2006年03月10日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ワールドに生きよう!

 このところ大学からの問い合わせが幾つか入り、昨日はそのうちの一つである東京家政学院大学にお邪魔しました。しかし大学というのはどこも遠いところにあるもんですねぇ。恵比寿から何回も電車を乗り換え、またバスに乗り、2時間余りをかけてやっと到着。
「は〜るばる来たぜだ〜いがくぅ〜」と歌いたい気分でした。

 この大学は町田市にあるのですが、東京にもこんなところがあったのかと驚くほどの広々とした自然に囲まれ、まるで旅行にでも来たような錯覚を覚えました。既に春休みに入っているせいか、校内には学生さんの姿もまばらでちょっと寂しい感じでしたが、あと一月もして新学期を迎えれば華やかな賑わいが戻って来るのでしょう。

 お訪ねした「就職課」では、学生の「職業意識を育てる」という課題に取り組んでおられるとのこと。創立者である大江スミ先生が掲げられたという「女性の自立」は、100年近く経った現代でもなお容易に実現しきれぬ命題ですね。それどころか「男性の自立」さえ危うくなっているような兆しもあります。
 
 「大学全入時代」を迎え、どこの大学も「社会人としての自覚と意識をどう養うか」には頭を絞っていらっしゃるようです。私たちNPOがお手伝いできることがあれば嬉しい限りです。ただ余りにも現実的な「就職」ということばかりに焦点を当てすぎると、せっかくの「大学で学ぶ意義」が狭いものになってしまうのではないかと気になります。

 本来大学は社会を牽引する知識人の養成の場であり、学問の研究の場でもあります。歴史的先達から学び、思索し、語り合い、これからの人生を生きる「自己」を作り上げるところなのです。「大学」を表す「ユニバーシティー」とは、まさに「宇宙的な広がりを持った空間」を思わせる言葉です。それは人生のうちで最も自由で広がりをもった時期であるとも言えましょう。

 先日の日経が「現代学生気質」について特集を組んでいましたが、それによると今の学生たちは一様に真面目で勉強熱心、休講には補講を要請し、出席もとって欲しいと申し入れるんだそうです。それもこれもちゃんと就職を果たすため、「企業好みの私になりたいの〜♪」ということらしいんですが、その一方でちょっとした失敗にも挫折しやすく、不登校の学生も増えているのだとか。良くも悪くも「小粒になってる」というのが実態らしいのですが、「バンカラ」なんて言葉はもう死語なんでしょうか。

 そんな今の学生さんたちには、だからこそしっかりと自分を見つめて欲しい、私たちの支援はただ「就職」することだけを目的としたものではなく、「この世界に自分がどう生きるのか」を考えるきっかけになるようなものでありたいと、夕方になって早春の冷気が立ちこめる中、なかなか来ないバスを待ちながらそう強く思いました。

 新緑の季節にまたここに来られることを願いつつ…。
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2006年03月08日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

鬼の霍乱?!

 春一番が吹いた。。。らしいが私は風邪を引き、頭は痛いし胃は渋い。
こんなときは1日寝ていたいのだが、税金の申告に行かなきゃならず、とにかく着替えだけして家を出た。朝から何も食べていないからちょっとふらふらする。
 
 税務署のトイレで鏡を見て思わず「ゲッ」と声が出ちゃった。
目は落ち窪み頬はこけ髪はぼさぼさ。青白い顔はまさしく病人。
でも税金にはこういう風情の方が似合うよね、と一人ニヤッとしたら、
後から入って来た人が気持ち悪げに見てた。
照れ隠しにその人に笑いかけたら目をそらされた。
確かに自分で自分に「鬼気」を感じる。
よし、申告はこれで行こう!

 待たされること1時間。
それでも意味不明に意気込んだ割りにはあっさり終わり、
税務署を出た途端にがぜん食欲がわいて来た。
公園通りのデニーズに駆け込み、鍋焼きうどんとさけいくらご飯のセット、それにイチゴのフレッシュジュースを注文し、がつがつと食べた。
この場面も人が見たら「鬼気迫」ってたかもしれない。
でも帰りがけに入ったトイレの鏡に映ってたのは、元通りの「鬼気」の抜けた顔だった。
私の「鬼気」はどうやら「食べ物」に左右されるらしい。
 
 それにしてもデニーズのイチゴフレッシュジュースはおいしかった!
3月一杯の期間限定品らしいから今月中にまた行って飲もうっと♪
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2006年03月04日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

若者たちのイベント

 今日はとても元気なお客様がありました。NPO法人gapyear japanの副理事長Tさん。まだ学生の彼女は、去年仲間とこのNPOを立ちあげ、「学生の課外活動支援」を精力的にくり広げているということです。実はこのNPOを紹介してくれたのは、先日取材に来てくれた「ぱれっと」さんでした。今度学生さんのNPOが代々木公園でイベントを開くからよかったら一緒に参加しませんか?」というお誘いのメールを頂きました。興味を引かれて資料を送って欲しいと主催者にメールをしたら、早速Tさんから電話が入りました。「是非お会いして直接お話ししたい」との熱心な申し入れに、私も是非会ってみたいという気になり快諾しました。

 Tさん自身が作成したというパンフや広報誌を広げながら、団体のコンセプトやイベントの企画に関して熱心に説く彼女は、とても魅力的でした。イベント当日に既に予定が入っていて、どうしようか決めかねていた私の迷いなど、どこかに吹き飛んでしまいました。「是非参加したい」という気持ちがどんどん湧いてきて、結局ブースを予約してしまいました。これから予定の調整をしなければなりませんが、その面倒さより「面白そう」という期待の方が勝ちました。

 「昇竜2006」と銘打ったそのイベントは、4月15日(土)、16日(日)の2日間に渡り、代々木公園を借り切って行われるという大がかりなものです。出店100ブース、3万人の入場を見込んでいるという壮大さとその実行力には、ただただ感心するばかりです。スタッフは全部学生、沢山のNPOや企業とネットワークを組み、行政をも巻き込んだ活動ぶりは見習うべきものがあります。最近「自分のことしか考えない」とか「小ぶりになった」とかいう若者評をよく目にしますが、「どこの話?」と言いたいような感じでした。

 というわけで、我がNPOはこのイベントに出店する予定です。どんな出し物にするかは、これから練るつもりですが、面白いものにしたいと思っているので、皆さん是非来てくださいね。また間近になったらこのHP上でお知らせします。

 若者から元気を貰って、さあ私も昇り龍になるぞ!
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2006年03月02日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

NPOの課題

 先日渋谷フォーラムで会った谷口さんの率いる「NPO法人ぱれっと」が取材に来てくれました。月刊の広報誌に「NPO紹介」の欄があって、そこに載せて下さるとのことです。いやぁ嬉しいですねぇ!

 いらしたのはぱれっとの運営する知的障害者のグループホームで働いているHさん。若くて元気な方でした。でもとても大変な仕事ですから、スタッフのストレスも大きいとのこと。スタッフ同士の人間関係もときに難しいこともあるようです。いろいろと工夫して今はうまく廻っているということでしたが、「カウンセリング」や「グループワーク」の導入も考えていらっしゃるということで、話がはずみました。

 グループホームの運営も楽ではなくて、今度「自立支援法」が施行されると、運営費が減額され、現在の支援体制が維持できなくなるとのことです。「自立支援法」というのは、「福祉の縮小」を目指す法律なんですね。確かに過度な保護を感じるところもありますが、公費が担わなければいけないところは、きちんと手厚くして欲しいと思いました。

 先日のTVで、「フリーターの自立支援」を事業として経営している男性を取り上げていました。この人は自身も元フリーターで路上生活も体験したことがあるといいます。地方から出てきているフリーターの中には、仕事がなくて家賃が払えず「ホームレス」になってしまう人も多いということでした。彼はそういう人たちのために宿舎も用意して、仕事を斡旋し、自立へと導く事業を展開しているとのことでした。

 彼は「事業化できる支援は民間が担えばいい」としながら、「本当のホームレスの支援は僕たちにはできない。そういうことは行政がしっかりやって欲しい」と注文をつけていました。それを聞きながら、これからの福祉には「めりはり」と「きめの細かい施策」が必要だと感じました。

 私たちNPOはボランティア団体だと思っている方たちも多いようですが、そんなことはありません。左下「良くあるご質問」の「NPOってどんな組織?」を読んで頂くとお分かりかと思いますが、NPO法人も立派な事業体です。但し一般の企業のように「利益を追求し、それを投資家に配分する」ということはしません。社会性がある分野でしか設立が認められていないので、「利益」という概念はNPOにはなじまないと言えます。しかしただ寄付金や助成金だけに依存した経営では存続そのものが危うくなってしまいます。

 私たちNPOも上記の男性のような事例から学ぶべきものがあるように思います。「福祉と事業」という一見「水と油」のような両者を、どの分野でどう実現していくかがこれからの課題になるでしょう。

 反面「行政との連携」もなおざりにはできない課題です。「ぱれっと」の月刊誌で取り上げられた我がNPOの紹介記事についたタイトルは「どうなってる渋谷!」でした。NPO同士がネットワークを広げ、声を大きくしていくことも大切な課題ですね。
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2006年02月28日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

私のお雛さま

 2月最後の今日は、前のブログでも紹介した埼玉県騎西町の女性相談の日でした。恵比寿から湘南新宿ラインではるばる大宮、桶川を超え、鴻巣という駅で降り、そこからバスで20分位のところに会場の「騎西町文化センター」があります。

060208khina.gif ところでこの最寄り駅である鴻巣は、免許センターがあり、駅前では書き換えの申請書類を作成する代書屋さんの呼び込みがうるさいほどなのですが、そんな騒がしいイメージとは裏腹に、雛の町としても有名らしく、1月ほど前から鴻巣駅には立派な7段飾りがでんとしつらえられています。言われてみれば、バスで騎西町に向かう途中にも大きな人形問屋が目立ちます。

060228iehina.jpg子どもの頃は私の家でも戦前から伝わる7段飾りの雛人形があり、毎年ひな祭りの前には祖母と母が1日がかりで飾りつけていたものでした。その雛も段々古びて、衣装がほころびたり、首がグラグラしてきたりで、いつしか処分され、狭い家にふさわしいケース入りの内裏雛が飾られるようになって、私にとってはこのお雛様の方がずっとつき合いが長くなりました。木目込みの簡素な雛ですが、何とも言えない素朴な愛らしさがあり、とても気に入っています。初めは赤い枠のケースに入っていたのですが、そのケースが長い年月を経るうちにがたがたになり、今の黒い枠のケースに変えました。それももう10年くらい前のことです。

 祖母は雛を飾りながら「こうして一年に一度出してやらないとおひな様が泣くんだよ」と幼い私に言い聞かせました。今でも忙しさに紛れて出すのを怠っていると、どこからか雛のすすり泣きが聞こえてくるような気がして、必ず2月中には出してやるようにしています。リビングにちんまり飾られたお雛様の前で、今年も好物の桜餅を食べることにしましょうか。 
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2006年02月26日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ものぐさかなりん分析

 このブログは、恐れ多くも「ブログランキング」と「日本ブログ村ランキング」と二つのサイトにエントリーしています。
 
 皆さんのおかげでじりじりと順位が上がっております。ありがとうございます。
 
 今まで各ブログに貼り付けていた二つのバナーを、右横の「CSN便りー過去ログ一覧」の欄に移しました。ブログを読んで「まあ、面白かったじゃん」と思ったときは、是非クリックしてください。
 
 「ホントはいちいち貼り付けるのがめんどくさいんだろ」という声が聞こえてくるようですが、そんなことは・・・あります。

 とはいえ、ブログそのものに手抜きは致しません!・・・と言いつつこんなお知らせまでブログでしてしまうかなりん。どうも岸田秀先生ゆずりの「ものぐさ」の汚名は返上できそうもない?!ゴメンナサイ。
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2006年02月24日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

重信房子被告の判決

 昨日の夕刊が、日本赤軍の元最高幹部重信房子被告に
懲役20年の一審判決が出たことを報じていました。
私と同世代の彼女は、判決後支援者にガッツポーズで
応えたと言います。法廷で書きとめたという和歌
「判決は おわりにあらずはじまりと まつろわぬ意志
ふつふつとわく」も披露されていました。

 私がとっている日経の見出しは、「武装闘争 妄想の果て」。
確かに今このときに聞けば「妄想」であるような「武力革命」は、
しかしながら50年代まで日本共産党が標榜し続けた命題でも
ありました。朝鮮戦争を背景にした苛烈なレッドパージと有名な
「血のメーデー」を経て、55年のあの「六全協」の大方向転換に
至るまで、地下に潜る学生たちは、高校生も含めて後を絶たなかった
と言います。党の突然の方向転換で非常なショックを受けた学生たちが
混乱し虚無的になるなかで、まとまりを欠いたまま幾つかのセクトが
尖鋭化を極めていくという事態が引き起こされていきました。
60年の安保を経て一層の虚無的雰囲気が拡大するなか、重信被告も
私も20才を迎えたのです。

 60年代の左翼学生にとって、重信被告は非常に魅力的でカリスマ的な
存在でした。彼女がパレスチナ解放戦線に身を投じ、武力闘争の中心を
担っていった頃、彼女の父親の「私は娘を誇りに思います」という発言を
新聞が報じていて、ひどく感銘を受けたことを覚えています。
その頃の私は、社会や世間に対する敵意と怒り、そして深い虚無感が
ないまぜになったようなわけのわからない感情をもてあましつつ、
あちこちのデモに出かけては一層空しさを募らせるといった日々を
送っていました。重信被告は私にとって遠い星のような存在であり、
また自らの内に渦巻く激しい感情を投影する対象でもありました。

 あれから40年の年月を経て、今こうして彼女の名を目にしたとき、
はからずも私の身内にあのときの暗い怒りのような混沌とした感情が
湧き起こるのを感じました。そして何十年もの長い間そうした感情が
じっと私の中にあり続けたのだということに改めて気づかされ、
そのことにひどく切ない愛おしい思いを抱いたのです。

 それはよく言う「青春への慕情」であるのかもしれません。
しかし、重信被告の「妄想の果て」に下された判決は、まさに私の
「青春」に下された判決のようでもあります。
胸の中で密かに彼女とガッツポーズを重ね、この苦い杯を飲み干したい
私です。 
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