2007年04月30日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「怒り」の制御

 このところ「怒り」にまつわる話題が多いですね。この間男Nがわけのわからないむかつきブログを書いてましたが、それにも共感のコメントがついたりして、世の中なにがしかの怒りを抱えている人は多いんだろうなと改めて感じさせられました。

 この「怒り」というのは、感情のなかでも御しがたいものの筆頭でしょうね。一瞬にして凶暴なエネルギーを湧き起こすので、破壊的な行動にもつながりやすい。そこで子どもの頃には抑圧されてしまうことも多いんですね。どんなに癇癪をおこして泣き喚いても、力ずくでねじ伏せられてしまう。どううまく制御するのかなんて教えられることもまずありません。

 「怒り」というのは、現実の理不尽な事態に対しての感情です。「腹に据えかねる」というやつですね。因みに怒っていることを「腹が立つ」と言いますが、据えかねるものがあれば座っていた腹も立ってしまうわけです。逆に「腹が据わる」というのは、立っていた腹がどかっと腰を下ろすイメージですね。収めかねるものを収めて何がしかの決意をする。「腹」とは、「A(大人)」の象徴です。しかしこういう表現は今余り使わなくなりました。

 「頭に来る」から始まって、「ムカッと来る」、「カチンと来る」など、「怒り」がどこかから襲ってくるというイメージの言葉が多い。だから収めるも収めないもなくただ反応してしまう。とっさによけるか振り落とすか、突き刺ささって傷つくか、当り散らすか、どちらにしても現実の「理不尽な事態」には何ら有効ではありません。これぞラケットの極みですね。

 本物の「怒り」は事態に立ち向かう「決断」を促し、そのための行動につながります。「制御」とは、暴れ馬の手綱をしっかりとってそういう方向に向けることです。そのための方策としては、男Nがやったように「身内でとぐろを巻いているものをまず吐き出す」というのも一つです。まぁ、「入門篇」というところですが。それにこれには、「安全な場で」という但し書きがつきます。「ブログに書く」というのも一法ではありますが、できれば「吐き出す」のはその場でストロークが受け取れるところの方がいいですね。

 mocoちゃんのように「とりあえず置いておく」という技ができるようになれば、かなりの進歩です。「怒り」に距離をとることができ、その間に「A」が戻ってきて「決断」に至る可能性が大きくなります。A子さんのように「決断」ができれば「上級」にリーチです。あとは行動できるかどうかにかかっています。

 「怒り」を含めてどの感情もどこかから飛んでくるものではなく、自分の中に起こるものです。「腹」で持ち堪えるためには強靭な「腹筋」が必要ですね。男Nには是非これを鍛えてもらいたいものです。 
 
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2007年04月23日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

お尻に火がついた!

 あっという間に4月も中盤を過ぎました。それで俄然慌しくなってきたのが決算書類の作成。今日もついさっきまでnekoちゃんと悪戦苦闘していました。

 当NPOは非営利事業しか行っておらず、殆ど利益も発生していないので、事業税はかからないのですが、均等割りの法人住民税は支払わなければなりません。しかし、公共性の強い事業をしていて、多額の利益が上がっていないような場合は、申請すればこれが免税になる制度があります。この免税の特典を受けるためには、5月1日までに申請書類に添えて決算報告書を提出しなければならないのですね。いつもこの書類の作成がぎりぎりまで持ち越して大慌てになるので、今年こそは余裕を持って着手したつもりだったのが、何だかんだと雑事に時間をとられ、結局はまたぎりぎりの瀬戸際に追い込まれそうな状況になってきました。

 何せNPOの決算というのはそれぞれの事業ごとに行わなければならないので、普通の法人の決算よりもかなり煩雑になるのです。NPO決算用のソフトを使えば楽なのでしょうが、高価なのでついつい入手が遅れているのに加え、使用しているのが私が個人の申告用に使っているかなりレトロな代物なので、余計手間がかかってしまうのですね。来年こそは何とかしなくちゃ!

 というわけで、今日のブログもまた時間ぎりぎりに書くはめになっちゃいました。このぎりぎり癖がどうも私の脚本の根底にあるような気もしますが、今はゆっくり考察している暇もないのでまたの機会に。

 A子さんに習って私も闘うゾ!
 
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2007年04月16日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

FCとAC

 今日はまたびしょびしょとした雨が降る肌寒い日となりました。このところ私のブログ担当日というとこんなお天気で、ブルーマンデイが益々ブルーになりそうですね。今日本当は近くの公園で狂犬病のの予防注射がある日だったんだけど、それも中止になり、我が家の坊ちゃんたちはストーブの前で気持ちよさげにクークー寝息をたてています。こういう日はお客様もなく、nekoちゃんと決算の続きをしたり、カウンセリングのカードを書いたり、お喋りをしたりしているうち、あっという間に日が暮れました。

 こんな日は余りブログに書くようなネタもないので、また例のナチュラルトラックバックというやつをやってみようかなと思います。昨日のA子さんのACの話ね。

 ここを開設してからもう3年経ったけれど、その間に随分沢山のグループや講座をやりました。私のグループは殆どTAをベースにしているので、いつも最初にエゴグラムテストをして頂きます。今までに実施したテストの数はかなりのものですが、それを見返してみてつくづく感じるのは、ACの値が高い人が非常に多いということです。5つの自我状態機能のなかでACが一番高いという人も相当数に上ります。

 これには多分日本の文化的背景が少なからず影響しているのだろうと思います。自己主張を抑え、他と和して生きるのが一番という価値観はまだまだ根強く残っている感があります。以前どこかの大企業の社長が「不真面目なくらいの個性が強い人材が欲しい」というようなコメントをしているのを新聞で見かけて、「ホントかいな?」と思ったことがあります。「不真面目で個性が強い」人などというのは、周りを振り回す厄介な存在でもあるわけで、そういう人を包含していくには「強靭な鷹揚さ」といったものがなければなりません。見るにつけ聞くにつけ、日本の組織ってそうしたものとは程遠いって感じですからね。

 先日日経の記事で面白いのがありました。サンスター文具という会社でシュレッダーはさみを開発した社員の話です。彼はクイズ番組に出場しているところをこの会社の社長にいわば見初められて、社長じきじきのラブコールを受けて入社。会議では「オレが考える商品が売れないわけがない」というデカい態度を示し、営業部門から総スカンを食ったこともあるというツワモノ。件のはさみのアイディアも、お蔵入りになりかけていたところを、社長の肝いりでやっと実現したといいます。はさみが大ヒットした今でも「社長のお気に入り」との周囲のやっかみは相当なもので、社長がいなくなればたちどころに追放されかねないのだそうです。

 彼などは正真正銘のFC男ですね。周りの目などものともせず言いたいことを言い、やりたいことをやる。しかし彼のように才能があっても、いや才能あればこそかもしれませんが、もぐらたたきの手はやまない。「いじめ」の洗礼を受け、仲間はずれの怖さを思い知らされるような今の教育環境では、こうしたFCはなかなか育ちませんね。

 彼のような強烈なFCは、それを理解し育くむPの存在がなければ生き延びられません。彼の場合はそれを社長が担ってくれているわけですが、その人がいなくなったらそれでおしまいということになりかねません。なんていったって「C」(子ども)なんですからね。一人じゃやっていける筈がない。要するにFCだけでは渡っていけないってことです。自分のなかにPとAを育てていかなくちゃならない。「周囲への配慮」とか「他者への敬意」とかいうものがないとそのうちただの鼻つまみ者になりかねません。

 こうしてみるとFCというのもなかなか厄介なんですよね。「FCかなりん」たる私にも結構悪戦苦闘の歴史があるのです。それにいずれにせよあまりにCが高いとなかなかAやPが育たないから、「叩き叩かれ蹴り蹴られ」みたいなことを生来のエネルギーで何とかかいくぐっていくっきゃないのです。そんな大変なことはしたくないからみんなACを高めて「いい子」のふりをして我慢しちゃうんですね。

 405さんがA子さんのブログへのコメントで「FCを鍛えるほうが至難かも」と言ってますが、FCは「鍛える」っていうより「蘇らせる」もののような気がします。私や文具会社の彼のようにやたらにFCだけを肥大させてしまった場合は、それをAとPで制御してバランスをとることが必要ですが、逆に抑圧してしまった場合はAやPによるケアが必要です。少しずつ栄養(ストローク)を与えて、萎縮してしまっている生来の「喜び」や「楽しさ」の感覚を取り戻していくことです。A子さんが「本当に自分が楽しいと思える感覚を身に付けたい」と書いていたのは、そういうことと結びつくと思います。

 と、今日は降り続く雨につられて色々書いてしまいましたが、まぁ、私も精々「ただの鼻つまみ者」にならないよう気をつけなくちゃあね!
 
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2007年04月09日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

みんな「子ども」になりたがる

 あっという間に桜も散り果て、今は春雨というには風情のないびしゃびしゃした雨が降っています。今日は珍しくカウンセリングの予約もなく、訪ねてくるメンバーも居らず、nekoちゃんと二人で専らNPOの決算準備に追われていました。

 先日第3期の交流分析(TA)学習講座も無事終了し、5月に第4期の講座を開講するまでちょっと小休止です。今回アシスタントを務めてくれたA子さんが昨日のブログで「子ども時代」のことを書いていましたね。母親には沢山怒られたはずなのに、思い出そうとするとそういう場面は浮かんでこない。「苦労ばかりして可哀想な母。私の中にいるのは、そんな母親。」とあります。

 A子さんはまた「CSNにいる時、たまに『こんなことをするとかなりんに怒られる』とか『かなりんは怒っているのでは?』と心配になることがある。『怒られるっ』と思って身がすくむ衝動にかられる。かなりんを通して母親を見ている。」とも書いています。男Nの「鬼のかなりん」にしてもそうですが、CSNでは皆C(Child=子ども)の自我状態が出てくることが多いようですね。それも本当に自由なFC(Free Child=自由な子ども)より、自分が今まで使い慣れたAC(Adaptted Child=従順な子ども)やRC(Rebellious Child=反抗的な子ども)が出てくることが多いのですね。

 社会で精一杯A(Adult=大人)を使って頑張っているメンバーたちは、余りCを使える場がないのだと思います。特に一人暮らしをしている人たちは、普段「孤独で寂しい」というラケット感情とともにCが出てくることが多く、そのCがストローク不足に陥っているということもあるでしょう。無意識に「いい子だね」というストロークを希求してしまうのですね。そのときに相手に対して、昔親や周囲の人に抱いた感情を呼び起こされるのです。

 カウンセリング場面でこのようなことが起きることはよくあり、それを専門用語では「転移」と呼んでいますが、日常的な場面でもこうした「転移」はあちこちに見られます。因みにA子さんは私に「母親転移」をしていたわけで、「怒られるっ」というのは、裏返せば母親に「褒めてもらいたい」という気持ちが強く働いているのだと思います。いつも身体が弱くて母親に迷惑ばかりかけている「ダメな子」という子ども時代の呪縛が、まだ完全には解けていないのかもしれませんね。

 翻ってA子さんはまた、「かわいそうな母親」というイメージを自分の中に取り入れています。これは子ども時代のA子さんが、敏感に母親の彼女に対する依存性を感じていたからでしょう。A子さんのお母さんの内にもCはあり、それは「私は一人ぼっちでかわいそうなの!」という無意識の叫びとなって、表面的なP(Parent=親)の自我状態の陰で、A子さんをより強力に縛るものとして機能したのだと思います。「かわいそうなお母さんを守ってあげなくちゃいけない」と幼いA子さんは健気にも決断したのですね。

 しかし、どんなに幼い彼女が頑張ってもお母さんは救えない。「だって自分は弱いダメな子で、お母さんに迷惑をかけるばかりで何もしてあげられないんだもの…」という無力感に苛まれたことが察せられます。そしてCの自我状態が出てくるたびに、今でも彼女はその無力感に襲われる。「かわいそうな母親」が「かわいそうな私」とダブる所以ですね。

 こうして辿ってくると、A子さんの持っている「脚本」がうっすらと見えてきますね。アシスタント体験を経てTAに対する理解や分析力がより深まりつつあるA子さんですが、第4期も参加してもっともっと「OKな自分」に近づいていってくれることを願っています。

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2007年04月02日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

Sさんの就職祝い

 先日このブログで、我がNPOが開催しているコミュニケーショングループの参加メンバーの一人であるSさんが見事就職を果たしたことをお伝えしました(こちら)。そのSさんが、新人研修から帰ったばかりの先週の土曜日に辞令を持って当研修室を訪れてくれました。

070331sst-1.gif  当日は同じグループの仲間が集まり、ケーキとコーヒーでささやかな祝宴となりました。「おめでとう!」の声が降るなか、Sさんは誇らしげに辞令を披露してくれました。心なしか自信に満ちて晴れ晴れとした表情のSさんを囲んで、グループの面々も幸せな気分を満喫した小パーティーでした。

070331sst-2.gif  3泊4日の研修は京都のとある寺院の道場で行われたとかで、日程表を見ると毎朝4時半起床、その後1時間の座禅などもあり、厳しいスケデュールが並んでいましたが、Sさんはさほど苦しい思いも感じずに集中できたようです。「大変だったけど結果オーライ」と語るSさんの顔には、達成感があふれていました。

 もう今日から新入社員として働き始めたSさん。慣れぬ環境での社会人生活は何かと戸惑うこともあるかもしれませんが、真面目さと粘り強さでは誰にも負けぬSさんのこと。本番でも「大変だけど結果オーライ」ということになるのを信じています。
 
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2007年03月26日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

脚本装置

 今日はな〜んにも仕事の予定がない。こんな日は本当に久しぶり。それでたっぷり朝寝坊をしちゃいました。いつもと同じように8時前に起きてトイレに行ったのだけど、引き戻されるように再びベッドにもぐり込んじゃった。朝の寝床はまさに私にとっての脚本装置なのです。

 夫が起きだしてコーヒーを入れている気配がする。「私も起きて一緒に朝ごはん食べよ」と思いつついつのまにかzzzzz…。気がついたら10時になってた。それでもまだまだ眠いけど、布団から身を引き剥がすようにして起き上がりました。

 時間がもっと早くても起きるときはいつもこんな風。「爽やかな目覚め」ってやつを一度でいいから体験したいものですね。まぁ低血圧ってこともあるけど、起きたときの気分は最悪。あっという間にやってきた朝を呪いつつしばしボーッとしているのが長年の習い性となっています。

 子どもの頃はなかなか登校する支度が出来なくて、よく母に「早くしなさい!」と怒鳴られました。そのヒステリックな声は未だ私のどこかで聞こえることがあります。その声にせき立てられるようにして行きたくもない学校に行ってたあの頃の記憶。頭では覚えてなくても身体は覚えているのですね。一昨日のmocoちゃんのブログにあったことと同じね。

 だから「朝」と「早くしろ」が結びついたシテュエーションには今でもちょっと弱い。第2の脚本装置ですね。仕事で出かけるときは、どんなに早く起きてもいつも焦っている感じがします。自分で自分に「早くしなさい!」と叱咤している。出かける間際には必ずバタバタするように「お膳立て」してるみたいな自分に気づくことがあります。

 この間も夫とボーリングに行こうと約束していて、できれば午前中早い時間に行きたかったのだけれど、前日の晩が遅かったものでついお定まりの2度寝をしてしまい、お定まりの「ボーッ」をしてたら、待ちかねた夫が「早く支度しろよ」と声をかけてきたのね。その途端、何か身体の底の方から得体の知れない凶暴な怒りの感情が湧いてくるのを感じ、「ウワーッ!」と怒鳴りそうになったのだけど、「あっ、これ脚本!」ってすんでのところで気づいて止めました。危なかったですね。

 TA(交流分析)ではこれを「輪ゴム」と呼びます。子どもの頃のストレス状況と似た場面に出会うと、自我状態がワーッとまるで輪ゴムで引き戻されるように「子ども」(C)に戻ってしまい、そのときの感情が突き上げてくるのです。これは肉体化された原始的な感情で非常に強烈なので、よほど意識しないと巻き込まれてしまうんですね。ひとたび装置の掛け金がパーンと外れてしまうと、それぞれがお互いの「脚本」にずぶずぶとはまり込み、激しい「ゲーム」をしてしまうことになる。mocoちゃんもこのあたりのこと、詳しく書いてましたね。
 
 思えば私たち夫婦も数え切れないくらいこういう「脚本」の場面に入り込み、激しい「ゲーム」を何回も繰り返してきました。私もmocoちゃんのように「存在するな」の重い禁止令を持っています。禁止令が重いと「早くしろ」のようなドライバーも強いのですね。畢竟突き上げてくる感情も強烈なものになります。

 人は誰でも自分が過剰に反応しやすいストレス状況を持っています。それが「脚本装置」です。こうした「脚本装置」は日常の至る所で私たちを待ち構えています。その掛け金が容易く外れないようにするためには、制御する強靭な「A(大人の自我状態)」を作り上げていく必要があります。私は余り好きな言葉ではないのですが、もし「愛」というものがあるとすれば、鍛え上げられた「A」のなかにこそそれはあります。いっとき人を襲う恋情は「愛」とは無縁のものだという気がします。

 「恋」ほど人を脚本に入りやすくするものはないと言ってもいいほどですね。殆どは「恋」という名の「ゲーム」をしているに過ぎません。それでも人は性懲りもなく「恋」をし、いっときの美酒に酔う。いずれ覚め果てたとき再び酔う美酒は「A」でつくるしかありません。長い時間をかけて醸造し、やがてそれは「恋」から「愛」に変わっていく。「愛」の美酒は汲めども尽きることがないのです。

 「結婚」というストレス状況から「愛」の美酒が醸造できるかは、日々の生活にかかっていると私は思います。何より大切なのは「ストローク」です。無条件のプラスのストロークが出せれば最高ですね。受け取ってこれほど嬉しいものはありません。自分が欲しければ、自分から惜しみなく出し続けることです。

 さあ、明日は早く起きて夫に「おはよう、愛してるよ!」って言ってみましょうか。う〜ん、そこまでいくにはちょっとまだ醸造の熟成度が足りないみたい。mocoちゃん、一緒に頑張ろう!
 
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2007年03月23日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

Sさんの就職

 今日はとても嬉しい報告がありました。あるクライエントさんの就職が決まったのです。内定通知書を持って彼がわざわざ来てくれました。

 詳しいことはここでは書けませんが、彼はこの間まで某大学院の理系の学生でした。とても才能ある若者なのですが、ちょっとコミュニケーションが苦手なところがあって、就職活動はなかなか大変だろうと思われました。しかし彼はよく頑張ってネットで丹念に調べ、自分に適した職場を幾つか見つけて果敢にエントリーし、そのうちの一社から見事内定をかち得たのです。

 新卒の就職戦線は「売り手市場」に傾きつつあるようで、就職活動も大分楽になってきた感はありますが、それでも活動する側にとっては大変なストレスです。ましてや余り自己表現が得意ではなかったり、雄弁に言葉を操ることが苦手だったりする場合は、なかなかうまくいかずに落ち込んでしまうこともままあります。彼はカウンセリングを受ける傍ら、CSNが主催するコミュニケーショントレーニンググループにも参加し、就職するための努力を重ねてきました。本当によくやったと思います。

 彼はもうすぐ3泊4日の新人研修のために、会社が用意した研修所のある地方へ旅立ちます。研修が終わると同時に配属先が決まり、4月からは新入社員としての日々を送るということです。何もかもが新しい体験で、思いがけない状況に見舞われることもあるでしょうが、持ち前の粘り強さで乗り越えていって欲しいと願います。

 今日の彼はいつもに増して晴れやかな顔をしていました。研修に対する不安もさほど感じられず、望みをかなえることができた満足感に充たされているようでした。今後もサポートを続けることを約束しながら、一回り大きくなったように見える彼が、これからもっと大きく成長していく姿を思い浮かべました。心からのエールを送ります。
 
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