2006年07月01日


男N <男Nのニートからの旅立ち>

時の流れと対峙する

今日は一日だらけきった生活を送った。
ブログを書くのも忘れるくらい。
ノートンアンチウィルスを買いに行きたかった。
朝食を作る練習をしたかった。
それなのに・・・

自炊もできなかった。
コンビニ弁当を久々に買ったが水道料金を払うのを忘れた。
まあこういう日もあるのかねえ。

以前はこういう日ばかりだったのかな?
なんか実感として思い出せなくなりつつある。
とにかく思っている以上に疲れているらしい。

これを書いているのは7月2日0時半頃。
時間と日付は修正してUPしてます。
インチキですけど・・・ま、いっか。

月曜日のコンビニバイトはごまかしがきかない。
レジの時間は絶対!
0時00分00秒に賞味期限は切れる。
突然食べられなくなるはずはないが機械的にそうなっている。

今年の上半期は「時の流れと対峙する」ことが目標の一つだった。
生活記録ノートもそういった目的があったと思う。
ときに意識して、たいていは意識しない間に、
淡々と流れていった時間・・・

やっぱり難しいんですよ、これが。
でもこれからもガンバリマス♪

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2006年06月28日


男N <男Nのニートからの旅立ち>

身近な“MOTTAINAI運動”

コンビニでは当たり前ですが食品も売っています。
賞味期限の切れた食品はどうなるのか?
ホームレスさんの口に入るのかな?と思っていましたが、
現実は違いました。
全部廃棄しちゃうんです。

廃棄は期限当日です。
中には期限の2日前や、50日前なんてのもあります。
これは元締めからの指示らしいです。
末端の店としては、
さすがにそこまでやると売り上げにひびくので、
2日前に廃棄することにしています。
弁当などは当日のものが多いです。
仕入れてから16時間陳列されるというパターンです。

さて、
期限当日の食品は当然まだ食べられるわけです。
賞味期限をあまり気にしない人なら(僕もそうですが)、
廃棄される食品はすべて食べられる、といえます。
でも捨てちゃいます。
決まりなので。
きっと「信用」に関わる、などの理由があるのでしょう。
ちゃんと分別して生ゴミとして廃棄します。

これらを食しようと欲すれば、
生ゴミを漁るか、
こっそり懐に入れるかしないといけないわけです。
ただ、店内にはカメラが目を光らせていますので、
こっそりやるのは不可能に近いです。
店ぐるみで行わないと無理ですが、
それこそ店の信用に関わるのでキチンと廃棄するのでしょう。

結局、賞味期限切れの食品は廃棄される運命にあるようで、
日本全国で考えるとエライ量になるらしいです。

そこで、身近に出来る“MOTTAINAI運動”

スーパーやコンビニなどの食品は、
できるだけ賞味期限の近いものから買いましょう。
細かいことにこだわらなければ、
期限内に食べるのであればまったく問題ありません。

こういうことはもちろん強制されるべきものではないので、
協力してもいいよ!という方がいらっしゃれば、
ぜひお願いします。
目的は・・・
自己満足ですかね?

ズラッと陳列されている食品の中、
ポツンと浮いている、賞味期限の近い「食品君」。
彼は廃棄される運命にもっとも近いのです。
なぜ「男性名詞」なのかはよくわかりませんが。

 廃棄されるなら
 食べてしまおう
 ホトトギス

皆様のご協力、お待ちしております。

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2006年06月26日


男N <男Nのニートからの旅立ち>

気がつけばフリーター

このブログは「男Nのニートからの旅立ち」というタイトルです。
タイトルの通り、ニートから抜け出していくさまを書こうということで、
でもどうやって?なんてことはわからずにとにかく書いていたわけですが、
気がつけばフリーターになってました。

「ニートやフリーターの問題」とか、
一緒に語られることが多い気がするのは気のせい?
よく考えてみれば全然違うものですよね。
日々の実感でもあります。

ニートから抜け出せば、次の段階はフリーター。
これも自然かなあと思います。
まあ社会問題や政治について語ろうというわけではないので。

どうやってニートから抜け出したか?
このブログを最初から読んでもらえれば・・・わかる・・・かな??
自分でもよくわからないところが大きいので、
だから「気がつけばフリーター」なんですね。

意識したことといえば、
とにかく行動する、っていうくらいなもんで。
行動といってもいきなり働き出したわけでもないですし。
よくわからないけれどとにかく行動したわけです。

本来僕はとても「頭デッカチャン」なので、
どういう意味があるのかわからない行動なんてのは、
とてもする気にはなれなかったのですが、
ある日、なんとなく、なんかしたくなったんですね。

なぜか?

わかりません。

確かに言える事の一つは、
そのことが、今の自分になるためには、
とても重要だったということです。

十年来、ずっと考えてきたことがありました。

自分の行動力の問題は、車に例えると、
エンジンではなくてバッテリーの問題ではないかと。
バッテリーがあがっているのでエンジンがかからない。
押しがけしたりいろいろしたけれど、それでもかからない。
だからどうしたものかと、ずっと考えてきたのですが、
やっぱりどうしていいかわからない。

考えずに行動したら、
エンジンもかかってバッテリーも充電されて、
持続的に動けるようになったわけです。
皮肉なもんだなあと思います。

「ニートからの旅立ち」から「気がつけばフリーター」へ。
このプロセスについては、
行動しながら少しずつ考えたいと思っています。

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2006年06月23日


男N <男Nのニートからの旅立ち>

コンビニの裏事情の一つ

久々にサッカーネタ以外を書こうと思ったのですが、
やっぱり少しだけ。

見事に負けました、日本代表。
あれだけ見事だとかえってサッパリします。
モロに実力の差が出た感じでした。
ブラジルもやっと調子が出てきましたね。さすが優勝候補です。

サッカージャーナリストの大御所、後藤健生氏曰く、
「サッカーにも汚い面や嫌な面はある。
 ただ政治や経済などと違うのは、
 それらもすべて白日の下に晒される点で、
 だから僕は大好きなんだ。」

サッカー界にも政治経済的側面はあったりするのですが、
ピッチ上で起こる出来事は、W杯ともなれば、
何億という人が目撃するわけです。
日本人としてのイヤな部分も見させられるわけで。
でもきっと世界の人は、日本人には気付きにくい、
日本人のいい面も見てくれているはずです。
それが世界的大会の楽しみの一つだと思っています。

サッカーネタはつい話が長くなっちゃいます。
コンビニの話です。

コンビニで働くようになってから、
隠されたコンビニ裏事情も少しずつわかってきました。
これらはとても面白くて、
もし伊丹十三がまだこの世に生きていれば、
きっと「コンビニの女」なる映画を作っただろうと思うほどです。
いっぱいあり過ぎて書き切れないので、少しずつ書こうと思います。

ちなみに今回は連載ではないです。
正直、疲れます。
プロ・ブロガーさん(?)って大変ですね。

東京での話ですが(地域差があるのかわかりませんが)、
店舗によってゴミ箱に差があります。
これはお気付きの方も多いかと思います。
分別用にゴミ箱がいくつかあって、店によっては、
「燃えるゴミ」用はあるのに「燃えないゴミ」用はなかったりします。

ナゼナノダ〜!

あくまでウチの店での話ですが、
あれは分別してくれない人が結構いるからで、
いちいち店のほうで分別していられないので、
すべて「燃えないゴミ」として出しちゃうんです。
コストを考えるとその方がいいらしいんですね。

だから、
どうしても燃やしたい「元カレの写真」などを、
うっかりコンビニの「燃えるゴミ」箱に出しちゃうと、
元カレは燃やされずにどこかの埋立地で、
永遠に微笑み続けることになります。
ご用心♪

道徳的にどうよ?とかはともかく、
企業が社会で生き残る知恵なんでしょうね、きっと。
どうしても許せない人はピッチ上にゴミを捨てましょう!

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2006年06月21日


男N <男Nのニートからの旅立ち>

僕が日本代表を応援する理由

1993年。Jリーグ開幕。W杯アメリカ大会アジア最終予選。
日本サッカーの新たな時代が始まってから13年。
世界情勢も日本の情勢も変わった。
サッカー選手も。見る人々も。そして僕も。

94年大会はW杯出場が夢に終わった。
98年大会は悲願の初出場を果たした。
02年大会は共催だが自国でのW杯だった。
そして2006年・・・

戦う理由は変わったのだろうか?

確かに13年前とは状況が違う。
マイナースポーツであるサッカーを日本に広めるため。
世界への扉を開くため。
そういった類のものは今はないだろう。
それに「国家のため」とかいう理由と同列で比較すべきものではない。

ラモスやジーコに問うたなら、きっと「日本のため」と答えるだろう。
だが彼らの言う「日本」は「国家」ではなく「文化」といったほうがいい。
「お世話になった日本への恩返し」という意味あいが強いもので、
ジーコは81年のトヨタカップで貰った車を今でも大切にしているという。

「国家のため」に戦う代表選手は実は世界でもそう多くないように感じる。
冷戦が終わって久しい。もはや国威発揚でもないのかもしれない。
国家のために戦っていると感じられる選手もいるが、
おそらくそれはほとんどの場合、無意識に「しょっている」のではないかと思っている。

「国民のため」と思っている選手は多いかもしれない。
日本代表にも少なからずいるだろう。
言い換えれば、応援してくれる人々に喜びを与えたい、という思いである。
いろいろなバリエーションが考えられる。
もがき苦しんでいる国民に夢を、というものもあれば、
プロフェッショナルなのだからそれをして当然、というものもある。
それをしなければサポーターに何をされるかわからない、
という強迫めいたものまである。

「自分のため」というのは選手が意識しているかどうかにかかわらず、
ほぼすべての選手に当てはまる理由といっていい。
サッカーが大好きで、ストイックで、そして負けず嫌いでなければ、
あれほどのレベルになれるはずがない。
そんな当たり前のことをいまさら問いかけること自体が笑止である。

「戦う理由なんてどうでもいい」というのが個人的主観的結論。
これだけのことのために何故長々と書いてきたのか?
それは「応援する理由」を改めて考えたかったからである。

他人の理由は気になることではあるがどうでもいいことでもある。
「幻想」を見たい人が多いように感じる。それも「共同幻想」を。
成田空港で手荒く出迎えようとする輩などは極端だがいい例だと思う。
勝手に夢を見て勝手にキレる。
イヤなヤツらだと思う。まるで昔の自分を見ているようで。

僕が日本代表を応援する理由は「楽しみたいから」。
突き詰めていくと結局そういうことになる。

02年大会は日本代表を応援しなかった。意識的に。
理由は「楽しくなかったから」。
本当は応援しないことが楽しかったのかもしれない。
トルシエが大嫌いで、言いなりになっている選手たちが情けなくて、
日本代表が惨敗することを心から願っていた。

幻想が見たかった。だから、
土壇場でドラマチックに逆転するゲルマン魂に投影し、
バカにするように日本を打ち破る韓国にはジェラシーを感じた。

今の僕はかなり冷静になった。
サッカーに入れ込み過ぎて私生活を犠牲にすることはしなくなった。
僕と入れ替わるようにサッカーに投影する人が増えている。
そう感じるのは気のせいかもしれないが因果なものだ。

どんなに応援しても、しなくても、
サッカーの代表チームというものは、
その国「自身」を反映したものでしかありえない。
日本代表には日本のサッカーしかできないのだ。
終了間際に逆転されることはJリーグでは特に珍しいことではない。

かっこよく、さわやかに、クールに戦ってくれればそれでいい。
どんなに汚いことをしてでも勝つというチームを僕は応援しないだろう。

僕には僕の生活があり、ある意味では、戦っているといってもいい。
個人的に大きな変化があったこの時期にW杯があるのは偶然だろう。
そこに理由とか意味とかは見出そうとはしなくなった。
それをするとしないとにかかわらず、
そこには僕がいて、人がいて、サッカーがあって、そして日常がある。

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2006年06月19日


男N <男Nのニートからの旅立ち>

「ドーハの悲劇」 光と影

ドイツファンになることを決定付けたのは90年W杯。
僕の一番のアイドルである、ローター・マテウスに率いられたチームは、
西ドイツとして最後の、統一ドイツを含めても一番最近の優勝を遂げた。

この大会は「退屈なW杯」と称されることが多い。
まだ勝利の勝ち点は2で、キーパーへのバックパスも手で扱えた。
引き分け狙いの試合が多く、1試合の平均得点も最低。
優勝した西ドイツでさえ、「退屈な王者」と酷評されることもある。

でも僕には充分に魅力的だった。
クリンスマン、ブレーメ、リトバルスキー等、個性的なタレント。
無骨な風貌の内に類稀なテクニックとメンタリティを備えた闘将マテウス。
彼等はまるで中世の騎士のようであり、「ゲルマン魂」の名のもとに、
サディスティックな強さと厳しい戦いを勝ち抜く精神力を見せつけた。

つまらないサッカーの代名詞だったのはアルゼンチン。
本調子でないマラドーナは、1試合に1回だけ決定的なパスを通し、
その1点だけであとは時間稼ぎの汚いプレーの連続。
ブラジルやイタリアなどの魅力的なチームに「ただ」勝った。
決勝まで来るに値しないチーム。
準優勝で悔し涙にくれるマラドーナを見るのは痛快だった。

もちろんこれらは当時の僕の、大いなる主観である。

日本代表はこの大会のアジア1次予選で敗れた。
弱すぎ!問題外!

その後のバルセロナオリンピックのアジア予選では劇的に敗れる。
終了間際に1点を取られて。
相手はまたもや韓国。
日本サッカーの夜明けはとてつもなく遠いように感じられた。

だが、夜明けは思ったより近く、突然だった。

92年アジアカップ広島大会。
その前のダイナスティカップで国際大会を初制覇した日本は、
ラモス瑠偉、三浦知良、柱谷哲二ら綺羅星のごとくタレントを擁し、
アジアカップ初優勝を成し遂げた。

当時の日本は勿論経済大国だが、サッカーでは新興国。
言い換えれば弱小国だった。
その日本がアジアに名を知らしめた瞬間。

突然に感じたのは僕が日本サッカーにあまり関心がなかったからで、
日本サッカーと世界のサッカーは別物とさえ考えていた。
悩み多き青春を送っていた僕は、当然のように、
そして救いを求めるように、この日本代表にのめり込んでいった。

94年W杯アメリカ大会。アジア予選。
最後の最後で出場の望みを絶たれた、あの「ドーハの悲劇」。
翌日はまるでお通夜のような気分で、青空が灰色に感じられたのを覚えている。
劇的な逆転勝ちがサッカーに限らず大好きだったわけだが、
逆転される立場のことは考えもしなかった。
PL学園に逆転された高校球児はさぞかし辛い思いをしただろう。
そんなことを考えながら、バス停で空を見上げていた。

それでもこのときの日本代表は、メンタリティの強さも含めて、
今でも僕の中では一番魅力的な代表チームである。
テクニックは現在の選手たちのほうが優れているかもしれない。
でも、
大事な試合では必ず点を取ってくれたキング・カズ、
「日本人より日本人らしい」大和魂を持った侍・ラモス、
それらの個性を強く統率した闘将・柱谷、
一人ひとりの名前を挙げ出せばキリがない、愛すべき戦士たち。
彼等は韓国にも勝利し、本大会まで本当にあと一歩のところまでいったのだ。

それでも時を同じくして、日本初のプロサッカーリーグ、
Jリーグが始まったのだから、僕はやっぱり幸せだったと思う。
現役選手としてのジーコを見ることができるなんて夢のようだった。
毎週行われるサッカーの試合。そしてテレビ中継。
少年の頃には考えられなかった、日本サッカー界の劇的な変化。

このサッカー談義は次で完結させる予定だが、
今回の締めくくりに、ドーハの悲劇の後、
ラモスがニュースステーションに出演したときのことを書いておきたい。

彼は生放送の番組で、次第に高まる興奮を抑えきれず、熱く語った。
「俺たちは感動を与えるために戦ったんじゃない!
 勝つために戦った!アメリカ行きを勝ち取るために戦った!
 その願いが叶ったら俺は代表を引退してもいいとさえ思ってたんだ!」

久米宏は彼には珍しい、でも彼らしい言葉でトークを締めくくった。
「ラモスさんは激闘で頬もこけてお疲れのようで・・・
 番組が終わったら焼肉でも食べに行きましょう。」

《続く》

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2006年06月17日


男N <男Nのニートからの旅立ち>

少年Nを惹き付けた「ゲルマン魂」

かなりんのW杯談義はテーマが深く、応えるのはなかなか難しい。
そこでまずは、僕のサッカーファン遍歴を書こうと思う。
話のすり替え?ノンノン!
最後マデ読ンデモラエレバ分カリマ〜ス♪

昔からテレビでスポーツを見るのは好きだった。
野球に限らずあらゆるスポーツが好きで、サッカーはその一つだった。
はじめて見たのは確か高校サッカー。
「PK合戦」を「BK合戦」と聞き間違えたのを覚えている。

サッカーファンになる決定打になったのは、
85年のトヨタカップと86年のW杯メキシコ大会である。
僕にとっての最初のアイドルとなったミッシェル・プラティニ。
白と黒の縦縞のユニフォームを着たお洒落な将軍。
ユベントスを率いる彼のプレーに魅せられた85年。
86年W杯は当然のようにプラティニとフランス代表を応援した。

ちなみに日本はまだ出場できていない。
NHK山本浩アナウンサーの名実況から、
「メキシコの青い空」と称されるアジア最終予選。
木村和司の伝説のフリーキックなどはあったものの、
今にして思えば内容も結果も完敗。
相手は韓国。
当時の僕に、韓国に対する無意味な敵意を植え付けた。

86年大会は「マラドーナのためのW杯」と呼ばれるほど、
ディエゴ・マラドーナのサッカー史上二本の指に入る才能が輝いた大会。
僕の願いはそのマラドーナをプラティニが決勝で打ち負かすことだった。
両雄の対決は世界中のサッカーファンの願いだったと言ってもいい。

それを打ち砕いたのは当時の西ドイツ。
あろうことか準決勝でフランスに勝ってしまった。
ナニをすんねん西ドイツ!
僕の興味は決勝でアルゼンチンが西ドイツを叩きのめすことへ移行した。

決勝戦は期待通りにアルゼンチンが2点先行。
ホレみたことか西ドイツ!
ところが、
西ドイツは残り17分から2点を取り、追いついた。
結局はアルゼンチンが勝ち越し点を取り、優勝するのだが。

この試合は僕に奇妙な心境をもたらした。
にっくき敵役であったはずの西ドイツに対し、
何故か好感をもち、そして大ファンになってしまったのだ。

「点が極端に少なくて、逆転などは極めて難しいスポーツ」という認識を、
当時の僕はサッカーに対して持っていた。
だから一番好きなスポーツは野球で、土壇場でのドラマが大好きだった。

西ドイツは逆転こそできなかったが、
僅かな時間で2点差を追いつくという、かっこいいドラマを演じてくれた。
僕の認識を覆すにはそれだけで充分だった。
「ゲルマン魂」という言葉の響きのかっこよさも手伝い、
一度嫌いになった人やものに対する認識を滅多に覆さない僕に、
唯一といってもいいかもしれない例外をもたらしたのだ。

敵意が薄れるまでに相当な時間を要した韓国とは対照的に。

《続く》

ぁ、
最後マデ書ケマセンデシタ。
続キヲ楽シミニシテクダサ〜イ!

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