2012年10月11日


405 <七色仮面の告白日記>

少しだけ自由

秋の贅沢って、
食べ物がおいしい季節というのもあるけど、
暑さが落ち着いた夜に、
鈴虫の音色が聞こえるひとときも贅沢です。

もうしばらくすると次第に寒さがまし、
今度は布団にくるまるのが贅沢になってくるのだろう。

夏は汗だくのカラダをシャワーで流し、
冷たい水をクイッと飲むときが贅沢だった。

あまり裕福な暮らしぶりとはいえないけど、
かといって困っているわけでもない。

できれば、少し自由になりたいのだ。

今、私が思う自由ってなにか。

思うがままになにかをしたいとか、
お金を自由に使いたいとかではない。

それも大事なことでもあるけど、
ずっと抱えていたものをパっと放したいような。
そう、育ててきた白い鳩を空に解き放つ感じ。

それが、私の思う自由。

そしていつか解き放つほうから、
解き放たれる立場になったとき、
私はこれまでの苦しみや哀しみも、
それを憂いている現状も、
私のこととして受け入れられるのだろう。

それが、究極の自由かもしれない。

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2012年10月04日


405 <七色仮面の告白日記>

朝からハヤオ

河合隼雄の著書の中で、
「新・女らしさの条件」というタイトルで、
こう見解を記していた。

*******************************
男と女の差をわける本質的な点について考え出すと、
あるいは新旧の差などはないのかもしれない。
それは人間にとって昔も今も、変わりのないこととも言える。

その本質的な差は、いろいろな見方ができようが、
女性の方が、自分が「存在する」ということについて、
男性よりはるかに確実に実感しうることであろう。
そこに「ある」ということ、これは心と体の結びつきの強さであって、
女性にとっては時に自明のことのようにさえ感じられる。

この点、男は存在感が弱く、それを確かめるために、
男は何かを「する」ことが必要となってくる。
このため、男たちは古来から、しなくてもいいことまでして、
文化と言われるものの表層を飾りたてるものを築いてきたのである。

実のところ、「ある」ことと「する」ことは共に重要で、
男女を問わず両者が必要となってくるのだが、ともかく、
その基本としてこのような差があることは事実である。

-河合隼雄(1981)「働きざかりの心理学」新潮文庫-
*******************************

私はつねづね、「おんなは強いな」と感じていたのだが、
それを明解にしたのが、上記の引用である。

強さにもいろいろあるが、特に存在の強さということにおいては、
男性は女性にかなわないと思う。

例えば事業所。
職員は男女半々くらいだが、指導力の強さを感じるのは女性だ。

「今あなたが話したことは、本質ではない」、
「一度私の前に来てから、話し始めて」、
「もう、やるしかないのよ」等々。
多少感情的な面もあるにせよ、そこには的を得ている感があるのだ。
なぜなら、指導をする方に「私」という強さがないと、
指示を出した方にとまどいを与えてしまうからだ。

別の例えだと、訓練生の場合。
疲れてダランとしている様は、女性のほうが「私は疲れているんだ」と、
無言で訴えているような威圧感がある。
これも「私」という強さが態度で現れていて、
筋の通った感情が備わっているように見える。

これらのことは著者が言うところの
「心と体の結びつきの強さ」の一端であり、
つまりは「心が態度や言動に現れている」ということだろう。

しかし、中には男性でもそのような人もいるが、
どうしてもそこには「社会的な匂い」がするのだ。

私が思う社会的とは世間に対して位置する個の存在で、
そこには個としての強さはあまり見えてこない。

仮に個が見えてこないことを社会性というなら、
その見えなくする強さが、防衛とか体裁と呼ぶのかもしれない。

男性に個がないわけではないのだが、
あるのだけど表層的に見えてしまうのは、個を体裁や防衛というものでふたをし、
個としての存在をかき消してしまっているからだ。

確かにそうすることで社会は発展してきたのだが、
それゆえ、体裁という脆く危うい柱で覆った個の代償は、
持ちこたえれば御の字だし、つぶれたらどうなるのか。

男性が社会的で、行動で見せようとするのは、
男なら仕方ないのか、それともわからないのか、
それともそれがこわいのか。

なにが言いたいのか。

ゲイの私は、男の端くれのようで、女にもなれるわけでもない。
私は本当の私であるために存在していたいのだ。
どんな場面でも、己の気持ちに従うくらいの強さを持ちたい。

と、朝のやや空いた電車で一読して今日も行くのだ。

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2012年09月27日


405 <七色仮面の告白日記>

私が何をした

今日の夕方までは、就活のことをブログにするつもりでいた。

そう思って事業所を出ると、一通のメールが届いていた。
元彼Pからだ。

内容は。。
金の無心についてだった。

この出来事は今日が初めてではなく、
2週間前にも同様のことがあった。

それは、事業所推薦がダメになった次の日で、
私は非常にナーバスになっていた。

そんな朝、久しぶりにしかも突然、
Pから電話で話したいとメールが来た。

私は不覚にもそのメールでドキッとしてしまい、
朝という時間にも関わらず、
事業所が始まるまでのわずかな時間のあいだに、
折り返し電話をくれるよう返信をした。

5分後、Pから着信。
「久しぶりだねー」
「405の声は変わらないねー」と話すので、
一体何用かと思っていた。

するとためらうように「金を貸してほしい」と。

Pは、母親の看病で実家へ戻っている。
聞けば退職金の底をつき、お金がなくなった。
来月に収入があるからそれまでの間のつなぎとして、
貸してほしいとのことだった。

生活費として困っているのかという問いをはぐらかし、
借りたい金額は2万円だという。

そのあやふやさに、私は申し出を断り、
もう一度よく考え、本当に困ったら電話をしてほしいとだけ伝えた。

もうガッカリだった。
ドキッとしたからには、淡い期待がなかったわけではない。
でもこのガッカリは、
よくも私に金の無心をしてきたなという、怒りがこもっていた。

次の日、CSNのワークでこのことを話し、
みんなならどうするかを聞いた。

「私なら貸しちゃうかも。。」
「二度と電話すんなと言っちゃう」等々

どれも、私の気持ちを代弁するかのようだった。

「借りるだけ借りて返さないってことかもね」
という意見に集約されていくように、
Pからの連絡はそれっきりなかった。

そして今日、「先日は突然すみません」と謝罪ののち、
「改めて2万円貸してもらえませんか」と。
それも、メールで伝えてきた。

私は再度、貸せないと返信をした。

情でいけば「もしかしたら、本当のことが言えなくて困っているのかも」
智でいけば「本当に困っているのなら、理由が述べられる」

情でいけば「金に困って犯罪にはしったらどうしよう」
智でいけば「暮らしの費用の相談なら、まずは行政に」

情と智の反復に揺れる気持ちは、
あれほどPを想っていたことがまるで引き潮にさらわれていくようで、
そこに残ったのは二人の関係という事実も、記憶も、
ほんのわずかな抜け殻すらもないようだ。

Pは私を恋愛対象から外し、別の人へ簡単に乗り換えた。
そして、淡い記憶までも簡単にうばっていった。

私が一体、何をしたというのか。

それはPからの本音がない限り、私はその中をさまよい、
聞いたところで、私がしかけた無意識との対話に尽きるのだ。

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2012年09月20日


405 <七色仮面の告白日記>

それでも独立

私が今通っているジムに、
通いはじめのころから世話になっているスポーツトレーナーがいる。

わからないことを聞けば答えてくれるし、
フォームチェックとかもしっかり見てくれるし、
何より知識が豊富だ。

トレーニング方法だけでなく、
食事の摂り方、体のつくり、どこをどうストレッチすると効果的か等、
横断的な知識はトレーナー自身のカラダに表れている。

利用料金だけでこれだけのことを教えてくれるんだなと、
ここぞとばかりに聞きまくっていた。

先日もいつものようにマシンをガシガシやっていると、
スッと横へ来て「実は来月、独立するんです」と、
急に言い出した。

私は「えっ?!」と驚き、詳しく聞いた。

するとかねてからジム所属ではなく、
独立してトレーナー業をやることが希望だったと話した。

改めて渡された名刺の裏には
「健康運動指導士」や「全米スポーツ医学会認定…」等の資格が並び、
だからあれだけの知識があるんだなと頷けた。

スポーツトレーナーは10年前に比べるとやや下降気味の仕事で、
ジム利用者人口を考えると、そんなに引手あまたにやれるものではない。
業界の盛況さがなくなってきていることも相まって、
厳しい現実ではないかと、素人ながらに思う。

それでも、
「指導をするには、ジムトレーナーでは限界がある。
独立してマンツーマンでクライアントさんとやるほうがいいんです。」と。

そういや、ある心理カウンセラーも、
じっくりとクライアントに向き合うタイプだと言っていた。
(↑わざとらしい)

スポーツトレーナーなら「カラダを大きくしたい」、
心理カウンセラーなら「この気持ちをなんとかしたい」。

この二つの仕事を並行するのはどうかと思うが、
たぶん独立タイプのトレーナーやカウンセラーは、
ストレートにクライアントとぶつかり、要求を知り、
クライアントともに成長する喜びを知っていると思う。

どこかへ所属して既存の枠内で活動するよりは、
自身で自由に指南できる環境のほうが、
やり方は自在だし、やりがいはあるだろう。

そのぶんリスクはあるが、
それを引き受けられる強固な大人の立場があるからこそ、
自在に動いて回れるのだ。

手厳しさや優しさは、
クライアントへの忠誠という意味では妥協は許さず、
それは自身に正直であることなのだろう。

私の勝手な憶測ですがね。

でも、
「休みはクライアントさんの予約がないときです。あははは」
と笑った裏には、相当の決意があると見えた。

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2012年09月13日


405 <七色仮面の告白日記>

願い下げ

「405さん、ちょっといい?」

今の事業所の所長と施設長に呼ばれ、
私は面談室へ入った。

「実はある企業の人材オファーに、
405さんを事業所の代表として推薦したい。」

あまりに突然だったので、私は事の経緯を尋ねた。

聞くところによると、
そのある企業(以降S社)は、障害者採用をこれまで取り組んできたが、
どうも軌道に乗らない。

前任者は、データの抽出でミスをおかしてしまい、
正社員というプレッシャーもあり、辞めてしまった。
この経験を踏まえ、今度は慎重に採用をしていきたい。
そこで、就労移行支援事業所で良い人材はいないか、探している。
とのこと。

そして、その採用したい人物像は、
ミスをおかさず、昼間の休憩でも普通に会話ができ、
自分で判断して物事をすすめられること。
だそうだ。

所長は、
「そのような人材を就労移行支援事業所、
ましてや精神の障害者から選ぶのは困難に近いと思っている。
そこで経験や様々な面から、私を事業所の代表として
推薦したい。」と言うのだ。

私はとまどった。

確かに、S社が求める人物像に近いのは、私なのかもしれない。
でも、私の抱える障害への理解がすすんでいない現状があるため、
S社がそこをどう捉えるつもりかを聞いた。

所長は、
「障害については、S社で考えてもらう。
そして、S社が求める人物像を移行支援事業所から
見つけ出すのは、たやすくないことも。」

私はこの言葉に押される感があったが、
まずはS社がどう判断するかを考え、
その場は推薦ということに承諾した。

数日後、S社から思いがけない返答があった。

“障害の内容はわかった。
ぜひ会ってみたいので、応募書類を送ってほしい。”
というのだ。

障害の特長を事前に把握、理解して、
その上で面接というS社の姿勢に、私は驚いた。

そして職員からは、
405さんは障害者としてはおいしい人材だとか、
障害特性を理解した上での面接はめったにないチャンスだとか、
あまり心地いい表現ではないものの、
励ましがあった。

しかし事業所としては、
企業からのオファーは喉から手が出るほどのものなんだなと、
利用者ながらそう思った。

ともあれ、私は先に障害を把握してくれているのなら、
安心して資料づくりに取り組めた。

できるだけ早めの方が印象はいいということもあり、
障害のことをよりわかりやすく表現したり、
つぎはぎの職歴に統一を持たせるなど、
資料を中2日で仕上げて送った。

条件面や就業内容に疑問はあっても、
まずは面接で聞けばよいことだと思っていた。

そして今日、出所するとすぐに施設長に呼ばれた。

面接日の打ち合わせかと思っていると、
「先方から、見送りたいと連絡があった。
理由は“その障害では現場は受け入れられない”ということです」

そんなバカな。
S社は、私の障害を把握し理解したから面接をしたいと言い、
私もそれならということで資料を作成したのだ。
それなのに、断る理由が障害を受け入れられないとはおかしい。

私の様子を察して施設長は、
「人事としては、ぜひともという気持ちがある。
でも働く現場にそれを伝えたところ、反発があったようです。」

人事と現場の疎通ができていないまま、
先走って人材を確保したものの、
いざ現場に伝えるとダメだしという、
典型的なコミュニケーション不足だ。
というよりは、なぜ資料を送る前にそれをしなかったのか。

私は、荒ぶる感情をコントロールしながら話した。
施設長も、事業所として残念な結果だと。

人事と現場の乖離は、企業ではよくあることなのかもしれない。
しかし、そのような体制の企業に採用された人材、
特に精神障害の場合は、混乱もするだろうし大変だと思う。
ここに、障害者採用の難しさを感じる。

「そんな会社、こちらから願い下げだよ。」
と言ってくれたのは他でもない、職員だった。
障害者採用を積極的に行いたいというわりに、
健常者並みの人材を求めている時点で、
考え方がまちがっていると。

そして私は、
「企業はそんなものなのかもしれない」からはじまる、
脚本引力への踏ん張りどころだ。

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2012年09月06日


405 <七色仮面の告白日記>

相手ありきの前に

一人目の彼、I。
「知り合いの友人を、匿わなくてはいけなくなった。」

続けて「しばらく連絡できない」と言うので、
私は「大変だね、どのくらい?」と聞き返した。

Iは「わからない」と答え、私は信じて疑わなかった。

きっといつか、連絡がくるだろう。
そう思ってしばらくしていると、
風の噂でIには新たな彼ができたと。

数年後、ばったりフィットネスクラブで出会い、
どうしているのか尋ねた。

Iは「実はあのとき、好きになったヤツがいて」と、
シャーシャーと言った。

話を聞くとその人は自衛隊の幹部候補で、
カラダもよければ頭もいい。
自慢の彼みたいな話ぶりだった。

そっか、それにほだされたんだ。

しかし、安定した付き合いではないという。
その彼は見栄えが良い故に、声がかかることが非常に多く、
逆に浮気されっぱなしだと言った。

お馴染み元彼P
「今、幡ヶ谷にいるんだけど会える?」

家でのんびりしていた私に、
このようなメールが届いた。
当時、私はそこに住んでいなければ、
勤めに行ってる場所でもなかった。

私は「え?それって何かのドラマのパクリ?」
と、なにかの冗談のつもりかと返信をした。

すると、ものの数秒でPから電話があり、
「ごめん、浮気してた。」と。

事の成り行きを聞くとどうやら浮気は本当のようで、
それを弁解するために、Pは急いで家の近くまでやってきた。

深夜のファミレスで、私は怒り心頭だった。
でも、別れるつもりはなかった。

しかし別れを言ったのは、Pのほうだった。
理由は「405と付き合う資格がない」と。

私は拒んだ。なぜ、別れるのか。

なのに、Pは「友達でいたい」と言い、
私は仕方なしにそれを認めると、
Pはここぞとばかりに、幡ヶ谷の相手ことを話し出した。

しかし、長くは続かなかったようだ。

IもPも、私の気持ちを知って、
乗り換えた相手の話をよくしたものだ。
それを聞いてる私も、これほどの偽善はなく、
屈辱よりも耐えがたい感情はなかった。

そしてこの夏前に、近所に住む人と知り合った。

地元でお茶をし、二回目に会う約束をしようとしても、
なかなか返事がない。
ようやく「一緒にトレーニングに行こう」ということになり、
約束の日を決めたのに、相手はその日、朝まで飲んでいたのだ。

私に「先に行ってて」とメールをし、ジムで会ったものの、
すぐに「具合悪いから先にあがる」と残し、
私は少し遅れてあがったが、その人はいなかった。

「どこにいるの?」とメールをすると、すでに家に帰ってしまったと。

相手は「ジムのあとのこと、ちゃんと約束すればよかったね。」
と伝えてきた。
具合が悪いのはかまわない。
しかし、「先に帰るね」の一言も言えないような相手と、
関わりたくないと思った。

年齢のせいか、はたまた恋をしすぎたか。
これ以上、ないがしろにしたくないのだ。
相手を信じる前に、自分を信じることからだ。

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2012年08月30日


405 <七色仮面の告白日記>

ストローキング

事業所へ通い出してから、
丸五ヶ月が過ぎようとしている。

カリキュラムもグループから個別になり、
訓練生の特性に合わせた課題が毎日出される。

私は実務経験があるということで、
事業所で使う資料や備品作成といったものが多い。

このような業務を通じて、
かつて働いていたときの感覚が、
少しずつ目を覚ましてくるのだ。

しかし悲しいことに、
物覚えや体力に関しては以前のようにはいかず、
そこはかつてのようにとはいかない。

それでも、仕上がりのよさを讃えてくれたり、
「助かるわ」と言われると、私も嬉しくなる。

きっと続けていられるのは、
こうしたストロークがあってのこと。

でも毎日が、プラスのストロークなわけではない。
時には「ひどい…」と思うことを言われたり、
人と会いたくないときだってある。

そういうときって、
私がラケット感情を持ち合わせていることが多く、
それに気づいて精査し回避できれば、
マイナスのストロークをせいぜいゼロくらいにはもってこれる。

ストロークは人を潤し、活かしてくれる。
どんな投げかけでも、成り行きや事情は必ずある。
そこを話すか話さないかで、
関係性というより自身の認知が変わると思う。

相手の発言に対して精査したり疑問をただすのは、
正直面倒だし体力がいる。

だからといって、それすら返答しない「無視」が、
人にとって、自分にとってきついストロークはありません。

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