2007年02月19日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

内輪オークション

 この週末は、土日とも研修室での講座やグループがあったので、入れかわり立ちかわりメンバーが集いました。その集まりをひときわ盛り上げたのが、突如開催となった「古着オークション」。何日か前に来ていたメンバーが、頻繁に洋服のネットショッピングをしていて、余っている服が沢山あるというので、「そんじゃオークションしよう!そしてぱれっとのように活動資金をつくろう!」と掛け声も勇ましい緊急企画と相なったのです。

 早速送られてきた衣類は大きなダンボールに2箱。1つにはジーンズやコーデュロイのパンツ、そしてもう1箱には20色あるという色違いのタートルネックセーターやジャケットなどのトップスがぎっしり。「すご〜い!!」と思わず歓声を上げてしまいました。

 送ってくれた主は男性なのですが、とても細い人なので、トップ、ボトムともレディースが多く、男性陣は軒並みシンデレラのガラスの靴状態。女性でもちょっときつめというのも数あり、試着室と化したカウンセリングルームは、ひとしきり嬌声とため息のるつぼとなりました。

 それでも売れ行きは上々で、パンツは半分ぐらい、トップスは全部捌けました。売上金は〆て3,500円也。ぱれっとバザーの100万円には程遠いけど、講座のときのお菓子代ぐらいにはなって、これでも結構ホクホクのかなりんです。送料もちで送ってくれたKさん、本当にありがとうございました!
 
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2007年02月16日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

お互い生きてた?!

 今日日本カウンセリング学会の認定カウンセラー会からニュースレターが届き、ページを繰っていたら、思いがけない懐かしい顔を見つけました。以前サンプラザ相談センターで一緒に働いていたIカウンセラーです。彼女がこの会誌に「カウンセリング学習11年目にして−このごろ思うこと−」と題したエッセイを寄稿していたのです。

 彼女とは同じ機関でカウンセリングを勉強し、閉鎖前のサンプラではグループファシリテーションのコンビを組んでいました。エレガントな外見には似合わない激しさを持った個性の強い人でしたが、カウンセリングに対するひたむきな姿勢と独特の鋭い感性にはいつも感服させられました。一緒にファシリをしたエンカウンターグループやTAのグループでは、数々の逸話が生まれ、今でもその頃のメンバーが集まると話題に上ります。

 サンプラザが閉鎖になってからはお互いに忙しく、余り連絡を取り合うこともなくなってしまい、このところは随分久しく会っていません。「どうしているかな」と思いつつ、とりたてて用事がないとつい電話もしそびれていたのが、こんな風にカウンセリング誌で遭遇できるなんて全く嬉しい限りです。「あゝ、元気でやってるんだな」とまるで戦友が凱旋したのを迎えたような気分になりました。

 彼女は誌面で昨今の心境をこんな風に語っています。「はじめのころは、見立てとか治療方針とか難しい言葉を引っさげて、クライエントとかなり離れて前を歩いたり、大変遅れて後をついていったりしてたものですが、徐々にその時々のほどよい距離でクライエントと出会うことができるようになってきた気がします。ある時は少し後ろを、ある時は一緒に立ち止まり、ある時は肩を並べて。」そして「この“肩を並べて”という」感覚を持つようになり、カウンセリングの世界が広がりました。それは交流分析(TA)の学習によってもたらされたといえます。」と述べています。

 「TAと出会い、私の肩の力がふっとぬけました」と彼女は続けています。「TAの学習で、クライエントの前で自己一致していること、真実であることを私の持っているチャンネルで機能させればいいのだと実感しました。」これを彼女は「(自分自身に対するOK感が)頭だけでなく身体の中にしみこんできた感じ」と表現し、「クライエントの前で、自己一致して真実であることを楽しめるようになってきたのです。」と書いています。

 今は「私自身が柔軟であり、リラックスしています。」と言う彼女は、ともするとピンと張りつめて人を弾くようなところを垣間見せたあの頃の雰囲気からまた一皮脱して成長を遂げているようです。彼女は「日々追われながら、楽しく仕事をしています。」という一文で短いエッセイを結んでいますが、「あゝ、私もそうよ!」と思わず写真に向かって声を出してしまいました。

 実は余りの懐かしさにたった今彼女に電話をしたところです。彼女の第一声は「キャア〜ッ、生きてた?!」でした。こういうところは変わっていませんねえ。大体「エ〜ッ、ニュースレター??」と自分が原稿を書いたことさえ忘れているのも彼女らしいです。もちろん再会を約束しました。超楽しみ〜!こうなったら「彼女のドタキャン癖だけはいまだ健在」なんてことのないように願うのみです。
 
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2007年02月12日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

TA講座

 昨日A子さんが「TA講座の後」の様子を書いていたので、今日は「TA講座」の様子を書こうと思います。以前男Nが書いてた「ナチュラルトラックバック」というやつですね。

 第3期のTA(交流分析)の学習講座・基礎コースは昨日で第7回目(全12回)を迎え、ちょうど佳境に入ったところです。「エゴグラムと自我状態モデル」から始まり、「二次構造分析」、「交流の分析」、「禁止令とドライバー」、「ラケットとゲーム」と進んで、いよいよ「脚本の分析」に入りました。TAの理論のなかで最もユニークかつ重要な中核をなす理論です。学習しながら話し込んでいくうちに「ドキリ」とさせられることがしばしばあるところでもあります。

 昨日も受講者である405さんが「TAってすごい…」って絶句する場面がありました。日常で何気なく繰り返している自分の行動が、実は「脚本」に繰られたものだ、ということに気づくのは確かにショッキングなことですね。TAの創始者のエリック・バーンが「無意識の人生計画」と呼んでいるだけあって、気づかなければ一生気づかないままこの「脚本」をなぞって人生を終わることになるんですから。そして多分大多数の人が気づかないで生きているわけですからね。

 人は誰しも幸せであることを求めて生きているように見えて、実際は知らないうちに自分を不幸や破滅に導いてしまうことがあります。今度こそはと願ってもいつもうまくいかない恋愛、大事な場面になると必ず犯す失敗、病気や死に至るまで自分を追い詰める過労、といったような事例の陰には必ず「脚本」が潜んでいます。昨今多発している人々の理解を超えた驚愕的な犯罪なども、「脚本理論」をあてはめてみると殆ど読み解くことができます。

 「脚本」は自己や他者に対する否定感が基盤になっています。この「否定感」は、幼児期の感情や欲求が複雑に絡みつき、成長する過程で繰り返し強化されて、無意識のなかに深く根をおろしてしまっているので、そう簡単に掘り起こして取り除けるものではありません。まずはどんな風に根づいているのかを探り、それを日常の感情や行動に引き付けて捉えていく作業が必要となります。絡んでいる根を少しずつでもほぐしていくためには、自分がパターンに陥りがちな行動をチェックし、そこで動く感情や思考を検証しながら、できるだけ盲目的な反応をしないようにすることが肝要です。

 その点で、先日405さんがブログに書いていたように(こちら)「今自分が感じていることをつかまえる」というのは、とても有効な方法だと思います。「いつもA(大人の自我状態)を使っているのでとても疲れる」と彼は言っていましたが、そのうち段々自然にできるようになります。無意識にC(子どもの自我状態)を暴れさせないためには、根気強いAの取り組みが欠かせません。それがAを鍛えることにもつながります。

 但し、それと同時にCをうまく発散してやることも必要になります。CSNがここに集う皆にとってその安全な発散の場になっているのはとても嬉しいことです。
 
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2007年02月05日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

リアルフィーリングって?

 昨日のブログでA子さんが「『寂しさはリアルフィーリングではない』と言われてショックを受けた」と書いていますが、「じゃリアルフィーリングって何なのよ??」という向きもあろうかと(勝手に)思い、今日は「本物の感情とはどういうものか」ということについて書いてみようと思います。

「感情にホンモノもニセモノもあるかい!」と思われる方も多いでしょうが、これがあるんですね。まぁ、あくまでもTA(交流分析)的に言えば、の話ですが。TAでは「『本物の感情』というのは4つしかない」と断言しています。即ち「おびえ」「怒り」「悲しみ」「喜び」の4つです。それ以外は全て「ラケット感情」と呼ばれています。「ラケット」というのはテニスに使うあれではなくて、マフィアの俗語で「いかさま」とか「いんちき」とかいった意味なのだそうです。日本語に訳せば「いかさま感情」ということになるでしょうか。

 何が「いかさま」かというと、どんな感情でもそれを感じるときはその人にとってはとてもリアルに感じられるのだけれど、よくよく分析してみれば「本物の感情」のすりかえにすぎない、ということなのですね。バクチなんかで本物のフダと偽物とをすりかえてさも本当らしく見せるというのを映画なんかでよく見ますが、それと同じことをを知らないうちに自分の中でやっているということなんですね。

 例えばA子さんが挙げていた「寂しさ」ですが、これはかなり曲者のフダなんですね。この感情に支配されるとまるでシンデレラのおとぎ話みたいにかぼちゃが立派な馬車に見え、ねずみがすてきな白馬に見えたりしちゃうのです。「寂しさからついふらふらと」なんていうのはよくあることですが、A子さんも書いているようにそこで起こした行動が「寂しさを解消する」などということはまずありません。ますます寂しさが募る結果になることが殆どです。シンデレラはおとぎ話の中にしか存在しません。

 この「寂しさ」の奥に隠されている「本物の感情」は多分「悲しみ」です。「悲しみ」は過去の出来事を自分の内で消化するのに有効な感情です。悲しいことに出会ったとき心ゆくまで悲しむことはとても大切なことなのですね。幼いときにこの感情を出すことを禁止されると(みっともないとかはしたないとかいう理由で)、それができなくなってしまうのですね。そこで「寂しさ」とか「空しさ」とかにすりかえて表面を繕うわけです。

 「寂しさ」の陰にはもしかしたら「怒り」もあるかもしれません。「怒り」は一番禁止されやすい感情です。それは「率直に感じたことを伝える」ということが、ともすると煙たがられたり嫌がられたりするからです。子どもの時に言いたかったことって、「どうして私を無条件に愛してくれないの?!」ということに集約されるんですね。でもそれをそのまま伝えることができた人は数少ないでしょう。殆どの子どもは幼くして「親の望むようにしなければ愛されない」ということを本能的に悟るのですね。それは「怒り」を感じる事態ではあるのだけれど、その「怒り」をそのままぶつければますます愛されなくなる。だから子どもはそれをしまいこむことになるのです。

 大人になってみれば「無条件に人を愛する」などということは、親といえども生身の人間にそうできることではないと分かる筈なのですが、幼いときのラケット感情というのは厄介な代物で、その後もなかなか消滅せずに長く尾を引き、様々な場面で顔を出します。そのたびに隠された「怒り」は、「悲しみ」や「寂しさ」にすりかえられるのですが、たまってくると大きな「怒り」となって見当違いなところで爆発したりします。この場合の「悲しみ」や「怒り」はラケットです。本当の「怒り」は現実の問題を解決するために有効な感情です。まさに「今・ここ」で伝えるべき相手に率直に自分の「怒り」を伝えることが必要なのです。しかしそれには自己や他者に対する深い信頼感が必要です。「怒りを伝える」というのはだからこそ難しいのですね。
 
 「おびえ」というのは未来の問題を解決するのに有効な感情だと言われています。「暗闇で何者かの足音が追ってくる」とか、「山道で獣の気配がする」とかそういうときは「おびえ」を感じなければ「逃げる」とか「武器を構える」とかいった行動に結びつきませんね。しかしこの「おびえ」も「不安」にすりかえられると、はっきりとした原因もないのに絶えず何かにおびえているような感じになってしまうのですね。

 「喜び」というのは、「過去、現在、未来を通して人を幸福にするのに役立つ」と言われます。日常の些細なことにでもこの「喜び」を感じられることは、この上なく幸せなことだと言っていいかもしれません。

 しかし、私たちが日々感じる感情はそれこそ数え切れないほどあるのに、「本物の感情は4つしかない」などと言われると、「え〜っ!?」って感じになりますよね。でも本当に自分がOKだと感じられるときはラケット感情は出てきません。ここに挙げた4つの感情以外の感情にとらわれたときは、「脚本に入りかけている」と意識してください。そのためにもA子さんのように「ラケット感情に気づく」ということは大事なことだと思います。
 
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2007年02月01日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

時間の構造化

 今日の恵比寿は、手伝いに来てくれていたnekoちゃんと、仕事帰りに寄ったという405さんとで、また雑談をしたり、夕ご飯を食べたり、雑談をしたりしました(あれっ、どこかで見た文章?!)。その間にもレジュメを作ったり、スクラップをしたり、結構作業もこなしました。

 ここで突然ですが交流分析には「時間の構造化」という概念があります(そういえばこんな言葉も出てきてたかな?)。「人は皆時間を構造化しながら生きている」というのですが、まぁ平たく言えば、「時間の過ごし方」といったほどのことです。

 なぜそれが「構造化」などというしかつめらしい言葉で取り上げられているのかといえば、それが密接に行動と結びついているからです。時間をバランス良く構造化できる人は、精神のバランスのとり方もうまいのです。

 TAが提唱している「時間の過ごし方」にはいろいろありますが、毎日欠かすことのできないのが睡眠や食事などの基本的欲求を満たす行動です。これを「儀式」と言います。「儀式」にはその他に入浴や洗面があります。人と出会ったときの決まった挨拶もここに入ります。

 それから仕事や家事などは「活動」、独りで過ごす時間は「引きこもり」と呼ばれます。その他に大抵の人は多かれ少なかれ人と交流する時間がありますね。「雑談」はここに入ります。もっと深く親しい「親密な交流」は、誰もが欲しいと願いつつなかなか持てないものです。なぜなら、人は、自分や他者に心からの肯定感を抱き続けることが難しいからです。どんなに親しい間柄でも揺るぎのない安心感を持って接することができる関係というのは、そうあるものではありません。そこで人は真意を隠した裏面的な交流をすることになります。意図的な駆け引きから、無意識的な欲求に左右される支配、被支配的な交流まで、様々な不快な交流が想定され、これをTAでは「ゲーム」と呼んでいます。

 自分が今していることを改めて考えてみると、この6つのカテゴリーのどれかに入る筈です。例えば私は今ブログを書いているわけですが、これは「活動」ですね。さっきまでいたnekoちゃんや405さんと過ごした時間には、「雑談」と「親密な交流」と「活動」が混在していました。 TAでいう「雑談」はどちらかというと「表面的な交流」の意味合いが強いので、ここでの「雑談」は「親密な交流」に近いかもしれません。一昨日の男Nのブログにあった「雑談」もそうですね。まぁだから「醍醐味」とも感じられるのだと思います。

 世の中には「活動」ばかりしている人や、「引きこもり」オンリーで時間を構造化いている人もいるわけで、そういう人はどうしても精神的なバランスが悪くなります。人との交流にしても、表面的な「雑談」や裏面的な「ゲーム」に明け暮れていては不全感は免れません。そんななかで、グループワークや講座を通し、CSNが「親密な交流」を持てる場として機能し始めたことを感じる今日この頃です。
 
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2007年01月29日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

騎西町役場女性職員研修

 少し時間が経ってしまいましたが、今日は先週の火曜日に行った埼玉県騎西町役場での女性職員研修の模様をご紹介したいと思います。

070123kisaimati01.gif  騎西町の女性相談を当NPOが受託しているご縁もあり、今年度の女性職員研修を依頼されたもので、「仕事に生かす自己分析とコミュニケーション」というテーマで講演を行いました。集まってくださったのは、町役場の女性職員の方々61名中46名。勤務中の研修で、保健婦さんや幼稚園の先生などもいらっしゃるので、職場をあけることができない方々もおられたようです。

070123kisaimati02.gif  「講演」といってもエゴグラムをやってもらったり、それをもとに参加者とやりとりをしたりしながら進めていくので、振り返りシートには「堅い話かと思ったらとても面白くてあっという間に時間が過ぎた」という感想が多く見られました。

070123kisaimati03.gif  職場の研修というのは半ば強制参加なので、自由参加のグループに比べてモチベーションが低く、やりにくい思いをすることもあるのですが、今回は皆さんとても熱心に受講してくださり、最後に大きな拍手までもらって、講師としては誠にありがたい限りでした。

 2時間足らずの短い研修でしたが、「もっと詳しく聞きたい」「男性職員にも聞かせたい」「またやって欲しい」など、帰途の遠さも吹き飛ぶような嬉しい感想が多く寄せられました。是非また機会を得て実現したいと思います。
 
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2007年01月22日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

渋谷フォーラム2007

 今日は、日頃研修や職業検査などの会場に使わせて貰っている渋谷女性センター・アイリスのイベント「渋谷フォーラム2007」に行ってきました。昨年は実行委員をやりましたが、今年はミーティングのファシリテーターとして呼んで頂きました。テーマは「渋谷女性センターの未来(あした)を考える」というものです。他の区が続々と「男女平等参画センター」と名称を変え、条例の制定も進んでいるなかで、渋谷区の歩みは決して速いとは言えません。私たちNPOは以前港区で「男女平等推進団体」として活動していましたが、渋谷に移ってきてからそのシステムや意識の違いに愕然とすることも多くありました。そこで積極的にフォーラムの実行委員を引き受けたり、実際に活動の場として使用しながら改善の道を探ろうとしているところです。

070122foram01.gif  今日のミーティングには、女性センターの開設や運営に深い関わりをお持ちの3人の方々をお呼びして、それぞれの立場からお話をして頂き、その後で参加者全員で意見交換をするという形にしました。センターの開設に力を尽くされた方々は、高齢ながら矍鑠としてその歴史や今後への期待などを話されました。会場からは、「登録団体のネットワーク作りをしよう」、「条例を作ろう」という積極的な意見も出て、活発に論議が交わされました。参加者は30名余り、「老老若男女女」といった具合にどうしても年配の女性が多かったのですが、その中で当NPOから参加した「若男」は貴重な存在で、特別に意見を求められたりしていました。まぁ私から半ば強引に動員された彼らは、こんな雰囲気は初体験らしく少々戸惑い気味でしたが、結構堂々と意見を述べていました。

070122foram02.gif  私にとってもいつもとはちょっと勝手の違うファシリテーションでしたが、かなりん持ち前の「臨機応変&ガッツ」で乗り切りました。去年と同じように、最後に「渋谷フォーラム2007提言」をその場で作成して採択しましたが、今年は具体的なイメージを盛り込んだものにしようということで、「渋谷女性センターの未来(あした)を考える会(仮称)をつくろう」となりました。今日参加した人たちが結成メンバーとなるということで、記念撮影をしました。我がNPOの面々もしっかり写っています。頑張ろうね!
 
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