2006年07月17日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

劇団CSNその3(写真入り)

 このブログに2回連続で「劇団CSN」が登場しましたので、「キャリアサポーター養成講座実習コース」がめざしていることも大体は伝えられたかなと思います。受講生の皆さんがとても楽しんでくれたようで、座長の私も大満足でした。

060715CSengeki1.gif  演劇の稽古は、まず「配役」を決めてそれから本読み、立ち稽古といくのが常道なのですが、今日は皆に声を出してもらうことと、演劇的世界を味わってもらうことが目的だったので、いきなり立ち稽古風にやってみました。この間のエチュードは自分で何もかもを考えなくてはならなかったのですが、今回は台本があるのでまた違った気分で取り組めたんじゃないかなと思います。

060715CSengeki4.gif  この講座が終わる頃には、皆が「演劇」にはまっているかもしれません。「公演もしちゃおうか」などと盛り上がっています。「そうなったらなったで面白いなぁ!」と座長としてはちょっとわくわくもしています。



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 まぁ、公演がうてるかどうかはともかく、ファシリテーションには欠かせない「物怖じしない度胸」や「躍動的エネルギー」を獲得するためには、「演劇的身体」をつくっていく訓練がとても効果的です。これからもこうしたワークを折々に取り入れていきたいと思っています。
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2006年07月12日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

もうすぐ夏がくる!

 とうとう事務所のエアコンがご臨終だ。この間まではつけてしばらくすると忘れた頃に動き出したりしていたのだが、ここ一週間くらいはウンともスンとも言わなくなった。いや、ときどき「ググググ〜」といううめき声みたいのは聞こえるんだけど、肝心のファンが回らない。去年改装したてのカウンセリングルームと研修室には新品をつけたんだけど、事務所のスペースには古いのがついてて、ちゃんと作動したので、とりあえずお掃除だけしてもらってそのまま使うことにした。やっぱりあのとき代えときゃよかったかな。。。

 と、悔やんでみても仕方ない。20年以上も前のやつだし、まぁ寿命といえば寿命だし。というわけで、今日は仕事帰りに渋谷のビッグカメラに寄ってみた。今どきはエアコンも進歩して自分で勝手にお掃除してくれる「お掃除エアコン」なるものが主流らしい。確かに去年業者にやってもらったら、真っ黒な汚水がしこたま出てきてびっくりした。結構お金もかかったし。そりゃほっといても掃除しちゃうなんて魅力的!メーカーもあの手この手で新しいのを買わせる算段、ぬかりないねぇ。

 それでもそういう機種は軒並みいいお値段なのね。取り付け費とか入れたらどれも20万は軽く越すのばかり。うーん、貧乏人はやっぱり自力で掃除するか…というわけで、リーゾナブルなやつの中から、それでもあれこれ迷ってやっと一台ご購入と相成った。

 こう見えてもわたしゃエアコンなんぞなしで暮らしてきた年月の方が長いくらいなんだから、今年は事務所のエアコンなしでやってみようかとも考えたが、去年の猛暑を思い出し、やっぱりそれは無謀というものと考え直した。こうやって人間どんどん軟弱になっていくのよね。あーあ。。。
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2006年07月10日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ジダンの「脚本」

 ついにW杯が終わった。
陰ながら応援したフランスは、思わぬハプニングで優勝を逃した。
あろうことかジダンの頭突き。
一発レッドカード退場のシーンにTVのこちら側の私もただ唖然。
「おゝ、ブルータスお前もか!」という何とも言えない気持ちになった。

 TA(交流分析)理論には、「脚本」というユニークな概念がある。
人は誰でも幼い頃に、その頃の体験と感情を基に自らの人生を決断する。
例えば「ボクはだめな子だ。ボクがやることはうまくいくはずがない」というように。
そのストーリーは成長するに従って強化される。
その信条は直感的で不合理なものであるにもかかわらず、
強い感情に支配されているのでなかなか修正されない。
大人になって合理的な判断や理性的行動ができるようになっても、
人はしばしばこの「脚本」に引き戻される。
特に強いストレスがかかったときなど、ふいに子ども時代に感じた激しい感情に襲われ、
破壊的な行動をとってしまうことがある。
「脚本」の基盤には例外なく「NOT OK」の自分がいる。

 今この「脚本」と悪戦苦闘しているのがOLA子さんである。
彼女の強い感情は多分「無力感」である。
「私はだめ。わたしには何もできない」という脚本を持っている。
似たような「脚本」は男Nにもあった。あえて「あった」と過去形にしたけれど、
ここまで来るには「脚本」との長い苦闘の軌跡があり、
そしてまだまだそこに引き戻される危険がゼロになったわけではない。

 A子さんはTAを学び、自分の「脚本」と意識的に取り組んでいこうとしている。
昨日の彼女のブログにもあるように、苦しみながらも少しずつ前進していると言えるだろう。
この先まだまだ「脚本」は彼女を引き戻そうとするだろうが、
ともかくも自分の「脚本」の存在と様相に気づいたことで脱却の可能性は大きく開かれたと思う。

 ジダンにはアルジェリアの移民としての恵まれぬ子ども時代があったという。
華やかなスター選手になってからも、激情的な面がときどき顔を覗かせてもいたらしい。
今回は「W杯の決勝戦」という大舞台でそれが出てしまった。
それも「引退を飾るこの上ない花道」を自らの力で勝ち取ったというのに…である。

 「何もかも水泡に帰す」というのは、「脚本」の結末としてはよく見られるものだ。
成功が大きければ大きいほど、もう少しで手に入れられるものが素晴らしければ
素晴らしいものであるほど、無意識のうちにそれを台無しにしてしまおうとする力もまた
大きく働いてしまう。
誠に「脚本」というのは手強く厄介なものなのだ。

 バーンは、「『脚本』は全て無意識のなかにあり、気づかなければ一生をそれと知らずに
支配されてしまう」と恐ろしいことを言っているが、確かに報道される様々な犯罪や事件から、
身のまわりに起きるちょっとした出来事まで、否応なく「脚本」の影響を感じることは多い。
ジダン選手は、引退してもまだまだこれから長い人生を送らねばならない。
自らの「脚本」への気づきと脱却を祈らずにはいられない。
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2006年07月07日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「嫌われかなりん」の映画鑑賞

 映画を観た。そして久々に感動した。
こんな風に感動したのは実に3年以上も前に観た
「めぐり合う時間たち」以来のことだ。
タイトルは「嫌われ松子の一生」。

 さほどの映画好きというわけでもないので、
余り映画館へ足を運ぶ方ではない。
レンタル屋にも数えるほどしか行かない。
せいぜいTVから録画して観るくらいだ。
そもそも「話題作」や「大作」と言われるものには興味がわかない。
何年か前の「タイタニック」などは、TVで観ていてさえ退屈で
途中でやめてしまったほど。

 今でこそそんな私だけど、学生時代は週に1本は観ていたなぁ。
休講になるとすぐ「読書新聞」握りしめて新宿のアートシアターに
駆けつけた。30円だかの割引券がついてたのよね。
折しも「ヌーベルバーグ」全盛のときで、トリュフォー、フェリーニ、
日本では大島渚や篠田正浩といった監督たちが活躍してた。
「勝手にしやがれ」「突然炎のごとく」「81/2」「心中天の網島」
「死刑囚」…。

 あの頃の私にはそういう映画が何かフィットしてたのよね。
「今観たらどうなんだろう」とは思うけど。

 時代は変わり人も変わり…。
年をとるごとに段々フィットする映画も少なくなって、最近は強く「観たい」と
思う映画にも出会わなかった。
それでも今までに観た中で好きだった映画は何本かはある。
「フライドグリーントマト」「テルマアンドルイーズ」「ギルバートグレイプ」…。
特に「めぐり合う…」では一生分の感動をしちゃったような感じだった。

 「嫌われ松子…」は久しぶりに「観たいな」と思った映画ではあったが、
何となく観そびれていて、「ま、いいか。そのうちビデオででも観よう」と
思いかけていたところだった。それがたまたまあるクライエントさんとの
セッションでこの映画の話が出て、彼女が「すごくよかった」としきりに
強調するのに押されて、その日の仕事帰りに渋谷の上映館まで足をのばした。
これが大正解!

 「めぐり合う…」もそうだったのだが、作り方がすごく面白い。
とっても「映画チック」なのだ。「めぐり合う…」にはシーンの切り換えの
軽やかさがあった。「嫌われ松子…」の方はチープでコミカルな華やかさが
映画の全体に流れている。それでいてどちらも底に沈む主題は重いのである。

 「松子」には、どこかフローベールの「ボヴァリー夫人」やハーディーの
「テス」を彷彿とさせるところがある。どちらもろくな男に出会わなかった
ために悲惨な人生を招く女の話だが、それはまた人間が抱えている
「究極の孤独」の物語でもある。幻想でしかない「愛」なるものを求めて
性懲りもなく裏切られ、それでも現実から必死に目そむけようとする愚かさは、
誰にでも覚えのあるところなんじゃないか。

 私にこの映画の話をしてくれたクライエントさんは、「松子はとても
私に似てるんです」と言っていた。同じことを私も感じる。
きっと「松子」は誰の中にもいるのだろう。
フローベールの「ボヴァリー夫人は私だ」という言葉は有名だが、
「嫌われ松子…」を観た多くの人たちも思うのではないだろうか。
「松子は私だ」と。
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2006年07月04日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ウェブセミナーで学ぶ

 かねてより向学心の強さを誇るかなりんですが、今日もまたセミナーに出席して参りました。私たちと同じNPO法人の「OurPlanet-TV」というところが開催した「魅力的なウエブサイトづくり」というやつです。このところ本業よりこの手のテーマのセミナーが多いのは、いよいよかなりんも「カウンセラー」から「経営者」へと進化しつつあるということでしょうか。

 狭いスペースにずらりとパソコンを並べて、20名近くの参加者が講師の話に聞き入っていました。いずれもNPOかNGOの事務局や広報担当者ばかり。専門的な知識を持ったスタッフがいるかなり大きいところから、当NPOのように「事務局スタッフがいなくて…」と嘆く弱小のところまで規模は様々。これからホームページをつくるというところもありました。

 改めて感じたのはどの団体もホームページの作成や更新には手を焼いているらしいということ。まして「魅力的」となるとその手間も大変で、そこまで手が回らないという訴えもありました。XOOPSを使っているのは当方だけみたいで、講師から「すごいですね」と言われてしまいましたが、制作してくれたのは会員のウェブデザイナーsato-chanpさんなので、こうしたシステムをCMS(Contents Manegement System)ということも今日初めて知りました。その他にもCRMとかCGMとか聞き慣れない用語が一杯。ちょっと物知りになった気分です。
 
 2時間の短いセミナーだったので、参加者同士がコミュニケーションをとる時間が余りなく、その点が残念でした。それでもこのセミナーを開催したNPOでは、非営利団体を対象にインターネット放送やイベントのビデオ制作などのメディア事業を展開しているようなので、これをご縁におつき合いできるかもしれません。セミナー終了後に何団体かの方とは名刺交換もしました。こうしてカウンセリング業界以外の方たちと知り合えるのもこの種のセミナーの特典です。

 それにしても私以外は全員ピチピチの若者ばかり。非営利団体を実際にきりもりしてるのは、こういう若い世代なんですね。ウチも早く世代交代をしなくっちゃ!
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2006年07月03日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

文化の国のサッカー

 昨日の未明に初めて4時からのW杯をライブで見た。今までライブで見たのは、日本戦も含めて日本時間の夜10時から始まるやつだけ。仕事があるのに全部ライブで見て、あげくの果てに夜中に急性胃腸炎で倒れて自分で救急車呼んで入院したなんてツワモノ(?!)もいたけど(知人の話)、そこまでの入れ込みはないのよね。

 だけどどうしても見たいカードが出てきた。「フランス×ブラジル」。前評判は余り良くなかったフランスがベスト8まで来て、私の好きなジダンが活躍しているらしい。それに男Nの話だと今回のブラジルはそれ程調子がいいわけじゃないというし、もしかしたらフランス勝つかも知れないじゃん。今期限りで引退するというジダン様も見納めになるやもしれず、「よし!」とここは一発気合いでライブ観戦を決めた。

 前日は早々に9時頃床に入り、目論み通り4時前には起きて、濃いコーヒーを入れ、TVの前に陣取った。最初はちょっと残っていた眠気もふっとぶ試合展開。ジダン様の華麗なるプレイも随所に見られ、いかにも成熟した文化の国らしい戦いぶり。我が憧れのフランスが「王国」を倒した瞬間には思わず「ブラボー!」と叫んでた。

 いやぁ、無理して起き出して観た甲斐大ありの一戦だった。ブラジルのロナウドが「知性にやられた」って言ったと報じられてたけど、確かにフランスのサッカーには「文化と知性の香り」があるのよね。それにジダンにはどこか愁いを帯びた陰影のある雰囲気が漂う。それってベッカムには全然ないものよね。

 さて、この後の準決勝、決勝はどうしよう。9時寝の4時起きはそう何回もできそうもない。「録画してなるべく結果を知る前に観る」という男N方式を導入するしかないか。いくら「愛しのジダン様」のためとはいえ、知人のように「救急車で入院」はごめんこうむりたいからね。

 これで最後か、あるいはまだしつこく続くか何とも言えぬW杯ネタではあるが、とりあえず今日は「地球の中心」ならぬ「極東の果て」から一声叫んでおくことにしよう。

「頑張れ!仏蘭西!!
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2006年06月29日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「カウンセラー」という仕事

 このところ当法人のカウンセリングルームをレンタルして、ご自分のカウンセリングに使うカウンセラーさんがぼちぼち出てきている。今日もTさんが申し込んでくれていて、1ケースを行っていった。

 Tさんはときどき来訪してくれるのだが、今日はちょっと疲れた顔をしていた。彼女は大学やクリニックで働いているのだが、大変なケースも多いらしい。加えて職場での人間関係もいろいろあり、なかなかヘビーな毎日みたいだ。
 
 Tさんならずとも、カウンセラーはヘビーで孤独な日々を送っている人が多い。ケースのことは他言できないし、職場でも立場の違う人たちの中で余り理解が得られなかったり、複数のカウンセラーがいる場合でも、その立ち位置や主義の違いによるカウンセラー同士の反目というのもあったりする。また掛け持ちしている職場ごとに事情も状況も違うから、素早い切り換えやかなりの順応性も要求される。忙しいうえにストレスフルなのよねぇ。

 それにカウンセラーというのは大体が非常勤で、安定した働き方ができないというのもオーバーワークになりがちな原因だ。かなりのベテランでも、同じ年数勤続の大学職員ほどの収入を得るためには、スケジュール帳を超人並みにびっしりと埋めねばならないだろう。

 そんな悪条件でもカウンセラーをめざす人は多いし、現役は自分の身体を酷使しながら忙しく飛び回っている。我がNPOの理事たちも例外ではない。Tさんもこの仕事に自身を賭けているようだ。大変な仕事ほどやりがいもあるということなのよね、きっと。現場で人と関わる仕事というのは、カウンセラーじゃなくても魅力的なんだと思う。福祉の分野で働いている人たちにも似たようなものを感じる。

 さて「私は…?」というと、今日もTさんから「元気そうですね」と心なしか羨ましげに言われたばかり。私だっていろいろ掛け持ちしてるし、NPOの運営には苦労も多いし、ケースだって結構ヘビーだし…、それでも元気なのは何でだろう??とつらつら考えるに、やはり私は人に恵まれているんでしょうね。それと基本的に好きなことしかやらないというのも大きい。そういう環境にも恵まれてると思う。でもたった一つ恵まれていないのは…「稼げない」ということ。どこかに経営手腕のあるカウンセラーいないかな。。。
posted by CSNメンバー at 19:52 | Comment(0) | TrackBack(0)