2007年01月17日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「おれちん」って・・・?

 毎週水曜日は三鷹社協の相談室で仕事をしている。以前にも書いたが、この日は市役所前の喫茶店でランチを食べ、店に備えてある朝日新聞を読むのが定番の習慣になっている。今日もカウンターの隅の席でハムチーズトーストをほお張りながら、ゆっくりとページを繰っていた。

 中ほどまでぱらぱらと拾い読みしていくうちに、見慣れない言葉が目に飛び込んできた。曰く「増殖するおれちん」。ん?「おれちん」て何だ?興味を引かれてその記事を読み進めてみた。

 それによると、「おれちん」とは第一人称の「おれ」と「ぼくちん」とを組み合わせた言葉で、「自己愛を膨らませ共同体には閉じている」、そんな人物のことを言うのだそうだ。京大の小倉ナントカいう助教授の命名とある。どうも「共同体の価値観が崩れて経済論理が社会全体を覆うにつれて」急速に増えているらしい。その小倉助教授によれば、小泉純一郎、堀江貴文、中田英寿が現代の「三大おれちん」だという。「全能感に溢れ、言ったことを実行する」のが特徴。うーん、なるほどね。

 だけど言ったことをおいそれとは実行できない大多数の若者たちはどうしているのかというと、ネットで擬似的にそれを果たしているのだという。「昼は『分能感』の塊として働くのを企業に強制され、ニートとして『無能感』にさいなまれている」現代の若者たちが、「夜ネット空間で『全能感』を解放させる」のは無理からぬことなのだとその助教授はおっしゃっている。ふむふむ…。

 とここまで読んでふと湧き起こったのは、「自己愛を膨らませているのは果たして若者たちだけなのか?」という疑問である。「自分のことだけ考えて他者には無関心」と言うけれど、私たち年配者だって大多数がそうなんじゃないのか?大体「共同体の価値観」を崩したのは、経済界を吹き荒れている「市場原理主義」なわけだし、今回の不二家の事件だって「消費者」という「他者」への全くの無配慮が引き起こしたと言えるんだし。大きな顔して「今の若者たちは…」などと言えるんだろうか?

 病的に肥大した自己愛は「人格障害」を引き起こすが、人間なら「自己愛」は誰にでもある。大事なのは「自己愛」が自分だけではなく他者にもあるということを認められる「知性」であるのだろう。本当の「インテリジェンス」とは、難しい知識を備えていることではない。「他者の存在」に思いを馳せることのできる能力である。それがあってはじめて「他者との関係性」を生きることができるのだと思う。

 若者だけでなく、大人たちでさえそうした本物の「知性」を備えた人物は少なくなっているような気がする。そのうち老いも若きも打ちそろって「一億総おれちん」にならぬよう気をつけなくちゃね!
 
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2007年01月15日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

もうすぐキリ番のチャンス!

 このところカウンタの進みが早いです。去年の11月下旬に5万アクセスを達成したと思ったら、あれよあれよという間にもう6万になろうとしています。

 いつものように賞品は「しんちかなえのタロット占いカウンセリング」なんですが、今回はタイミングよくA子さんが昨日受けてその感想をブログに書いてくれています。「たかが占い」と侮ることなかれ。彼女も書いているように私の使っているカードの指摘は、思わず息をのむほどに鋭いものがあります。カードを切っている私のほうもびっくりしてしまうことがよくあるのです。

 昨日もA子さんの現状を余りにもぴたりと言い当てていることに居合わせた皆が感嘆の声を漏らしていました。その場面に触発されて、もう一人405さんも受けたいと言い出し、続けてカードを切りました。これもすごかったですね。彼は過去に数回受けているのですが、いつも必ず出るカードがあって、今回もぴたりとそのカードが出ました。こういうことはよくあります。但し出る位置が前回とは違っていて、それがまた彼のこれまでの変化を見事に言い当てているという感じでした。

 とにもかくにもこればかりは体験してみないと分かりません。キリ番で是非その機会をゲットしてください。カードと共にお待ちしています!
 
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2007年01月12日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ボランティアの真髄

 昨日は一年ぶりに三鷹ボランティアセンターにお邪魔しました。以前このブログでも紹介した(こちらをご参照あれ)「高齢者電話相談」のボランティアの方々を対象にした研修会に今年も呼んで頂いたのです。メンバーは殆ど替わっていないので、懐かしい面々に迎えられて、講座もとてもスムーズに進められました。

070111borasen01-1.gif  去年も書いたように、メンバーの方々の成長振りには目を見張るものがあります。今年もそれを一段と強く感じました。この事業ももう発足して20年が経つと言います。当然のことながら利用者も相談ボランティアの皆さんも年を重ね、身体の不調の訴えが多くなったり、この間まで元気だった方の突然の訃報に接したり、相談者自身の心が揺り動かされる事例が増え続ける状況にあります。そのなかでボランティアの皆さんは苦闘しながらも確実に自分自身を深めておられることが感じられます。

 相談の内容が否応なく「死」に纏わるものになっていくことは、この相談事業の性質上避けられぬことです。それは相談を受ける側に「死生観」の検証と確立を迫ることになり、皆さんが真剣にそこに向き合っておられることが、それぞれのお話を通してとてもよく伝わってきました。相談のベースがどんどん深くしっかりしたものになっていく所以ですね。

 予算上の制限もあり皆さんと頻繁にお会いできないのは残念ですが、この頃は「また来年!」という言葉が退出する際の挨拶になりました。確実に一年の歩みを刻んで成長していくこの相談事業は、今後益々社会的な存在意義を強めていくことでしょう。
 
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2007年01月09日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

てんやわんやのお正月

 元旦以来久々のブログです。あっという間にお正月休みも過ぎ去り、今日からは外の仕事も始まって、幾分気分も引き締まってきました。

 それにしても、去年の暮れにパソコンが不調になったのを皮切りに、次々といろんなものにガタが来る年末年始でした。大晦日には給湯器のリモコンが壊れてお湯が出なくなり、あわてて修理を頼んだものの当然のことながらその日はだめで、冷たい水で炊事をするはめになりました。

 それでも元旦の朝早くに修理の人が来てくれて、正月だというのにたった半日の不便で済んだのは幸いでした。このときばかりは「日本ってほんといい国」って思いましたね。これがアメリカとかのクリスマス休暇中だったら、数週間どころか数ヶ月くらいはほっとかれたところでしょう。

 いやぁ、感謝、感謝!と喜んだのもつかの間、今度はこれも暮れのうちから時々しくしくと痛んでいた左下の金属を被せてある奥歯が段々に痛みを増して、せっかく冷水と格闘して作ったおせち料理もろくに食べられない有様。我慢できずに2日の朝一で渋谷区のやっている「東健康プラザ」という休日診療専門のクリニックに駆け込み、応急措置をしてもらいました。

 そこの先生の言うのには、「きっと歯の中の神経が腐っているのでしょう」。
上の歯と当たるところを削ってくれ、「痛み止めと抗生物質の薬をのんでしばらく凌いで、休み明けにかかりつけの医者に診てもらってください」とのご託宣。まぁ幾分は楽になったけど、あくまでも応急措置だから完全に痛みが消えたわけじゃなく、何ともすっきりしない3が日を過ごしました。

 しかし「東健康プラザ」というのは初めて行ったけど、広くてきれいでびっくりしちゃいました。歯科の他にも診療所があって薬局まで備えている至れり尽くせりの施設です。私と同じように正月どうにも痛くて我慢できずに駆け込んでくる人が結構いました。普段何かと渋谷区の行政には不満を抱いている私ですが、このときばかりは「渋谷区ってほんといい区だわン」なんて感激しちゃうんだから、ゲンキンなもんです。

 そんなわけで薬のみつつ、行きつけの歯医者の5日の開診を待ちわびていたのですが、どういうわけか3日の夜から痛みが激しくなり、鎮痛剤を2時間おきにのんでも治まらず、殆ど一睡もできずに朝鏡で顔を見たら、見事に左のほっぺたが膨れ上がっていました。びっくりしてまだ寝ていた夫を起こし、「どうしよう!」と叫ぶ私に寝ぼけマナコの夫の非情な一言。「菓子ばかり食うからだ」。

 「ひど〜い!そんな言い方。やだぁ〜!ひど〜い!すっごくすっごく傷ついた〜!」と膨れたほっぺたより膨らまして喚きまくっちゃいましたね。もうこうなると手がつけられない。観念して仕方なく起き出して来た夫、些か呆れ顔で自分のかかりつけの歯医者に電話して診察を頼んでくれました。

 それですっとんで行って診て貰ったわけですが、どうも神経ではなく歯茎の炎症らしいとのことで、強めの鎮痛剤と抗生物質を出してくれて、どうやら痛みは治まりました。診てくれた先生に「菓子の食いすぎじゃないですよね!」としっかり念を押して来ることも忘れませんでした。

 今はやっと腫れも引いて普通に食べられるようになり、人間の方は快調になったのですが、今度は数日前からプリンターがストライキを起こしています。どうしてこうも故障が続くのでしょう。今日電話で修理を依頼したのですが、余りに代金が高いので新しいのを買おうかどうか思案中です。

 さて、これでプリンターを新調してやれやれということになっても、今度はまた何が壊れるのでしょうか。ここ何年かご無沙汰してしまっていた初詣にでも行って、お払いしてもらった方がいいんじゃないかと本気で考えているところです。
 
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2007年01月01日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

戦い済んで年は明け・・・

 皆様、何はともあれ明けましておめでとうございます!

 いつもならもっと遅くまで起きている年越しの夜、今年はもう限界です。
というのは、年の暮れに調子を崩したパソコンを買い替え、新年に間に合うようにセットアプをするのに殆ど毎晩半徹が続いていたからで、今日はもう瞼がくっつきそうな状態でこれを書いてます。

 それでもやっと新しい年が快適に迎えられたのは、何日もこのトラブルに付き合ってくれたPC担当顧問Bさんと、泊り込みで手伝ってくれたnekoちゃんのおかげです。ご両人にスペシャルサンクスを捧げつつ、足を向けないようにして寝ようと思います。

 今年もこのブログ、よろしくご愛読のほどを!
 
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2006年12月29日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

忘年はしたけれど・・・

 毎年CSNの忘年会はかなり押し詰まってからやるのが恒例となっていますが、今年は28日の夜に行いました。昨年まで5〜6名のごく内輪の催しで、去年は研修室で鍋などしたのですが(こちら)、今年は15名もの会員さん達が集まって下さって、恵比寿のパブ風居酒屋に予約をとりました。久々にお会いする顔もあって嬉しく懐かしいひとときでした。

061228bounenkai.gif  それからカラオケの2次会3次会に流れ、終電を逃したメンバー達が事務所で仮眠をとったりお喋りしたりしながら結局朝までということになりました。

 CSNの忘年会が終わると「あゝ今年も終わったな〜」とほっとするのですが、今年はちょっと気になることがあってどうもほっとできません。というのはパソコンの調子がおかしいのです。ときどきスムーズに立ち上がらなくなっちゃったんですね。

 それで昨日の忘年会の疲れをおして当NPOのPC担当顧問Bさんに来て貰っています。これから診察してくれる予定。ということでかなりん今年最後の日記は慌ただしく終わるハメになりました。それもこれもこのパソコンという厄介なしろもののせい。ッタク!

 振り返ってみれば今年はパソコンのトラブルに泣かされた年でした。来年は煩わされずにいきたいものですが、果たしてどうでしょうか。何はともあれ皆様良いお年を!
 
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2006年12月19日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

人生脚本

 昨日の405さんのブログには「台本」という言葉が出てきましたが、
今日はその台本の元になっている「人生脚本」について書いてみようかなと
思います。

 TA(交流分析)の創始者であるエリックバーン先生は、
「誰の人生にも予め決められたストーリーがあり、知らず知らずのうちに
そのストーリーをなぞって生きているのだ」とびっくりするようなことを
おっしゃいました。

 「予め決められたストーリー」などというと「運命」みたいなものかと
思われる向きもあるかもしれませんが、バーン先生が言うのはそうではなくて、
全て人は幼い頃に「私の人生はこういう風にしよう」と決断していて、
その「決断」を土台にして「脚本」のあら筋を組み立てるのだということ
なのですね。
そしてそれは全て無意識のなかで行われるので、気づかない人は一生を
そのストーリーに翻弄されてしまうのだ、という恐ろしいことも
おっしゃっています。

 「脚本」に関する詳しいことは、新しくアップした用語解説の方に譲るとして、
一番の問題は「脚本」の多くが幼児期の自己否定感に基づく感情を土台にして
出来ているということです。
ですからそうした「脚本」の結末は常に「自分はだめな存在だ」という
ところに帰着してしまいます。
人は無意識に予め用意されたその結末に向かって「脚本」のストーリーを生き、
そのたびに自分に対する否定感をどんどん強化していくのだと考えられています。

 この「自己否定感」というのはなかなか手強く、ちょっとやそっとで
覆せるものではありません。
しかしそれは何事もきちんと判断できない幼児期に採り入れられたものなので、
整合性のあるものではないし、大人になってから必要なものでもないのだから、
「捨ててしまおう」と決断することで、脚本から脱却することは
不可能ではないのです。

 男Nはこれを手放すのに10数年かかりました。
今でも完全に手放せているかどうかは未知数です。
しかし一挙に出来ることではないし、完全じゃなくてもいいのです。
まずは「手放す」という決断をするところから始めてみることです。

 今までなじんできた感覚を手放すのは勇気がいります。
「自分は何をしてもうまくいかない」というストーリーを持っている人は、
物事がうまくいきそうになると理由のない不安に捕らわれ、無意識に
うまくいかない方に自分を向けていって
「あゝ、やっぱりうまくいかなかった…私ってだめなんだ」
と確認して妙に安心したりするのですね。

 大人になれば頭では「こんな不合理なことはない」と誰にでも
分かることでも、子どもの頃の身体的な感情が関与すると、
その感情の強さに負けてしまうということはよく起こります。

 特にストレスフルな状況に置かれたときなどは、強い無力感や破壊的な
怒りなどが湧いてきて制御が難しくなるのです。
私たちは「脚本に入る」という言い方をしますが、普段はもう脱却したと
思っていた「脚本」に思わぬところで引き戻されるということが
ままあります。これは「脚本抵抗」と呼ばれていますが、これがまた
非常に根深いのですね。

 そんなこんなでなかなか一筋縄でいかない「脚本」ではありますが、
これから抜け出すキーワードは何と言っても「自己肯定感の獲得」と
いうことにに尽きます。
どんなときでも「自分はOKだ」と思えることですね。

 「そのためにはどうすればいいんですか?」とよく聞かれますが、
当然のことながら魔法のようなノウハウなんてありません。
まずは自分がどんな脚本を持っているのかを分析し、それを自覚し、
そしてその自覚のもとに「今、ここ」での一瞬一瞬を意識的な決断と
ともに生きることが脱却への道を開くことになるのだと思います。

 そうは言ってもこれはなかなか大変なことです。
我がCSNのメンバーたちもTA講座を受けたり、グループワークや
カウンセリングで自己をみつめ、悪戦苦闘しながらも懸命にその道を模索しています。

 しかし日常の些細な行動の選択から始めて成功の兆しが見え始めた
男Nの事例が示す通り、決して不可能なことではありません。
405さんやA子さんもきっと自分なりの道を見つけてくれることと
思っています。

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