2006年09月23日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「自由」と「不自由」・その4

 数日前日経朝刊の最終面の片隅にすごい記事を見つけて目が釘付けになった。
その何週間か前からとびとびに連載されている「現代セルフポートレート百選」の
第6回目。選者と解説は笠原美智子氏。
このシリーズは小さな記事ながらどれもすごくインパクトのある写真ばかりで、
毎回「おお!」と感嘆していたのだが、これはその中でもとりわけすごい。

 「セルフポートレート」の主はロバート・メイプルソープという写真家。
笠原氏によると1980年代の写真界のスーパースターだそうである。
氏の文章を引用すれば「彼の偉大さは、一歩間違えばポルノグラフィーと
一蹴されるような性表現の分野に果敢に踏み込み、時代の倫理観に挑戦し、
物議を醸しながらも、それをアートとして確立させたことである。
特にゲイのセクシュアリティーをテーマにした作品は、抜き差しならない
当事者の目線を感じさせる。」とある。

 掲載されているのは、彼がエイズに犯されて死ぬ前年に撮影したという
ポートレートである。黒の背景に、黒のタートルネックを身につけた彼の顔と、
杖を握りしめた片手のみが白く浮かび上がっている。真正面から捉えたその顔は、
窪んだ目の挑むような眼差しとこけた頬、そして何かを噛みしめるように
キッと結ばれた唇が、何ものをも寄せつけぬ緊張を漲らせている。
握っている杖の先には骸骨が施され、それをまるで対峙する私の胸に
突きつけるかのようにグイと差し出している。

 これこそ「究極の自由」だと私は思う。
これほどのすざましさに耐えなければ「自由」は手に入らない。
「自由」をとことん追求すればそこには「死」の風景がある。
その手前で決然と踏みとどまって冷徹に「死」を見据えるようとする
その覚悟こそが「自由」なのだ。
この写真を前に胸苦しさを覚えつつ、私は絞り出すようにそう思い、
そして打ちのめされたような気分に襲われたのである。

 くしくもその日の夕刊のコラム「心の玉手箱」に前検事総長、松尾邦弘氏が
1974年から翌年にかけて起きた連続企業爆破事件の犯人についての思い出を
書いた記事があった。主犯は若い男女2人なのだが、その女性の方は、大学がある
東京から故郷の釧路に帰省するたびに近所の子ども達にお土産を買って帰るほど
思いやり深い性格だったということに触れ、その彼女が「一抱えもある大きな缶に
爆薬を詰めてビル爆破を準備している姿との落差が埋められない。」と氏は
書いている。

 しかしこんなことは結構あるのだと私は思う。
何かに捕らわれて不自由な人ほど「思いやり」という甘い幻想にも流されやすいのだ。
「死」の取り返しのつかなさをとことん見据えられねば、人は甘い菓子(あるいは歌詞)
を残して自分を、そして他人を死に追いやる。不自由さの極みである。

 「死」は甘美なものではない。
それをメープルソープの写真は私たちの前に命を賭けて暴いてみせているようだ。
そこには極限の「生」があり、そして「自由」がある。
 
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2006年09月20日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

またまたもうすぐキリ番!

 何だかんだ言ってる間にそろそろ4万キリ番が近づいてきちゃいましたねぇ。賞品は以前と変わらず「かなりんのタロット占いカウンセリングを30分無料で受ける権利」なんですが、先日久々にカウンセリングのなかでカードを使いました。詳しくは書けませんが、長い苦しい道のりを乗り越え、懸命に自らの人生を切り開いてきたクライアントさんに最近恋人ができたというので、その彼へのはなむけのつもりでカードを切りました。

 恋というのはどうしても不安や惑いがつきものですが、そのあたりのところをカードがシビアにぴたりと言い当てているのには、私の方もびっくりしました。これからどう進展していくのかの暗示もなかなか深いものがありました。このクライアントさんにタロットをするのは2回目で、1回目のテーマも「恋愛」でしたが、そのときはまだ具体的なお相手はいらっしゃらなかったので、今回とは違う占い方をしました。その時と同じカードが今回ポイントに出たのも不思議な感じでした。

 カードを切るたびにいつもその鋭い託宣にはどきっとさせられるのですが、今回も例外ではありませんでした。しかし鋭いからこそくみ取るものも多いのです。「占ってもらってよかった」とそのクライエントさんもおっしゃっていました。「カードの言葉を胸にたたんで、ゆっくりと確実に恋を育んでいきます。」という彼の言葉が心に残りました。

 めでたく4万キリ番をゲットした方、是非お知らせ下さい。そして私と一緒にカードの言葉を味わって下さい。お待ちしています!

 
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2006年09月18日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「自由でいること」・その2

 A子さんが昨日のブログで「かなりんはとても自由に見える」と書いて
いたので、改めて「本当に私は自由なんだろうか?」と自分に問いかけてみた。
そこで浮かんだ様々な思いをコメント代わりに今日のブログに書こうと思う。
ネタをくれたA子さん、ありがとう!

 A子さんぐらいの年齢の頃、私はとても不自由だったと思う。
中学高校とかなり偏った(と今は思う)左翼教育を受け、それは私の中で
その後もずっと思想的な縛りとなって尾を引いたし、過干渉な母への反発、
現実に得られなかった父性への憧れなど、生育環境からの影響も強かった。
TAの理論を借りて言えば、「存在するな」を始め強力な禁止令の数々と、
それを覆い隠すために強化された「完全であれ」のドライバーに無自覚に
縛られた日々を生きていた。膨れあがる自意識に押しつぶされそうになりながら、
私は自分のなかに湧き上がる得体のしれない欲求と悪戦苦闘していたのだった。

 「自由」を獲得するために私は自分の欲求に正直であろうとした。
他者に対する敵意をむき出しにし、返す刀で自分自身をも傷つけた。
次々に不毛な恋愛を繰り返しては引き裂かれ、激しい自己嫌悪と不全感に苦しんだ。
「自由」はどんどん私から遠ざかるようであった。
「自由」が獲得するものでも他者から阻まれているものでもないのだと知るのは
ずっと後のことである。

 私が自分の不自由さの様相を見据えることになったのは、カウンセリングを
学んだからである。そのプロセスがなければ多分私は今の私ではなかったろう。
但し今の私が本当に「自由」かということになると、胸を張って「イエス」と
答えられるわけではない。そして「自由」というものが100%輝かしく
素晴らしいとは限らないということも実感している。「不自由」であることの
良さもあり、「自由」であることの苦しさもある。それでもやはり私は今
「自由」であろうとしているし、「自由」であることを瞬間瞬間に選択している
のだと思う。

 桎梏に満ちたこの世であらゆる鎖を解き放てるなどということはないのだ、
と私は思っている。「自由」であるということは結局は自分自身との闘いなのだ。
カウンセリングは私にとって一瞬一瞬がその闘いに満ちた行為である。
実のところ正直勝ち目はないのである。真に「自由である」状態など幻想にすぎない
ということも分かってしまっているのだ。だから「勝ち目のない闘いになど
自分を賭けられない」という人はカウンセラーにはならない方がいい、と私は思う。
そんな不毛な闘いをしなくてもいい仕事はいくらでもあるのだから。

 「人に嘘をつくことなんて平気」という発言は、そうした私の思いの延長線上に
ある言葉だ。大体「嘘」と「真実」の区別などあるようでないと私は思っている。
あらゆる区別や価値観をとっぱらったところに私は立っていたい。
「善」と「悪」も「正」と「偽」もつきつめれば混沌としているではないか。
そのカオスをとことんまで辿ればそこはもう狂気の世界だ。
だから人はその恐怖から逃れようとしてカオスを排除し、「価値観」で武装する。
全てを「分かる世界」に還元しようとする。「分からない」というのは
「分けられない」ということでもある。その分けられない世界に正気のまま
自分を踏みとどまらせることができるかどうかが、言い換えれば「自由で
あれるかどうか」の境目であろう。

 私にも「価値観」もあれば「恐怖」もある。ともすれば武装したがる自分もいる。
しかしそうした自分も含めて丸ごとの自分を私は好きなのだ。
私にとって「自由であること」は目的ではない。常に私の中にある、卑小で
愚かでいやらしい自分を丸ごと抱きしめたときに感じる瞬間の儚い実感でしか
ないのである。だがその「儚い実感」こそが多分何よりも私の「生」を
支えているのである。
 
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2006年09月15日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

あの頃の若者達は今・・・?

 今日は急に朝日新聞社の生活文化局から取材が入りました。ここからはサンプラザ相談センターによく取材が来ていたのでそのルートかなと思ったら、たまたま今回お送りした「CSNニュース」を見て下さったとのことでした。

 記者さんの話では、「今景気が回復して失業率も久々に4%を割ろうとしているが、就職氷河期に新卒だった30代の若者たちは果たしてその恩恵を受けているのだろうか、という趣旨で記事を書きたい」のだとのことでした。「氷河期」と聞いて、相談センター閉鎖前の数年間が蘇りました。シビアな就職状況、過酷な労働条件、劣悪な職場環境などが蔓延していたあの頃。疲れ果てて精神のバランスを崩す若者たちが後を絶たず、私たちカウンセラーも日々苦闘を強いられていました。

 サンプラザには社会の底辺で毎日の生活と格闘している若者たちが大勢相談に来ていました。閉鎖になっても行き場がないクライアントさんも相当数いらして、「やむにやまれず」という気持ちに押されこのNPOを立ち上げたのですが、どうしても有料の相談になってしまうせいで、本当に底辺のクライアントさん達を結果的に切り捨てることになってしまったのは否めません。

 苦しい経済状態のなかから相談料を捻出して、引き続きNPOのカウンセリングに通っているという方もいらっしゃいますが、切れてしまった方も多く、あの人たちは今頃どうしているのだろうと考えることもしばしばあります。個人的に抱える状況は様々で、息の長いケアが必要なケースも沢山ありました。確かに行政に頼った無料カウンセリングが「甘え」を生んだり、カウンセリングの質の向上を阻むという側面はあります。しかしまだまだそうした場は必要とされているのではないかという実感は日増しに強くなっていたところでした。

 人間は社会にその能力を還元するためにのみ生きているわけではないと私は思うし、全ての人が今の社会が求める能力を持ち合わせているわけでもありません。様々な事情で積極果敢な気概や困難への耐性を育てきれなかった人もいるし、いやでも自己否定感を強めざるを得ないような状況に置かれている人もいます。「失業率の改善」だけで救われる人が果たしてどれだけいるのでしょうか。「就職氷河期」に出会った多くの失意の若者たちが、今の「景気好転」の恩恵を受けて立ち直っているとはとても思えません。

 記者さんには私の実感をそのままお話ししました。記者さんも取材してみて、「巷で言われている状況とはかけ離れた実態があることを知った」と話されていました。恩恵を受けているのはおそらく極く一部の「できる人たち」なのでしょう。そういう人たちは「氷河期」であっても何とか持ちこたえる力を持っていたと言えます。早々に社会の体制からはじき飛ばされてしまった人たちは、多分統計の数字にさえ反映されないのかもしれません。

 「それならどうしたらいいとお考えですか?」と記者さんは問います。勿論万能な処方箋などあるわけもないのですが、「今こそサンプラザ相談センターのようなところが必要だと思います。」ということは強く訴えました。記事になるかどうかはわかりませんが、正直な実感です。そして願わくば「小規模でもいいからああいう場をつくりたい」というのが、近頃の私の夢でもあります。
 
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2006年09月11日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「子猫殺し」の反響

 先月の18日付け日経夕刊「プロムナード」欄に掲載された坂東眞砂子氏のエッセイ「子猫殺し」が今論議を呼んでいるらしい。タヒチ島に住む彼女は、いろいろと考え悩んだ末「獣の雌にとっての本質的な生を人間の都合で奪い取る」避妊手術を選ばずに、生まれたばかりの子猫を家の隣の崖下に放り投げて殺す、というのである。このエッセイはこんな風に始まっている。

 「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。そんなことは承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。」

 氏は、この問題に関しては「子種を殺すか、出来た子を殺すかの差」であり、「避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ」と言う。「愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ」から、その神でもない人が「他の生き物の『生』に対してちょっかいを出すのは間違っている」のだと述べ、「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選ぶしかない。」と続けている。そして「私は自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろんそれに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。」と結んでいる。

 私も犬を2匹飼っていて、どちらも雄なのだが、彼らに『生』の歓びを与えることはできずにいる。あまりしつけが行き届いていないせいもあり、彼らにとって「都会」というとても最適とは言い難い環境であることもあり、二匹ともストレスをたぎらせているのがわかる。特に若いトイプードル「フータ」の方は、もう一匹の老犬であるミニチュアダックス「サンタ」にあり余ったエネルギーをぶつけ、遂に「性的行為」にまで及ぶようになった。そこで夫と相談して去勢手術を受けさせることにし、それからは幾分ではあるが治まったようである。

 そんな経緯もあったので、氏のエッセイには非常に考えさせられた。ちゃんと切り抜いてスクラップもしてある。我が家の場合もフータの「去勢手術」は全く人間の都合によるものであり、サンタにしても若いときに謳歌したかったであろう「『生』の歓び」は一度も味わわずじまいである。以前犬たちを連れて遊びに行った軽井沢などの避暑地では、犬連れで旅行に来てそのまま捨てていってしまう輩も多いと聞いた。そんな無責任なことはしないまでも、たまたま我が家にやって来た二匹が幸せであるかどうかは甚だ疑問である。

 氏のエッセイには案の定賛否両論の多くの意見が寄せられたらしい。日経でも後日誌面を大きく割いて識者の見解を載せている。「そもそも飼うべきではない」、「現代文明の偽善性を指摘したかったのだろうが、伝える技術に工夫が足りない」、「理解はできるが、納得はできない」など識者の反応も様々だ。その中で長谷川眞理子氏が「(私たちは)現代日本の快適な生活が、実は無数の動物の死に支えられていることに、もっと意識的であるべきだ」と述べていたのが印象に残っている。

 「子猫を殺すなんて、なんて残酷!」と糾弾することは容易い。事実そういう反応が大半だったらしい。しかしそうした人たちも鳥や獣の肉を喰らい、戦争となれば人をも殺す。現代では動物の屠殺現場を見る機会など滅多にないから、人は皆、スーパーに並んでいるきれいなパック入りの肉の背後に、牛や豚を殺している人の存在などを露程にも感じずに済むのである。「食肉とペットの犬猫は違う」と言う向きもあるかも知れないが、やはりそれも動物の側から見れば人間の都合であり勝手な論理であろう。

 私たち人間は骨の髄まで利己的で自分勝手な生き物である。「文明」という巨大なシステムをつくり上げ、その陰で多くの動物たちを意のままに扱ってそれを当然のこととしてきた。そのようにして生き延びてこざるを得なかった人間の歴史というものがあるのならば、せめてそうした自分たちの「偽善的利己心」には意識的でありたい。「子猫殺し」のエッセイは、平和ぼけして何事にも不感症になった人間たちへの痛烈な問題提起であるように思える。
 
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2006年09月09日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

サイコドラマ実習

 今日は、キャリアサポーター養成講座・実習コースの第3回目の授業を渋谷の女性会館アイリスで行いました。実習のテーマは「サイコドラマ」。オプションの授業も含め、何回か演劇の実習をやってきたので、ドラマの面白さには目覚めかけている受講生たち。今日も初めての体験にとまどいながらも、果敢に挑戦してくれました。

060909dorama01.gif  まずはサイコドラマについての理論を一通り学んだ後、ウオーミングアップのボディーワークをいくつか、メンバーが交代でリードしながら行いました。それから雑談やテーマを決めてのトークを楽しみ、充分リラックスしてからいよいよドラマに入りました。

060909dorama03.gif  講師がモデリングをする前に、「やってみたい」という積極的な受講生が手を挙げて場面設定や配役を決めながら、試行錯誤で取り組みました。「観客」のメンバーも助言や感想を言い合い、それをもとにまたドラマを進行していきました。

060909dorama02.gif  今日は受講生のうち2人が取り組みましたが、どちらもなかなかいい出来栄えで、終盤には随分サイコドラマの神髄に迫ることが出来ていたと思います。

 さすがに皆かなり疲れた様子でしたが、その分充実感伴ういいワークとなりました。次回はそれぞれが大まかなシナリオを書いてくるということになり、またあらたな体験ができることと今から楽しみです。

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2006年09月05日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

情報発信プロジェクト始動!

 会報の発送も全て終了し「やれやれ」というところであるが、今回は向学心に燃えたかなりんがいろいろなウエブ関連のセミナーに行って仕入れてきた知識を試してみようという、これまたチャレンジ意欲旺盛なかなりんならではのプロジェクトが発足。そのせいでまたもやnekoちゃんは終電ぎりぎりまで仕事するはめになった。何ともはた迷惑なプロジェクトである。意欲とかチャレンジ精神って当人はいいけど巻き込まれた人は苦労するのよね。ちょっと反省。。。

 それでもnekoちゃんの頑張りのお陰で色々なNPO関連のサイトに情報発信をすることができた。これが効を奏するかどうかはまだ未知数ではあるけれど。まぁ、こういうことも地道にこつこつやってこそのものなんだろう。因みに今回情報を発信したのは次のサイト。それぞれ特徴があって、割合簡単に登録できるものから、定款まで引っ張り出さないと登録出来ないようなところもあり、なかなか大変だった。皆さんもちょっと覗いてみてね。

NPO Walkaer…ここは不特定多数の登録者にメルマガを配信してくれる。頼りになりそうなサイトだ。セミナーでも「お勧め」って言ってた。
NPO情報ネットワーク…ここは登録してすぐに情報が掲載された。対応が早い。
NPOセンター「NPROT」…登録に「設立目的」「事業内容」「活動実績」などを記入するところがあって登録フォームを埋めるのが大変だった。その分しっかりしたサイトなんだろう。
Vivaボランティアネット…登録は比較的簡単。使い勝手もグー。効果のほどはどうかな。
ボランティアWEB…ここは内閣府のサイトで当NPOは既に登録済み。リンクページからリンクも張ってある。登録は郵送でのやりとりでちょっと面倒だったのを覚えている。情報発信から反映までにタイムラグがかなりあることと、ホームページへのリンクがないのが不便ね。

 それにしても今年ももう3分の2を過ぎようとしている。まだまだ遠い先のことだと思っていた「合宿エンカウンターグループ」も、もう目の前だ。今回の情報発信で私たちの活動を知ってくれて、参加してくれる人が一人でも増えることを願いつつ、当面地道に発信先を開拓していこう!とまた意欲に燃えそうなかなりん。今度からはタイムマネジメントも地道にしなきゃね。
 
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