2008年01月17日


405 <七色仮面の告白日記>

前略、寝床の上より

自分が小さかったときに、水疱瘡にかかりました。

両親は住み込みの従業員で、自分が病気してもいつも部屋にひとり。

水疱瘡が痛くて動けなくて、トイレにも行けない。「お父さ〜ん、お母さ〜ん」と叫んでも誰もこない。


がまんできずに漏らしてしまった。

今思うと両親が住み込みで働いてる立場もあり、病気になればなんとかしてくれるだろうという
幼き自分の自我考察。


今は、今は自分でなんとかする。それが自分。
あの日の叫び声はこだまして心に響くが、
その響きを自分で聞こう。

みなさん、風邪には気をつけましょう
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2008年01月10日


405 <七色仮面の告白日記>

運命こそ我なり

知っている方も多いと思いますが、
先日、歌手の浜崎あゆみさんが突発性難聴により、左耳(不確かかもしれませんが)が機能しなくなった
という報道を聞きました。

彼女がスターダムにあがった7、8年前、今とはまた違う「現代の若者」の共感を得て、
自分も一若者?として、じれったい自分の生きざまに重ねて
彼女の歌を口ずさんでいました。

彼女の歌を聴いて自分が感じていたのは、いわゆる孤独や孤立から発する
喜怒哀楽の行き場のなさだった。

そのせいか、彼女の姿には何かしらの影を見ていた。その影こそ、彼女の心や運命にオーラとして見えていたのかもしれない。

ファンとかアンチではなく、その影のあるスター性に不協和音な共感があった。

今回の病に対して、彼女がHPに掲載した心情もそうだけど、
彼女だからこそ背負う運命らしきものじゃないかと、コメンテートしていた
マツコ・デラックスさんと重なる言葉の感じがした。

それはなるようにしてなった運命ではあるけど、そんな簡単に片づくようなものでもない。

それは当事者でないと感じられない、わからない心のヒダであり
日々生きてきた結晶は、当事者のものだから。

人類にとって運命は、過去を変えられず、未来も予想できない、
結局今しか感じられない日々の積み重ねの結果という、
言葉は軽いがそういうもののように思う。

だから結果の前の行動で、どうすべきかなんだよね。

あの人だからこうなったというのは値引きっぽいけど、
あの人だからこそ起きたという言葉の表現しきれない感じを、
もっと深く味わいたいものです。

ひとりの405として。

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2008年01月03日


405 <七色仮面の告白日記>

ハジメテの正月

初めての正月、
晦日から正月三ヶ日の四日間を家族で過ごした今年の正月。

生まれてこのかた、正月といえば親戚の新年会があったり、
自分や父親が仕事があって元日から家族の誰かがいなかったり、
晦日から車中泊のバス旅行に出かけたりと、とにかく慌ただしい記憶しかなかった。

だからというわけではないけど、あまり正月は好きでなかった。
晦日の昨日までをまるでリセットして、すべてを「お参り」をすることで上べだけを繕う感じや、このときしか挨拶を交さない正月が、
あまり好きではなかった。
それが今年は特に遠出をしたり、誰かが欠けることなく、家族だけで過ごした。
喪中であることもあり、本当に静かで何気ない正月だった。

それが新鮮だった。
おせちらしいものも食べず、普段通りの食事。
新年の挨拶まわりもなく、時間を気にしないでダラダラ過ごす正月。

特に変わったといえば、別にない。

ありのままの自分で両親と迎えた今年は、リラックスできてよかった。

寝正月って、じっと家にいる正月なんてと思う時期もあったけど、
今はこういう正月が、こういう時間の過ごしかたが、
なにより贅沢だと感じた。
正月嫌いは、正月ってだけで新たな気持ちにさせるまやかしと、社交上のありかたに
せわしなさを感じる気持ちの裏返し。

それをくつがえしたいい正月でした。

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2007年12月27日


405 <七色仮面の告白日記>

駆けめぐる生瞬

この一年は、ずいぶん「駆けた」という気持ちだ。


皆同じように与えられたというのか、認識する時の感覚の中、
自分は駆けていった。

出来事にはドライバー要素も、神経症要素も、人生脚本要素も色々あった。
走るとかがむしゃらとは違う、ただ駆けていく感じ。

駆けていく前に憚る障害に、どうしようとか結果を考える前に、自分の体感だけを信じて。

体感はおよそ非言語なものが多く、言葉にすると別物になる。
そんなまどろっこしさに、苛立つこともあり、言語にできない自分を値引いたり。

でも、体は感じる。
会話上の裏にある裏面的なもの、
自分に引き寄せすぎるがゆえの転移。

感じる自分は、それが自分の課題でもあり、本質でもあり。

駆けていくほどに、感じるほどに疲れはある。
でも疲れは、その自分の限界を知らせるより、今の力がそうなんだと
思うことにある。だとすれば、乗り越えられるものだ。

自分はどう駆けたいのか、
本当に駆けたいのか…


さて、来年は「すすんで」いくのか

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2007年12月20日


405 <七色仮面の告白日記>

夢・タイムマシーン

冬の寒さのせいか、はたまた引きこもり前兆か、
長時間眠ることが多い。

長時間眠るというのは、断片的に起きては寝るといった感じで、
ずっと眠り続けてはいない。

こういう睡眠はよくないとかそんなことは抜きにして、
こういう睡眠をしていると、色々な夢を見ることが多い。

新しいところで昨晩の夢は、かつて働いていた職場で尊敬していた
女性上司とバレーボールのチームを組み、メンバー獲得に
いそしんでいる内容だった。
夢にも関わらず懐かしみを感じ、その上司と話せたことが
働いていた当時を思い起こすなんとも言えぬ、味わいだった。

そしていわゆる「よく見る夢」に、おそらく初恋であろう、
小学生のときの同級生の男子がよく出てくる。
この辺りは「恋愛したい」の暗示だろうが、夢でそれもその当時のままの彼が現れる。

実際、彼とはさほど親交が深い訳ではなく、なんとなく気になる程度だった。

初恋というのは、何はなくても強烈な何かを心に落とすような、
ましてや小学生の頃の想いは、藍より青いそんな感じだ。

今会いたいかといえばそうでもなく、むしろ夢のままであってほしい。
そんな甘さは、現実で見たくない。

夢は他にも色々見るけど、そこでも「自分らしさ」を感じてやまないものです。
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2007年12月13日


405 <七色仮面の告白日記>

日記はなんでも知っている

先日、部屋の押入れの整理をしました。
というより、押入れに溜めてあった書類やノート、雑誌を
まとめると言ったほうが正確かもしれませんが。

今のところへ越してまもなく一年になろうとしているのに、
出てくるわ出てくるわ色々な書類やノート。

書類関係は一枚ペラだったりするので、
「これはいらないや。。」と、すぐ破棄できるけど、
ノートやファイルものは一体何が記されているかわからないので、
逐一開いて内容の確認をします。

かつて受講した講座関連のものだったり、
レポートや手紙の下書きだったり。

そういったものの中に、
ある期間限定で書いていた「その日のキモチ日記」が
出てきました。

去年から二年前にかけて記されたその内容、
それはキモチを記すというより、ほとんど愚痴ばかり。
走り書きで「死んでしまえ!」みたいな、激しいものもあれば、
かつて好きだった人への想いを再度綴ってみたり、
両親への「申し訳なさ」とか。。

とにかくそういう時期だったのでしょう、
めくってもめくっても「NOT OK」的な文章ばかり。
さすがに「ヒヤっ」としました。

なにが「ヒヤっ」なのか。
それはその日記を大体夜に書くことが多かったので、
妙にセンチメンタルに心を委ねて書いた、キモチの表現。
そしてそこから湧き出る「自分ってダメね」のオーラ。

キモチの文章化は、自分自身でそれを対象化できるので
それなりに効果はあったのだけど、
まさかここまで「追い詰められていた」内容だったとは。

その日記を書いた同じ人間が今、
こうしているのが不思議に思える感じ。

最後まで読もうと思ったけど、途中で止めました。

心の対象化を心の中でできるよう、
そのために「整理をする」ことに専念しましたw

日記のような記録は、いつまでもそこにある。
そう思うとなんだか、「過去の自分も悪くないじゃん」なんて
思える軽さが、心地よかったりします。

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2007年12月06日


405 <七色仮面の告白日記>

バボちゃんは永遠のアイドル

バレーボールワールドカップが全日程を終え、
テレビを食い入るように見ることも、
少なくなりました。

元々バレー部にいたこともあって、
今でも機会があればやりたいなと思いつつ、
選ぶのはどうも「ゲイの」バレーサークルばかり。
結局見学練習をしてみても、「ええかっこしい」キモチが沸き、
タイプっぽい人がいると意識してしまうことから、そのサークルへの加入をしないことが
ありました。

確か、去年の今頃もそうだったなぁ。

かくいうバレーの腕前は、
中学生の時は部活に入っていて、
肥満体型+スポーツ音痴×一学年部員が45名というハンデが
ある中、わずかながら背が高めといこともあり、
アタックの練習をさせてもらうことも、
ごくたまにあり、でもアタックすればネットにあたり、サーブを打ってもラインアウトしたりの程度でした。 しかも一学年45名で先輩格を入れると70人近い大所帯、
ボールを触れるのは一回の練習でボール拾いと片付けのとき
だけってときもあり、もちろん練習スペースはバレー部専用の
体育館なぞなく、隣のコートでは女子バレ、体育館の半分は
男女バスケで、もう体育館はいつも人の熱気でむせかえっていました。

そうこうしているうちにバレーに対して、
部内での人付き合い下手と練習のできなさで
あっという間に興味も薄れ、一年半後には退部しました。

今思うと「あぁ、やっておけば」とは思いません。
むしろ、地方の少人数の学校でバレーをやって、
力をつけたかったなぁ、、

なんて、どのみちそんなこと思ってみても、
そのときに関心を持てたがどうかが肝心で、
関心がなくなれば無理をしてでも辞めたくなるもの。

それを認めたくないだけの言い訳だったりする「やっておけばよかった」は、今の自分では言いたくないし、言わない。
バレーに限らず、自分が決めてやることのすべては、そういうことの繰り返し。
後悔するならいつでもできるからね。
バレーの中継を見て、アタックやナイスサーブの瞬間を見ると
その瞬間のためにこの選手たちは練習をし、
どれだけのことを犠牲にしたのかなとも思ったりする。

でも犠牲なんて思ってないんだろうな、
その選手のことなんてプレーでしか知らないし、言い訳なんてひとつもないほど、そのときそのときの試合や練習にいそしんでいるのだろうし。

バレー熱は自分がプレーよりも、
そのプレーに潜む裏のキモチに関心がシフトした
今年のバレーボール見学でした。でもやりたいな…

さて、来年もまたお気に入りのプレヤーが出るのかなwww

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