2014年11月05日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

軒下ショップ「恵小箱(えこばこ)」オープン!

 10月初めに放送大学大学院の一次試験が終わって
しばらくは何だかちょっと気が抜けたみたいに
ボーッとしていたんだけど、半ば過ぎから玄関脇に
改築したミニショップ運営の仕事が動き出し、
いつまでもそんな調子で浮遊しているわけにも
いかなくなった。

 思えばショップの工事に着手したのが夏の盛り。
折しも同時期にお向かいの空き店舗も工事に入り、
夏が終わるころにはまた一つ、しゃれたカフェが
誕生した。マカロンとキッシュがおいしい、夜は
お酒ものめるお店。少しずつお客さんも増えている。

 我がCSNのミニショップも、せっかく才ある匠に
工事してもらって、とってもすてきな雰囲気に
仕上がったのに、そのまま放置しているなんて
もったいない…とは思いつつもなかなか気持ちが
追いつかなかった。ショップの運営もいざ具体的に
回そうとすると、いろいろな問題が出てきてそんなに
簡単にはいかないのである。

 それでも会員さんに手伝ってもらいながら、
走り始めた事態に何とか気持ちも追いついた。
多分に見切り発車的なところもあるけれど、
まあ、何とかなるだろう。

 というわけで、軒下ショップ「恵小箱(えこばこ)」
11月15日開店(13,14日プレオープン)です。
フェイスブックにイベントが立ち上がっています。
チラシはこちらからご覧ください。 

 みんな遊びに来てね
  

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2014年10月28日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

丸か四角か三角か?

 先週の日曜日に高校のクラス会があった。
といっても出席したわけではない。どうも
そういうのは苦手なので出たことがない。

 私は学生時代から住所が変わらないので、
お知らせだけは律儀に来る。それで一応欠席の
旨の返事をする。そうすると皆の近況などを
まとめた印刷物がこれまた律儀に送られてくる。
今回も数日前に分厚い封筒が届いた。

 旧姓が書いてあっても半分以上の名前に
顔が思い出せない。特に仲が良い友達がいたと
いうわけでもなく、グループで群れるのも
嫌いでいつも一匹オオカミだった。言いたい
ことを言い、担任にも噛みつき、傍若無人な
17歳。とんがってた。

 卒業後にたまたまクラスメートに会ったとき
「あなたは本当に自由に見えて羨ましかった」
と言われたことがある。しかし本人は傍で見るほど
自由じゃなかった。高3のときに学園紛争があり、
裏切りへの怒りと不信に渦巻く胸中を抱えて
本人的には満身創痍の高校生活。

 さてあれから半世紀以上もたった今、
送られてきた印刷物をつらつらと眺めるに、
逝去した人もちらほらと。近況報告では
アルツハイマーの夫や90歳を超えた親を介護
しているという人もいて、改めて過ぎ去った
年月を感じさせられる。もし私が今クラス会に
出席したら、その丸くなりように皆が驚くかも
しれない。でもそれは単に歳を重ねて適応性が
高くなったというだけのことだ。

 今でも何かにつけ心の奥に尖がった刃先が
閃くのを密かに感じるときがある。この歳に
なっても身内のどこかに17歳の自分を潜めて
いるのだ。

 「丸くなったように見えるだけで、中身は
どうだか分からない」。
先ごろ我がCSNのスーパーバイザー高瀬義幸が
いみじくもこう言った。さすが見抜いてる。
何かの拍子にナイフを振りかざさないとも
限らないから、これからも一生クラス会には
出席しないでおこう。



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2014年10月20日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

すべてはここから始まった

 この間会った友人に「かなりんは余り過去のことを
話さないね」と言われて、「はて、そうかな、随分
話している感じがするけど」と思ったが、それは
エンカウンター・グループとかロール・プレイとか
カウンセラーのトレーニングのなかでやってきたことで、
確かに日常のなかでは話さないかもしれない。

 日常のなかで話すトピックスは、結構大きな出来事
だけど、それほど心理的に深刻ではないものに限られる。
定番は、「かなりん誕生秘話」、「給食ぶちまけ事件」、
「女子校の上級生にキスを実地伝授された話」、「ネコの
カレーを食べた話」、「デモで捕まりそうになって
裸足で逃げた話」のうちのどれかである。これに
「逃げた男を追っかけていった話」とか、「昔の同僚が
その後殺人犯になった話」とかが加わることもある。
私の周りにいる人はこのうちのどれかはきっと聞いて
いる筈である。昨日は訪ねてきてくれたネコ好きの若い
女性に、勢いで「ネコのカレー」の話をしてしまった。
悪趣味よねえ。ちょっと反省。

 でもこうして並べてみると結構バリエーション
豊かじゃん!そこで今日はこのなかから1つ目の
「かなりん誕生秘話」を取り上げてみようかな。
実は、この逸話、ムカ〜シこのブログにも書いた
ことがある。だけど10年近くも前のことなので
誰も覚えちゃいないだろうから、引用して労力を
節約しちゃおう。

〈聞くところによれば、私が生まれたのは、
渋谷道玄坂上の「恋文横丁」の奥にあった「小林病院」
という個人病院だそうです。今はもう跡形もありませんが。
私は逆子で、当時はどこの病院でも「産むのは無理」
と言われたのを、母があちこち訪ね歩いて辿り着いた
とのこと。母から事情を聞いた小林先生は「産めない
なんて言ったのはどこのどいつだ!」と烈火のごとく
怒り、「必ずここで産ませてやる」と宣言したそうです。
というわけで、私の命には、今は亡き(多分)小林先生の
並々ならぬ熱情が注ぎ込まれているわけですね。
このエピソードは何回も母から聞かされて、いやがおうにも
自分の奥深くに刻み込まれているような気がします。

 今は「恋文横丁」も渋谷から消え去りました。
終戦直後、米兵と恋をした女たちが、帰国してしまった
恋人に出すラブレターを英訳するのを生業としていた
人達の店が軒を連ねていたところからこの名前がついた、
などという由来も知らぬ人の方が多くなっているので
しょうね。それでもあのあたりに行くと、何だかそういう
女たちの必死でしたたかな生き様を彷彿とさせるような
雰囲気を感じます。そしてそのとっつきにあったという
「小林病院」は、そうした女たちの涙やため息も沢山
吸い込んでいたのではないか、とそんなことも思います。〉


 いや、我ながら何と優しいしんみりした語り口!
ここを出発点として、「給食」「キス」あたりまでは
幾分余韻がありつつも、「ネコのカレー」「デモ」と
くるうち次第に情緒もくそもなくなって、「逃げた男」
や「殺人犯」の話は苦味が先走るいかにも私らしい
トピックスである。機会があればまたいつかお話し
しましょう。



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2014年10月14日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

懐かしき言葉たち

 「さようなら、文夫さん。
またいつお会いできるかと思うと、悲しみが私を打ちひしぎます。
けれども、心の願いに従がう他、私にどんな道がありましょう。
文夫さん。この手紙を、私の別れを、私を判ってください。
今こそよく判ります。あなたは私の青春でした。
どんなに苦しくとざされた日々であっても、あなたが私の青春でした。
私が今あなたを離れて行くのは、他の何のためでもない、
ただあなたと会うためなのです。そうでないとしたら、
なぜこの手紙を書く必要があったでしょう…」

 
 おゝ、最終回はこれで来たか。
看護師光が不倫相手だった医師の新城に言う別れの言葉。
「先生がくれた本だから一生懸命読んで、覚えちゃったの」
何と60年世代のツボを突くねえ…
読みながら滂沱の涙を流したハタチの頃につい引き戻されてしまう。
「されど我らが日々」の生んだ凛々しきヒロイン、節子の手紙である。
こうして現代の若者たちにも受け継がれていくとしたら
ホント「いいね!」。

 あ、このフレイズ、知ってる!
60年代を生きた中高年には毎回そんな場面があった。
「私はあなたを好きです。大好きです。あなたと勝利と
3人で暮らしていけたらもう何もいらない。
でも、今私は全共闘40万人を率いる神林美智子です。
引くわけにはいかないのです!」

懐かしつかこうへいの「飛龍伝」。
20年前の銀座セゾン劇場。あの名舞台が目に浮かぶ。

 「君の行く道は、果てしなく遠い…」
何よりも聞いたことのあるこのフレイズが
毎回オープニングに鳴ったドラマ「若者たち」。
偶然耳にして見始めたのだが、段々にはまっていった。
余り視聴率は伸びずに終わったようだけど、おばさんは
思いがけずに楽しませてもらいました。
若者たち、ありがとう!


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2014年10月07日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

戦い済んで雨あがる

 この間の日曜日、無事というか、まあとにかくというか、
放大大学院の入試が終わり、ちょっと気が抜けたビール
みたいになった。全部記述式の問題だったので、2時間
夢中で書きまくったけど、今振り返ると不完全際まりない
穴だらけの記述の感じ。後は運を天に任せるしかない…

 と、余り意気の上がらないところへ、まことにタイミング
よろしくライブのお誘い。誘い主はCSNの初代HP担当部長、
平井光一氏。聞けばあの円道一成さんの還暦ライブを
地元恵比寿にて開催とのこと。台風一過で雨も上がり、
これは行かざあなるまいと、仕事を早めに切り上げて
出かけて行った。

 いつものことながら、いや、いつも以上に盛り上がる
ステージ。とても還暦とは思えぬ若々しい一成さん。
赤い革ジャンが良く似合う。そして久しぶりに聞いた
名人平井光一のギター。騒いで踊って試験のことなど
全て忘れた2時間半。いや最高でした


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2014年09月30日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

大場語録のご利益


 実はここ数日以前勉強した院の教科書を
再読中である。確実に迫りくる入試に備えて
などという程の目算はないのだが、本番の
アウトプットに備え、少しはインプットに
なるんじゃないかという甘い期待も幾何か。
今回も例年のように物凄い倍率らしいので、
本読んだくらいで何とかなるわけない気も
するけど、まあ、何もしないよりはまし。

 読んでいるのは「臨床心理学面接特論」。
この本、単位取得のための勉強のときも
なかなか面白く読んだのだけれど、今また
読み返してみると新たにどきりとするような
先生の言葉に出会う。
以前サッカーの監督だったオシムさんの名言を
集めた「オシム語録」というのがあったけど、
(あ、そういえば男Nのブログにもあったねえ…
懐かしい!)
今日はその向こうを張って「大場語録」と
いってみようか。

 
人間の影の世界に自分の生の心を晒しながら接していくのが心理療法である。

 
 いやあ、のっけからしびれます。

 
生涯にわたっての非常に個人的で深い関与を通してはじめてその人なりの心理療法が創出され、そのように常に創造のプロセスにある心理療法を通してこそ、個々のクライアントとの困難な仕事は何とかやり遂げられる─このような営みの中から生まれるものこそが「臨床の知」と表現することができよう。


 そしてまた…

 
心理療法の器としての「非日常の空間」とは、聖なる次元にも、そして逆の意味で常識的世間の価値基準を超えたいわゆる異端の世界、病や死の世界にも開かれた両方の意味での非日常の空間」なのである。聖と性、神と悪魔はいわば兄弟、メダルの表裏という逆説が「非日常」という言葉のなかに生きている。

 
 さらに「共感」について。

 
クライアントによって語られる世界に耳を傾けるというエネルギーを要する困難な作業にあたって、クライアントとともにあるいはクライアントにかわって「影の領域、暗い側面、魑魅魍魎の世界」に接した時のセラピスト自身の「心の動き、感覚、気持ち、感情、身体感覚」に耳を澄ます。セラピストあるいはセラピストの心という「器」はどのような感情的心理的経験をすることになるのか、それをじっくりと見つめていくことが「共感」である…即ち、クライアントの苦しさをセラピスト自身が抱えたときに感じられる気持ち、感覚に耳を傾ける営みである。セラピストはクライアントの語る言葉に耳を傾けつつ、自らの心身の奏でるさまざまな音色にも耳を澄ますのである。


 おゝ、何というポエトリーな言い回し!

 …と、こんな風にして私の「試験勉強」は
まことに亀の歩みである。
我ながらほんと、非効率的。
でもこんな言葉に触れていると、試験なんか
駄目でもいいような気がしてくるから不思議。
いやいや、今からそんなこと言ってちゃ駄目。
大場語録が役に立ちますように。


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2014年09月23日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ワクワクするから面白い

 今日はお彼岸の中日で世の中休日モード。
そこで私も世の中に合わせて仕事も勉強もオフ。
お昼過ぎに歩いて15分ほどのカフェに出かけた。
グラフィックデザイナーである知人の息子さんが
そこで展示会を開いているというのである。
斬新なポップグラフィックを堪能しつつ先着の
友人知人と落ち合ってわいわいお茶をのんだ。
いやあ、楽しかったです!

 夜はまたわいわいと食事をしたのだが、
その席でこんな話題が出た。最近の脳科学で
分かったことだそうだが、私たちがする動作と
いうのは、行為のほうが先にあって、それを
後から脳が追認するというのである。例えば
食べ物を食べるために脳が指示して箸を
動かすのではなく、先に箸が動いて、それを
脳が食物を食べるために箸を動かしたのだと
後から認知するということらしい。

 この話からまたもや想起してしまったのは
俄か試験勉強で詰め込んだ知識。
そういや心理学でも似たような説があったけな〜
何だっけ?
あゝ、そうだ!「ジェームズ=ランゲ」説。

 これは、アメリカの心理学者ジェームズが
発表した情動に関する見解である。情動とは、
喜び、怒りなどの強くて一時的な感情のことで、
ジェームズは「外的な刺激によってまず生理的
変化が起こり、その変化を脳が受信することで
情動が生じる」と主張し、それまで一般的に
信じられていた「情動の発生後生理的変化が
生じる」という説をひっくり返して物議を
かもしたということである。

 ジェームズ=ランゲ説によれば、
「悲しいから泣く」のではなく、「泣くから
悲しい」のであり、「恐いから震える」のでは
なく「震えるから恐い」ということになる。
こういう風に言われると違和感があるかも
しれないが、身体の反応が先立つ感じって、
ちょっと身体に敏感な人なら体験があるから
この説、私にはそれほど大胆だとも思えない。

 そこで今日話題に出た脳認知動作後追い説も
妙に納得してしまった私。
「何でもかんでも脳が一番じゃないんじゃい!」
って叫んでやりたくなってしまった。
今日のポップアートだって、気の合う仲間と
一緒にワクワクしながら観るから面白いんだ。
やっぱり人間は生身なんだねえ。
ジェームズ=ランゲ万歳!!である。



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