昨日の最終回では、視聴率が40.0%という驚異的な数字を出したそうだ。
私も一視聴者として一話から見続けたが、
最終回の感想は「あぁ、やっぱりキレイにまとめるんだ」と
がっかりな気持ちになってしまった。
見ていない方にはなんのことかわからないので、
差し出がましいようですが、あらすじは以下の通りです。←三田さん風にどうぞ
「母親の死により崩壊寸前の阿須田家に、三田という家政婦が派遣されてきた。
仕事は全て完璧にこなすが、常に無表情かつ機械的で、
さらに命令されれば犯罪紛いの行為も平然と行う三田に振り回される阿須田家の人々。
しかしその三田の行動により、バラバラだった家族は絆を取り戻していく。」(ウィキペディアより)
私がこのドラマに関心を持ったのは、三田を演じた松嶋菜々子の復帰劇であり、
ちょっとしたコメディなのかと思ったからだ。
実際に見始めると、三田の感情もなく表情も変えず、
事あるごとに「それはあなたが決めることです」と諭すキャラクターにはまり、
その背景にある「母親との確執」を、どう昇華していくかに関心が移った。
特に母親から幼少期の事故が原因で「お前の笑顔が周囲を不幸にする」と詰られ、
それでも受け入れられたいと願いつつ頑張ってきた生育歴を持ち、
結婚をするも、義弟の行為により夫と子どもを亡くしてしまい、
母親からは「死ぬまで笑うな」と罵られた結果、
自責の念から笑わなくなり、機械のように振る舞おうと決断してしまった点では、
交流分析を学んだ立場にとどまらず、その心模様に投影しどうしでした。
私は三田のような生育歴ではないが、めくるめくセリフに散りばめられた禁止令が、
私の対人関係で感じてきた発想に刺激を与えることが多くあった。
そのせいか、私が最終回に寄せる期待はおよそ世間が関心を寄せていただろう
「三田が笑うか」より、その母親との確執をどう解き放つかを見届けたかった。
案の定、最終回は守りに入った感じがした。
これだけ話題を呼べば、期待に応えるつくりになるのも無理はないのだろう。
私は「三田は笑わない」と踏んでいた。そう簡単に笑ってほしくなかった。
なぜなら、それまでのセリフ、無表情を決断した気持ち、
阿須田家に理解されてもまだ付きまとう自責を見ても、
最終回という区切りで笑う必要もないし、そう簡単に笑顔ができる人物とは考えにくかった。
それがドラマのいいところなはず。
それ以上に、私の投影加減がそれを許さなかった。
三田が決断した無表情は、母親への欲求なのかそれとも怒りなのか。
そこが不明瞭なまま、その思いもセリフにないまま笑うのは、
それこそ機械的な笑みのように感じてしまうのだ。
しかし期待はむなしく、
特別版で母親が出てきて「私は“死ぬまで笑うな”と言ってない」と言うし、
それまでの周囲の問題が一気に片付いていく様や、
業務命令で「笑ってください」の一言で微笑んでしまったのは、
さすが世間の期待は裏切りませんでした。
「おい、そりゃないだろ!」とうなだれてしまったのは、果たしてどのくらいいるものだろうか。
この視点や感想が、ただ「こういう最終回ならスッキリするのに」とあっさりしているものか、
それとも、今でも私の中でくすぶり、投げかけている気持ちの現れなのか定かではありません。
ただ、ここに書いたガッカリさ、期待に反した思いというのは、違うかたちで心にあるのでしょう。