2007年06月11日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「場」としてのCSN

 突然ですが昨日事務所の換気扇を掃除しました。台所についているやつです。CSNの台所で料理をするということは滅多にないので、それほど汚れないだろうと多寡をくくっていたのですが、この下が喫煙場になっているせいもあるのか、最近は羽の部分に分厚くたまっている埃がやけに目立ってきて気になっていました。

 取り外してみると羽部だけでなく周囲も結構ひどいことになっていて、ゆうに1時間も格闘するはめになってしまいました。しかし思えばここに事務所を移転してから早や2年と数ヶ月。その間1度も掃除していなかったのですから、このくらいの埃がたまっても不思議はないなぁ、と妙に納得。換気扇にたまった埃に改めて経過した月日を認識させられました。

 CSNを設立したのは、サンプラザ相談センターが閉鎖した2003年の年末ですから、それから数えればもうかれこれ3年半になります。その間には事務所の移転をはじめ、本当に色々なことがありました。何よりもサンプラザの活動を継承すること、特にカウンセリングとグループワークを何としても続けたい、というのが立ち上げたときの思いでした。とはいえどこからも資金がでるわけではありませんから、カウンセリングもグループワークも有料にせざるを得ず、なれない運営に音を上げかけたこともあります。

 サンプラザは国の予算で運営する無料の施設でしたから、若者を主な対象としていたとはいえ、年齢も境遇も様々な人たちが来談し、一種独特な場になっていました。盛んに行われていたグループワークから生まれる数々のネットワークは、コミュニケーションが苦手で孤立しがちな若者たちにとって、人とのつながりを実感できる貴重な場となっていたと思います。

 「場」というのは本当に不思議な力を持っています。そこでは人と人がその存在に根ざした深い何かを共有することが可能であり、相互作用によるダイナミクスが創生されます。それが他者とのつながりや自己への気づきを促す大きな力となるのです。

 但しそれは、その「場」の特質によります。職場、酒場、広場、たまり場など私たちの周りには様々な「場」がありますが、そのなかで本当に生身の自分がリラックスして飾らずに他者と交流できる場というのはなかなかありません。CSNを、単にカウンセリングを受けるだけでなく、そういう「場」としても機能させたい、というのは立ち上げたときからの願いでした。

 3年半という時を経て、ここではサンプラザとはまた違った、というか、より濃密な「場」が出来つつあるのを感じます。先日の405さんのブログ(こちら)にあったことも、もちろん本人の力によるものですが、その力を引き出すのに、CSNという「場」が大きく関与していると思います。そしてそこまでこのCSNという「場」が成熟してきたのだなぁ、と感慨深いものがあります。

 しかし「場」の成熟と換気扇の埃は比例してほしくはありませんね。今度からは数ヶ月に一度はこまめに掃除するようにしよう、と健気にも決意を新たにしたかなりんでした。

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2007年06月04日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

結婚式

 昨日CSNのメンバーたちと夕食をとりに近くのお店に行ったら、その店の前で結婚式の二次会と思われる大勢の若い男女がしきりに携帯情報を交換し合っているのに出くわしました。こういう光景、近頃良く見かけますね。

 多分新郎新婦の友人たちなんでしょうが、かなり長い時間を費やして妙に熱っぽい雰囲気でした。こういう場で交際のきっかけをつかむというのもよくある話だし、結婚式というのは、未婚の男女の結婚願望を否が応でも駆り立てるようにできているので、きっとみんなそういう心理に支配されているんだろうな、などと勝手に想像してしまいました。

 とはいえ、かくいう私は一度も友人の結婚式に出席したことがありません。考えてみれば、十余年に渡る長い学生生活であったにもかかわらず、結婚式に呼んでもらえるような親しい友人が一人もできなかったのですね。まぁ、卒業後しばらく実家に寄り付かない時期があって、音信不通だったから、呼ぼうにも呼べなかったということもあるでしょうが、結婚式に呼びたいようなタマではなかったという方が確かなところでしょうね。

 結婚式に呼びたくなるようなタマとは、素直に自分の結婚に羨望の眼差しを送ってくれる性格の友人に限ります。「ウワー、××子、きれい〜!!」と嘘でも歓声をあげ、「ステキなだんな様ねえ、羨ましいワ〜ン」と大げさな賞賛を浴びせることが苦もなくできる、世の中にとても適応的な人であることが求められます。

 それなのに当時の私はといえば、「あら、馬子にも衣装ね」と平気で口にしかねず、「あんなありきたりな男と結婚?××子もヤキが回ったねえ」くらいは言い放つ、全く性格ワルーい女でしたから、普段は「かなりんは自由で羨ましいわ〜」なんて言ってお茶くらいは一緒に飲んでたトモダチも、大事な結婚式にあんな奴は呼びたくないと思っていたのでしょう。

 思い出してみれば、結婚式に限らず、学生時代の友達と卒業後もつき合うなんてことは全くと言っていいほどなかったですね。かの上野千鶴子大先生が何かの著書のなかで、「人間はどんどん変わっていくものなのに、若い半端な自分が半ば偶然につき合った友達とその後もずっとつき合い続けるなんていう人の気がしれない」と書いておられましたが、些か過激なご発言ながら、私も結構同感なんですね。

 学生時代の私は、一人でいる方が集団でつるむよりずっと快適だと感じていました。映画を見るのも芝居を見るのも一人。休講になって読書新聞片手に駆けつけた新宿のアートシアターで、これもやはり一人で見に来ていた友人にばったりなんてこともありましたっけ。夜中のジャズ喫茶には、一人夜を過ごす若者たちがたむろしていて、お互いに口も聞かずに一人の世界を楽しんでいました。昼間はデモでつるんでも、夜は専ら一人で過ごす、これがその当時の私の生活パターンでした。

 しかし、そんな青春が一般的だったというわけでもありません。同級生のなかには、結婚式に友達どころか先生まで呼んだ人もいたらしい。今でも付き合いを続けているクラスメートも多いみたいで、「ナントカさんの娘の結婚式に呼ばれた」なんて話さえあるほど。何年か前にたった一度だけ出席した同窓会で聞いて、「ウヒャー」という感じでした。

 思えば「結婚式」というのは、「お葬式」と並んで、社会生活のなかで最も通念化したセレモニーと言えますね。着るものや作法も骨子が決まっていて、大幅にはみ出ることは許されない。どれだけ社会というものに無批判に適応しているかのリトマス試験紙のようなものです。だからこそむやみに反発を募らせた若い日を経て、今では「ほどほどの適応」という技を身につけました。これぞ「老練」というものですね。ですからCSNのメンバーで結婚する人は是非式に呼んでください…といっても当分いそうもないですね。残念!
 
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2007年05月28日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

第3回通常総会開催

 先週の金曜日(25日)に当NPOの定時総会がありました。早いもので今年でもう3回目を迎えます。1回目はこの恵比寿研修室でやりましたが、2回目以降は渋谷区女性センターで開催しています。大組織とは違いこじんまりとした会なのですが、やはり一年一度の総決算ですから些か緊張しますね。

 総会前はそのための書類づくりに追われる日々でした。毎年同じ事をしているので、いい加減余裕が生まれてもよさそうなものですが、いつもぎりぎりまで何やかんやと追い立てられます。総会に引き続いて行う懇親会の準備も結構大変なんですね、これが。

 去年はnekoちゃんと二人して重い荷物を抱えてデパチカを歩き回って食料を仕入れました。それで始まる前からもうくたくた。品数が多すぎてせっかく買ったのに出し忘れたものもあったりして。そんな轍はもう踏みたくないと今回は中華のパーティーセットを事前に発注。私設デリバリー車(夫のBM)で運んでもらい、大助かりでした。

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070525soukai02.gif  誰が雨男(雨女)なのかあいにくの悪天候だったのですが、15名ほどの会員さんが出席してくださり、つつがなく審議を終えることができました。引き続いての懇親会では、普段余りお会いできない顔も揃い、飲みながら食べながらの歓談で盛り上がりました。

 総会終了で一段落ついたとはいえ、まだ東京都への提出書類の作成や法務局への財産変更登記など面倒な作業が残っているのでなかなか気が抜けません。それに「今年度の事業計画を承認を頂いた計画書どおりに遂行する」という、何よりも重要な任務があります。来年の総会でいい報告ができるよう、結局は一年間気は抜けないですね。 
 
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2007年05月26日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ブログライターより愛をこめて

 今日は「新米主婦mocoの奮闘日記」をアップする日なのですが、今週の水曜日にmokoちゃんが体調を崩して入院してしまいました。といってもそんなに大変なことではないらしいのですが、まぁ何と言っても一人だけの身体じゃないので、早めに大事をとるということのようです。そこで今日は、ブログライターの面々が、mocoちゃんとお腹の赤ちゃんにお見舞いの言葉を捧げることにしました。

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< ブログライターからmocoちゃんに贈る一言>

A子 退院したらみんなでお腹の赤ちゃんの激励会をしようね!

neko イケメンドクターに恋しちゃだめですよ。

かなりん 入院が疲労回復になりますように。

スイマー ファイト ヾ(@^▽^@)ノ


405 ダンナさんにチューしてもらうと治りがいいかも。

男N 来週「また来週〜」が戻ってくるのを楽しみにしてます♪
 

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2007年05月21日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

一人暮らし

 先日会員のIさんと喋っていて、「所得格差」の話になり、そのときIさんがこんなことを言っていました。
「確かに格差は是正していかなくちゃならない問題だとは思うけど、何せ今は異様に一人暮らしをする若者が増えていると思いませんか?ウチの父が言ってたけど、昔は事務の女の子に一人前の給料なんか出さなかったって。どこの家も何人かの働き手がそれぞれの収入を持ち寄って家計を支えていた。それがばらばらになったら、格差が出るのも当然じゃないですか?」

 うーん、確かにそう言われてみればそうかもしれないなあ。我がNPOの会員さんにも一人暮らしが多い。このブログを書いているライター7人を見ても、そのうち4人が一人暮らしをしている。過半数とはなるほど異様と言えば異様かもしれない。因みにIさん自身も事務職の一人暮らしで、「こんなこと言えた義理じゃないんだけど…」と前置きしてたっけ。

 私の若い頃は一人暮らしなんてしたくてもできなかった。Iさんの父上がおっしゃるように、就職したての女の子に一人で暮らせるようなお給料なんてどの会社も払わなかったし、採用の条件に「親元から通えること」なんてのを入れてるところも多かった。地方から上京している男の子にしても、大方は学生時代は学生寮、就職してからは会社の独身寮ってパターンでしたね。

 参考までにちょっと東京都のホームページを覗いてみたら、単身世帯の数は年々増加して、今は約570万世帯のうちの240万世帯にまで増えています。高齢者の単身世帯も増えているだろうから、全部が若者の一人暮らしとは言えないまでも、相当多くなっていることは事実でしょうね。それに住民票を移していない人もいるだろうから、実際はもっと多いのだろうと思います。

 私の場合はうるさい親から逃れるために、卒業早々に結婚してしまいました。親から自由になる方法がそれしかなかったのね。相手の住んでいた4畳半一間のアパートで二人暮らし。これだと世帯数は増えないのよね。もし私が一人暮らしをしたとしたら、2世帯で済むところが3世帯になるから、確実にパイの分け前は減ってしまう。それに自分一人の食い扶持を取ってくるような力もなかった。今はパイも大きくなって、女性も以前よりは力を持つようになったとはいえ、限度はあるし、より大勢の人数で争うわけだから競争は激しくなるわよね。昔は割を食うのは殆ど女性だったけど、今は男性も割を食う人が多くなった。それが「格差」となって表われてる、とまぁ、いかにも素人のラフな分析ではありますが、そんな風に考えられるわけです。

 折りしも日経に面白い記事を見つけました。世帯の収入が日本一豊かなところは、東京でも大阪でもなく、意外にも北陸の富山市なんだそうです。世帯の平均月収は何と71万円。100万を越える世帯も多いのだとか。どうしてこんなことになるのかというと、富山市では2世帯3世帯同居の家族形態が普通で、女性の常用雇用率も66%と日本一。世帯主以外の家族も総出で働いて収入を持ち寄る「多財布家計」なのだそうです。家族が多ければ、一人前の稼ぎがない家族がいてもカバーできるし、子どもの面倒を見る手にも困らない。そういう総働き家庭を行政も様々な制度をつくって後押しする。こうして都会の核家族が逆立ちしてもかなわない豊かな労働環境を作り上げているのだとのことです。

 「イエ付きカー付きババ抜き」という結婚の条件が喧伝されたのは、もう一昔も二昔も前のことです。今は結婚どころかシングル世帯が急増しているこの大都会。私も若い頃一人暮らしができていたら、そんなに急いで結婚なんかしなかったかもしれません。ましてや2世帯、3世帯同居の大所帯で暮らすなんてまっぴら御免の気分でした。今でもどんなに豊かで暮らしよくても富山で暮らしたいとは思わないけど、都会でぎりぎりの一人暮らしをするのもしんどい話ですね。余りにも苦しいようだったら実家への「Uターン」も考えてもいいのかもしれません。

 誰にも煩わされず自由に自分だけのライフスタイルを満喫できる一人暮らし。しかし、その「自由」と引き換えに支払わなければならない代償はけっして小さくはありません。何が起きてもわが身一つが頼り。能力、資産、健康に恵まれて、パイを大きく分捕れる力がないと容易く破綻してしまいます。 私たちの世代があれほどに憧れた一人暮らしが、今や不安と格差の温床になりつつあるとしたら何とも皮肉なものですね。

 それでもやはり捨てるにゃ惜しい一人暮らしの自由と気概。どんなに悪戦苦闘をしても手放したくないのなら…、やっぱりブートキャンプで腹筋を鍛えることですね。
 
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2007年05月14日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「愛しい」ということ

 昨日のA子さんのブログにもあったように、先週の金曜日の「キャリアサポーター養成講座」には、当NPOのスーパーバイザー高瀬義幸が特別講師として参加しました。今講座では受講生たちが行ったCRP(カウンセリングロールプレイ)の検討を順番に行っています。当日は以前一度検討していたA子さんのレポートを再度取り上げて検討しました。

 彼女はブログに「反省するのはサルでもできる」と言われた、と書いていて、それだけ読むと、「このスーパーバイザーは何と嫌味なことを言う奴だ」と思われた向きもあるかもしれませんので、もう少しその文脈が分かるように補足しておきます。

 A子さんのレポートには、カウンセラーの聞き方や態度が未熟であったことの反省が随所に書かれています。曰く「質問ばかりしている」、「クライアントのペースに添っていない」、「カウンセリングの方向性を定め切れていない」などなど。確かにその傾向は顕著で、それに気づくこと自体は決して悪いことではありません。高瀬講師が指摘したのは、気づいたその後にどうするのか、ということなんですね。

 「反省するのはサルでもできる」という言葉の後に、講師は「反省というのは、往々にして、そこで思考をストップさせてしまう装置になりがちなんだ」と続けています。即ち「だめなところを何とかしよう」ということに気をとられ、何とかしようと思えば思うほど何ともならない、というパラドックスに陥りやすいのだ、と。そしてそれは、「あゝ、うまくできない自分はダメだ」という自己否定につながっていくのだと。

 大切なのは「自己受容」だ、と彼は強調しました。「どうしても質問をしてしまう自分」、「沈黙に堪えられない自分」、「うまくやらなくちゃ、と焦る自分」、そういう自分を、「どうしてそうなってしまうのか」と考え、自己理解を深めるとともに、「まぁ余りうまくできなくても仕方ないか」と認めていく。不完全でダメな自分をありのまま受け入れ、「それでもいい」と思えることが、引いては目の前のクライアントが自身に対して抱いている否定感を和らげていくことにつながるのだ、と。

 交流分析の用語では、「自他に対するOK感」ということになるのですが、講師は「そうなんだけど、いかにもアメリカ的でしっくりこないんだよね」と言いつつ、「愛しい」という言葉を提示しました。「かなしい」と読めた人はかなりの日本語通ですね。

 ダメなところのある不完全な人間同士が、だからこそお互いに思いをかけ合う、その気持ちのありようが「愛しい」という一言には籠められています。日本語独特の感性を持つ言葉ですね。確かにアメリカ渡来の交流分析にはないニュアンスがあります。

 心理学だけではなく、仏教や民俗学にも造詣が深い講師の授業は、受講生たちにとってとても新鮮だったようです。当分安ギャラには目をつぶってもらって、またちょくちょく来てもらおうと目論んでいるところです。
 
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2007年05月07日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

連休の過ごし方

 長いようで短いもの、汝の名は連休なり・・・
というわけで、あっという間に過ぎ去ってしまったゴールデンウィーク。
昨年と同じようにどこにも出かけずに過ごしました。
まぁ、飛び石でカウンセリングが入っていたりもして、完全な連休というわけにはいかなかったということもありますが。

 朝は心ゆくまでだらだら過ごし、昼間はお菓子をつまみながら本を読み、夜はたまっていたビデオを見る。おゝ、素晴らしき哉、こんな生活!

 誠に生産性のないこと夥しい日々でしたが、こんな生活だからこそできる思索というやつもあるのです。例えばかなり前に買って未読だった「差別原論」(好井裕明著・平凡社新書)という本を読み、余りにも真っ向勝負な著者の姿勢に感動する心のどこかに微かに感じる違和感、果たしてこれは何だろう、とか、ビデオで野田秀樹の「ロープ」を観て、暴力の種はどんな弱々しい人のなかにもあるものなのではないか、弱々しく見える人ほどその種子は大きく膨らんでいるのではないか、とか、終始嘆きと独白に彩られた蜷川「オレスティス」に、こういう芝居に辟易した感じを抱くのは自分の変化なのか、とか、「母親殺し」の重圧は、息子と娘のどちらにとってより大きいのか、とか、「エレクトラコンプレックス」ってホントのところ何なの、とか。

 はっきりした答えが出るわけでもないこんな問いをぐるぐるさせながら、ボーッとしているのもたまにはいいものです。それに連休最後の夜は、毎年恒例「平井光一バースディーライブ」に行き、日本有数のミュージシャンたちの演奏を満喫しました。

 以前にもご紹介したように、平井さんは当NPOの特別PC担当顧問。このHPの管理や会報の制作にはひとかたならぬお世話になっています。それで例年のこのライブにはいつもお邪魔しているのですが、今年はとりわけ素晴らしかった!特にドクトル・ヌモトとのアコギのコラボは絶品。それこそ息もつかせぬほどの技の連発。アンコールで演奏した「地中海の舞踏」にはナダソウソウのかなりんでした。音楽にこれほど心を揺さぶられたのは初めてです。

 振り返ってみれば、結構充実したGWだったじゃありませんか。
さあ、気を入れ直して今日からまた仕事です。
 
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