2008年03月06日


405 <七色仮面の告白日記>

渡りにヒト

長いこと生きていると、
(長短の尺度は個々に任せるとして)
どれだけの人と出会ってきたのだろう。

両親にはじまり親戚、近所の子、学校の先生や同級生
恋に落ちた人した人、会社関係等々

たくさんの出会いがある反面、別れや音信不通もある。

コミュニケーションというのは、
実に厄介であり、むしろそのコミュニケーション
があるからこそ、個人の問題にぶつかり
他者とどう関わるのかが問われてしまう。

しかしコミュニケーションがなくなると、それらを味わずにすむかわりに、
自分は一体何かというナンセンスな自答をし、
人にフックや操作性をもっても関わりたいこともある。
ストレスフルなまでに、自分を確認したい病理。

「人との出会いを楽しみましょう」

お決まりめいた出会い標語があるなら、それもいい。
でもそれだけじゃない、一瞬の感情の風が吹き人を拒絶したいこともある。

それは人嫌いとかを指しているのではなく、
コミュニケーションに起きる全ての名のもとにある、
他者の存在だ。

だからこそ、自分は人と出会い、別れを繰り返す
お決まりに一興します。


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2008年02月28日


405 <七色仮面の告白日記>

ベテランゲイ

深夜のなにげない時間、大抵「通販番組」を見ています。

欲しいモノがあるわけでもなく、
ただボンヤリとテレビを見るなら、
気楽で下手に騒がしくないからいいですね。

かといって、あなどれない通販番組。
中でもタレントをコメンテーターに起用した番組は、
ちょっとしたバラエティー番組より面白かったりします。

オーバーなリアクションや、プレゼンターへのお決まりツッコミ等、
特にベテランタレントになるほど、
面白さは増しますね。

例えば某飲料系健康食品のコメンテーターに、
ベテランお笑い女性コンビ(本当はトリオですが)。

これまで飲みづらいとされていたのが、
飲みやすく栄養素も高く、更においしくなったということを、
プレゼンターが細かく説明しているところへ

「あらぁ、こんなにおいしいなら、焼酎で割れるわぁ〜」



健康食品にアルコール混ぜるかぁ。奇抜だなぁと思っているとさらに、

「毎日飲んだら、30若くなるわぁ」
「30若くなったら、赤ちゃんや〜」

……

御年70過ぎであろう、コンビのボケツッコミ。

また価格のおどろきように、

「毎月の化粧代より安いわぁ」
「アンタ、そのわりにはブサイクやなぁ」

………

もう、笑ってしまいます。
これじゃ、同時間に放送している
バラエティーと変わらないですね。

でも昨今の若手中心のバラエティーと違い、
ベテランの余裕とか、安定感のあるトーク、
なんといっても何十年お笑いをやってきたという、
風格や存在感といい意味での派手さ。

これは大抵どの分野でも、当てはまる感覚ではないでしょうか。

ついでに最近流行りの「オネエ」キャラタレント。

いかにもゲイを装ったお笑いや、
「わぁ、キャー」しかないようなトークみたいに、
いくらゲイでオネエを売りにしても、
それだけが突出しているようなのは好きじゃない。

でもゲイでありながらその人の成りや雰囲気が伝わり、
ゲイやオネエに落としどころをつけないタレントの芸は、
一般ゲイの自分には圧倒的な魅力があります。

いかにせよベテランの芸というのは、
いやはや脱帽であります。

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2008年02月21日


405 <七色仮面の告白日記>

ニガテぶる〜す

眼前に苦手な人がいて、こうだから苦手だと感じ、
今見えているものだけで
「苦手な人」と決めてしまう。

苦手な人にも今に至る背景や歴史があって
それを知って踏まえて、やっとさほど苦手でもないとわかりそうな。

でも共感するほどでもなく、
下手な同情をするなら、むしろ知らん顔するほうがよかったり。

苦手な人ほど、自分に気づきを与えてくれる人は、
いない。

自の狭い世界観と支配性で、
苦手な人を排除しても、存在を知ると動くことができず、
その苦手な思いに侵略されても、肝心な感情に近づきもできない。

不作法に振り切った刀で返り血を浴びても、
苦手な人の存在は消えても、苦手だった思いは消えない。

もしそれでも苦手なら、怨み節を奏でながら世間を渡ればいい。
苦手な要素は、自ずにあるものなんだとして。


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2008年02月14日


405 <七色仮面の告白日記>

いつしか大人のつぶやき

気持ちを話したいのに
言葉にすると言葉がひとり歩きしそうな
危うさ

子どもの気持ちを救いとるがゆえに
子どもが暴れ泣き叫ぶ
どうしようもない大人の気持ち

どちらでもない気持ちの
ゆりかごに酔ってしまう
自我のもろさ

エネルギーの強さゆえに
エネルギーの弱さが露呈してしまう
人間関係

そうと知りつつ
日常を生きる中の
際限のない欲求

人ひとりひとりの
愛しいわがままは
自分であるという証
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2008年02月07日


405 <七色仮面の告白日記>

自己愛め、自己愛よ

人は不快な状況に出くわしたとき、
様々なカタチで防衛機能が働くことがある。

自分の大きな防衛機能は、無意識の自己愛だろう。
傷つけない、触れさせないために、あれこれ手段を
使ってはかわすパターンだ。

でもかわしたことはその場しのぎの手段でしかなく、
いつかは溶けない問題に突き当たる。

自己愛は多少誰もが持ち合わせ、そのために人は
人間関係の大変さを思いしるのだろう。

なら自己愛をさほど問題にしなくてもよいのだけど、
自分にとって難しいと思うのはその強度と、それゆえに引き起こす支障ではないだろうか。

その主たる要因は、その時代の社会背景や家庭環境と言ったものが、
およそのものだろう。

思い当たるといえばそうではあるけど、少なくとも自分はその自己愛で、
自分をやってきたし、守ってきた。

自己愛の正体が、世間の観念に完全などないとわかってても、そんなナンセンスな不完全さを認められない、
そんな自分を愛せる自己愛を獲得したい。

と、揺れ動く日常の出来事に、そっと感じます。

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2008年01月31日


405 <七色仮面の告白日記>

ハナバナしくあれ

もしも湖岸に咲く植物になるとしたら、
何がいいかなぁ…

ナルキッソスは水仙か

自分を真似る人がいたら、自分はその人をキライになり見捨てるかなぁ。

あたかも自分の嫌な部分をその人に転移して、
自己防衛をするのかなぁ。

やっぱり薔薇かな、それも嫉妬深い黄色

中島みゆきにあやかり、人間嫌いなアザミ

と、言いつつなんだかんだいって、

役立たずな花がいいかな…

んなのあるかな??

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2008年01月24日


405 <七色仮面の告白日記>

後ろ姿の美学

「オトコたるもの、自分の後ろ姿に責任を持て」
と、某大衆経済誌かファッション誌に掲載されていたのを、
ある光景を見て思い出しました。

オトコはどーよで、オンナはどーだと言葉の性別変化しつつある現代に、
オトコに限定するものでもないのに。

要は「後ろ姿の表現」を言いたかったのです。

近しい間柄と非日常な空間にいるときに、その人の後ろ姿に慕情か想像かわからない感情が湧き起こります。

当法人のかなりん。
出先での移動や、講座中に後ろ姿をよく見るけど、そういうシーンではなく、
とあるライブへ出かけたときのこと。
会場がパイプイスで自由に動けるため、各々好きな場所で演奏を見られるつくりで、
たまたま自分の少し前にかなりんが一人、ライトに照らされ演奏を楽しんでいる後ろ姿があった。

よく見る光景、なじみの人なのに、このときは会場の雰囲気や非日常な空間だったせいか
かなりんの後ろ姿から発するエネルギーというのか、この人の孤高の空間を強烈に感じた。
かなりんという一人の人としての生きざまを後ろ姿に見たような、
その全てが一瞬発光した、そんな感じだった。

それはもうずいぶん前のことなのに、なぜ今更こういうことを書きたかったのかというと、
現在入院中の父が、昨日手術室に歩いていった後ろ姿を見て、
似たような強烈さを感じたからだ。

手術室へ自力歩行で入り、自分の声にも振り向かず歩く後ろ姿。
オペに対しての不安がにじむ中、父の複雑な生い立ちや想いが、
一瞬にして自分の胸を捉えた。

これも一人の人としての存在だった。

おりしも昨日は雪が降り、父の唯一の肉親だった妹、
自分からすると叔母が亡くなった4年前、火葬場へ行く途中に急に降った雪が、
参列した自分たちに何かを訴えてそうな思い出があり、
そのせいか、敏感に父の思いを後ろ姿から感じたのかもしれない。

父なりに生き、受け止めてきた現実や、それでも抜けきれない気持ちを抱え、
それでも「そこにいる」ということ。

かなりんと父を対比させるでもなく、後ろ姿が表現する「その人」というのは、
後ろ姿への責任とかよりも、ずっとその人であることを印象づけ、
その人がなんであれ歩んだことが「今そのとき」に表れ、責任には代えがたい味がある。

後ろ姿は自分の目で見ることはできないし、イメージも人それぞれ。
後ろ姿に何かを思う自分は自分として、非日常空間に見る後ろ姿には、

人を表現する美学のひとつだと思う。

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