2013年09月19日


405 <七色仮面の告白日記>

ジムもAmazon化

家の近隣に、まもなく24時間オープンのスポーツジムができる。
チラシが入っていたので、早速施設見学に行った。

入口に立つとインターフォンがあり、それを押して中に入れてもらった。
オープン後は入会時に発行されるセキュリティカードで自由に出入りができ、
フロントスタッフにカードの提示をする必要はない。

そもそもフロントの設備がなく、入口のドアを開けるとそのままジムエリアとなり、
所狭しとジムマシンが整然に配置されている。

更衣室は建物の構造で男女分けをしていなく、
同じスペースに「この先は女性用」と目印をし区分けしているだけだ。
荷物はロッカーによる施錠というものではなく、
大きな備え付けの棚に置き、必要なら有料のロッカーを契約する。

スタッフは日中のみ在籍しあとは不在となるため、
安全、防犯面で何か起きたら館内にあるブザーで警備会社へ連絡をする。

それなりにマシン機器はそろっているものの、
従来のジムにあるような華美な造りやスタッフのサービスに慣れていると、
非常に無機質な印象を受ける。

というのもこのジムの売りは、
いつでも手軽に、マシンに特化し、格安で利用できるのが謳い文句だ。
ジムにおけるこれまでの常識を「過剰なサービス」として位置づけ、
ごくシンプルなつくりにしたのだ。

その過剰なものとは、おそらくスタッフであり人件費だ。
そして施設の造りもプールやジャグジーといった設備がなく、
マシンのメンテナンスだけで償却できるようになっている。

このようにして人件費や施設維持費をかけないぶん、
コストが抑えられ低価格を実現させているのだが、
そうはいっても地域にもよるが月額6〜7,000円はかかり、
従来のジムで月額平均10,000円前後なのでわずかながら安いだけだ。

案内係いわく、「利用は自己管理でお願いしています」とのこと。
過剰なものを削ぎ落とした結果は自己管理であるという構図は、
マシン利用の安全や貴重品の保管等に関してもそれを求める。

日本は安全な国とはいえ物騒な事件はあとをたたないし、
マシンを使い慣れていてもいつケガをするかわからない。
ジムという特質上、スタッフは欠かせないと思う。

24時間いつでもという利便の追求には、必ず代償がつく。
そして「働く場」も削がれているのも実感した。
これはこのジムだけに限ったことではないのだ。

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2013年09月12日


405 <七色仮面の告白日記>

ニッポンのお家芸

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されることに決まりました。

テレビでIOC総会での日本の最終プレゼンテーションを聞き、
「これぞ世界に見せる、日本の姿なんだなぁ」としみじみ感じて、
沸々とするものがありました。

各代表のスピーチは希望だ、夢だ、きずなだとどれもこそばゆい表現ばかりで、
皇室をまでも巻きこんだ戦略は、招致獲得のために手段を選ばない印象だ。

そして質疑応答でノルウェーの委員から、
直近で起きた福島の汚染水問題について問われると、
首相は「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内で完全にブロックされている。」
「状況はコントロールされている」と、全世界に明言した。

それって本当なのか?
それを国民、少なくとも福島に言い切れるのか。
東京に影響はないって、福島は大阪より近いんだぞ。

状況はコントロールされているという言葉は、ある意味正しい。
それは混乱をきたさないための情報コントロールであり、
事故被害のコントロールに言及していないからだ。
つまりはコントロールといっても事態の収束を意味しておらず、
核心に触れずして事実を返したと捉えている。
これを「あやふや」と言うのだろう。

海外メディアに福島の問題をコントロールという言葉で隠し、
希望観測を持たせるとは、これでよくおもてなしと言えるものだ。

そしてこれから開催までの7年間に起こるだろう、
様々な規制や排除はますますコントロールされていき、
今まで以上の光と影を生んでいく。
社会保障は、消費税は、TPPは。日本の先が見えていない。

以下、プロブロガーのイケダハヤトさんの記事を引用します。
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ホームレス支援を行う組織「ビッグイシュー」に関わっている関係で、
オリンピックがホームレス状態にある方々にどんな影響を与えるのかが、気になっています。
あまり知られていないことですが、五輪を始め、大規模なスポーツイベントの開催にあたって、
開催地からホームレスが追い出されることがあります。

たとえば米国のフットボールの祭典「スーパーボール」。
ダラス市の議会は、開催地付近での物乞い行為を期間限定で非合法化し、
ホームレスの人々を別の場所に追いやることを決定しました(参考:The Super Bowl's Homeless Problem)。
同様の「排除」はアトランタ、シドニー、北京、ロンドン五輪においても行われました。

シドニーにおいては、一時的な居住施設に移行してもらうという配慮が行われましたが、
そこでは暴力事件や盗難、食品の汚染などが多発しているという悪評があったため、
ホームレスの方々から「あんなとこに行くなら、路上の方がよっぽど安全だ」という声も上がったそうです
(参考:Sydney's homeless to be removed for Olympics - World Socialist Web Site)。
単にシェルターを用意すればいいというわけではない、ということですね。
日本のホームレスたちはどうなる?
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ホームレスのみならず、
ゲイシーンでも何らかの影響を受ける可能性が示唆されている。

オリンピック自体を毛嫌いしているのではない。
開催に伴う経済成長に浮かれ気分になる気運と、
くさい物に蓋をするのに友好気取りできるお家芸がたまらないのだ。

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2013年09月05日


405 <七色仮面の告白日記>

前略、ゲイバーのカウンターより

ゲイバーを営むKさんとSちゃん。

二人とも20代の頃からバーでアルバイトとして働き、
30代になってからそれぞれ自分の店を構えた。
両店は開店月は違えど、今年度で10年を迎える。

10年間自分の店を構えてやり続けるのは、
根気だけでなく様々な困難にも立ち向かってきたのだと思う。
特にバーのある二丁目の盛衰は、
商売をする人にとってはかなりの痛手ではないだろうか。

二丁目は90年代中頃が最も華やいでいたが、
今となっては週末でも全盛期ほどの勢いや活気がなくなった。

その背景には90年代後半からインターネットが出回り、
急速な普及により出会いの場が二丁目からバーチャルへ移行し、
そこへ追随するように世代交代による価値観の違いがある。

ゲイが二丁目を離れていく一方で、
マスコミが二丁目を取り上げオネエが身近になったことで、
一般人が二丁目に関心を持って訪れるようになった。

私は二丁目でゲイより一般人が多く見られる風景に違和感がある。
けれども、二人はどんなに世情が変ろうと客が一般人であろうと、
来てくれるお客さんのために店を開ける。
とはいえ、ゲイだけの店内になると、
「今日はゲイバーっぽい」と言うのは皮肉な本音だろう。

二人とも見た目やカウンターで見せるキャラクターは違うが、
時々話す胸の内は意外なことが多かったりする。

Kさんは店を開けに来るのが苦痛でたまらない時があり、
Sちゃんは大の人嫌いで初対面が非常に苦手だという。
このような気持ちがありながらも、
カウンターに立てばそんなことを微塵も感じさせないほど、
バーのマスター(ママかも?)としてお客さんの応対をする。

二人ともカウンターを通じて二丁目の過渡期を見てきたぶん、
葛藤も大きいのだと思う。
しかしそのたたずまいは店の主としての誇りでもあり、
10年続けてきた自信のように感じる。

Kさんなら「あら、そんなこと言うならあんたが来なさいよ(笑)」
Sちゃんなら「そんな小難しいこと言ってないで、飲みなさいよ(笑)」

そんな声が聞こえてきそうで、今夜もカウンターで酒をふるまうのだ。

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2013年08月29日


405 <七色仮面の告白日記>

病院は好きですか

3ヶ月に1回の定期検診は約6年続いているが、
いつも前日となると億劫になる。

病院は治療をするために行くところなのに、
なぜだか疲労して帰ってくることが多い。
逆に具合が悪くなるような気さえする。
これが個人のクリニックだとさほど感じられないのは、
抱えている病気の種類によるのだろうか。

もっとも、病院が好きという人をあまり知らない。
好きこのんで行くことはないにしろ、病院というところは大抵混雑している。

私は朝の開院まもない時間に診察予約を入れているが、
すでに多くの患者たちがいて、受付番号は3桁となっている。
どこからこれだけの人が来るのだろうと、毎回思ってしまう。

ただ診察だけで済めばよいが、
規模の大きい病院になると会計処理に時間がかかり、
さらには薬を院外処方で受けとらなければならない。
この一連の流れだけでほぼ3時間は要してしまうのに、
そこへ追加診察やハプニングが入り込むと、
さらに時間を費やすことになる。

病院の体制や診察に問題を抱いているわけではなく、
できるだけ病院に長くいたくないのだ。
「私は病気で来ている」という意識に侵食されていくようで、
普段は気に留めていない病気のことを直面させられるからだ。
私の場合、3ヶ月に1回の頻度で済んでいるから、楽なほうかもしれない。

東京という場所は、医療環境設備では十分に満たされている。
内科から専門性を伴う病気でも、その多くはカバーできている。
これが地方都市の場合、わざわざ都心に出かける必要性があるし、
さらに過疎地域になると病院すらないのが現状だ。

診てもらえるだけでもありがたいとはいえ、
病院へ行かなくてすむのなら行きたくはない。
でも病気になってしまったのなら行くしかないのだが、
世話になりたくないのが本音だ。

いつか診察が終わるのならばよいが、
私の場合は長く付き合うことになるのだし、とにかくドライにいくしかない。

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2013年08月22日


405 <七色仮面の告白日記>

1%のひらめき

今朝、ヤンキースのイチローが日米合算4000本安打を達成したとの
ニュースが流れた。

私は野球を観るのも、やるのも興味がない。
興味があるのは、選手の外見だけ。
しかし、イチローに関しては外見とは別の部分で興味がある。

それは天才と呼ばれる影にあるたゆまない努力と、
一心に野球を追い求めることだ。

かつてエジソンは、「天才は1%のひらめきと99%の努力」という
名言を残した。
これを絵に描いたようなイチローの野球人生は、
マスコミ経由で色々と聞くことがある。

ほぼ毎日のように欠かさず練習をし、
決めた目標に対しては確実に達成する姿は、
一般の感覚をはるかに越えた努力の積み重ねで、非常に圧倒される。

イチローの名言集を読むと、独自の行動哲学で綴られている。
7年間バッティングセンターに通った。
自由時間も素振りやランニングの練習に費やした。
誰にも負けていないのは、寝る前に10分素振りをした等々。

そして
これだけ練習をやっているのだから必ずプロ野球選手になれるという言葉によって、
行動哲学としての証明を果たしたのだ。

先のエジソンの言葉には、
「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」という解釈もある。
イチローの場合、ひらめきすらも日々の努力で研ぎ澄まし勝ち得て、
完全なかたちで偉業を成し遂げたのではないかと思える。
そのひらめきこそ自分の感性つまりは純粋な思いであり、
それを自分ならできると信じた1%なんだと思う。

完全でなくてもいいし、偉業なんていうものは荷が重い。
99%が努力であろうと無駄であろうと、
わずか1%のひらめきを体現していくために一心になれるというのは、
その人を輝かしく見せるものだ。

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2013年08月15日


405 <七色仮面の告白日記>

サマーラケット

高知では41度という、
観測以来最も高い気温を記録した今夏。
東京では丸1日30度を下回らなかった日があり、
先月末から今月はじめにかけて涼しかったせいか、
暑さエネルギーが一度に押し寄せてきたような天候だ。

こういう暑さを経験してしまうと、
多少の暑さもやれやれと思いながら、なんとかしのげるものだ。

特に夜は、熱帯夜の基準である25度でも少し気持ちよく感じる。
夕方、買い物で外出していてもなんとなく風が心地よく、
今日は涼しいなと思っていると、28度だったりする。

嫌でも襲ってくる気象現象は、
なんとかやってのければあとはどうにか合っていくものだ。
人間の環境順応性というのはよくできているが、
気持ちでは暑さへの不快を気づかずにいると、
不注意な行動をしてしまいがちだ。

暑いんだから、少しくらい気が緩んでも仕方ない。
暑くても、多少我慢するしかない。
これは夏に見落としがちなラケット感情だそうです。

暑さへの不快はどうしようもないけど、
だからこそ現実的な視点や行動が必要なのでしょう。
意外と熱中症というのは、我慢する傾向が強かったり体内の反応に鈍いと、
陥りやすいのかもしれません。
そう考えると、夏の大人の火遊びもそのうちのひとつでしょうね。

8月も15日を過ぎると、
「さぁ、これから夏だぞ!」という勢いよりも、
暑さにも慣れた落ちつきを払うような感じだ。

そう感じるのは、私がサマーラケットに侵されていたからか。

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2013年08月08日


405 <七色仮面の告白日記>

ちょっとなら媚薬

長いこと吸わないでいたタバコを一本吸った。

久々にクラッとくるこの感覚は、
初めてタバコを吸ったときを思い起こさせた。
なんとなくトランスした状態で会話をすると、
気分も「落ち着いたように」感じてくる。

しかしだ。
吸い終わったあとの口の中や手についた残り香の嫌悪と、、
カラダ全体から発する「んなもん取り入れたくねぇ!」のメッセージは、
相変わらず敏感で、以前にも増して強くなっている。
落ち着いたと感じるのは脳内だけで、カラダは拒否しているのだ。

なのに、もう一本と吸いたくなる。
私の傾向として、タバコを吸うと全体的にエネルギーが低下して、
食べること、考えること、動くことがなんとなく鈍くなる。

そもそも私がタバコをやめたのは、
タバコの値上がりとカラダへの負担からだった。
その負担は、心身エネルギーの低下と体内器官への影響からだった。
要は、私には合わないのだ。

今回は細かい作業をして気が張ったため、
その緊張を放ちたくて作業終了後にタバコを吸いたいと思った。
ひとたびその厳戒令を解いてしまうと、あれよあれよと吸い出す。

「タバコを吸うと、話が弾むよねぇ」
「タバコがあると、物思いにふけやすいよねぇ」
色々言い分をつけては、もらいタバコに火を点ける。

そして吸い終わると、
「あぁ、口の中がニコチンくさいなぁ」
「頭がボンヤリしてるなぁ」
カラダの拒否メッセージを意識するだけで罪悪感を持つ。

それまでもらいタバコだったのが、
いよいよ自身で一箱買ったとき、やばいと感じた。
それはタバコを吸う行為が、
私にとって負のスパイラルへいく誘発のような気がしたからだ。
タバコを数本吸っただけ、こんなにもスプリットしたありさまだ。
これが中毒、依存というものだろうか。

前回の禁煙のときは離脱症状もあり非常に辛かったが、
今回は以前にも増してカラダが拒否しているので、
もう吸えないというところで一昨日から吸わずにとどまっている。

ちょっとなら媚薬も、快楽という一撃の強さは計り知れない。
それが依存のはじまりというものなのでしょう。
タバコを吸った本数は一週間で一箱、体重はみるみる減少。
おそるべしだ。

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