2007年01月26日


405 <七色仮面の告白日記>

ザ・脚本(405の場合)

定期的にカウンセリングを受け、
CSNの講座やイベントに参加をしていると、
自分の思考パターンや外界とのつながり、
それをつかさどっている人生脚本を、
意識するようになります。

というのも、
先日これぞ自分の脚本パターンではないかと
気づかされることがありました。

ある出来事に対処し、どうしようかと悩み、
行動を起こし、結果平穏を取り戻したのに、
実はそれこそ脚本だったと。

げっ

そのパターンは、数年間ずっと自分を悩ませる種で、
それから脱却するために、脚本抵抗にも遭いながらも、
何とかパターンから抜け出そうとしてきました。
そのために行動をし、決断もしたはず。

なのに、 その出来事から「果たしてこれは…」

なーんてことを考えていたら、
次第に今までのパターンであると感じ、
少しづつ変わっていたつもりが、
何も変わっていなかったんだなって思っちゃいました。 ガーン それは変化する状況を取り越し苦労的に怯え、
その怯えから何とか脱却と安定を求め錯誤し、
その結果、脚本に入ってしまう。。。 脚本を意識できることこそ、 成長したのかもしれないけど、 脱却するための行動までいくと、
まだまだ脚本による思考パターンが根深いんだなと
感じざるを得ません。

うー

♪405の場合は〜  あまりにもおくびょうさん♪

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2007年01月16日


405 <七色仮面の告白日記>

抵抗するカラダ

先週、ワタクシ405は、背中の痛みと風邪症状に悩まされ、 新年&引越し早々、不快な日々が続いた。 ピークは金曜、背中の痛みは激痛に変わり、 この日は講座のアシスタントがありながらも、 痛みに耐えてはいたのですが、とうとう我慢できずに背中の痛みを訴え、 講座の後半は、横になりながらアシスタントを務めました。 (横になれる講座もスゴイけど。。w) しかしそこはCSN、「背中の痛みは病気」という俗説を前に、 心に何かを抱えている、脚本抵抗によるものから背中の痛みを 発症しているのではという、心理的アプローチのメス。 おぼろげに「何かを抱えている、脚本抵抗」ということを感じながら、 直近の出来事や、それらに対する感情について、 講座のカウンセリングシュミレーションを通じて話した。 すると、それまで激痛で普通に座るのもキツかったのが、 徐々に痛みが和らいでいくのを感じ、講座が終了する頃には、 痛みは軽くなっていた。 その脚本とは、「寂しさ」から派生するもの。 友人関係や住み慣れていない街での一人暮らし等、 そのあたりで寂しさを強く感じていたのは確かだった。 寂しさは慣れ親しんだ感情であり、 それこそワタクシが脚本に入る状況をつくるものでもあった。 しかし今回の背中の痛みは、脚本抵抗というもの。 それは脚本に入りたがる気持ちが、カラダが抵抗している状態??? 「寂しさはReal feelingではない」というかなりんの一言。 Real feelingは、TA用語なのですが、 そのあたりはまだ勉強していなかったワタクシは、 Real feelingの意味がわからずにいました。 寂しさというものを感じても、 それが現状問題を解決するような感情ではない。 これまで寂しさを感じていても当たり前と思っていた気持ちが、 ここへ来て何らかの症状を起こすようになったこのカラダ。 長年関わってきていたこのCSNで、またひとつ 変化が起きはじめてきた。

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2007年01月05日


405 <七色仮面の告白日記>

405@中野

謹賀新年から早くも5日が過ぎましたが、 今回は年末年始がさほど意識されないほど、 淡々と過ぎていきました。 そんな折、ワタクシは計画第一弾を実行に移し、 今は馴れない結果に、ぼんやりしています。 その計画とは、知る人ぞ知る「中野移住計画」です。 昨年末のブログコメントに記載した内容ですが、 まさかこんなに早く実行し、結果を出すとは 思いもよりませんでした。 なぜ中野なのか… まずは一つ目、 CSNの前身でもあった「サンプラザ」があること。 サンプラザの存在は、今の自分にはとても大きなもので、 もしここのサンプラザの相談センターがなければ、 TAやエンカウンターを経験することも、 これらを通じて様々な人と出会うことも、 こうしてブログを書いて内省することも、 なかったように思うからです。 次に混沌とした街の印象があること。 その所以とは、色んなタイプの人が住んでいて、 その混沌さが、ある種の「自由さ」を生み出しているように 感じられるからです。 確かにどこの街にも色んなタイプの人は住んでいますが、 中野は某ネットワークの専売特許的エリアでもあり、 それを言うなれば、「隠蔽されたエロスティックさ」を 感じるところでもあるのです。 「遠くにありて想うもの」として捉えていた中野への移住は、 これからのワタクシの再スタートには丁度いい街だと、 このブログを打ちながら確信しています。 ちなみに「某ネットワーク」の意味を知りたい方、 ぜひワタクシに直接お問い合わせくださいネ☆

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2006年12月22日


405 <七色仮面の告白日記>

険しい道

今週、出塁2回目の405です〜 なんだかんだ言いながらこうしてブログを書いていると、 リアルに今の自分の心境が映し出されているものだなと思っています。 ということで、今感じていることはズバリ「居心地が悪い」です。 今週、自分の中では割と劇的な日常を送っていて、 月曜に書いたブログの内容が、かなり大きなこととして心に残り、 水曜にはそれを基に「よくぞやった」と、自画自賛(どこかで聞いたことある…) してもよいことをし、今日に至りました。 それらの行動は、現在の自分の希望や問題解決には、 「良い結果」「良い決断」であり、OK感を伴っていいもののはず。 なのに、どこか居心地の悪さを感じて仕方がない。 言動上や頭ではOKを感じているものが、カラダは何か違うサインを送り続けている。 慣れ親しんだ環境を手放すことへの不安なのか、それとも mocoちゃんが先週のブログで書いた「何かを達成し始めると、気持ちが悪い」というものか、 それとも今週の様々な決断と結果自体に、心底OKを感じていないのか。。。 頭や環境で左右されるようなOKは、偽モノでしかない感じ。 それをはっきり意識してしまっていることが、何かのサインなのだろうなぁ。 でも、何が自分をそうさせているのかすら、その正体がわからないでいる。 その正体が無意識の中にある禁止令から来ているのなら、その姿を見せくれーー  カラダが何のサインを送っているのか、わからなーーい 得体のしれないその正体は、拷問を受けるかのように自分を苦しめ、 確信犯かのように自分に襲いかかります。 こんな状態でもAを働かせ、ロジカルにしているけど、Cは「やだやだやだ〜」なんです。 心底OKを鍛えるためには、その正体をあばいてとっちめる。   手強いCが暴れるなら、より強いAを育てる。 道を急いで造っても、土台柔なものしかできない。 しっかりとした道を造るには、丹念に仕上げないとすぐ壊れる。 その過程はつねに試練であります。。

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2006年12月18日


405 <七色仮面の告白日記>

台本

みなさんこんばんは、 ピンチヒッターブロガー405です。 今夜はピンチヒッターというより、 自分から監督にアピールをして出場した次第です。 数年前、自分は初めてエンカウンターに参加をし、 そのときに「人生には台本があり、人はそれを演じていると思う」と、 発言をしました。 例えば、 あの時あのように言っておけばよかった。 なんでこのタイミングで、この電車に乗ったのだろう等 善悪、喜怒哀楽を含めた生活のひとつひとつの出来事や感情が、 どこか自力ではなく必然とも違う何かによって言わされ、動いている。 言うなれば、人生台本を演じているように捉えていた。 人が生きることは、 あらかじめ用意されていた台本を、ただ演じているにすぎず、 出来事に対しての反応すらも、台本であると思っていた。 今思うと、人生で起きる出来事や感情に対して、 自分の力で決断したことに行き詰まりや否定感を感じ、 自分の人生を「台本を生きる」という形にすることで、 出来事に対する全ての言動や感情を、肯定したかったのかもしれない。 時は流れ現在、 自分の考えの中には「台本を生きている」ということが、 いつのまにか消えていた。 そのかわりに「今の自分の感覚」が強く意識されていると同時に、 その感覚を大事にしようとしている。 今この場の出来事で何をしようと、何を感じようと 自分が過去の出来事で必死に思い悩み、決断をしたことが、 今という集大成であり、そのことにより、今という出来事に瞬間を感じ、 発し、動いているのだと思うようになったからだ。 1分後、1時間後、明日には、 そのときどきとしての出来事が起こり、 きっと今とはまた別の感情が湧くであろう。 でもそれは、そのときに感じればいいと。 今日という日にブログを自分で書きたいと思い、 この内容を選び、文章で表現し、あとになってあぁ書けばよかったと 思うことも含め、自分は今この瞬間瞬間に、感じたことを残している。 今、台本という言葉をあえて使うなら、 「今こうして台本を自分で残している」ということになるのかもしれない。

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2006年12月08日


405 <七色仮面の告白日記>

ら・ぽーる

早くもピンチヒッターの登板2弾目の405です。 「当番」の間違いじゃなかろうかという、そこはかとない不安はありますが… 今日、講座で「ラポール」という用語が出てきました。 元は「架け橋」を意味するそうですが、 カウンセリングでは、カウンセラーとクライアントととの「関係性」を表す意味です。 カウンセリングでは、自分の感じたこと、思っていることを話すために、 ラポールは必要不可欠なのでしょう。 かくいう自分は、なかなか心をオープンにすることができず、 そのオープンにした心ですら、本当にオープンなのかと感じることもあります。 ひょっとすると、ラポールはカウンセラー含め他人と接するときも大事だけど、 本来の自分へは、ラポールを架けているのかいるのかということも大事なんじゃないかって。 それは生身の自分と、心の自分がかけ離れている感じなのかもしれない。。 これまでの○十年、自分は自分へ「砂上の楼閣」ならぬ「砂のラポール」を架けていた感じです。 対岸は見えているのに、橋の架ける材料に砂を選び続けた故に、いつまでも届かず、 じゃあ今度は水を含めて泥にして架けてみるものの、今度は自分が渡るのには弱すぎる。 砂を選び続けることが、最良の材料であると信じて疑わないことが、 砂がもろいことを知ってて、あえて見せかけの「渡り」をしていたこと。 結果は、本来の自分を遠ざけるだけ。 そう思うのは、そのために費やした時間と労力に、不全感があるからだ。 もし惜しみなく近づこうとすれば、例え砂でも不全感なんて起こらないし後悔もしないはず。 今はどうなのかと言えば、石でも木材でもなく、まだ砂を使っています。 何でかって?? それは自分が砂を選びたいからです。 でも対岸に届く気がしているから。。 あ〜あ、ラポールが虹なんて、素敵だよねっw って締まりも悪いですが、また会いましょう。。

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2006年11月27日


405 <七色仮面の告白日記>

ピンチヒッター初登板

みなさんこんばんは、 ピンチヒッター第1号の405です。。 時々、ここのブログにコメントを残してきたものの、 いざ書く立場となると、何を書いてよいのやらといった感じです。 でも書いちゃうのが、自分ですw プロフィールを書くのもいかがなもんだし、 CSNとの関係を書いてもピンチヒッターブログにしては短すぎるし、、、 そうそう、今日ここへ来る途中に、部活帰りの高校生集団を見かけました。 学ランに、スポーツバック、無造作な仕草に、ぶっきらぼうな会話。 存在自体が特権みたいなものを感じました。 同じように「26歳」という年齢にも、私なりの「ブランド感」があります。 何をそこまで自分を思わせるのかって、 それは過去に「やってみたかった」ことへの憧れと、 「男N」同様、過ぎ去った○年を自分なりに感じているからかもしれません。 それを取り戻すべく、今自分は割と「好き勝手」なことをしています。 恵比寿に来ては、大学の研究室にいるような感じで、色々な話をすること、 深夜に渋谷の駅前で、気ままなメンバーと缶コーヒーを飲むこと、 スポーツサークルに参加してみること、 どれをとっても、今の自分にはとても大切で、 「やりたかった」で終わらせない意思の現れなのかなって。 もし「自分で居ていいこと」を知らずにいたら、 いつまでも「やりたかった」で終わることなのかもしれないとね。 ま、どこまで「自分」であるかなんてわかりませんけどね〜 今やりたいこと。。 溶いた卵を入れたラーメンが喰いたいw  
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