2007年05月06日


A子 <OLA子のキャリアアップへの道>

伝える

先週、ブログの中で
「自分も相手も値引きをしない。伝えたいことを伝える。」
と決断した私だったが、早速その翌日から値引きをしてしまった。
会社の中で、上司と自分を値引きした。
その日は疲れていて早く帰りたかったのに、伝えたいことを伝えられ
ず上司と2人でダラダラと残業。
結局21時過ぎまで会社にいるハメに。
身も心も疲れ果てトボトボと帰った。
何日かして別の部署の人から「月曜日、すごい疲れた顔をして電車に
乗ってたね」と言われたので、相当「お疲れオーラ」を出していたの
だろう。

その時、上司に伝えたかったこと。
「このままのペースで仕事を続けても、すごく時間がかかるから、
 もっと思い切って余計なところは削除して、終わらせましょう」
たったそれだけのこと。
なのに伝えられなかった。
それを言うと「そんな荒っぽいやり方じゃダメだ。もっと丁寧に1つ
1つやっていかないといけない」と言われるんじゃないかと思った。
「どうせ言っても伝わらない」
そう思って自分と相手を値引きした。
伝えられないままダラダラと仕事を続けたので、私はだんだん無表情
になり、無気力になった。
どうでもいいと思って、体に力が入らなかった。
この無気力感は今まで何度も味わったことがある。
私がこんな風に無気力になるのは、相手に伝えたいことがあるのに、
伝えられない時じゃないか?
相手に伝えたいことがあって、分かって欲しいのに「どうせムリ
だから」と、勝手に諦めて引きこもってしまう。
どんどんどんどん「諦め」ばかりが自分の中に溜まっていって、
生きるエネルギーが奪われる。

「どうせ分かってもらえない」それは私の思い込み。
今まで一体どれほどの「伝えたいこと」を私は飲み込んできたの
だろう?
伝えたいのに伝えられない。
そんなことを繰り返すうちに、だんだん伝えたいことが何なのかも
分からなくなった。
そして伝えたいと思うこともなくなった。
もし、今からでも伝えたいことを伝えていけるようになったら、
私の周りはどんな風に変わるだろう?
そこには私が恐れているような恐ろしい事態が待っているのでは
なく、もっとイキイキとした世界が待っていると思う。
そこに人がいると実感できるようになると思う。

とは言うものの「伝える」ということは難しい。
きっとまだまだ値引きをする。
伝えたいことを飲み込む。
でも、急には出来ないから、それでいい。
「伝える」ことを諦めなければ、それでいい。
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2007年04月29日


A子 <OLA子のキャリアアップへの道>

上司

会社での人間関係が重い。
特に上司との人間関係。
私はそっとしておいてほしいだけなのに、まとわりついてくる。
そして、ここがダメだ、あそこがダメだと言う。
うるさい! そんなのもうほっておいてほしい。
ダメだなんて言われたくはない。
私はダメだなんて思ってない。
ダメだと思っているのはあなただ。

「僕には君のモチベーションを上げるのは無理なんじゃないかと
 最近思ってくる。」
あー、もううっとうしい。
あなたには私のモチベーションは上げられない。
私のモチベーションを上げられるのは私自身だ。
私を変えようとしないで。
あなたが望むようには私は変わらない。
私はあなたの為に、いるのではない。
私は自分自身の為にここにいる。
うっとうしい、うっとうしい、うっとうしい。
重たい、重たい、重たい。
上司の「こうあるべき」という重苦しい枠が私にのしかかってくる。
私はそれにはまりたくない。
だって、それはあなたの枠だから。

この上司は母親だ。
重たく私にまとわりつく。
ずっと自由にしてほしいと望んでいた。
自分の好きなように生きたいと。
自分の好きなことをしたいと。
楽しみたいと。
でも、その枠を私は受け取ったのだ。
無意識のうちに。
その枠にはまるよう従ったのだ。

さあ、今の私はどうする?
そんな枠にはまりたくない。
自分自身の中にあるものを大切にしたい。
もうこれ以上、自分自身を殺したくはない。
だから、自分と闘う。
でも、正直闘うことは疲れる。
「自分自身の中にあるもの」が確かなものなのか不安になってくる。
でも、手がかりとなるものは他にない。
今はそれを頼りに闘う。
どうやって闘うのか?
相手に流されない。
ACに流されない。
その為に、Aを使う。

今の私にとってのAとは、「言葉で伝える」ということ。
他人を変えることは出来ない。
でも、相手を変える為ではなく、相手と向かい合う為に言葉を使う。
相手に通じるのか、誤解されないか、関係が余計に悪化しないか、
不安だけれど、とりあえず伝える。
だって、今までの私は相手に何も伝えてこなかったから。
どうせ伝わらないと諦めていたから。
感情をぶつけるのではなく、今自分自身が思っていることを、
相手に受け取ってもらえるように伝える。
相手も自分も値引きはしない。
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2007年04月22日


A子 <OLA子のキャリアアップへの道>

まっくろくろすけ

私の日常は仕事でまっくろ。
この「まっくろ」という言葉は以前、カウンセリングの中で出てきたもの。
私は今までずーっと人生を仕事でまっくろに塗りつぶしてきた。
生きることを楽しむ、というよりも、仕事だけが私の人生で、それに
自分を傾注することが私の生き方だった。
だから、私の人生はまっくろくろすけ。

今日一日、ずーっと心に引っかかっていたことがある。
それは昨日のCSNでのやりとり。
「私の勤めている会社は一流ではない」と言ったことに対して
皆にびっくりされた。
「そんなこと言うのは嫌味だ」と言われた。
こんなこと書くと、ますます反感を買うかもしれないけど、本当に
一度も一流だなんて思ったことがない。
「こんな会社」とずーっと思ってきた。

私が入社した時から、業績不振で、新入社員の頃からビクビクして
過ごしてきた。
「いつ潰れてもおかしくない。きっと2〜3年以内に潰れるから、
 その前に転職しなきゃ」と思ってた。
でも気付いたら、10年近くもずるずると勤めている。
その間、会社はずっと不安定な状態。
朝起きたら新聞に「倒産」って載ってるんじゃないかとずーっと
心配してきた。
世の中からパッシングされ、ゾンビ企業だと言われた。

会社では業績不振の責任を取って、次々にトップが代わり、大規模な
リストラが何度も行われ、給料はカットされ、休みは減り続けた。
皆が疲弊している。
そして皆、会社を去っていく。
新入社員として配属されたお店での初日、先輩社員とご飯を食べた
時、「何でこんな会社に来たん?」と言われた。
そのお店で働いていた2〜3歳年上の女性の先輩は、「初対面の人に
○○で働いてるって恥ずかしくて言えない」と言って辞めていった。

私自身も「どこに勤めているの?」と聞かれても言えなかった。
「会社=私」ではないのに、恥ずかしい恥ずかしいと思ってきた。
でも、心の中で「私はこんなところで働くような人間じゃない」と
いうような変なエリート意識があったのも事実。
「自分はこんなもんじゃない。もっとやれる」と思っていたかった。
そう思わないと、自分を支えられなかった。

私は「一般的に評価されているもの」に自分の身を置くことだけを
生きがいにしてきたから。
だから「評価されないもの」に身を置くことが耐えられなかった。
その傾向が強まったのは中学生の頃。
中学に入ると、いろいろな小学校から来た人が沢山いて、私はうまく
馴染めなかった。
人とうまく関われなかった。
私の通っていた中学は、いわゆる「ガラが悪い」ことで有名で、私は そんな人達を毛嫌いしていた。
その中で唯一自分を保っていられるのが「勉強」だった。
「私は頭がいいのよ。あんたたちとは違うのよ」と思うことで自分を
支えていた。

「私はいっぱい勉強して、いっぱいお金を稼いで、すごい人になって
 やる」 そう思って自分を励ましていた。
当然周りから好かれる人ではなかった。
3年生になったある日、全体朝礼で体育館に集まっていた時、別の
クラスの男の子が私のことを指さして「あいつ、ブスくねー?」と
笑いながら周りの友達に話しかけていた。
私はものすごく傷ついた。
それからも何度となく、その子は私のことをバカにした。
私はその子のことが、ものすごく嫌いだった。
嫌いというより憎かった。
憎くて憎くて仕方なくて、「あんたなんかいなくなればいい」と
思った。
存在を消してしまいたくて、頭の中で何度もその子のことを殺した。
今、その子に会ったとしたら「あの時、殺したいほど嫌いだった」と
言って傷つけたい衝動に駆られる。

そんなことがあって、なおさら私は勉強にのめり込むようになった。
「もっといっぱい勉強して、あんたたちなんか絶対行けないところに
行ってやる。
そして思いっきり見下してやる」と思った。
今思えば、勉強が私の魔法だった。
勉強することで、苦しみのない世界へ行けると本気で信じていた。

実際、高校に行くと、傷つくことを言う人もなく、中学よりもはるか
に居心地が良かった。
ますます勉強神話は強固になった。
ただ、それが通じなかったのが就職だった。
何社受けても何社受けても、すべて落ちた。
100社近く受けたんじゃないかと思う。
でも、そんなこと恥ずかしくて、友達にも誰にも言えなかった。
しかも、なぜ落ちるのか分からなかった。
自分では、そんな変なこと言っていないつもりだし、うまく受け答え
出来ているつもりだった。
それでパニックになった。
「何で何で?」という思いがぐるぐる回った。

そんな時に受けたのが今の会社。
当時、かなり業績は悪化していて、いつ潰れてもおかしくないと
言われていた。
私は受けながらも「けっ、誰が行くか、こんな会社」と思っていた。
内定をもらった時も、「他社では散々落ちてる私をすんなり合格させ
るなんて。だから、この会社はダメなんだ」と思った。

結局、今の会社ともう一社しか受からず、「経営が危ないとは言え、
一応 上場している会社だから」という母の説得もあり、今の会社に
決めた。
(この母の説得というのもクセモノだけど・・・)
今までのそんな思いをこめて私は自分の会社を「こんな会社」と
値引きして いる。
そして私の中には、人をばかにする傾向のある私もいる。
人を傷つけてしまいたいと思う私もいる。
私の中には、まだまだ、いろいろなものが押さえつけられている。

話は飛ぶけど、ともかく何はともあれ、私は仕事をはやく切り上げ
て、帰る!!
mocoちゃんじゃないけど、「早く帰る早く帰る」と呪文のように唱え
て、心に固く誓おう。
自分自身と、そして自分のACと闘う。
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2007年04月15日


A子 <OLA子のキャリアアップへの道>

ACばかりの日常

平日の私の時間は、ほとんどが仕事の時間。
そして多分、会社にいる時はACの状態でいることが多い。
これもTAを勉強するようになってから気付いたこと。
周りの人の顔色をうかがったり、遅くまで仕事をしたり。
CSNにいる時は違うと思っていた。
FCでいるのだろうと思っていた。

でも、先日かなりんが言った。
「A子さんはCSNにいる時はACなのよ」
えっ、ここでもAC?FCじゃないの? かなりショック!
自分ではFCだと思ってたよ。

「自分ではFCの感じがする?」とかなりんが聞いた。
うーん・・・FCだと思う。
けど、違うのかな・・・?
でも、ACじゃない気がする。
FCなのか、ACなのかわかんないや。
C」であることは 確かだけど・・・。

「適応しようとしてるでしょ?」と更にかなりんに言われ、
「あ、そうかも」と思った。
私はこの場に適応しようとしている。
会社の人や友達といる時もそうだけど、その場に適用しようとする癖
がある。
それをCSNでもやっている。
「いつやってるの?」と言われても、分からない。
そんな感覚がある、としか言えない。

以前私のブログに、かなりんが「日常のなかでささやかな喜びを重ね
ていく技を身につければ、もっともっとFCが活性化することで
しょう。」というコメントを付けた時から、「あれ?」と思って
いた。
「あなたはFCで接しているつもりかもしれないけど、本当にそう
なの?違うんじゃないの?」と言われている気がした。
あーヤダヤダ!また自分のことに気付いてしまった。
こういう時は、自分の心の中で、子供の私がバタバタする。
「本当は気付かずにいられたらいいのに、やっぱり見て見ぬふりは
 できない。
 自分で気付いた自分の姿に向かい合っていかなくては」と思う。

でも、出来ることなら素通りしたい。
見たくない見たくない見たくない。
でも、そうすると脚本から脱出できない。

「適応する」という言葉で思い出すことがある。
中学校3年の時のことだ。
クラス替えで私はショックを受けた。
「仲良くできる子がいない!」と思ったから。
私はずっと仲良くできる子と、仲良くできない子を分けていて、
そのクラスには私が仲良くできる、と思える子がいなかった。

「仲良くできる子」とは、まじめでおとなしい子。
私は無意識に、自分が一番でいられるような相手を選んでいた。
逆に「仲良くできない子」とは、明るくて元気が良くて、言いたい
ことを言える子。
私は、そういう子たちが恐かった。
仲良くできる子が一人もいないと分かり、その日は呆然と家に帰った
のを今でも良く覚えている。

「お昼は誰と食べよう、何をして過ごそう、移動教室の時は・・?」
家に帰ってから、あとからあとから不安が広がった。
その日から学校に行くのが嫌で嫌で仕方なかった。
家の中でも、自分の部屋に閉じこもった。
最初は「何で行きたくないの?」と聞いていた母親も、「ちゃんと
学校に行きなさい」と言うようになった。
姉も「自分から友達に話しかければいいじゃない」と言った。
そんなこと言ったって・・・と思いながら、暗い気分で学校に
行った。
隣のクラスだったらいいのに、と何度も思った。
2年生の時の担任の先生に会うと、わざと元気のない振りをした。
「元気ないな」と言われると、「しめしめ」と思った。

誰でもいい、何でもいい、このクラスから救い出してほしい、と
思った。
他人に対して心配してもらいたい時、思い悩んでいるような振りを
するようになったのは、この頃からだと思う。
別にいじめられていたわけではない。
誰とも、親しくできず、一人ぼっちのような気分だった。

そして私は、クラスの中の足の悪い女の子と仲良くなろうと決めた。
その子も、一人でいる子だった。
その子と仲良くなりたかったわけではない。
その子といれば少なくとも一人ぼっちだと見られずにすむ、と思った
からだ。

でも、心の中で私はきっと、その子のことを馬鹿にしていた。
そして、そんな自分を馬鹿にしていた。
学期末に母親と私と担任の先生との三者面談があった時、先生が
言った。
「クラスに足の悪い女の子がいるんですけど、A子さんは世話を
 よくしています。優しい子ですね」
その時、心が引き裂かれそうだった。
「ばかじゃないの!何も知らないくせに。私がどんな気持ちで、
 その子といるか何もわかっていないくせに。ヘドが出る」
と思った。

その時のことを思い出すと、今でも気持ち悪くなる。
恋愛でも、「私のことを好き」といわれると、気持ち悪くなる。
「何もしらないくせに、いい加減なこと言わないでよ!」と思う。
それは、この時の感じに似ている。

「適応」ということは社会で生きる上で、ある程度必要なこと
なんだろう。
でも、今までの経験からか、私は「適応」という言葉に良いイメージ
はない。
でもきっと私の体にしみついているもの。
今まで私が生きてこれたのは、ACを駆使してきたからかもしれ
ない。
だから、今はACでも仕方がない。
自分はACでいることが多いのだ、ということを認めよう。
そしていつか、本当に自分が楽しいと思える感覚を、
FCを身に付けたい。
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2007年04月08日


A子 <OLA子のキャリアアップへの道>

子供時代

私は子供時代、どんな子供だったのか?
よく思い出すのは、小さい頃(多分幼稚園に入るか入らないかの頃)
甘い粉薬をスプーンで母に飲ませてもらっている光景。
パンダの絵の付いた、小さい赤いお椀に、母が薬を水で溶いて私の
口に運んだ。
甘い。
でも、まずい。
スプーンの腹で、薬を混ぜるザラザラという嫌な音。

もう少し年齢が上がると、プラスチックのボトルに入った液体の薬。
メモリがついていて、一回分毎にマジックで印が入っている。
これも、まずい。
なかなか減らない。

夜中に高熱を出して、母に抱かれて行きつけの小児科に行く。
母が病院のドアを叩く。
中学校ぐらいまで、私は小児科に行っていた。

日曜日に、近所の友達と母の実家にイモ掘りに行く。
でも、私はまた熱を出して、イモ掘りは出来ない。
母の実家で寝ていた。
母の弟のお嫁さんが、リンゴをすりおろして持ってきてくれた。
すったリンゴを食べるのは初めてだった。
茶色に変色したリンゴ。
でも案外おいしい、と思った。

小学校では、よく熱を出して早退した。
担当の先生が母に電話を掛ける。
母が車で迎えにくる。
病院でもらった薬を飲んで寝る。
自宅の2階の部屋で寝ている。
天井をじっと見つめる。
天井の木目を目線でたどる。
空想にふける。
もう、飽きちゃったな。

夕飯は、母がお盆にのせて持ってきてくれる。
このことを思い出すと、悲しくなる。
私は体が弱いんだ、普通の子とは違うんだ。
そのことで、母に随分迷惑を掛けているんだな。
母は私のことで、随分苦労してるんだ。
病気がちだったことで、確実に過保護に育ったと思う。

母はよく私に言う。
「風邪を引かないように厚着をしていきなさい」
「風邪が治ったばかりだから、体育は見学しなさい」
体育は本当によく見学した。
もともと運動は苦手だったので、私には好都合だった。
ただし、スイミングスクールに通っていたこともあって、水泳だけは
得意だった。
でも、小学何年生かの夏、体調を崩して夏休みのプールにずっと
行けないことがあった。
私はプールに入っても大丈夫だと思っていた。
でも母は、平熱より高いと「熱が出るかもしれないから、今日は
プールは止めなさい」と言った。
ずっと平熱より高めの体温が続いた。
その度に母が同じことを言うので、面倒くさくなって、体温計を
脇から抜くときに、わざと摩擦が起こるように抜いた。
そうすると体温計は37度を超える。
母は迷わず「今日はプールはダメね」と言う。
これでいい、と思った。

CSNにいる時、たまに「こんなことをするとかなりんに怒られる」
とか「かなりんは怒っているのでは?」と心配になることがある。
「怒られるっ」と思って身がすくむ衝動にかられる。
かなりんを通して母親を見ている。

私は母によく怒られていたんだろうか?
不思議とよく怒られていたという感覚がない。
体の弱い私を守ってくれた、という記憶。
思い出すのは、母の困ったような悲しそうな顔。

小さい頃から、母のことを「可哀想な人」だと思っていた。
祖母ともうまくいかず、父はノラリクラリ知らん顔、子供は体が
弱い。
大人になっても、なーんにもいいことなんかないんだな、と思った。

母は可哀想、何の自由もない、何の楽しいこともない。
自分の中で、母に対する何かを抑圧しているんだろうか?
沢山怒られたはずなのに、思い出すのはいくつかの場面だけ。
思い出したくないから、閉じ込めているのか?
母親像をねじ曲げているのか?
苦労ばかりして可哀想な母。
私の中にいるのは、そんな母親。

でも、可哀想なのは私だ。
可哀想な母親は、可哀想な私。
(以前のnekoちゃんのブログにも似たようなことが書いてあった)
私の中にある母親像は、私自身なんだろうか?
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2007年04月01日


A子 <OLA子のキャリアアップへの道>

TA終了!

今日で6ヶ月に及ぶTAの基礎講座が終了。
そして今日の決断で、私は「週1回は残業をせずに帰る」
ということを決断しました。
私の周りの皆さん、このことを見守っていてくださいね。

今回私はアシスタントとしての参加だったけれど、TAを復習する
良い機会でした。
1回勉強しただけでは全然身に付いていないなーということを実感。
もっともっとTAを勉強して体に叩き込んでいきたいと思います。

また、昨日の土曜日と、先週に土曜日、外部にTAを勉強に行ったの
も良い機会でした。
これを機に、他の機関で開催しているTA講座にも出てみようかな、
と思います。

6ヶ月前、このTA講座が始まったばかりの頃、私は「NOT OK」
のど真ん中にいました。
どうにもこうにも身動きがとれない状態。
今思えば、抜け出そうと思えば抜け出せたのかもしれないけど、
抜け出したくない自分がいました。
原因は恋愛感情。

その後、諦めようと決心してからも「NOT OK」な状態から抜け出す
のに3〜4ヶ月かかりました。
それは「もしかしたら、もしかしたら・・・」という思いがあった
からです。
「もしかしたら何かのきっかけで私の方を向いてくれるかも
しれない」という思いが、ずっと私の中にあって、諦めきれなかった
からです。

だから抜け出したくなかったんです。
だって抜け出すことは諦めるということだから。
諦めたくなかったのです。
ずっとずっと、すがっていたかったのです。

でも、「もう相手が振り向くことはないのだから、ここにいても
ムダだ」 と自分で強く思うようにしてから、ようやく抜け出す準備が
出来るようになりました。

CSNの中で、誰かが脚本から抜けると、誰かが脚本に入ったり
します。
皆、「OK」と「NOT OK」の中を浮かんだり、沈んだりして
います。
そんなにすぐには強固な「OK」など身に付かないのだと思います。
私も、また脚本に入るかもしれません。
でも、それは同じ所を行ったり来たりしているというより、3歩進ん
で 2歩下がるという感じです。
下がることはあるけど、少しずつ前に進んでいる。
少しずつ少しずつOK感を強めていくことができればいいと
思います。
それには時間がかかるのでしょう。
今まで歳をとることなんて、何もいいことないと思っていましたが、
歳を重ねて安定した「OK」を維持できるようになれるのであれば、
まんざら捨てたもんでもないと思います。
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2007年03月25日


A子 <OLA子のキャリアアップへの道>

近付きたいのに近付けない?

土曜日にTA講座を受けてきた。
といっても、いつものCSNの講座ではない。
三鷹にある、クリニックで開催されたもの。
いつもと違う先生、いつもと違うメンバー、 少し落ち着かない私。
同じTAでも教える人が違うと随分違うものだな、と思った。
解釈が違うから? かなりんではない授業に、混乱した部分も
あった。

メンバーは全部で5人。
全員女性。
CSNからは私ともう一人、Sさんが参加。
3人とは初対面。
初めての人に対して私は距離のとり方がわからない。
授業を受ける中で、どういう人か少しは分かってきたものの、思う
ように近づけない。
何だろう、この感じ。
近付きたいのに近づけない。
伝えたいのに伝えられない?
少し胸がモヤモヤする。
そんなに急には近づけないもの?
私が近付いていないから?

授業が終わって駅まで帰る途中、バスの中で話していた時、なんか
会社にいる時の私みたいだな、と思った。
来週、もう1回授業がある。
その時は、もっと1人1人のことを知りたい。
家に帰った後も、まだモヤモヤして家の中で歌を歌った。
ミスチルを歌った。
なぜミスチルかというと、最近アルバムを買ったばかりだから。
今日は昼まで寝た。
その後、買い物と美容院に行った。
この週末はCSNには行かなかった。
以前は、ずっとこんな週末だった。
1人で過ごす週末。
平たんな週末。
人と会わない週末は、のっぺらぼうな週末。
跳ね返ってくるものがない。
1人だと何も生まれない。

CSNで過ごす時間と、会社で過ごす時間とは私にとって何だろう。
2つの時間が混ざり合う。
2つとも人と会っているのに、違うもの。
この2つは何が違うのか?
CSNのメンバーとは何なのか?
私にとって友達とは何なのか?
友達って何だろう?って考えても分からない。
ただ、分かっているのは、ここには今週もCSNに行きたいと思っている私がいるということ。
posted by CSNメンバー at 22:38 | Comment(0) | TrackBack(0)