事前に「近隣のみなさまへ」という告知文が投函され、
そこには作業中の騒音、異臭への侘びと協力、
工事期間が今年1月末から5月末までと書かれていた。
工事開始当初は離職からまもなく、
日中は家に居ることが多くなっていたので、
作業中の音やにおいに付き合うと思うとげんなりした。
そのげんなり感はせっかく家に居ても落ち着かないのもあるが、
覗かれているような気がしてならない思いが強い。
それも見られるではなくて、覗かれるという感じなのだ。
こうして期日を迎えると、現場には足場を組む鉄筋が積まれた。
それを一週間もしないうちに10数階まで組み立てられ、
外幕が取り付けられた。
その後本格的な作業が始まり、多くの職人が足場を伝って仕事をしていた。
その様子は部屋のレースのカーテン越しから見えるのだが、
日が経つにつれ、げんなりしているよりも感心することが多くなった。
それは足場の頑丈さや、手際のよさだ。
今年の春は風雨の強い日が多かったのに、
足場はその程度で崩れたりはしない緻密な計算の上で組まれている。
そして職人達は一人の割り当て箇所を手際よくこなし、
毎日見ていたわけではないけど事故を起こさず着々と進めている。
そう、覗いている暇なんて職人にはないのだ。
そんなことをしていたら事故、大惨事につながりかねない。
すべては、安全に業務をこなすことが彼らの仕事なのだ。
ばかばかしい、私の部屋なら堂々と居ればいいのにと思いながらも、
カラダがムズムズして落ち着かなくなるからやっかいなものだ。
工事は予定よりも早く終わるようで、今週足場が取り外された。
やれやれというのも本音なら、
思いがけないところで私の価値観がうごめいたのも事実だ。
覗くなら覗けとか覗かれても平気というより、
見るなら見ろとか見られても平気くらいにはオープンになりたい。
これが現状、私の詰まるところのような気がします。