日差しのぬくもりも真冬とは違うポカポカとしたぬくもりを感じつつ、
歯が痛い。。。
先週、ブログを書いているころから左奥歯に違和感があった。
なんとなく触っていたらグラついてる気がして、
それを何度かしているうちに痛みが増してきて、
とうとう食事の咀嚼で激痛が伴うようになった。
時はすでに金曜の夜。
翌日にでもかかりつけの歯科へ行きたいのに、
医療券の発行という前提があるため週明けまで待たなければならない。
まずは、この痛みを止めるのに市販薬を購入した。
服用する際は何か食べてからという指示を受け、
なるべく噛まずに済むおかゆを作った。
歯で咀嚼するには、右歯だけで軽く噛もうとしても左でも自然と噛む動作をするので、
結局は原因の歯に触れて痛みが走る。
こういうときの食事って、痛みに気を取られてるから何を食べてもおいしくない。
薬を飲むとやや痛みが和らぎ、
そうこうして眠りにつくと一時間も経たないうちに激痛で目が覚めた。
眠たいのに痛くて眠れないって、人間の営みの最低限を奪われているようで、
とても腹が立つのにどうしようもならない感じだ。
枕に顔をうずめて「いたーい」と何度も叫んで、再び薬を飲む。
そして熟睡できぬまま朝が来る。
これを二日繰り返し、ようやく月曜の朝を迎えた。
医療券発行手続きを済ませ、
歯科へ連絡すると一時間後に来るようにと言われ、すぐさま支度をして診察を受けた。
医師の問診を受けても寝不足でボンヤリしてよく把握できず、
虫歯ではないことと当面の治療が必要なことだけがわかった。
そうして処方された薬を飲み、
次第に激痛が鈍痛にかわり、咀嚼時の軽い痛みはあるもののかなり落ち着いた。
歯痛のような身体的痛みは、ドンドンするとかズキズキするといった痛みの感覚や
奥歯か左右のどこが痛いのかが表現しやすいだけに対処治療しやすい。
しかしこころの痛みは、歯のようにはいかない。
こころにも激痛とかどのあたりが痛いとかわかっているはずなのに、
歯のように痛さをピンポイントで伝えにくいところがある。
それを表出しきれない或いは感じなくしていると、積もり積もって身体化される。
それは日々の思考行動から、フィードバックできそうだ。
私の場合、歯の定期健診は必須なのになんとなくめんどくさく、
そこへストレスを感じる行動が続き、それを対処しているつもりがマッチしていなく、
そのうち歯痛を引き起こす要因へとつながったのだろう。
このように書き出せば単純だが、思考行動のひとつひとつは根深さを感じます。
身体化は防衛の失敗とされ、
その人の考え方や生き方が如実に現れるものだと仮定できるなら、
身体化は無意識で救えなかった思いを、意識に伝える最後の砦のような気さえします。
失敗から学ぶというのは、あながち嫌なことでもなさそうです。
じゃあ私は、何の防衛に失敗したのでしょうね。