2011年12月22日


405 <七色仮面の告白日記>

投影してミタを見た

今秋、低迷するテレビドラマで一大旋風を起こした「家政婦のミタ」。
昨日の最終回では、視聴率が40.0%という驚異的な数字を出したそうだ。
私も一視聴者として一話から見続けたが、
最終回の感想は「あぁ、やっぱりキレイにまとめるんだ」と
がっかりな気持ちになってしまった。

見ていない方にはなんのことかわからないので、
差し出がましいようですが、あらすじは以下の通りです。←三田さん風にどうぞ

「母親の死により崩壊寸前の阿須田家に、三田という家政婦が派遣されてきた。
仕事は全て完璧にこなすが、常に無表情かつ機械的で、
さらに命令されれば犯罪紛いの行為も平然と行う三田に振り回される阿須田家の人々。
しかしその三田の行動により、バラバラだった家族は絆を取り戻していく。」(ウィキペディアより)

私がこのドラマに関心を持ったのは、三田を演じた松嶋菜々子の復帰劇であり、
ちょっとしたコメディなのかと思ったからだ。
実際に見始めると、三田の感情もなく表情も変えず、
事あるごとに「それはあなたが決めることです」と諭すキャラクターにはまり、
その背景にある「母親との確執」を、どう昇華していくかに関心が移った。

特に母親から幼少期の事故が原因で「お前の笑顔が周囲を不幸にする」と詰られ、
それでも受け入れられたいと願いつつ頑張ってきた生育歴を持ち、
結婚をするも、義弟の行為により夫と子どもを亡くしてしまい、
母親からは「死ぬまで笑うな」と罵られた結果、
自責の念から笑わなくなり、機械のように振る舞おうと決断してしまった点では、
交流分析を学んだ立場にとどまらず、その心模様に投影しどうしでした。

私は三田のような生育歴ではないが、めくるめくセリフに散りばめられた禁止令が、
私の対人関係で感じてきた発想に刺激を与えることが多くあった。
そのせいか、私が最終回に寄せる期待はおよそ世間が関心を寄せていただろう
「三田が笑うか」より、その母親との確執をどう解き放つかを見届けたかった。

案の定、最終回は守りに入った感じがした。
これだけ話題を呼べば、期待に応えるつくりになるのも無理はないのだろう。

私は「三田は笑わない」と踏んでいた。そう簡単に笑ってほしくなかった。
なぜなら、それまでのセリフ、無表情を決断した気持ち、
阿須田家に理解されてもまだ付きまとう自責を見ても、
最終回という区切りで笑う必要もないし、そう簡単に笑顔ができる人物とは考えにくかった。
それがドラマのいいところなはず。

それ以上に、私の投影加減がそれを許さなかった。
三田が決断した無表情は、母親への欲求なのかそれとも怒りなのか。
そこが不明瞭なまま、その思いもセリフにないまま笑うのは、
それこそ機械的な笑みのように感じてしまうのだ。

しかし期待はむなしく、
特別版で母親が出てきて「私は“死ぬまで笑うな”と言ってない」と言うし、
それまでの周囲の問題が一気に片付いていく様や、
業務命令で「笑ってください」の一言で微笑んでしまったのは、
さすが世間の期待は裏切りませんでした。

「おい、そりゃないだろ!」とうなだれてしまったのは、果たしてどのくらいいるものだろうか。

この視点や感想が、ただ「こういう最終回ならスッキリするのに」とあっさりしているものか、
それとも、今でも私の中でくすぶり、投げかけている気持ちの現れなのか定かではありません。

ただ、ここに書いたガッカリさ、期待に反した思いというのは、違うかたちで心にあるのでしょう。

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2011年12月15日


405 <七色仮面の告白日記>

部屋となんちゃらと私

今の住まいに越して5年になります。
その間の来訪者はほとんどなく、
ましてや部屋の中まで入れるというのは年に数える程度だ。

昨年、その数少ない来訪者のうちの一人が私の部屋を見るなり、
「なんだか病院みたい…」と言い放った。
そのときは私の見舞いに来てくれたこともあり、
単なる冗談かと思ったものの、どうもそう感じなかったので
どのあたりがそうかと聞いたところ、
部屋全体が白っぽく、妙に整頓されているからだと言った。

白いといっても壁がややベージュがかって、
アクセントになるインテリアは、
カーテンが壁と同系色、ボードはナチュラル系、ラグマットはダークブラウンと、
どこか白抜けしてしまった感がある。

一方整頓加減は、我ながら雑多な印象がなく、
統一感があるかは別として簡素であることには間違いない。
病院をどうイメージしたのかわからないけど、
言われてみれば生活臭というものは、あまりないような気がした。

私もできるならインテリアにこだわりたいし、
居心地のいい空間にしたいなと思ってはいたものの、
なかなかやろうとはしなかった。

それは、インテリアの面では引越しの際に物を少なくしておこうとか、
こだわりを出すなら終の住処を見つけたときにと思っていたからで、
整頓はただ掃除がしやすいほうがいいという、私なりの機能を求めた結果なのだ。

ある意味病人ではあるけど、
病院といわれると「ここは隔離病棟か!」と思ってしまい、
何か良い妥協点はないものかと部屋の中央に座りました。

そうだ!観葉植物だ。
緑は白に栄えるし、ブラウンとも相性はいい。
大きなプランターでなければ掃除もしやすい。
そもそも観葉植物には空気の浄化作用があるという利点もあるし、
初心者仕様の植物なら育てやすいだろうと思い、
商店街の花屋に立ち寄り、店主とあれこれ思案して「パキラ」を購入したのです。
こうして脱病院、アクセントとなる観葉植物をボードに置きました。

改めて部屋の中央に座ると、
なかなかいいアクセントになり、植物ひとつでこうも違うかと感心し、
朝の目覚めに「おはよう」と、声をかけてしまいます。

しばらくして、病院と言い放った人がやってくるというので、
ここは堂々と部屋へ上げることにしました。
どうぞと部屋に通すとやはり観葉植物に目がとまり、
「これはなんていう種類ですか?」と聞いてきた。

これはいい証だと思った矢先、「老人ホームっぽくなりましたね〜」と。。

インテリアの難しさ以前に、
私が求める機能性とはどうも病院系統から抜けないのか、
それとも住んでる私の雰囲気がそのまま空間に現れているのか。

それでもパキラくんは今日も元気です。

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2011年12月08日


405 <七色仮面の告白日記>

5年目のレモンティ

「レモンティへ 元気にしていますか by P」

ゲイの交流ページでこの書き込みを見たのは、8月の終わりごろ。
わかる人でないとわからない、暗号のようなメッセージ。

私はこのメッセージをいち早く解読し、「バカみたい」で済ませていた。

「レモンティ」とは、私がかつて元彼(以降=P)の前でつかっていたハンドルネームで、
送信者のPは、P自身が名づけた「ピアティ」の頭文字だと気づいたからだ。

※彼について、ブログに少し記載していました http://npocsn.seesaa.net/article/72590052.html

Pと音信不通になって、5年が経っていた。いや、私から音信不通にさせたのだ。
その間、私はPへ連絡を取ることをせずにいたし、近況すら尋ねようと思わなかった。

それでもふとしたときに思い出したりはするものの、
偶然に会うことを除けば、取り立てて会う機会はないだろうくらいになっていた。
そこへ突如、上のような書き込み。

淡い期待がよぎった。
Pの中で何か変化が起きたのか。
でも本当に連絡を取りたいのなら、直接メールをしてくればいいのに。
しかしPの性格を考えると、こういうやり方もなくはない。。
そもそも確信もないのに。

私が「バカみたい」と済ませたのも、
そう済ませないと、波立つ淡い気持ちが湧いてきそうだったから。
もし本当にPが私に連絡を取りたいのなら、ちゃんとわかるように連絡がほしい。
そう思い、私はPが書き込んだであろう画面をコピーして、保存した。

そして先週、そんな思いをいとも簡単に破った。
私には今好きな人(以降=H)がいて、Hに対しての不安定な想いに襲われていた。
その日は特に不安定で、それはまるでPとの交際が終わると決定したとき日の心境に似ていて、
私はPの膝枕でおいおいと泣いたのだ。
そんなことから、Pへ5年ぶりにメールをしたのだ。

今更やりとりをしたところで、私は何をしたいのだろう。
落ち着け落ち着け、何かあったらそのときはそのとき。。

“元気ですか?カラダを悪くしていませんか?いい人はできましたか?…”

ドキドキしながら送信ボタンを押した。
「送信中」から「送信しました」に切り替わるのを見て、アドレスが変わっていないことを確信した。

数分後、Pから“もしかして、405?”と返信がきた。
もしかしてとは…と考える間もなく“そのもしかしてです”と返信すると、
“久しぶりだねぇ。ずいぶん前に携帯壊れてデータが全部ぶっとんで、405のアドレスがわからなくなって…”と。
続けて“レモンティへで書き込みしたんだよ”についても、
私は“気づいていたよ”と返信すると、“返事くれればよかったのに…”と。

「何か用があるなら、そっちから連絡すればいいじゃない」という言葉を出したかったけど、
携帯が壊れてしまったのなら、この書き込みも正攻法のひとつのように思えた。

そしてPの現況を伺い知ったとき、当初書き込みで見つけたような淡さは消えていた。
Pは昨年、家庭の事情で私と交際していたときの地を離れ、実家に戻っていた。

私がPへメールをしたのは、Hに泣きたいほどの思いがあり、
その辛さから目を逸らすためにPへメールをし、膝枕で安堵したような救いを求めていたからだ。

それはHとの先が見えない不安定な思いを、
Pとの最後の日になぞらえることでHとの関係から逃げる浅はかな思考だ。
PやHに対しても、ましてや私にこれほどの不誠実さはないだろう。

感情は思考よりもカラダにビビットなメッセージを伝えるように、
どんなに逃げたところで、泣きたい思いに裏付けする恋心は消えて行かないのだ。

そしてPの“元気だけど幸せではないです”という一文に触れたとき、
私が安堵したいのは、もはやあの膝枕ではないのだと気づいた。
そして私の不安定な心境は、わずかなメールのやり取りによって正された気がし、
私はHと知り合ってまだ日が浅いのだ、泣きそうになりながらも見ていこうと心に留めた。

5年の歳月は、もうあの時のPでも私でもない。
これを機会にPとは「旧い友人」として接することができる。
ただ今日のような冷たい雨が降って、Pとのことを思い出すくらいは悪くないだろう。

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2011年12月01日


405 <七色仮面の告白日記>

じゃじゃ馬はお早めに

二年ぶりの登場、405です。

一度引退したにも関わらず、ケロッと舞い戻ってきました。
さて復帰一作目に何を書こうかと、引退から連想したのが山口百恵です。

百恵といえば最近、夫・三浦友和がインタビューで、妻・百恵を語っていました。

「すばらしく相性のいい女性」
「一度も夫婦喧嘩をしたことがない」
「的確なところで褒めてくれる」

うむむ。。
実際そうなんだろうけど、さすがに模範解答的すぎる応えよね。

更に「百恵が復帰をしたいと言ったら」の問いに対し、
「そんな大きな気持ちをしまい込んでいた妻に気づいていないなら、夫失格。離婚しないといけない」
ですって!!!

百恵の夫としての了見なら、人気絶頂の彼女をめとり、
引退以降は夫を立てながら一切表舞台にも出ずにいたことが、
次第に友和自身の活躍に結びつけた節もあるから頭があがらないだろう。
ある種の緊張感が、友和にはまだあるのか。。。

一方百恵は、歌がヒットするたびに自身の見せ方やプロデュースする力を身につけ、
ファイナルコンサートで見せた白いマイクをステージに置き去る潔い姿は、
とどめをさしたようだもんね。今でもため息ものだわ。。

十代の頃に「バカにしないでよ〜」と歌ったことは、
有り余る感情を上手に表現していったんでしょう。
でも、その快感はきっといまだに残ってるんじゃないかと思うわ。

友和が「百恵はパンツ一枚でウロウロするんです」と言えたら、
百恵は何て応えるかしらねw


ということで毎週木曜のブログ、またしばらくお付き合いくださいませ〜

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2009年01月15日


405 <七色仮面の告白日記>

かしこ

本日をもって
自分は「CSN便り」のブログの記載を、
辞めることにしました。


こういう去りぎわのときって、
なかなか言葉が出てこないですね(笑)


辞める旨を伝えてから今日まで、
何を題材にしようか、
振り返りでもしようか、
最後にガツンと書こうか、

思うままに下書きをしたりしました。


しかしいくら下書きしても、
辞める説明や言い訳になっていて、
辞めたい心情と重ならない感じがありました。


辞めることには変わりないのです。
なのでここは、簡潔に完結します。


CSN便りは引き続いていきます。


今までありがとうございました。



以上、405でした。



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2009年01月08日


405 <七色仮面の告白日記>

ブランド信仰

16年前、
最初に付き合った人から
使いかけのブランド財布をもらった。


3年の付き合い後も、
この財布を捨てることはなく、
ずっと引き出しにしまっていた。


財布は見るからに使いこみ、
外革の折り目はボロボロ、
中革は酸化して黒ずみ、
使い込んだ風合いを通り越したかんじ。


整理のたびに見かけてはいたけど、
捨てる気にはならない。


いつか使うかな…
んなこたぁない。


その人の思い出…
と言うにははがゆくもあるけど、
自分としてはブランド信仰のほうが大きく、
なんとかならないかなと思っていた。


そこで先日、
そのブランドで行っているリペアサービスに問い合わせてみることにした。

電話で状態を伝えると、
「長年お使い頂きありがとうございます。なんとかなるかもしれませんのでぜひ店頭へ」
電話担当に話され、

その言葉に気分がよくなり
リペア受付店舗へ持参した。


早速店舗受付の方に
その財布を見せると渋そうな顔をし、
別の方にまわされた。

「リペアはできない。内側はなんとかできますが、外革は手をつけられない」
と。


卑しくも自分は
「捨てるしかないですね」
というと、

その担当は
「内側の張り替えはなんとかなる」
と言う。


「じゃあリペアはできるのですか?」
と再度問うと、
「外側の革が…」
と、半端な応え。


結局、リペアのお願いをせず帰ってきた。


リペアすればいくらでも使えそうなのに、
革生地のブランドロゴに手をかけるのは、
ブランド側としても躊躇したのだろうか。

とにかくリペアはできないことはわかったし、
自分は外革を破り、革生地と財布の型にわけ、

また気のむいたときにと、
思い出よりもブランドロゴ生地を捨てられない
性分なんだろうね。




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2009年01月01日


405 <七色仮面の告白日記>

どこでもいっしょ

レコード大賞新人賞受賞をした、ジェロさんのコメント。

昨年病から復帰したものの家族との強烈な確執をもって一人暮らしをしている、
独裁心と淋しさの気持ちの交錯が滲んでいるように見えた、
4年ぶりに会った伯父の経緯話と、
途中に「オレはなオレはな」と割り込む父親。


紅白歌合戦の後半から、
SPEED の歌に9年の思いがかすみ、
ジェラ・アキさんの歌に15歳に向けるピュアすぎる感や、
森山直太朗さんの歌で物議があった出始めや、
徳永英明さんの歌は最初に付き合った相手が好きな歌だったことや、
石川さゆりさんの歌が日増しに凄味を帯びた雰囲気に、

そのときどきの話をしようとするだに、
別の話にすり替えた母親。


自分はそのどの場面でも、鼻の奥がツンとする感覚を味わい、
こらえず涙ぐんでいた。


涙もろさは年齢を重ねた証拠とか、
やさしいからとか言われたけど、
そういった面もあるかもだけど、
それだけで終わってはいない。


何か説明をするより、
自分は「そうだね」と返せれば十分だ。


涙もろい自分でいれたから、
両親や親戚等の前では
それ以上それ以下な感じはない。

最低限の防衛規制でもね。


年が明けて何か目標とか振り返りもいいけど、
年末年始が醸す区切る感じもいいけど、

誰が決めたわからず、
自分が作り上げた時間枠に、
自分の感覚を縛ることはない。




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