キャンパスライフなんて、とても素敵でときめきを与えるような意味に捉えた
当時の自分は、それを信じて疑わなかった。
ベビーブーム世代で、大学に入るのが困難な時代、勉強嫌いな自分がやっとこさ補欠合格したのは大学の夜間部、
こうして「素敵なキャンパスライフ」を送ることができるようになった。
時同じくして、ゲイライフも実家にいながら密かに始まりつつあった。
どちらかというと自分にはパーソナリティの部分からして一番フィットし、
それこそキャンパスライフより「ときめき感」が大きかった。
言わずと知れた新宿二丁目への出入りも、多くなった。
キャンパスライフを始めたものの、どうしてもつまづくのが新たな交流づくり。
時代の反映か、当時の夜間部で社会人は見当たらず、校舎内は同年代ばかり。
交される話といえば、バイク、車、スポーツ、ゲームソフト、女子のこと等々。
ほとんど高校の延長にあるような雰囲気で、幻滅したのを覚えている。
大学というのは、高等かつ専門分野の学問うんぬんを…
なんてどこ吹く風の校舎内は、自分は自分の居場所を見つけるので必死。
誰に何を話していいのかわからず、ただ時が過ぎていった。
ゲイライフはといえば、一応「若さと好み」だけである程度チヤホヤされ、
黙って道を歩いてても声をかけてくる人がいる。
それこそ一晩共にしようものなら、そこから知らぬ間に交流の輪が出来始め、
「紹介するよ」「一緒に飲もうよ」と、面白いほどに知り合いが増えていった。
クローズにして話すことなく、どんな「男性」がタイプとか、どんなアイドルが好きとか、
カラオケも平気で女性アイドルが歌える環境は、初めての感覚だった。
そして日頃の不満を「何なのよ、ふんっ!」と、ひとつでもオネエ言葉の毒舌に変えて吐けば周りが笑い、
その場を独り占めできる感覚が快感だった。
「高慢ちき」という態度が、いわゆるステータスのように思えたし、笑ってくれる周りがいたことを、
それこそ信じて疑わずにやってきた。
新宿の出入りには金がかかり、ある程度のこ洒落た服装も必要。
そのため、昼はバイトで金を稼ぎ、夜は大学という「勤労学生」になり、一般社会からは褒められるものの、
実情は、大学そっちのけになっていった。
大学で孤立している自分、
バイト先や両親の前での「いい子」を演じる自分、
そして新宿でオープンにはしゃぐ自分。
この大きな三分裂感は、年齢を追うごとに肥大し、処理力を越え、自虐の道のはじまりでした。
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