2007年11月19日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

壊れる

 つい2週間くらい前、ホームページに引き続いて2台目のデジカメが壊れた。修理に持ち込んでも結構高くつきそうなので、新しいのを購入した。こういうものは機能がどんどん進化していて、前のに比べてとても使い勝手がよい。
 
 何かが壊れるというのは、新しいものを手に入れるチャンスでもある。ホームページもどうやっても修復不可能ということがわかり、一挙にリニューアルをすることにした。こちらはデジカメのようにさっと買い換えるというわけにはいかないけれど、新しいサイトができればまた気分も一新するだろう。

 壊れるのはいい気分のものではないけれど、自分が引きずっている古い考え方や行動パターンなんぞは、早く壊してしまった方がいい。そうはいってもこちらはそうそう簡単に壊れてくれない。新しいものをつくるのはホームページよりも格段に難しい。

 壊れて欲しくないものが壊れ、壊したいものは壊れず、ホームページ騒動に明け暮れたこの3週間。でも人間だけは何とか壊れずに済んだようです。


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2007年11月17日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

長い間お休みしてごめんなさい!

 本当にご無沙汰しました。
 
 我がNPOのホームページがダウンしてから早や3週間余り。
やっとブログを復活させることができました。
まずは毎週律儀に原稿を送ってくれたmocoちゃんの「子育て日記」から。
4回分を一挙掲載します。またこれからご愛読ください。

 ホームページは只今大車輪でリニューアル中です。
近日中に皆様にご覧頂けると思いますので、もうしばらくお待ちください。
その間はこのブログにて情報を発信します。
 
 今後とも7人の侍ならぬ7人のブログライターたちへ変わらぬご声援を賜りますよう、
隅から隅までズズズーイと請い願い奉りまーす、ネ♪

                           かなりん
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2007年10月22日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「NPOまつり2007」

 昨日のA子さんのブログにもありましたように、週末の2日間は、NPO事業サポートセンターが主催する代々木公園でのイベント「NPOまつり2007」にメンバー総出で参加しました。はっきりとした数は分かりませんが、様々な分野のNPOがそれぞれ趣向を凝らしたブースを出していました。おりしも秋たけなわ。両日とも天候に恵まれ、会場はかなりの人出で賑わいました。

071021NPOmaturi.gif  私たちは昨年の「昇竜2006」と同じく、「職業適性テスト」と「エゴグラムテスト」の簡易版を用意していったのですが、フィードバック要員が足りなくなるほどの盛況でした。にもかかわらず、ふらふらと遊びに出かけてしまい、フリマをひやかし、馬に頬ずりをし、「救助犬」のブースに入り浸る、全く困った代表理事(私です!)をメンバーが探しに来て呼び戻したりする一幕もありました。

071020NPOmaturi3.gif  こういう場所に来ると私はもうFCが全開になってしまって、どうにもじっとしていられないのです。それでも数多くのNPOの方々とお話をして見聞を広め、ネットワークが組めそうなところも幾つか見つけました。2日目のステージでは、「人を支援するNPOのシンポジューム」というのが、観客の少なさにもめげずに行われたのですが、そこでご一緒したパネリストの皆さんとは、終了後にもいろいろお話をして今後の協力を約束し合いました。

071021NPOmaturi2.gif  本当にこういうイベントは楽しいですね。準備は大変だったけれど、参加して良かったなって思います。まだインターンとはいえ、こうした場数を踏むにつれてキャリアサポーターたちのフィードバックも上達し、安心して任せられるようになっています。来年はもっと私が遊び回れるようになることでしょう…なんて言ってると、「邪魔だから来るな」って言われそうだから、「来年はもっと真面目に仕事します!」ってことにしておきます。

 最後に、フィードバックを担当してくれたキャリアサポーター養成講座の受講生はじめ、ボランティアで受付けや搬入を手伝ってくれた会員の皆さんと、私たちのブースを訪ねてくださった大勢の方々に、このブログより心からの感謝を捧げます。

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2007年10月15日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ひきこもりの「ゴール」

 何ヶ月か前に東京都が行った「ニート・ひきこもり支援機関に対するアンケート」というのがあり、そのヒアリング担当者として当NPOを来訪された石川良子さんが、最近本を出版されました。タイトルは「ひこもりの< ゴール>」。“「就労」でもなく「対人関係でもなく」”という副題がついています。ご本人から出版を知らせるメールが届いたのですが、私は既に日経の書評欄で見つけていました。「1977年生まれという若い著者が、新しい視点で『ひきこもり』を論じている」とあり、来訪のとき「ニートやひきこもりと呼ばれる人たちに最も大切なのは、就労やコミュニケーションスキルの習得ではなく、自分に対する肯定感だと思います」という私の話に深く共感してくださったのを思い出しました。

 数日前に送られてきた本を興味深く読みました。石川さんは現在横浜市立大学の講師をしておられますが、大学院時代からずっと「ひきこもり」というテーマを追っていらして、メールによると、この本も今年3月に提出された博士論文に手を加えたものだそうです。メールには「“当事者”にとって『ひきこもり』とは一体いかなる経験なのか、そこから回復するとはどういうことなのか、なぜ彼/女らは社会参加できない(しない)のか、という素朴ではあるけれども根本的な問いに真正面から取り組みました。また、近年『働いて稼げるようになること』が回復目標として強調される傾向にありますが、就労や経済的自立の達成、あるいは対人関係の獲得を回復とすることの問題点を指摘しました。」とあり、渾身の著作であることが偲ばれます。

 昨晩から今日にかけて一気に読んでしまったのですが、確かにメールの文面に違わず読み応えがありましたね。著者自身が自助グループに参加したり、新たなグループの立ち上げに関わったりするなかで、多くの生の声を聞き取りながら問題の本質に迫っていくという過程が踏まれています。そして「何が真の回復になり得るのか」を掘り下げ、著者独自の見解を提唱しています。

 著者はまた、論旨を展開する過程で、ひきこもりの支援活動に携わる機関や人々にも言及しています。自助グループが主体となったコミュニティー活動は、問題が顕在化してくるにつれて活発になるのですが、その目標は「対人関係の獲得」ということにありました。それが急激に「就労」に傾くのは、2003年に「ヤングジョブスポットよこはま」が設立されてからだと指摘しています。私も当施設からの依頼で講演やグループワークを行ったのですが、確かにその運営には「ひきこもり」の関連団体が深く関わっていたことを思い出しました。著者も“当事者”たちがいかに「働かなければいけない」という強い思いにとらわれているかを、数々のインタヴューから引き出しています。

 活動家でこの立場を明確にしているのは、長年こうした活動に携わり、昨今の厚労省肝入りの事業である「ニート・ひきこもり支援塾」を受託していることでも知られる某NPOの代表者、工藤定次氏です。著者も触れていますが、彼は「内面的な葛藤はひきこもりならずとも誰にでもある」として、「経済的な自立」こそが本人たちの強く望むところであり、それ以外に問題解決はない、としている点で、著者ならず私にも「???」があります。翻って著者は、「ひきこもり治療論」を展開するメジャーな精神科医斎藤環氏にも触れています。氏は「ひきこもり」を「対人関係の欠如」と定義づけていますが、それだとコミュニティー活動などである一定の成果をあげ、「外にも出るし、友達もいるし、人間関係もある」という状態は、もはや「ひきこもり」とは呼べない、ということになり、それはようやく手に入れた「自己を語るための語彙」を喪失することに他ならず、「それでは果たして自分は何ものなのか」という不安のなかに放り出され、一時は気が楽になっても再びきつくなるという状況がある、と著者は述べています。

 “当事者”の代表格として度々引用されているのは、上山和樹氏の手記です。彼については、私も「ビッグイシュー」誌に斎藤環氏との往復書簡が連載されているのを読んで、注目していました。氏は「ひきこもり」を“甘え”とみなす人々の批判対して、「自分は苦しくても頑張って働いているのだ」という主張との表裏一体性を指摘しています。「ひきこもり」とは根本的に、例えば「働かなければならない、しかし働きたくない」というような価値観の葛藤を伴うものであり、自身を動けなくするほどのその葛藤の強さは、ひきこもっていない人には理解できない、という氏の主張を受けて、著者は「どうすれば納得いく形で生きていけるのかを考え抜く作業を伴わない就労支援は、当事者にとって有意義なものとはなりえない」と述べています。

 一般的な「回復」のイメージに疑念を唱える著者は、それでは終局的に何をもって「ゴール」とみなしているのでしょうか。多くの聞き取り調査からの実感として、著者は彼ら“当事者”のうちに「生きていくのか、それとも死ぬのか」というぎりぎりの問いが生起していることに着目します。「自分は何のために生きているんだろう」と問い、そしてそれが35年もかかって「ただ生きて、ただ死ぬのだということに尽きる」と気づいたとき、自然に吹っ切れたというある男性の例などを引き、そこにアンソニー・ギデンスが「実存的問題」と呼んだものがあることを提起します。「何故生きるのか、どう生きるのか」という「実存的な問い」に、「無意識や実践的レベルで『答え』をもっていること」が「存在論的に安心である」ということであり、それは言い換えれば「そんなことを日々強く意識せずに生きられる」ということです。日常的には全く意識せずに済んでいることを意識せずにはいられない、ということが、「存在論的に不安」だということなのです。

 このようなことから、著者は「ひきこもり」からの< 回復目標>を、「存在論的安心の確保」だと述べています。それは引いては「日々のルーティーン」を立て直すことにもつながるのです。“当事者”を襲う「実存的疑問」は著しく日々のルーティーンを損なうからです。そして前記の男性が気づいたように、「生きる」とは、まさにそのルーティーンそのものだからです。しかし著者は、ひきこもりの元祖学者玄田有史氏が提唱するような、「実存的疑問」を一時棚上げにしてルーティーンの建て直しを図る、という方法の有効性を一部認めながらも、真正面から「実存的疑問」に取り組むアプローチがもっと尊重されるべきではないだろうか、と主張しています。これは、カウンセリングや「交流分析(TA)ワーク」などを通して、「自己受容感の獲得」を目標にしている私のアプローチとも重なるように思います。

 先日読んだ日経出版の「格差論争」では、団塊世代かあるいはそれ以上と思われるおじさんたちが、「ひきこもりやニートなんぞは、恵まれているからできるだけなのに、今はマスコミに騒がれて金になるから支援のなんのという連中が出てくるんだ」みたいなことを話していました。そこまでひどくはなくても「彼らが就労できる仕組みや社会をつくることが必要」という論調が専らでした。今の行政や支援機関はこの世代が中心となっていますし、親たちもそうです。そしてかくいう私もその一人です。この世代の女性たちは、「経済的自立こそ女の自立」というフェミニズムを戦ってきています。「ひきこもる若者の苦しみ」を話しても、彼女たちの反応は概ね冷やかです。“当事者”の母親たちでさえ、「何で働かないの?!」という言葉を胸に溜め込んでいることが多いのです。「働かなければ一人前じゃない」という価値観を至上とする私たちの世代に、著者のような若い世代が「もっと理解を!」と真摯に叫びながら切り込んでいく姿勢に心からエールを贈ります。
 
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2007年10月01日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

便利さの代償

  ここ数日グッと気温が下がりました。秋到来ですね。今はやっと会報第3号の発送も終えて一段落しているところです。出来上がった会報を改めて見直していると、夏の暑い盛りの格闘がついこの間のように偲ばれますが、こう急に冷え込むと冬の到来もすぐそこって感じがしちゃいますね。昨日の講座の後男Nが、「今年の暖房はどうしよう…」とつぶやいておりました。

 さて件の会報、会員の皆さんにはもうお手許に届いている頃と思います。お読み頂けましたでしょうか?今回は3面の「特集」に「均等法後〜私の場合〜」と題した座談会を掲載していますが、そのなかで「仕事と育児の両立」について話し合われているところがあります。そこで「育児休暇の取り難さ」ということが話題になったとき、I.Sさんが「約束が破られることもなく、宅急便が翌日届くこの日本で、消費者の自分と労働者の権利を十分行使する自分とは両立しないのではないでしょうか。」と発言しています。そして「欧米でそれができるのは、他の人の仕事を他がカバーする義務がなく、社会で常に物事がオンタイムで進むことが前提とされていないからだと思います。」と続けています。

 確かに生活の中で意識して見直してみると、ひと昔前に比べて消費生活は格段に便利になっていますね。コンビニならずともスーパーさえもかなり夜遅くまで営業しているし、夜通しやっている店も増えました。ファミレスや漫画喫茶のほかに24時間マックなんてのもできてるらしい。宅配便は届けて欲しい日はおろか、時間までも指定できるようになっているし、欲しいものはネットでどこからでも取り寄せられる。お正月やお盆に食料を買いだめする習慣ももはや過去のものになりました。

 お正月といえば、よりによって去年の大晦日に我が家の給湯器が壊れ、修理を頼んだことがありました。ちょうどおせち料理にとりかかったところで、まだ仕事が片づかずににばたばたしている私に代わって夫が包丁を握っていました。早速メーカーに電話をかけて「この寒いのに水で料理をしろというのか」と自分勝手な理屈で食い下がる夫に、「さすがに今すぐは無理だけれど、明日一番で伺います」とのご親切なお返事。夫も「まぁ仕方ないか」と渋々了承して何とかその夜を凌ぎ、明けて元旦の朝8時、ピンポーンのチャイムに「元旦の朝っぱらから誰?!」と眠い目こすりつつ玄関に出てみると、約束どおり給湯器の修理の人が来てくれたのでした。このときばかりは「あぁ、日本に住んでてよかった!」と思いましたね。だってこれが欧米のクリスマス休暇中かなんかだったら、3ヶ月くらいは平気で待たされるところでしょうから。

 考えてみれば、私が子どもの頃は水道の蛇口からお湯が出るなんて夢みたいなもんだった。それでも祖母や母は料理をし、雑巾がけをし、薪で風呂を沸かしていたのです。今みたいにセンサーを内臓した複雑な構造の家電も少なかったから、修理なんかも素人でもできたりしてたんですね。それが段々便利さを追求するうちにどんどん生活形態が変化し、ここまで来てしまった。それでも企業戦士を専業主婦が支えている時代はまだ何とかなったのだけれど、女性も男性と伍して働く時代になって、様々な問題が浮上してきました。

 「育児休暇」というのもその一つですね。「子育ては妻にまかせっきりで…」などと言える時代はもはやこれまで。しかし、ぎりぎりの人件費で最大の利益を上げることに汲々としている企業は、休暇の制度は作ってもそのための人員の手当てはせず、結局は誰かがその分をカバーしなければならなくなる。それが原因で子どもを産む女性と産まない女性との間に対立が起こる、というのもよく耳にする話です。

 誰だって消費者としての顔は持っているのだけれど、その便利さの陰にどれだけの労働力がいるのかということは余り考えていませんね。「お客様」としての心地よさを味わうには、それが翻って「労働者としての自分」にはね返ってくることも承知の上でなければなりません。何か欲しいものを手に入れるためには必ずその代償を支払わなければならない、というのは自明の理です。大いなる文明の利器と便利さを享受しながら、自分の生活の不便さは何一つ我慢しようとしない似非エコロジストも多いみたいですが。

 十分な育児休暇を獲得できる社会にしたければ、注文した品物が届くのが少々遅くても、深夜に買い物ができなくても、修理がすぐに来なくてもちょっと我慢しましょうよ。世の中全体のペースがもっとゆったりしてなければ、長い年月を要する「育児」なんて仕事はできませんよね。本当に女性が生きやすい社会というのは、きっと男性も生きやすいんだと思います。そのためには少しくらい「便利さ」という代償を支払ってもいいとは思いませんか?
 
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2007年09月24日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

初回のテーマは「自己一致」〜キャリアサポーター養成講座〜

いよいよ「キャリアサポーター養成講座・実践応用コース」が先週の金曜日から始まりました。当NPOのスーパーバイザーである高瀬義幸をメイン講師に据え、より深くカウンセリングを学び、その基礎実力を向上させることを目的とした講座です。これまで何度かこのブログでも書きましたが、どんな形で何をやるにせよ、カウンセリングの力がないと有効なサポートはできないということは、日々実感するところです。

 初年度の養成講座では、カウンセリングの諸理論を概観し、そのなかでCRP(試行カウンセリング)を行い、理論と実践の結びつきを模索しました。また「フォーカシング」についても学び、実習を行いました。2年目は、「マイクロカウンセリング」の技法を学び、その都度の実習とCRPによって、より確実に身につけることを目指しました。その他にもサイコドラマや構成的エンカウンターグループ、職業検査の実習など幅広い学習で実力を養いました。

 しかし残念ながら、初年度から勉強し続けてきた受講生のなかからはまだ当NPOの「キャリアサポーター」として認定できる人は出ていません。別に出し惜しみしているわけではないのですが、認定した人には希望があれば今後NPOで活動してもらうつもりなので、いい加減なところで認定してしまうわけにはいかないという思いがあります。今年は外部で勉強してきたという受講生も交え、今のところ4名の小グループですが、お互いに切磋琢磨して認定を獲得して欲しいと願っています。

 先日の初回の講座では、オリエンテーションの後、各受講生が自己紹介をしながらその豊富や思いを自由に語ってもらう時間をとりました。初めての講師に加え、受講生同士でも初対面の人もおり、皆幾分緊張気味でしたが、それぞれの意欲は十分伝わってきました。今回もCRPを行うことになり、その組み合わせも決まりました。面倒な逐語記録やレポート作成にあえて挑もうとする受講生諸氏の熱意を頼もしく感じました。

 高瀬講師の講義では、ロジャースの「カウンセラーの必要にして十分な3つの条件」の一つである「自己一致」を取り上げました。その過程に、「カウンセラーが自身の内に生起した言葉になる前の感情をとらえる」というのがあります。レジュメにある小谷英文氏の論文では「フェルトミーニング」となっていますが、これはまさにフォーカシングでいうところの「フェルトセンス」ですね。小谷氏はその感情への「焦点づけ」として、「2〜3分、あるいはそれ以上の自己への注目による焦点化」と説明していますが、これもフォーカシングの過程と同じです。ロジャーズの療法とジェンドリンのフォーカシングの深い関係がここにも表れていますね。

 因みに私もカウンセリングのなかでフォーカシングをたびたび使います。フォーカシングを学んだときは、カウンセリングそのものの技法としては使いづらい感じがしたのですが、ケースを担当するようになって、カウンセラーの感情に気づくことや、それに巻き込まれずにいることのためにはとても有効であることを実感しました。講座の中では、私の体験についても少し話をしました。

 その次の過程である「クライアントへの伝達」については、私の場合はもう出てくる言葉が身体化している感じで、余り考えて伝えるということはありません。「身体化した言葉」というのは、頭で考えた言葉より数倍伝わりやすく、また大きく間違えることはないのですが、いつもぴったり的確であるというわけにはいかず、たまに失敗してしまうこともあります。そんな失敗ついても講座のなかで話しました。

 小谷論文のなかでは「個人的(主観的)文脈の中で、押しつけにならない、すっきりした平明さをもって、表明される」とありますが、これはなかなか難しいことだと思いました。私の場合だと、「押しつけにならない、すっきりした平明さ」を保つために、どうしても「個人的文脈」をいくらかそれてしまうことがあります。ということは、私は自分が思っている以上に「個人的文脈」を抑制しているんじゃなかろうかと思い、「客観的でありながら主観的であれ」というようなこの命題をカウンセリング場面のなかでどう生きるか、ということが、改めて自分の課題として浮かび上がってくるのを感じました。

 というわけで、現役カウンセラーにとっても大いに勉強になるこの講座、1回目が終わったばかりの今ならまだ間に合います。あと1〜2名の参加は可能ですので、もっとカウンセリングの力をつけたいと思っていらっしゃる方は是非参加してください。お待ちしています。(あら、最後は宣伝になっちゃった!? )でも本当ですよ!

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2007年09月17日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ストレスとイメージ

 昨日は第8回目の交流分析(TA)講座がありました。テーマは「ストレスと脚本」。理論を学びながら、自分自身はどうかということを考え、話し合うというのがCSNの講座のスタイルです。「ストレスがかかると脚本に入りやすくなる」というところで、受講生の皆さんがそれぞれどんなストレスに反応しやすいかを話してもらいました。

 何がその人にとって耐え難いストレスになるかは、人によって違います。他の人には大したことに思えなくても、その人にとっては物凄いストレスを感じるということはよく見られます。例えば「人前で話す」ということにしても、それほど苦痛に思わない人もいますが、苦手意識のある人にとっては大変なストレスを感じるでしょう。

 この苦手意識というのはある種の「思い込み」です。アルバート・エリス流に言えば「イラショナルビリーフ(誤った信念)」ですね。この「信念」は「否定的なイメージ」を伴います。それは「失敗」のイメージです。知らず知らずのうちに「自分にはできない、きっと失敗する」という結果を思い描いてしまう。そして見事に失敗する。彼(彼女)は「あゝ、やっぱりダメだった…」と、思い通りの結果に落胆し、「やっぱり私はダメなんだ」というビリーフを益々強化してしまう。彼(彼女)はそのときまさに「脚本」を生きているのですね。

 TAでは、人間を「行動」と「思考」と「感情」のセットとしてとらえています。「きっとうまくいかない」という思考は、不安や緊張などの感情を呼び起こし、そして行動に影響を与えるのですね。エリスの提唱する「論理療法」は、この「思考」の偏りを是正することで、「感情」や「行動」を是正していこうとするものです。「認知療法」というのもそうですね。誤った「認知」が感情や行動を現実にそぐわない不適切なものにすると考える。また、「行動療法」というのは、とにかく行動することで、その原動力になる思考と感情をコントロールしようとします。最近よく見られる「認知行動療法」というのは、その両方からのアプローチを使います。

 私は「催眠療法」を手がけますので、「感情」からのアプローチというのも使います。呼吸や姿勢で身体をリラックスさせることで心の緊張を緩め、自分にとって心地よいイメージを喚起するのです。繰り返すことでイメージが定着していき、思考と行動に変化を及ぼします。

 「脚本」の土台には必ず「自分はダメだ」という否定感があります。この感覚は人生の過程で何回となく繰り返される体験で強化され、その人にとって揺るぎのないものになってしまいます。ここから脱却するには、上記のいずれの方法でもよいので、自分の「行動」「思考」「感情」を少しずつ変えていくことが必要です。昨日は「思考」を「イメージ」に置き換えて、「失敗」のイメージを「成功」のイメージに変えていくということを話しました。

 その話のときに「いつも成功しなければならないのですか?」という質問が出ましたが、そんなことはありません。「失敗」を自分に対する否定感につなげなければよいのです。「成功」をイメージできていると、「失敗」は「成功へのプロセス」としてとらえることができ、その時点で「脚本」に陥ることが少なくなります。「イメージ」というのは、心と身体の両方に作用しますので、ストレスに抗する非常に有効なツールになり得ます。是非使ってみてください。

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