2006年01月27日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

地域活動初参加「しぶやフォーラム2006」

 去る1月21日(土)、雪が降りしきる悪天候のなか行われた「しぶやフォーラム2006」、NPOとしては渋谷地区の活動に初参加した記念すべきイベントでした。半年前、登録団体となった渋谷女性センターから届いた「フォーラム実行委員募集」の呼びかけに応え、他団体から立候補してきた委員さんたちとともに会議を重ねること幾たびか、当NPOの会員でもある実行委員長の小山雅子氏のもと、テーマを「広げよう地域力!!」と決め、あれやこれやの紆余曲折の末無事開催にこぎつけました。委員は総勢8名、各委員が受付、接待、会場などの役割を分担したのですが、当方に割り振られたのは進行係、即ち総合司会のお役目でした。

060121sibuyaforam1.gif060121sibuyaforam2.gif10時30分から始まった 午前の部は、「五感を響かせて」と題して、実行委員の1人でもあり、女優でもある小口ゆいさんが、その独特の語りで金子みすゞの詩を朗読、その後渋谷在住のフルート奏者波戸崎操さんによる演奏、そして最後にお二人のコラボレーションで幕を閉じました。
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午後からは、開会セレモニーが行われ、実行委員長の挨拶の後共催の渋谷区から区長区議会議長の挨拶などがあり、その後NHKアナウンサー堀尾正明氏の「今、地域力とは?」と題した基調講演、続いてのタウンミーティングでは、渋谷区で20年余に渡り精力的に障害者支援活動を続けているNPO法人ぱれっと理事長の谷口奈保子さんの実践報告、フロアとのディスカッション、そして閉会式では直前のフロアとのやりとりを基に「しぶやフォーラム2006,1.21提言」をその場でつくり田内三枝子副実行委員長が読み上げて終了となりました。その後の1時間ばかりは、会場に飲み物やつまみを用意しての「女と男のしゃべり場」で、にぎやかなお喋りのひとときを過ごしました。

060121sibuyaforam6.gif  司会者かなりんは最初から最後まで出ずっぱりで休憩もままならいなか、我ながらよく頑張ったと思います。但し失敗もありました。堀尾アナウンサーを紹介するとき、「『ご近所の底力』という番組でおなじみの…」と言いつつ、その番組を一回も見たことも聞いたこともない私はつい字面のまま「ゴキンジョノテイリョク」と読んでしまい、堀尾さんに「『ソコヂカラ』です」と訂正され、あげくに講演の最中に何度も「ゴキンジョノテイリョク、あ、違った」とネタにされ、おもわず「しつこい!」と叫んでしまいました。それで、終了後の質疑応答でNHKの問題について長〜い質問をしたおじさんへの返答につまってしまった堀尾アナに「そこはNHKのテイリョクで…」と一本やり返したというおまけつきエピソードでした。
また、開会セレモニーでは区長挨拶のときだけずらっと前の方に陣取っていた区議会議員の面々が、セレモニーが終了するや否やそそくさと席を立ち出て行ってしまったのにも驚きました。地域の人達がどんなことを考え実行しているのかを聞いていこうという姿勢は全く見られませんでした。「鼻白む」というのはまさにこういうときのことですね。

060121sibuyaforam7.gif 「さすが筋金入りの活動家」と感心したのは、やはり谷口氏の実践報告です。過去20年の苦難の道をさらりと振り返りながら、なおも精力的な活動を続け、しかも世代交代の重要性を訴え、自らも数年後には後身に後を託して引退すると宣言までしてしまう姿は見習うべきものが多く、感銘を受けました。
 地域活動に名を借りてボス的地位にしがみつく高齢者の事例も見聞きするなか、谷口氏の主張は誠に意味あるものでした。彼女とさして年齢の違わない私も肝に銘じようと思いましたね。彼女とはそれこそ「ご近所」ですので、これをご縁にネットワークを組み「テイリョク」を発揮したいと考えています。

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さてそんなこんなでめでたく終わりを告げた地域イベント初参加体験。「貢献した」とは言えないまでも、時間と労力を費やした甲斐はあったというのが総括的感想です。


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2006年01月20日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ニート論をめぐって

 ここ数日でニート、フリーターに関する本を立て続けに3冊読みました。一冊は小杉礼子編の「フリーターとニート」、それに今話題の三浦展著「下流社会」、そして最近出たばかりの、本田由紀・内藤朝雄・後藤和智共著「『ニート』って言うな!」です。

 「フリーターとニート」は以前読んだのですが、「『ニート』って言うな!」の中で何回も取り上げられているので、もう一度読み直しました。これは労働政策研究・研修機構の研究員である編者が、51人の無業及びフリーターの若者たちに取材をして、その事例を中心に若年層の就労問題を考察した内容となっています。知己とおぼしき事例もあり、興味深く読んだのですが、「『ニート』って言うな!」では、編者の小杉氏やニート論を積極的に展開している玄田有史氏をさして、「ニート」の誤った概念を社会に広める旗手であると批判しています。
 
 本田氏は「フリーターとニート」で小杉氏があげた「ニート」の4類型(@ヤンキー型、A引きこもり型、B立ちすくみ型、Cつまずき型)は、「高校教師や就職支援活動をしている人々からの紹介を通してアクセスした少数の調査対象に基づいて作成されて」おり、そのうえ半数以上が何らかの職についているフリーターであることから、「『ニート』の実像をどれほど総合的に捉えているかは疑問」であるとしています。因みに本田氏はいた小杉氏の後輩研究員であるとか。そのせいか大分抑えた書き方になっていますが、後藤氏はイギリスから「ニート」という言葉を輸入した張本人の二人が、その後の「ニートは社会の弊害」といった「誤ったニート論」を黙認あるいは追随するような論調へ変化していることをかなり厳しく糾弾しています。

 本田氏は「引きこもり」と「ニート」は別に論じられるべきであると言い、内藤氏は「日本のニートをめぐる論調」は、中高年層が自らの不全感を若者に覆い被せる「投影同一視」のなせる業だと、かなり激しい口調で論旨を展開しています。「若者自立塾」や「育て上げネット」を、「ニート」に対する世論を利用して巧妙に「だめな若者を教育する」という口実でネオ徴兵制を目論む体制側の陰謀に加担するものだと批判し、政府の「自立塾」プロジェクトの立案に「超右派の大物政治家が関わっていた」と暴露的に述べています。そして「若者自立塾」は、まるで軍隊の兵営のような生活をさせる団体をモデルにして運営されているとも言っています。まるで一昔前の「戸塚ヨットスクール」を彷彿とさせるような話ですが、このあたりの真偽は是非確かめてみたいと思いました。

 3氏に共通するのは「今のニートという概念は、体制側の就労問題に対する構造的な不備を隠すために意図された誤ったものである」という認識です。こういう論調に触れると、あの日あの時の「左翼的思想」が戻って来て個人的には居心地が悪いのです。特に内藤氏の「投影同一視」論とか「体制陰謀論」とかは刺激的ですね。でもよく読み込んでみると、3氏の論調には微妙に異なったずれがあります。本田氏が「高校や大学での教育をもっと職業に役立つものにするべきだ」と述べているのは、いかにも体制的だし、内藤氏がマルクスを引き合いに出して「教育は阿片だ」と叫んでいるのとは対照的です。片やまだ20代の後藤氏は、両者の温度差には言及せず、専らマスコミに取り上げられた「ニート論」の検証に精を出しているといった印象です。

 私はカウンセラーですので、どうしても個別の心理的状況に焦点を当てることが多いのですが、そこからあぶり出されてくる「普遍性」や、「時代状況」はやはり無視できないと感じています。また、年齢的には中高年層に入るので、「現代の豊かさが働かない若者を生み出している一因だ」というのも納得してしまうところがあります。「自活していれば引きこもりたくても引きこもれない」という一人暮らしの若者の声もあります。一方でサンプラザ時代にバブル崩壊後の社会状況のなかで、若者達が劣悪な労働環境に心身ともにすり減らされ、使い捨てられていく事例に憤りを覚たことも数多くありました。「ニート」は「引きこもり」とは違うのだから「困った若者ではない」という論調には違和感を覚えますが、「引きこもり」は特殊な精神障害だというのも違う気がします。

 「現状肯定派の若者達が下流社会をつくりつつある」という三浦氏の論旨は面白く読みましたが、果たしてそれも本当なのかという疑問はあります。私の会う若者達は多かれ少なかれ将来に対する「不安感」を抱いています。彼らが口で言うほど「今に満足している」とは思えません。現代の風潮である「自分探し」が「下流の若者達」の特徴としてあげられていますが、そこには必ず「不安」がセットのように張り付いているように思います。「ニート」にしても「引きこもり」にしてもその「不安」からの果てない逃走が引き起こす現象であり、それにいかに直面するかはやはり1人1人の問題なのだという気がします。
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2006年01月18日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

奢る平氏は・・・

 昨日来マスコミはライブドアに地検の捜査が入った事件でもちきりですが、堀江氏が「世の中に金で買えないものはない」とうそぶいているのを聞いてそのうちこんな日がくるんじゃないかと思ってました。先日のマンション偽証事件といい、まっとうさを欠いたやり方で手に入れた権勢は必ずや滅び行くという、太古の時代から歴史が繰り返し証明してきた「世の理(ことわり)」が、まさに現代でも生きていることを感じさせられます。

 それにしても「時代の寵児」ともてはやされていた堀江氏がこういうことになった裏には、もっと陰湿で根強い「嫉妬」の感情が潜んでいるような気もします。謀りごとではやはり百戦錬磨のおじさんたちの方がウワテでしょうし。「生意気な若造に一泡ふかせておとなしくさせておかないとやりにくい」おじさんたちも多いんじゃないでしょうか。

 それに、もてはやして木の上に登らせておいてパッとはしごをはずすのはマスコミの常套手段ですからね。マスコミが好んでそういうことをするのは、私たち大衆がそれを望んでいるからだとも言えます。「羨ましい」と「妬ましい」は紙一重。現代は「嫉妬の時代」だと我が敬愛する岸田秀先生も言っておられます。何事においても突出した才能を嫌うこの国の文化は、私たち一人一人の心に深く根づいているのかもしれません。こういう現代の気分もうまく利用されている感じがしますね。

 「金」と「権力」は私にまったくご縁がない代表選手のようなものです。まぁ、かといって「何がなくても愛があれば・・・」というほどナイーブでもない。こんなかなりんですが、知らず知らずに欲望や嫉妬の鎖につながれちゃうことだってきっとあります。そんなときに自分がどれほど「まっとうさを守れるか」が試されるのですね。

 以前木村周先生が私たちNPOの活動を「実にまっとうですね」と評してくださったことがあります。そのとき以来「まっとうさを守る」ということが私の「座右の銘」になりました。

 東京タワーを眼下に見下ろす高層ビルに住み、「いずれはきっと天下を取る」と誓ったという堀江氏は今後どうなっていくのでしょうか。現代で「天下をとる」とはどんなイメージなんでしょうか。札束を武器におじさんたちの陣地に果敢に切り込んでいった彼は、その「札束」に足をすくわれたように見えます。それでもなお彼は「札束」を武器に攻撃をしていくのでしょうか。

 確かにずば抜けた才能も金も羨ましい。でもどこか「まっとう」ではない臭いがする。そこにつけこまれたという感じでもある。こうしてみるとやはりこの世には大きな「理」という流れがうねっている気がしますね。

 「盛者必衰の理あり」と謳う古典に待つまでもなく、それを実感する出来事は多いですね。究極には、「まっとうさは札束より強し」ということを信じたいと思います。
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2006年01月13日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

育ち深まるボランティア

 私は三鷹市の社会福祉協議会が開いている「こころの相談室」のカウンセラーをしていますが、そのご縁で三鷹ボランティアセンターが実施している「高齢者電話訪問」の相談員の方々の講座を年2回お引き受けしています。この事業は、カウンセリングの研修を受けたボランティアの方々が、市内の高齢者を電話で訪問するというもので、健康面での安全確認とともに、孤独になりがちなお年寄りの精神的サポートという役割も兼ねています。私が講座を担当したのは3年ほど前からですが、ボランティアさんの顔ぶれは殆ど変わっていません。30代から70代まで幅広い年齢層の20名程の方々が、曜日ごとに数名ずつのチームを組んで熱心に取り組んでいらっしゃいます。

 今回(1月12日)は通算5回目の講座となりました。午前中2時間の短いものですが、殆ど全員の方が参加されるので、「うわっ、元気ですか?」「いやー、懐かしい」などと、まるで同窓会に呼ばれた元担任教師みたいな再会感激モードの挨拶になってきました。

 講座のテーマはいつもちょっといかめしく、今回も「高齢者の精神障害への対応について」というタイトルが掲げてありましたが、いつものようにできるだけ皆さんに具体的に困っていることを話して頂きながら、それについて私が感じたところをお話するという形をとりました。今回は担当されている対象者の方々がますます高齢化していくにつれ、認知症などの障害が出てきたり、今まで元気だった方が急に健康を害されてふさぎこんでしまわれたり、といったケースが多くなっていることが主な話題となりました。「早く死んでしまいたい」などと訴えられ、困惑してしまった事例なども出ました。そうした状況のなかで、ご自身も加齢に伴う不自由さを身をもって体験され、「今まで分かったように思ってたことも、本当には分かっていなかったんだと実感した」とおっしゃるボランティアさんもおられました。

 僅か3年余りなのですが、時というのは確実に人を「老い」に向けて導いていくものなのですね。そのストレスにつきあいつつ、迫りくる「死」の不安とも対峙しなければならない方々の気持ちをどう受け取っていくのか、今回は、はからずも「生と死」という誠に深淵な課題が浮き彫りになった講座でした。

 思えば3年前の初回の講座で皆さんが話されたのは、「いいお嫁さんなのに悪口ばっかり言う」とか、「近所に対する苦情を頑固に言い続ける」とかの「事柄」に対するものが殆どでした。その後の講座でも「厳しい環境のなかで落ち込んでいるお年寄りを何とかしてあげたい」という先走った熱心さが目立つようなところもありました。その都度「気持ちを受け取ることを大事にして」とか、「できることの限界に気づき、そのもどかしさを堪えることも大切」だとか、私なりに一生懸命お話してきました。僅かな回数を重ねただけなのに、今回一段と深まっている皆さんの様子に触れて、感慨もひとしおでした。

 「私たちも対象者の方々から多くのものを貰っている」とおっしゃった方もおられました。まだ若いボランティアさんも何人かいらっしゃいますが、人は誰もが確実に年をとり、否応なく社会の第一線から引き下がり、そして必ずや「死」を迎える存在です。しかしだからといって決して高齢者が価値のない存在ではないことを、このボランティアのなかで実感できることは、本当に素晴らしいことですね。ご自分の人生にとってもきっと大きな財産になることでしょう。

 このところこうした福祉事業に対する予算の削減が目立つようになっています。この「電話訪問」でも年1回開かれていた訪問対象者の方々との懇親会が中止になってしまったといいます。せっかくお互いに顔を見せ合える場だったのに、何とも残念に思いました。このうえは事業そのものが廃止されたりせず、長く存続されることを願ってやみません。
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2006年01月08日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ホテルの休日

 今年は4日から仕事だったのであっという間に過ぎてしまったお正月休み。ところが思いがけなく5日、6日とオフになり、急遽仕事仲間のみよみよと誘い合わせて、都内のホテルで豪華な一夜を過ごすことができました。みよみよとは三鷹市の社会福祉協議会でともに精神保健相談員をしている仲なのですが、担当の曜日が違い、お互い普段は忙しくあちこち駆けずり回っている身なので、なかなかゆっくり会うことができません。外の寒さを逃れてぬくぬくと豪華なお部屋でお喋り三昧。夕食はホテル内のレストランで久々のフランス料理に舌づつみ。誠に楽しいひとときでした。

060105hotel2.gif みよみよは、カウンセラーであるとともにアサーティブトレーナーとしても第一人者であり、エンパワーユーネットワークというグループを主宰しています。私もTAを主としたグループワークをしているので、そのあたりの話も弾み、夜の更けるのも忘れてこころゆくまで花を咲かせました。

060106hotel1.gif たまにはこういうのもいいもんですねぇ。ただ夜更かしのばちがあたったのか、ここ数日ちょっと風邪っぽくて調子いまいちです。このところの寒さも異様ですしね。年寄りには応えます。年寄りだけじゃなく、ちょっと心の弱っている人にもきついですね。せっかくのリフレッシュ効果を無駄にせぬよう、暖房完備のホテルのようにはいかずとも、暖かくして早寝しましょう!
それではお休みなさい。
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2006年01月03日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

彼と私の関係

 あっという間にお正月休みも終わってしまいました。明日から仕事のかなりんです。

 今年のお正月はお雑煮食べて箱根駅伝見ただけだったなぁと短い休日を振り返っていたら、昔私が塾をやっていた頃の教え子が年始の挨拶に来てくれました。律儀なのよね、彼、昔から。もうすっかり大人になってしまった彼ですが、私とは3才からのつき合いです。というのも今は昔(おとぎ話チックですが、それほど昔のことなのです)、私が某出版社系の塾で幼児教育のインストラクターをしていたという秘められた(別に秘めるほどのことじゃない?!)過去があるからなのです。
 
 3才の彼はいつも私の顔を見ると「勉強なんかヤダ〜」と床にひっくり返ってだだをこね、一緒にいるお母さんを困らせたものでした。今はやりの「お受験」はその頃からあって、特に公立の学校がいろいろ問題を表出させていた頃だったので、熱心な親御さんもおられましたが、彼のところはそんなこともなくのんびりとしたものだったので、私も無理強いせずのんびりとやっていました。
 
 それでも彼は小学校高学年くらいになると、急に成績が伸び始め、ちょうどそのころ自宅で私塾を開いていた私のところへ通い、私立中学を受験して見事トップの成績で合格、月謝無料の特待生となったのです。その後もずっと私の塾へ週2〜3回のペースで通い続け、体育の時間に骨折したときを除いては、一度も欠席したことがないという真面目な秀才でした。そして何と中高6年間を通して学年トップの座を守り続け、一流大学への入学も果たしました。町の片隅のちっぽけな私塾に通いながら、よくそこまで成し遂げたなぁ…と本当に感心しました。
 
 ところがそんな彼にも、まあ、そんな彼だからこそですが、自分が本当は何を感じ、何がしたいのかが皆目分からなくなって悩み苦しむ日がやってきたのです。それはちょうど彼が大学の卒業を来春に控えている年のことでした。久しぶりにサンプラザ相談センターに姿を見せた彼は、どうしても前へ進めなくなってしまった自分に苛立ち、大人しくて真面目なイメージとは全く違った彼の内面の思いをぶちまけました。それは怒りと不安がないまぜになったような彼自身どう扱ってよいのか分からないような強烈なものでした。私は彼と何回か面接を重ね、フォーカシング技法を使ったセッションを入れながらカウンセリングを続けました。でも大学だけは卒業したものの、就職活動の方はまるでだめで、狙った公務員試験も軒並み落ちてしまった彼は、就職を一年延ばし、自分でフォーカシングを学びながら、自分を見つめ直す一年を過ごしたのです。そして一年後、某公的機関に希望通りの就職を果たしました。彼はそれを機に実家を出て一人暮らしに踏切り、一番の重い課題だった「親との関係」をもう一度自身の内に構築し直したようです。
 
 もう今春で社会人生活5年目を迎えるという彼にこうして会って話していると、あの頃のことが嘘みたいに思えます。いまだにフォーカシングの合宿などに参加しながら、見違えるように深い内面的感覚に鋭敏になり、一方で社会的な生活も全うしている彼に接すると、誠に頼もしく感じられます。時折こうして訪ねてくれるのですが、つい時の経つのも忘れて話し込んでしまい、私のほうが教えられたり気づかされたりすることも多々あります。今日も随分長い時間話をしてしましました。

 思えば彼とは25年くらいのつき合いになりますね。私は過去の仕事のおかげで、そういう幼児の頃からの縁を紡いできた生徒さんが他にも何人かいます。こんな得難い関係に恵まれていることをとても幸せに感じます。短い休日の最後に豊かな時間をプレゼントしてくれた彼に感謝です。

 さあ、明日から仕事だーっ!!

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2006年01月01日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

紅白終わり年が明け・・・

 終わったね紅白。 予想通り白の勝ち。
しかし年々マンネリ化は否めない。今年はミスも多かったし。
これだから男Nにも嫌われちゃうのよね。
(かなりん企画の「寂しい独身者と紅白を見る会」は参加対象者が男N一人にもかかわらず、彼が「紅白は嫌いだから」と不参加を表明したので流れた。)
でも、こういう臭い番組を盛り上がって見るくらいの芸がないとダメよね、フン!

 以下ミーハーかなりんの断片的感想ですが…

その1:ばらばらな司会陣。みのもんたの一人浮き。もっと浮いてた山根アナ。こういうとこNHKぽい。

その2:何だか分かんない同じような歌手いっぱい。
落ち目の視聴率挽回策なんだろうけど、とても効いてるとは思えない。まるで未熟な心理療法家みたい。毎年いろんなことやってみるけど症状は重くなるだけね。(でもかなりんは見離しません!)

その3:還暦超えてますます美しい吉永小百合様。かなりんとためなんて思えない!

その4:さだまさしはいつもいい。

その5:石川さゆりの「天城越え」はもっといい。

その6:つまんない詞を書いた五木寛之。悲壮な表情も笑って見える五木ひろし。

その7:小林幸子の衣装企画はもう限界。

その8:和田アキ子も企画だおれ。「愛の賛歌」とか美川憲一じゃなくて、彼女が歌えばよかったのにぃ。

 と、こんなたわいもないこと言ってるうちに年は明け…

 皆様、明けましておめでとうございます!
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