その人の存在は近く感じ、
転移を承知でその人のブログを読めば、
痛いほど突き刺さる気持ちに同調する。
自分はその人との面識が全くない。
なのに、
あたかも親密な関係だったように。
にも関わらずその人に感じる何かは、
その人の気持ちを自分の尺度で計り、
その人が感じた推測は自分の価値観。
価値観というと硬い感じがするけど、
そんな言葉の枠のイメージ。
その人の生き方、価値観はその人の成せることで、
それを今の自分の生き方に照らす意味は全くなく、
自分がその人の生き方を引き付けてしまう心性に、
自分の心の問題が浮上したとすえてみるのが妥当。
その妥当性は当たり前といえば当たり前なことだけど、
でも当たり前なこととしてそれを収まらせない何かは、
その人によって自分の感情がうごめいただけ。
昨日までその人を強く気に留めてもいないに、
どうして自分がこんなに揺さ振られてしまい、
なぜゆえにその人の存在に同一視してしまい、
そして涙が出てきたのか。
その人価値観はその人が、
世間の価値観は世間様が、
自分の価値観は自分のみ、
そうあることのだけなのに。
ましてや面識のないその人へ、
自分が勝手な投影をするほどの空想をしてしまう傾向は、
それを強く捕まえていないと、
自分は面識のないその人や世間の偶像に、
自ずと飛び込んでしまう。
ただその人の生き方、表現自体に惹かれたことは間違いなく、
結果どんな要因があったとしても、
その人がどんな思いでいたかを推しはかり、
自分はその人の上に悲しみや怒りを捉えた。
その人の名は、飯島愛。
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