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