2013年06月13日


405 <七色仮面の告白日記>

Yの結婚

女子会メンバーのYが、近々結婚するとの報告を受けた。

最後まで独身を貫くと思われていた彼女だが、
それでも出会いを求めて様々な行動をしていたから、
この報告は驚き半分当然半分でもあり、
実を結んだことは喜ばしくあった。

交際当初は今後付き合うのかどうかも微妙な様子で、
結婚についてもYよりも相手の方が乗り気だったようだ。

実際に交際相手ができたと聞いたのは昨年末で、
それから半年は紆余曲折がありながらも、
現実的に物事を運ばせる傾向のあるYが、
彼と歩んでいこうと決めたのだ。

そんなYは親族からどんな式をあげたいのか、
好きなようにあげていいと言われているものの、
それに甘んじることはできないという。

Yには結婚式の理想がある。
でも現在の状況や諸事情、今後の経済的なものを考えると、
その理想を通すわけにはいかないそうだ。
だから理想は胸にしまって身内だけで済ませるのだという、
実にYらしい発想だ。

むしろ私やメンバーのMのほうが、
理想を通したほうがいいだの、時期をずらしたらどうか等々、
ワーワー言って盛り上がった。

「私がいいと思っているからいい」と、
Yがあまりにも突っぱねた感じの言い様なので、
私は結婚をしたいと思った理由を尋ねた。

すると彼の右腕が抱きつきやすく、
この人の子どもなら生みたいというものだった。

結婚式は一瞬だが、結婚生活は半ば一生。
式は理想どおりでも、生活は理想とはいかないことを
現実派のYなりに気づいているはずだ。

だから彼の右腕の抱きつきやすさが好きだという、
Yの情緒的なところが垣間見え、なんとなくだか安堵した。
だって、あまりにも現実すぎても。。ねぇ。

私をゲイだと知り、毒を言い合える数少ないYの結婚。
さみしいものはあるが、どうかYの理想とする家族をつくりあげてほしい。

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2013年06月06日


405 <七色仮面の告白日記>

梅雨だというのに、晴れの日が続いていますね。

雨の日が続くと気分も鬱陶しくなるものですが、
かといって梅雨なのに雨が降らないというのも拍子ぬけです。

そのかわりなのか、蚊の飛来がいくぶん早いように思います。

深夜、さぁ寝ようかとベッドに入ると、
耳元で「プーン」と聞こえる蚊の飛ぶ音。

嫌ですね、あの音。
音はなくても、いつの間にか刺されてかゆくなるのも嫌です。
こうなると、寝るより退治が先になります。

一度暗くした部屋を明るくし、目を凝らして蚊の存在を突き止める。
苦闘の末ようやく退治をしてこれで眠れると思いきや、
この一連の動きによって眠気がやや覚めてくる。
これも嫌な感じです。

退治しないと刺されるし、退治するなら眠気が覚めるし、
どのみち不快なのは残るんですよね。
かといって、いなくなれというのも無茶な話です。

蚊の言い分にしてみれば、私が蚊に不快感を覚えるのは自己中で勝手だ。
むしろ、蚊の役割を把握してからにしろと。
もし蚊にこんなことを言われたら、もっともだと考えるかもしれません。

刺されたくないなら、蚊取り器をつける。
刺されたら、効き目のいい薬をつける。
ただ、私は蚊を一方的に非難し退治できるだけであると。

人間関係でも、似たようなことはありますね。
どのみち不快になるけど、いなくなれとは言えないとき、
どうすればこの不快を緩和させられるのかということ。

私はまだこの術を見出していないです。
なぜなら緩和したいという気持ちがあり、
気に留めたくないと思っているうちは気に留めているからです。

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2013年05月30日


405 <七色仮面の告白日記>

隣の正面だ〜れ

ドスンドスンと、
隣から音が響きだしたのはこの1ヶ月ほど。
音の質から、かかとから強く踏みこむ歩き方だろう。

経験上隣から聞こえてくる音というのは、
扉の開閉やテレビの音、話し声といった生活音が多い。
逆に足音は階上、あるいは下から響いてくる。
そう思ってきたせいか、
隣から足音という不測の響きは相当耳障りなのだ。

隣人は、私より後に入居をした。
いまどきの賃貸では入居時に上下両隣への挨拶はないらしく、
どんな人なのかわからずにいた。

歩き方から推測すると、一人暮らしで体格のいい男性だ。
そう考えてある日隣人が外出するのを見計らって、
部屋の窓から覗いてみたら女性だった。

女性がかかとから強く踏む歩き方ということは、
ひょっとしたら足が悪いのかもしれない。
しかし響く音は、意識しているだけ日に日にひどくなっていた。

たまりかねて一階に住む大家を訪ねてこの件を話すと、
なんと大家のご子息夫婦が住んでいるということがわかった。

大家いわく、その夫婦は近くの広めのマンションに住んでいたが、
諸事情により住めなくなり、
空いていた私の隣の部屋を使わせることにしたそうだ。

しかし足音については、
「賃貸をしている親の元で育ったから、
他の入居者なら配慮することに気が回らないのだろう」という、
私には理解しがたい親バカっぷりを聞くこととなった。
ともあれ、事情がわかると一気に胸のつかえが取れていくのを感じた。

私も生活音を出しているので、とやかく言えるものではない。
しかし足音の件だけでなく大家の家族なら越してきた時点で、
ひと言挨拶があってもいいだろうにと、私の価値観はささやいている。

それは音自体への不快だけなく、
正体のわからない音への緊張があるからなのだ。

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2013年05月23日


405 <七色仮面の告白日記>

新しい暮らし

現在の住まいに越してから、半年が過ぎた。
ようやく、家の中の空気がカラダに馴染んできた感じだ。

いくら以前と同じ町で近距離の引越しでも、
建物内の空気は以前のものとはまったく違う。

家の中の動線、キッチンの使い勝手、座って見える景色。
どこなく落ち着かないのは、
この家に沿った生活のパターンを新しく要求されるからだ。
それは、新たに発見することの連続でもある。
新しいことに対して面倒だと感じるぶん、
それをどう楽しもうかという算段がない。

洗濯物を干したいけど、ベランダがない家ではどう干せばいいか。
ユニットバスで、溜め湯をして体を洗うにはどうすればいいか等々。
私なりに考えて、やればできるのだし、特に支障がなければそれでいい。

馴染んできたというのは、
生活のパターンが安定し、新しい発見も出尽くしたからだろう。
ようやく休まる体感を得た。

引越しがストレスというのは、
物件探しや契約、荷物の搬送といった動きへの面倒さかと思いきや、
新しい住まいでの暮らしを自分流に安定させるというのも、
そのひとつかもしれない。

新たな安定や習慣というものは、
過度に追求しすぎるとかえって窮屈になることに気づいている。
だから邪魔くさくならない程度にしたいのだが、
これがあるから暮らしていける面も否めない。
そんな考えがよぎるから、新しいことへのためらいがあるのか。

あと半年経てば、一年のサイクルがわかる。
そうすればこれらの新しいことは日常に溶け込み、
私に相応しい暮らしが築きあげられていることだろう。

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2013年05月16日


405 <七色仮面の告白日記>

ちょっといいグループ

ふたたび、電車に乗っていたときの出来事。

私が乗った電車は信号機トラブルの影響で、
ある駅でしばらく停車していた。

私はドア近くの席に座り、
そのすぐ傍で三人の高校生とおぼしきグループが、
スナック菓子を食べながら大声で談笑していたのだ。

聞きたくもない話が耳に入り、
自ずとどんな会話をしているのかもわかった。
お菓子の香りが鼻につき、鬱陶しい気分だ。

すると三人のうち一人がホームへ降り、
こともあろうかタバコを吸おうとしていた。

おいおい学生の分際で、
ましてや駅構内でタバコを吸うのかよと内心思っていたところ、
「タバコなんて吸うんじゃねぇ」と、
その学生グループの一人が仲間の行動をたしなめたのだ。

私はさっきまで「鬱陶しい」と称していたのに、
その一喝により「ちょっといいグループ」に変わった。

グループというのは時として妙な仲間意識が働き、
マナー違反等社会的に反することへの行為を容認してしまいがちだ。

私の場合、自らの指摘によって相手の感情を刺激するのではという懸念に、
ひどく恐れを抱いてしまう。
だがそのことに支配されるより、沸き起こる感情を吟味し表現するほうが、
自身の気持ちを尊重する点で大切だと考えている。

もし相手が駅のホームでタバコを吸おうとしたとき、
「ここで吸うな」と言えるのか。
「いいじゃん、別に」と返ってきたら、それはどうなのかと話せること。

感情に囚われながらの発言は、不思議と相手の感情を刺激した応答になる。
私なりの考えがしっかりして感情を捕まえていれば、
たとえ相手の感情を刺激しても恐れることはない。
考えを通して、表出している出来事にアプローチできるからだ。
そうは言っても、いざその場ではむずかしいけど。。。

この学生グループのそれぞれがどんな思いでいたかわからないが、
相手に対して注意できる関係というのは、
ただ容認してしまうよりもちょっといいグループのように思えた。

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2013年05月09日


405 <七色仮面の告白日記>

どっちがどっち

一年ぶりに、両親と横浜の叔父を訪ねた。

今回、叔父を見舞うことに気が重かった。
昨年の出来事がひっかかっているからだ。

昨年見舞ったとき、
父は当時のヘルパーにほんの挨拶から自身が闘病したことを話した。

それもただひと言「患った」と済ませばいいものを、
なんだか細かく経緯を話していたのだ。

私は父がなぜそんな話をしたのか理解できない。
何かしらの不安なのか、それとも日ごろの不全なのか。

そしてそのヘルパーも、
自身の子が父と同じ病を患っていることまで明らかにし、
それは大変だと父は同情する様子を見せていた。
黙って横になっている叔父をよそに。

父は自身が通っている病院を紹介し、その後電話で何回かやりとりをしたらしい。
しかし病の進行が早すぎて、紹介した病院まで行くことはなかったという。
最後は「ここまで話せたのは初めてです」という手紙をもらっていた。

それをこんなことがあったと話す父に、私はほとほとあきれていた。
どっちが見舞われてるんだかわかりゃしない。
叔父を見舞うなら、叔父の話し相手になってやれよと。

そんなことがあったせいか私は今回見舞う際、
昨年のヘルパーが担当ならどう対処するのかそれなりに考えてと、
父を軽くなじった。

しかし私のそんなことは杞憂で、担当のヘルパーは代わっていた。
叔父は「昨年のヘルパーさんは来ないよ」と言った。

ただ担当が代わってだけなのかさだかでないが、
少なくとも年に一回という見舞いの場の後味は、
とても苦々しく感じた。

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2013年05月02日


405 <七色仮面の告白日記>

夜風が沁みた

港区芝公園。
ゴールデンウィーク初日、私はオランダ大使館へ向かった。
ここで、あるLGBT団体の周年パーティーが催されたのだ。

私はゲイの一人として、
このセクシャリティを抱えどう生きていこうか。
そんなヒントを得たくてネットで検索したところ、
「LGBTの老人ホームづくり」を活動目標にしている団体を見つけた。

日本でのセクシャルマイノリティの市民権は、まだ得始めたばかり。
社会通念として誤解されることは多く、決してカミングアウトしやすい環境ではない。
だがマスコミや海外の動きを見ていると、ある程度の理解を示す人も増えつつある。

そうなるとこれからの高齢化社会で、
当事者が年老いてでもセクシャルをオープンにできるスペースつくりは、
非常に需要がありそうだ。
そんな理由から、この団体に興味を持ったのだ。

早速、具体的な活動がわかるイベントの有無をメールでたずねると、
担当者からこの周年パーティーへの参加を提案された。
顔見知りのいないパーティーへ一人で参加とは、及び腰になった。
でも機会を失うデメリットを考え、何とか申込みを済ませた。

会場となる大使館は、私は初めて行った。
館内のインテリアはどれも落ち着いたアンティークな物ばかりで、
庭園にはオランダの花、チューリップが鮮やかに咲いていた。
到着するとまずウエルカムワイン等が振舞われ、
それを手にメイン会場の庭園から人の出入りを眺めていた。

LGBT以外にノーマルや家族連れなど様々な人達が来場し、
西洋館のパーティーという言葉に相応しい華やかさだった。
申込み時に250名と書かれていた定員が満員御礼となったように、
会場はほどなく埋まった。

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進行役の挨拶で始まり、
オランダ大使、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ、
LGBT団体、そして団体スポンサーの各代表者のスピーチが続いた。

それが終わると、今までの活動の様子を振り返るスライドショーが流れた。
季節限定でカフェをやったり、
資産運用の勉強会や老人ホームでの介護体験実習等、色々取り組んできたようだ。
しかし活動実績に対して説明やパネルディスカッションはなく、
会場内はイベント名どおり社交パーティーの様相だった。

参加者の大半は団体を支援する個人かグループばかりで、
それぞれに顔見知りのスタッフやグループ同士で会話をしている。

私も何か話をと思ってきっかけをさがしたけどまったくつかめず、
参加者やスタッフに名札がないため誰が何者かわからず、
途方に暮れてしまった。及び腰から腰が引けた感じだ。

こういう時にうまく関われる人を「処世術に長けている」と、
いらぬことを考えていた。何をしているんだか、私。

そして時間が経ち、最後に代表の挨拶。
「私にとって年を重ねるということは、
いい仲間と出会い、いい経験をし、自分を成長させていくことです。」

公然の発言としては、清々しい内容だ。
だが私には「何がいい仲間だよ、成長だよ」と、
その言い回しに毒々しさを感じ、遠く学生時代の記憶がよみがえった。
そして、目標に向けてやっていきましょうという言葉がなかったこと。
だが、これだけのイベントを開催できる手腕や行動力はたしかだ。

そう、いつしか団体の活動の様子を見るという目的から、
私のこころの問題へとすり替わってしまったのだ。

私は自身のコミュニケート不全に苛立ち、それを強く噛み締めた。
この程度のことで、セクシャリティを抱えてどう生きていくかだなんて。
夜風が沁みた。

さぁ、伸るか反るか。
とりあえず、お礼のメールは出した。

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