2005年12月12日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

交流分析学習講座・オプション実習

 10月に終了した「交流分析学習講座」(全10回)のオプション編として、グループワーク実習を、11月19日(土)に渋谷区女性センターにて行いました。水曜、土曜両コースの受講生の皆さんが一同に会し、エンカウンターグループやエンプティーチェアなどのワークを行いました。


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「エンプティーチェアのワークを体験してみましょう。

 空の椅子には誰を座らせますか?」

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   幼い頃の感情がこみあげてきます・・・。

   今だったらあの時言えなかったことを言えるでしょうか。


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 ワークの主人公の気持ちをグループでシェアリングします。

 講座で学習した理論を実感することができ、有意義なワークとなりました。
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2005年12月11日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ビッグイシュー

 今、ちょっと郵便を出しに外に出て来ました。いやぁ、寒い!
今日は一日中どんよりとして陽もささず、昼間から寒い一日でしたね。

 帰り道を急ぎながら、「こんな夜はホームレスの人達はどうしてるんだろ」とふと思いました。これからの季節彼らにとっては辛い日が続くことでしょう。

 サンプラザ時代はホームレスのクライアントさんもいました。年末の最終日に怪我をして来談され、「どこか宿泊するところを探して欲しい」とのせっぱつまった相談に、その日勤務していたカウンセラー全員が奔走し、それでもどこも満員だと断られ、結局探しきれずに、区役所で支給してもらった乾パンを手渡して「何とか頑張って」と祈るような気持ちで帰途についたのを思い出します。あれもこんな風に寒さが身にしみるような夜でした。
  
 先日会員さんが「THE BIG ISSUE」という雑誌を持ってきてくれました。
表紙をポールマッカートニーが飾っています。バックナンバーの表紙も、キアヌリーブス、マライアキャリー、ジョニーディップ、アルパチーノなどの蒼々たるスター達がずらっと並んでいます。内容も環境、労働問題から音楽、料理と幅広く、充実しています。NO39では、「HIKS(ハーフインカム・ウイズキッズ=ヒックス)」の特集が目を引きました。

 この雑誌はホームレスの人達によって200円で売られていて、そのうち110円が販売員の収入になるとのことです。販売する人はビッグイシューのIDカードをつけているそうです。

 ホームレス支援に年季の入ったアメリカでは、この雑誌販売はかなりの成功を収めているといいますが、日本ではまだまだ赤字だそうです。

「カウンセリングの原点というのは、宗教家や社会改革運動家たちの、社会鍋などの社会活動です。今その原点に戻ることが極めて必要とされていると思います。」

 当NPOの「キャリアサポーター養成講座」の特別講義で木村周先生が言われた言葉です。「ビッグイシュー」の活動は、まさに今日の「カウンセリング」と言えるのかもしれません。
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2005年12月10日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

テスト

がんばれOL!
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2005年12月08日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

マイホームタウン

 実は一昨日、私はン十回目のバースデイを迎えました。当日には気がつかずに今頃「あゝ、そうだった」と思い出すくらいのものですから、「ハッピーバースディ!」などという気分とはほど遠いのですが、まぁ、「よくぞここまで生きてきた」という意味では感慨深いものもあります。
 森の石松風に言えば(「誰それ?」っていう向きも多いかも…と思いつつかまわず書いちゃいますけど)、「渋谷っ子だってねぇ、コーヒー飲みねぇ」というところ。
 
 聞くところによれば、私が生まれたのは道玄坂上の「恋文横町」の奥にあった「小林病院」という個人病院だそうです。今はもう跡形もありませんが。私は逆子で、当時はどこの病院でも「産むのは無理」と言われたのを、母があちこち訪ね歩いて辿り着いたとのこと。母から事情を聞いた小林先生は、「産めないなんて言ったのはどこのどいつだ!」と烈火のごとく怒り、「必ずここで産ませてやる」と宣言したそうです。というわけで、私の命には、今は亡き(多分)小林先生の並々ならぬ熱情が注ぎ込まれているわけですね。このエピソードは何回も母から聞かされて、いやがおうにも自分の奥深くに刻み込まれているような気がします。
 
 それからというもの、住まいは恵比寿、地元の小学校から渋谷にある私立中学に進み、高校、そして大学までも渋谷に通った私にとっては、渋谷はまさに「庭」みたいなものでした。
 
 あの頃あんなにださかった恵比寿の町も様変わりして、最近一気に「若者の人気スポット」に成り上がり、当時学生の街だった渋谷は、今や「小、中学生の街」になり果てている。世の変遷まことに激しからずや…です。
 
 それでも「遠くにありて偲ぶ故郷」というものがない私にとっては、どんなに変わり果てようとも、渋谷は古里。たまに遠出して「おゝ、自然はいいなぁ」と素朴な感激を胸に帰京しても、車から渋谷の灯が見えると何となくホッとした気分になるのだから不思議なものです。
 
 今は「恋文横町」も渋谷から消え去りました。終戦直後、米兵と恋をした女たちが、帰国してしまった恋人に出すラブレターを英訳するのを生業としていた人達の店が軒を連ねていたところからこの名前がついた、などという由来も知らぬ人の方が多くなっているのでしょうね。それでもあのあたりに行くと、何だかそういう女たちの必死でしたたかな生き様を彷彿とさせるような雰囲気を感じます。そしてそのとっつきにあったという「小林病院」は、そうした女たちの涙やため息も沢山吸い込んでいたのではないか、とそんなことも思います。

 そしてあのあたりに、学生時代一人でよく行った「ライオン」という名曲喫茶がまだ健在です。近いうちにふらっと行ってみましょうか。久々にあのスピーカーに向かって一列に並んでいる客席で、大音響のバッハでも聴きに。
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2005年12月06日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ワールドな人々・元祖

 この日記に「ワールドな人々」が「その3」まで登場致しましたが、今日は「元祖」ともいうべきお方にご登場頂きます。その名は、岸田秀。ミキシのコミュニティーでも取り上げられ、最近は何やら「履歴詐称疑惑」なども浮上しているらしい先生でずが、私にとっては変わらず「愛すべき男NO1」の座を保っています。

 思い起こせばン十年前、カウンセラーの勉強をしていた私は、始めてから5年目くらいにほとほと自分との格闘に疲れ果て、何もかも放り出して、和光大の岸田ゼミに参加したのでした。その頃ふと本屋で手にした「ものぐさ精神分析」の取り持つ縁でした。むさぼるように読みましたねぇ。そして先生に手紙を出した。思いがけなく返事が来て、「よかったら研究室に遊びにいらっしゃい」の言葉に誘われてのこのこ出かけて行きました。いやぁ、あの頃は私も若かったんですねぇ。
 
 研究室は狭くて雑然としていて、そこで老若男女入り乱れて飲んだり食べたり喋ったりしてました。不思議で奇妙な空間でしたね。翌週からゼミにも参加するようになり、発表までしちゃいましたっけ。ゼミには有名人から無名人まで老若男女が入れ替わり立ち替わり出入りしていました。私が行っているとき立川談志さんが飛び入りしたこともありました。先生の代わりに喋りまくって帰っちゃいましたけど。ゼミが終わってからは、ゼミ生にOBやよく知らない飛び入りも加わって一騒ぎした後、街に繰り出して朝まで飲むのが慣例になってました。合宿にも誘われて何回か行きました。先生は必ず女性陣の部屋で寝るの。だーれもいやな顔しなかった。この間古い写真を整理してたら、伊香保の温泉街で一つのアイスクリームを一緒に食べてる写真が出てきた。思わず「懐かしい!」と叫んでしまったかなりんでした。

 とにかく岸田秀のいるところはいつもすっごくアナーキーな雰囲気に満ちていて、一回でいやになって来なくなる人もいたけど、私は一年間通いました。特に何か勉強したとかではなく、先生とも学問的な話をしたわけでもなく、ただただ遊ばせてもらったというだけですが、不思議とそれで癒やされました。先生は、その切っ先鋭い文章や思想からはほど遠いかわいい男でした。若い女の子が大好きで、誰にでも「愛してるよ!」って言いまくってました。中には「気持ち悪い」っていう人もいたし、マユをひそめる人もいたけど、まあ、先生も含めて「娑婆のはみ出しもの」が集まって自助グループしてたみたいなものです。私が今カウンセラーをしていられるのは、あの一年があったからだと思っています。その頃知り合った若い人たちとは、今でも親交がありますが、先生にはずいぶんお会いしていません。それでもいつも「岸田秀に感謝!」という気持ちでいます。

 それでは ここで「私だけが知っている(?!)」岸田語録を幾つか。

「僕ね、今教授の肩書き剥奪されてるの。一つも論文書いてないことを××の奴(教授の名)がちくったのよ。僕があんまり女の子にもてるんで嫉妬したんだって、「正論」(雑誌の名)にも言ってやったんだ。」

(「正論」の編集長が先月号の記事のことで、血相変えてやってきた。その時の会話から。)
 編集長「先生、お母上の位牌を燃えるゴミに出したっておしゃってるけど、そりゃぁあんまりじゃないですか!」
 先生「そうかな。あれは燃えないゴミだっけ?」
(ちょうどその場に居合わせた私はプッと吹き出してしまいました。)

「W大の大学院の仲間がね、『君の論文を無断で盗んだ教授がいなくなったから、帰って来い』って言ってくれるんだけど、断ったのよ。だってねぇ、三くだり半突きつけられた女のとこに今更のこのこ帰れるかってんだ。」

「僕がね、テレビに出たのは一回だけ。西尾幹二と組んで『クイズダービー』に出て、篠沢教授にかけてみんなすっちゃった」

 それにしても見事に学問的なことは全然おしゃっていませんねぇ。それは全部著書のなかに閉じこめてるって感じでした。

そういえばこんなこともおしゃってました。
 「僕は原稿書くのにすっごく時間かかるの。一言書くのにうんうんうなりながら考え考え書く。だから(ワープロの)ブラインドタッチなんて必要ないの。一本指でぽつぽつ打つので十分。」
 
 先生は有名人だからいつも周りに人がいたけど、本当は孤独な人だと思います。「原稿」のみならず、「世間」や「権威」とも悪戦苦闘していたのでしょう。誰彼なく「愛してるよ」という言葉をばらまきながら、心底では「愛」の欺瞞性に絶望しているように見えました。そのくせみんなといるとなかなか「さよなら」が言えない人だった。そしてあの頃岸田研にいた様々な人達も、同じような「寂しさ」を抱えた人ばかりだったような気がします。

 古き懐かしきセピア色の思い出です。
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2005年12月04日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

男Nに捧げるレクイエム

 ここ数日、「会報が届いたよ」という電話やメールを頂きます。いやぁ、嬉しいですねぇ!苦労して作った甲斐があったというものです。本当は11月中に届けたかったのだけれど、気がつけばもう世は師走。風も冷たくなりました。今日なんかは陽もあまりささず、どんよりとした雨もよいの一日でしたね。
 
 そんななか、我がNPOの会員「男N」は、練馬の片隅の安アパートの、フローリングと言えば聞こえはいいが、1階で底冷えのする狭い部屋で、下痢して寝てる。。。と電話があった。
 
 今日から「男Nのニートからの旅立ち」が、めでたく連載開始となる予定だったのにねぇ。ホントに最悪なタイミング。
 
 最悪と言えば去年の今頃も最悪な体調だったのよね。
 一昨年の今頃は、引っ越し祝いに行った私が、余りの寒さにめまいを起こして倒れ、救急車で脳神経科に運ばれた。因縁の部屋なのよね。

 それでも先立つものが無くて引っ越せない、いえTA的に言えば「引っ越さないことをあなたが選んでいる」のよね…ってやっぱりアメリカは過酷だあ〜。

 しかし同じアメリカのヘミングウェイは言っている。「陽はまた昇る」!
いえ、正確には聖書がこうのたまっているのです。

「世は去り世は来る 地は永久(とこなしえ)に長存(たもつ)なり 陽は出で陽は入り またその出でし所に喘ぎゆくなり」

 クリスマスもちかいことゆえ、この格調高いお言葉を「男N」に捧げましょう。アーメン。

 喜べ!男Nよ、練馬の冷蔵庫アパートにもきっときっと陽はまた昇る…か?
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2005年12月03日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ワールドな人々・その3

 もうしばらくは「ワールドな人々」に出会うこともないだろうと思っていたのですが、何と今日3人目のその方にお会いしました。その名は信田さよ子先生、所はサントリーホールです。信田先生率いる「原宿カウンセリングセンター」の10周年記念のイベントに行って参りました。演目はハープの演奏と先生の講演。実は私、ナマ信田(失礼!)は初めて。ちょっとワクワクでした。
 雰囲気のある小ホールで、格調高いハープの演奏。「あゝ、私たちも10年後(正確には8年後)にこんな記念イベントができたらいいなぁ、でもそのときはハープじゃなくてやっぱりギターよね」などと勝手な妄想を膨らましつつ、隣の席のおじさんの微かないびきばかりが気になるなかで、演奏終了。いよいよ信田先生の講演が始まりました。題目は「アダルトチルドレンから共依存まで」という、まさに信田ワールド豪華オールキャスト。ワクワク度いやでもアップ。
 さて、お待ちかね、信田先生の登場です。まず声がいい。話し方もソフトで流れるようで、そのくせ時にベランメーになったり、お茶目っぽくなったりと、語り口のワザも巧みで、「いやぁ、頭のいい人は違うなぁ」と感心しきりのかなりんでした。最近沖縄でかの上野千鶴子大先生と対談なさったとのこと、さぞかし面白かったことでしょう。
 
 それではここで、印象に残った「信田語録」を幾つかご披露に及んじゃいます。

「センターを立ち上げたとき、戦闘相手として意識したのは精神科医。だって私たちは診断もできなければ、薬も出せない。何より保健がきかないから、医者の10倍くらいの料金を頂かなきゃならない。医者に出来ないことをやるしかないって思いましたね。」

「ちょうど10年前、『被害者』という言葉が大手を振ってマスコミに登場し出した頃、アダルトチルドレン(AC)という言葉が大流行しました。この言葉がシャーレの中の菌のように日本中に増殖したのは、そういう社会背景と無縁ではないと思います。」

「ACという言葉は、それまで日本で信じられてきた『家族』のイメージにひびを入れたのです。『家族』というものが、いかに不平等な力関係に満ちているかということを暴いた。いわばタブーに触れたんですね。だから当然バッシングも相当あった。学会なんかでエラーい先生に『人間には責任というものがあるだろ』と言われて、『はい、そうですねー』ってにこにこしながら答えて、何とか乗り切ってきたのね。」

「今まで家族内の暴力は『愛情』という名のもとに隠蔽されてきた。また、ある種の左翼系の人達にとっては、『家族』は国家権力の入り込めない唯一のサンクチュアリでもあった。DV法の成立に一番反対したのは彼らですよ。」

「家族の理不尽な言動を女性がじっと堪え忍ぶことで、家族の崩壊を防いできたというけど、本当に彼女たちは一人で耐えたのか?その恨み辛みを子どもに垂れ流すケースは多い。それが思春期に3倍返しされるのね。」

「日本では『共依存』と言う言葉は、最初余り流行らなかった。アメリカは『個人主義』『自立』という理念を基に国家をつくった珍しい国だから、『依存』というのはものすごく人を傷つける言葉なんですね。最近日本でもしきりに『自己責任』ということが言われ出して、そしたらここ数年でこの『共依存』という言葉がじわりと浸透してきたのよね。」

「親になるということは、十字架1本背負うことです。私は二人産んだから十字架2本ね。」

 最後の言葉は、会場の「親がなるべく悪い影響を子どもに与えないようにするにはどうしたらいいか」という質問に答えて(因みに質問者は若い男性でした)、「それはどうしようもないわね、不可避的なものだから。」と明快に言い切ったあとでの言葉です。「それでも何とか乗り越えて生きて欲しい、と願うしかないのよ」と続きました。ホント、その辺実感ですねぇ、同世代ですねぇ、女ですねぇ、と共感しまくる私でした。
 
 実は私も一つ、そんな先生に、今抱えているケースがらみで「逆DV」に関する質問をしました。先生のお答えは「DVとは、強者から弱者に向けたものを言うので、女性から男性への暴力にDVとレッテルを張るのは間違いだと思います。」という、これまた明快なものでした。私も「逆DV」という呼び方には違和感を持っていたので、百万の味方を得たような気分になりました。ワールド人に感謝!です。
posted by CSNメンバー at 21:38 | Comment(0) | TrackBack(0)
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