2012年08月23日


405 <七色仮面の告白日記>

賢い消費者

20,000円キャッシュバック。
10,000ポイント進呈。
本体代金実質無料。

家電量販店でよくみられる、売り文句だ。

興味本位で商品を見ようものなら、
すぐさま店員が寄ってきては、
「なにかお探しですか」のセールストーク。

気を許して「これが気になる」と返答しようものなら、
待ってましたとばかりに、売り込みに入る。

そのときどきで、気になるフレーズがあると、
私もつい質問してしまう。

私「この料金が高くて。。」
店員「それでしたら、当社の。。。」

最初はそれなりにプランだとか聞けていたのが、
次第になにがなんだかわからなくなってしまう。

この気が遠くなってくる感じは、
かなり意識が飛んでいるか、もしくはどうでもいい状態で、
もしかしたら暗示をかけられいるのでは、と思ってしまう。

モノが売れない時代らしい。

だから、あの手この手を使っては、
とにかく「お得感、値段の安さ」で、
購買欲を高めるのだろう。

これだって、本当にお得なのか、安いのかなんて、
わかりやしない。

安くするかわりに、
あれこれ付いたサービスもなんのことかわからず、
ただ書面に記入し、
あとから料金明細の通りに払う。

肝心のアフターケアというものはかなり杜撰で、
ちょっとしたサービスからも、料金を徴収しようとする。

賢い消費者になるためには、
ただ漫然と説明を聞いていては、
売り手側の思うツボになりかねない。

そうならないためには、
自分自身が理解できていないことや、
納得がいかない項目は、
自分で調べる必要がある。

お得になるという裏には、
大抵「なんとか金」として相殺されるようになって、
なんだかんだで±ゼロになることが、
ほとんどではないだろうか。

そもそも賢い消費者ということ自体、
操作性を感じてしまう。

なぜなら、本当に「ほしい」と思えば、
自分が必要で買うことに納得できているのだから、
そこへ「賢い」などという飾りは必要ないはずだ。

賢い消費者という言葉につられて、
お得をさまようというのは、
自分で本当に必要なものを買う意識の乏しさの
あらわれではないだろうか。

まぁ、本当に必要かを見極めつかないなら、
とやかくいわず、時流に乗って買うことも、
今世の貢献のひとつだったりするのかもね。

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2012年08月16日


405 <七色仮面の告白日記>

いつでもワクワクを

事業所の夏休みが明けた。

土日を含めた6日間だが、
夏休みという名目で過ごすなんて、何年ぶりだろう。

この間、
ケーブルテレビの配線点検とか、
診察に出かけたりとか、
お隣さんの音問題が再発したための話し合とか、
平日の代わりに用事を片付けることが多かった。

そのせいか、休みらしさが薄い感じがした。

それでも、
CSNへ行ったり、
ゲイ友と遊んだりもした。

それなのに
「夏休みが楽しみ」と思えたあの特別感が褪せているのは、
どうしたことだろう。

私が思う夏休みの特別感は、
日常の時間軸を気にしなくていい時間を過ごせることだ。

確かに用事があっても、
朝から身支度する必要もないし、
用事が済めば自由時間があったのだし、
そういう点では気ままに過ごしているのだ。

でも、夏休みだという特別感が褪せてるのは、
ワクワク感が伴っていないからだ。

夏休みは楽しいものと、
どうしてそう思えていたのだろう。

きっと休み明けの、
「夏休みはどうだった?」という問いに、
「楽しかった」と言わなくてはいけないような儀礼への、
ちょっとした反発なのかも。

ワクワクしないから、
夏休みではないとはならない。
セミのように、
わずかな期間だけを生きるかのごとく、
夏休みを謳歌するようなイメージって、
本当に楽しいのか。

夏休みが本気で楽しみと思えたのは、
きっと高校生くらいまで。
夏休みで存分に遊ぶぞと思えたのは、
たぶん20代くらいまで。
夏休みは一息つくためと思えたのは、
おそらく30代を通じて。
夏休みはただの休みで、
そう変わらないと思うのは、これからなのか。

夏休みのわずかな期間に楽しさを詰めるくらいなら、
普段から楽しいと感じられるように生きたい。

いつでもワクワクを。

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2012年08月09日


405 <七色仮面の告白日記>

トレーニング考察

私は、事業所通いとほぼ並行して行っていることがある。
それはトレーニングだ。

若いころは痩せていても「若い」というだけでよかったが、
少しずつ年齢を重ねるとそうもいかない。
痩せた中年というのは、外見としての魅力はどうしても半減する。

あくまでゲイ的視点、それも私個人の見え方なので、
なにをそこまでと思うかもしれない。

スリムでも、生き生きとした人はいる。
別に、無理して鍛える必要もない。

それなのに、どうしても鍛えた体型に重点を置き、
判断してしまうきらいがあるうちは、
この体型に対する欲求が、私を厄介にさせる思考なのだ。

私の目に留まる人というのは、鍛えた体型だ。
厚い胸板、鬼のような背中、岩をも持ち上げる肩。。。
私はそれに憧れ、求めてきた。

40代を目の前に、私は賭けてみたかった。
それは憧れを抱いた体型を、いっそ自分で得てしまえということだ。
そして理想の体型を手に入れ、周囲からのまなざしを手に入れ、
私を満足させてみようじゃないかと。

まずは、食べることからスタート。
長い間、食べることへの抵抗が強く、
どうしても量やカロリーを気にしてしまう傾向があった。
しかし鍛えるには、それ相応の食事量が必要で、
とにかくカロリーを気にせずに食べた。

体重を増やすには、そう時間はかからなかった。
やはりトレーニングをすれば、それなりにお腹が空き、
肉類を欲するようなる。

そこで食事量をセーブすればダイエットだが、
今回はそれを越えていくことが、求めるカラダづくりなのだ。
食べて、鍛えて、食べて、鍛えてを繰り返し、
半ば執念だった。

そうして5キロ増やし、そこそこ描いた体型に近づいてきた。

しばらくぶりに会ったゲイのメンツは、
それぞれに驚き、トレーニングの成果を誇らしくも思った。
だがそれ以上に、体型における威力を思い知った。

体重が増えただけで、
トレーニングしてますというだけで、
いいカラダというだけで、
話す機会やチャンスが増えたりするなんて、
虚飾の凄まじさを感じずにはいられなかった。

私の胸のうちを知った者は、
一体どれだけ残るのだろう。
胸のうちを知ってと欲した時点で、
鍛えた体に力強さなぞ感じない。
この拭われなさこそ、私なんじゃないか。

40にして私はトレーニングをした男という駒に並び、
理想のカラダに近づけた自身の努力は認めるが、
こころのうちでは冷やかに見ているのだ。

もし三島由紀夫なら、なんと言うだろう。

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2012年08月02日


405 <七色仮面の告白日記>

四ッ谷景色

8月になり、
今年の猛暑はこれからが本番といった予報が出ている。

朝から汗だくで、
最寄り駅に着いただけで、すでにヘロヘロ気味だ。

満員の地下鉄に乗り、
半分もうろうとしながら十数分経つと、四ッ谷駅に着く。

私が利用している地下鉄丸ノ内線は、
地下鉄なのに地上を走る箇所が多い。

丸ノ内線の四ッ谷駅は、正確には高架駅だが、
地上の空気に触れられる駅のひとつだ。

今日もいつものように四ッ谷に着き、ドアが開いた。

ぼんやりしながらふと空を眺めたら、
なんとなく空が違った気がした。

空全体がいくぶん高くなって、
漂う空気は7月のざわついた暑さとは違う、
どこか静寂を含む暑さなのだ。

たぶん、終戦を連想するイメージなんだろう。

今まで夏の盛りは8月と思っていたけど、
もしかしたら7月のほうが夏っぽいように思う。

8月も盆を過ぎると少しずつ秋めいてきて、
暑いには変わりないが、来月になれば、
空や空気が入れ替わりはじめる。

暑いながらも、季節はうつろっている。

通所をはじめた頃は桜が満開で、
それを見ては入学生のような不安を胸にしていた。

今はまだ涼しさとは縁遠いが、近づく秋を感じる季節になり、
ようやく一息つける思いだ。

朝からしみじみできる四ッ谷駅からの景色は、
「今日もがんばろう」という気にさせてくれ、
一瞬だが季節を体感できる場所だ。


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2012年07月26日


405 <七色仮面の告白日記>

無視と脚本

あと数日で、7月がおわる。

最近のネタであった、事業所のグループ学習も、
今日課題資料を提出し、明日のプレゼンのみとなった。

このグループ学習では、
課題をこなすことと同時に、
事業所だからこその経験を色々味わった。

そのせいか、
グループで課題資料を期限内に提出したことは、
私にとって大きな達成感だ。

課題作成の過程で、
意思伝達の障害を抱えているメンバーとの
コミュニケーションにまつわる出来事がある。

そのメンバーは、話し合いでほとんど発言もなく、
発言するにしても誤字やスライドの見にくさを指摘する
その障害固有の様子が見られた。

私はもう少し話し合いに参加をと思い、
「あなたの意見は?」と聞くことが多くなった。
しかし、それがかえって負荷をかけていたのだ。

ある日、
そのメンバーは自身の沸き上がる感情に制御がきかず、
妄想の言葉を発し、所内の備品を次々なぎ倒し、
大暴れをしてしまった。

暴れたことは数回あったが、今回はかなり動揺をした。
それは暴れた経緯を職員から説明を受け、
そのことから私の行為に問題がとふと浮かんだ。

職員いわく、
そのメンバーは意見を求められても話せないというより、
意見そのものが想像できないということ、
そこへ「意見は?」と聞かれると、
答えたいのに答えられない葛藤があり、
それが鬱積すると今回のように暴れてしまうとのこと。

私は、話し合いでそのメンバーの意見を聞かずに
内容をすすめるのは、無視しているという思考があった。
ただ意見を聞かないことが無視と思った時点で、
私はそのメンバーを無視したい裏返しと同じなんだ。

それが、ぎこちないコミュニケーションと
表面的な配慮を生んでしまった。
別に誰彼が原因ではなく、
そういう傾向があるということだけなのに、
私はそんな気持ちに駆られてしまった。

そのメンバーは、
ご両親からの手解きメモをもち、
「みんなの意見には賛成すると言う」と書かれているとおり、
どんなことにも「賛成です」としか言わなくなった。
そして妄想の言葉に、
いつしか私の名前があがっていた。

胸の下あたりが、シクシクつまる感じがした。
これこそ、脚本手前の兆候だと。

私はどうすればいいのだろう。。
そう、事業所とはいえまず通うんだ。
それしかなかった。

それだけを頼りに迎えた今日、
私はそのメンバーと仕上げの資料コピーをし、
あまりの出来映えに二人でキレイだねと喜んだ。

この学習が終われば、来月から個別作業になる。
このメンバーとの関わりは、どうなるのだろうか。
なにができたかわからないけど、
やってよかったと思っている。

実社会は、
ここで気持ちの推移よりもっときびしいものだろうから。

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2012年07月19日


405 <七色仮面の告白日記>

些細なラケット感情

夕刻、
家に着いて玄関を開け、
部屋の明かりを点けると、
壁に見慣れぬシミ?が。。。

よく見ると、ゴキちゃんではないか!

知ってる人は知っていますが、
私は大のゴキちゃん嫌いです。

幼少の頃、
私はゴキちゃんを見るたびに怯えていて、
父はそれを捕まえると、
ニヤニヤしながらわざと私の顔に近づけることをした。

私は「うわー!」と泣きながら大絶叫し、
あまりの興奮で鼻血を出してしまうこともあった。

母は「405がおかしくなったらどうするの!」と、
父をたしなめた。
それでも小学校低学年くらいまで、
父は面白がるかのようにその行為を続けた。

私はこの経験で、
すっかりゴキちゃんに恐怖を感じてしまい、
成人になってからもその感情は根付いていた。

今の住まいでの出来事だが、
引越ししてまもないのに、
早々にゴキちゃんと遭遇してしまった。

キチンと撃退できればよかったのに、
やはり恐怖心が先に出て適切な退治ができず、
ついにはどこかの隙間に逃げてしまった。

そうすると私は居てもたってもいられなく、
その晩はほとんど眠れず、
翌日仕事を終えるとあまりの恐怖に「家へ帰れない…」と、
かなりんに電話をしたことがあった。

ラケット感情だと言われても、
どうにも収まらない恐怖でいっぱいになり、
ほとんどパニック状態でした。。

そんな私が、
先日ゴキちゃんを見かけたときは、
「あ、出やがったな」と、
殺虫剤をシューとまいて退治をした。
我ながら、よくできました!

人によっては些細なこと。
でも私には、鼻血を出すほどの恐怖体験。

もし今ここに現れたら、
びっくりはするだろうけど、
ゴキちゃんへのラケット感情が薄らいだだけ、
成長したのかな。

しかし、どうして退治できたんだろう。。。

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2012年07月12日


405 <七色仮面の告白日記>

梅雨明けはまだ

今、事業所で取り組んでいるグループ学習。

一人で課題をやる場合、
自分のペースで調べものをしたり、
意見を書くことができる自由さがあるからやりやすいが、
これがグループだと、
なにごとも歩調をあわせ、
意見が異なるなら討論が必要になるところに難しさがある。

しかしながら、
今回の場合はその過程で、
それぞれが抱えている障害が現れやすいのも、
難しさのひとつだ。

ある訓練生は、
課題が与えられるとそのテーマを話し合うより、
なぜその課題が必要か気になったり、
ある訓練生は、
自分の意見を言うのに周囲が思っている以上に
勇気がいるため話せずにいたり、
ある訓練生は、
天候によって思い込みが極度に強くなるため、
それを自身がわかってても制御がきかずに、
暴れたり寝込んだりする。

こう書いてる私は、
完璧、やらなくちゃ神経症がのぞいたりする。
わかってるんだけどね。

このような場面で、
限られた時間内に話し合いをし結論を出すのは、
至難といえる。

だからといって「できません」は、
答えでもなければ通用もしない。

やれること、できること、
手を変え、言葉を変えながら、
グループの皆とやっていく。

こうしていると、
私は配慮ということを勘違いしていたように思うし、
自身のおこがましさにハッとさせられる。

メンバーに対して、
物理的にできないことへの配慮は必要だが、
本人の自立性や感じ方、仕事の裁量まで、
配慮という名で値引いていたのではないかと。

哀しい気持ちになった。

梅雨明けには、あと少しかかると、
まだ眠いベッドで聞いた天気予報。

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