2008年08月25日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

デュセイの言い分

 先日のブログでお伝えしたように、会報の制作が
進行中の我がCSN事務局ですが、やっと猛暑が影を潜め
涼しい日が続くようになって、何とか特集記事の原稿を
書き上げつつあるかなりんです。

 1千字くらいのスペースしかないので、たいしたことは
書けないのですが、それでも何冊かの参考文献を読みました。
そのなかでも面白かったのは、エゴグラムの生みの親、
ジョン・M・デュセイの著書「エゴグラム」(新里里春訳、創元社)です。
もう絶版になっているみたいなのですが、アマゾンの中古本を
手にいれました。

 その本の序論に、デュセイがある集まりに招かれて、
ゲシュタルト療法のパールズと初めて会ったときのことが
書かれています。考えることを得意とするデュセイに対して
パールズはまず直面して後から考えるタイプ。
彼は「親の影響をことごとく値引きし」、「責任(転嫁)の旅に
我々を引きずり込むくだらないものだ」と主張してデュセイを
挑発します。「親の自我状態は大切なもので、多くの親は子どもに
肯定的な価値観を伝えるものである」と意見を差し挟んだ
デュセイに対して、待ってました!とばかりにパールズは
「『親の自我状態』はストレスがあるたびに急に飛び出すものだ
と勢い込んで言った」のです。

 「と同時に演台の上に飛び乗って、ビーズのネックレスを
後ろにやり、オレンジ色のジャンプスーツの大きなジッパーを
すばやくおろし、何百人もの観客に目配せして、『ジャック、
俺はペニスを出すぞ!』と叫んだ」のです。デュセイが「驚いて
反射的に『止めろ、してはいけません』と言うと、パールズは
目を輝かせて、勝ち誇ったように『ほうれみろ、お前の<親の
自我状態>を引き出した』と言った」というエピソードが綴られて
います。天下のパールズも当時は結構ばかばかしいことを
やってたんですね。(でもかなりんとは気が合いそう♪)

 もっともデュセイは、「パールズは私が今まで信じてきたことを、
彼の豊かな『自由な子ども』の自我状態でもってぐらつかせた。
そして私が行動派の治療者になる動機をせき立てたのである」
と書いていますから、デュセイにとっては人生を変える出会いと
なったことが偲ばれます。

 デュセイは、「エゴグラムは心理的な指紋のようなもの」であり、
「人は皆それぞれ特有の、観察し、測定可能なユニークな
プロフィールを持っている」と言っています。彼はバーンの打ち
立てた自我状態理論をもとに、そのエネルギー量に着目して
それをグラフ化し、不足したり過剰になったりしている各自我状態
のバランスをとることで、「パーソナリティーの建設的な成長を
促進する道具として役立てることができる」と主張します。

 デュセイの提唱したエゴグラムは、自分で、或いは親しい他人が
勘(感じ)でつくるものでした。そのためにグループがよく活用されて
います。有名な「メアリーのオーガズム」の事例は、エゴグラムが
構成された最初のケースということですが、これにもグループが
非常に貢献しています。「どうしてもオーガズムに達しない」という
メアリーの悩みをグループで取り上げ、その場で彼女のエゴグラム
を作成し、「養育的親」が足りないことに気づいた本人が、メンバーの
勧めがきっかけで料理学校に通うことになり、様々な抵抗をグループ
のサポートで凌ぎ、ついにオーガズムを経験するに至るというものです。
彼女のエゴグラムはその後劇的に変化していました。

 デュセイは実際にとったエゴグラムに、それぞれ「がんこな警官」
とか「やさしいサリー」とか「ドンファン」とか、ユニークな名称をつけて
います。このあたりはいかにも、ベストセラーになった「人生ゲーム
入門」という著書のなかで、一つ一つのゲームに「キックミー」とか
「さあとっちめてやるぞこの野郎」とか、面白い名前をつけている
師匠のバーン譲りという感じがしますね。

 デュセイはこの本の第6章で、「パーソナリティーの成長を促す
技法の実際」と題し、低い自我状態を高める方法を述べていますが、
「自由な子ども」のところで、周りの人がどんなおへそをしているか
想像する「へそ調べ」とか、同じく「ヌード分析」とかを挙げているのには
笑っちゃいましたね。かなりんに最も欠けている「順応した子ども」に
関しては、「対立した意見を仲裁する」とか、「レストランや映画を
相手の選択に任せてみる」とかが挙げてあります。しかしそれは
「過度に開発してはいけない。過度に発達した『順応した子ども』は、
非生産的なラケットに捕えられる」という注意書きがついています。

 新里先生は、「AC(順応した子ども)は不用意に高めてはいけない」
とおっしゃっておられます。レストランで他人の選んだものなんか
食べたくないし、ましてや自分が観たくもない映画に金と時間をかける
なんて考えられないから、デュセイ先生には悪いけど、かなりんの
ACはこのまま放っとこうっと♪

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2008年08月19日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

つか爛漫

 昨日は、男Nにブログを代わって貰っての久々の芝居見物。
所は新橋演舞場、出し物はつかこうへい作・演出「幕末純情伝」。

 つかさんの「幕末」は初演のパルコ劇場のを観ました。
かれこれ20年ぐらい前。その前に岸田今日子が主演した
「今日子」を新宿で観たとき、最後にこの「幕末」の予告編を
やったんですね。まるで映画館みたいに。怒涛のような音楽を
バックに繰り広げられる激しい殺陣の応酬。スピーカーの
大音響が「女が本気で恋をすれば歴史も変わる!」という
キャッチフレーズを叫ぶ。いやぁ、かっこよかったですねえ。

 主演はつか劇団屈指の女優平栗あつみ。今回宝塚の女優が
演じた坂本龍馬は、当時は西岡篤馬でした。3時間余の長い芝居
でしたが、本当に面白かったですね。でもその次に観た藤谷美和子
主演のやつは最悪だった。いかにつか演出がすごくても、主演女優
の力量がなきゃあ、芝居は台無し。ときにアイドルを主演に据えたがる
つかさんの芝居はこれが弱点(と私は勝手にそう思ってます)。

 今回も石原ナントカいうアイドルが主演と聞いて、ちょっと不安だった
のだけれど、つかさんの芝居は、2002年阿部寛が主演して話題となった
かの「熱海殺人事件−モンテカルロイリュージョン」以来実に6年ぶり。
因みにこの舞台はよかったですね。両国のシアターーX という狭い劇場で
やったのを2回も見ちゃいました。

 さて今回はというと、やっぱり石原ナントカには余り感心しなかったけど、
他はすっごくよかったです。シナリオも進化しているし、何よりつかワールド
がこの舞台にこれでもかというくらい凝縮してた。大勢の男たちがビシッと
タキシードできめて踊る「飛龍伝」ばりのダンスレビューも何回もあったし、
それにあの若林ケンが何と3回も歌ったんだから♪
 「熱海」ではたった1回だったのに。
大向こうから「ワカバヤシ!」と声までかかった。ウワッ、芝居っぽい!

 つかさんの芝居というのは、タイトルは同じでも以前観たのとは
ガラッと変わっているのが常なのですが、今回は時代背景からして
「幕末」が昭和の戦後とかぶり、憲法第9条とか、GHQだとかが
でてきます。設定も、沖田総司ばかりか「坂本龍馬も女だった」
から始まって、ハリウッドが総司を「風とともに去りぬ」のヒロイン
にと熱望しているとか、岩倉具視に鬼畜丸という隠し子がいて
「瞼の母」やらせたり、もう前代未聞、荒唐無稽。

 それに風貌がまるで似つかわしくない西郷隆盛が出てきて
(長髪に金色の燕尾服着てた!)、「生きて虜囚の辱めを受けず」
(何故か帝国陸軍の軍人が出てくる)と無理やり子どもと撃ち合わされて、
父だけが撃ち子どもは撃たなかったがために子どもを殺してしまい、
精神を病み、ゲイになっているのです。

 「親子が撃ち合って、父だけが撃ち子どもは撃たずに死んでいく」
というのは、いやでも三島由紀夫の「鹿鳴館」を思わせます。しかし
その後影山男爵が何事もなかったように平然と振舞うのに比して
人間の弱さをイヤと言うほど見せつけるのがつか流ですね。
この辺り、三島へのさりげないアンチテーゼも垣間見えます。
 
 それから特に面白いと思ったのは、新撰組の土方歳三が
発達障害みたいな造形をされていたこと。いかにも弱々しい
感じの、ラッキョウみたいな頭した俳優さんが演じていました。
「人と会ったらこんにちわって言うって習ったよ!」というのを、
やくざみたいな高杉晋作が「うるせー!」と怒鳴ってぶちのめす
というシーンがあったり、近藤勇に「回れ!」と命令されてずーっと
回り続けて倒れちゃうとか。

 この土方、自堕落な女房と大家の間にできた子どもを育てている
のですね。「女房はいつかきっと大家に捨てられて自分のところへ
戻ってくる」とか言いながら。でも最後に「こんなのやってられっかよ!」
と赤ん坊を放り出し豹変します。ウワッ!

 つかさんの芝居は、「前向きのマゾヒズム」とか言われいるらしい
ですが、畢竟サディズムとも隣り合わせです。「鬱屈した攻撃性が
ストイックなマゾヒズムとなり、ついにそれが爆発する」という
エピソードは、どの芝居にも見られます。今回の「幕末」で、近藤勇が
労咳の総司のために、医者に身体を売ってペニシリンを手に入れよう
としたのに、医者というのは嘘で、薬も手に入らず、その相手を殺して
しまうという場面がありましたが、これは「熱海(モンテカルロ)」でも
使われていたエピソードです。かの阿部寛扮する木村伝兵衛刑事部長
が、恋人だった棒高跳びの選手速水のために二丁目で身を売って
金を貢ぐのです。木村は自らもブブカと並ぶ世界的な選手だったのですが、
そのために選手生命も犠牲にします。そしてついに速水を殺すのです。

 舞台には「死ね!」「殺せ!」のセリフが飛び交い、殴る蹴るの暴力場面が
ひっきりなしに出てきます。人が人を完膚なきまでに打ちのめし、傷つけ、
そのぎりぎりのところで搾り出すようなセリフを吐く。口立てでセリフをつける
というつか芝居のまさに真骨頂です。つかさんの激しい演出に、役者は己の
心の底の底の、見せたくない汚いものまで一滴残らず吐き出させられる、
と言います。

 最後に今回の「幕末」で特に印象に残ったセリフを一つ。
水のみ百姓の長男として生まれ、親から弟たちの間引きを強制されて
トラウマになっている徳川の武士秋月兼久。丁稚奉公した若狭の米屋
で亭主を刺し殺し、女房を犯して金を盗み、秋月家の家禄を買ったと
いう経歴の持ち主。その秋月が男爵に上り詰めて、自由主義を標榜する
龍馬に言うセリフです。

 「六十四州の民百姓が飢えているっていうのかコノヤロー、それがどうした。
お前の作りたかったデモクラシーは、一人に損させんと一人が儲からない、
一人を不幸にせんと一人が幸せになれん、そういう政治形態だろうが。今
日本がのうのうとしていられるのは、アフリカやインドの貧乏人どもに石油を
使わせねえからだろ。そいつらが、『僕の勉強部屋にも、私の勉強部屋にも
クーラー一台』って言い出してみろ。石油なんかすぐになくなるよ。それを
させねえ様に戦争しかけていくのがデモクラシーだろ。何気取ってんだ
コノヤロー。坂本龍馬?天下の坂本龍馬?もうそんなクソみたいな名前、
覚えている奴誰もいねえよ。もうお前の時代は終わったんだよ。」

 それから今回買ったパンフレットに書いてあったのですが、「つかこうへい」
というペンネームは、とある演劇評論家の推測のように「いつか公平」から
きたのではなく、60年代の活動家「奥浩平」からとったんだって!うら若き
ハタチのかなりんの愛読書、「青春の墓標」。いつも持ち歩いてぼろぼろに
なってたまさに「青春のバイブル」でした。ギャハッ!!

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2008年08月11日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

夏に壊されて

 あっという間の夏休みから早や一週間。
東京は相変わらず暑い!
それでも健気に仕事をしている私。
というのも、ただ今会報作成真っ只中なのです。

 何せ昨年の9月に第3号を出して以来、かれこれ一年が
過ぎようとしています。これ以上放っておくと、掲載することが
たまり過ぎて収拾がつかなくなってしまう・・・という危機感から、
雑多なあれこれの合間にやっと手をつけたのがひと月前くらい。
いつもの事ながら、事務ボランティアnekoちゃんの奮闘のおかげで、
大分形になってきました。

 今回の特集は何にしよう・・・といろいろ考えたのですが、
たまたま当NPOのO理事を中心に新事業プロジェクト発足の機運があり、
そのためにアセスメントテストの考案に取り組むことになって、
これを機に今までのテスト結果をまとめてみようと思い立ったのです。

 思い立ったまではいいのですが、これが思った以上に大変な
作業でした。設立以来グループワークや講座やカウンセリング
のなかでとったエゴグラムは、なんと549例にもなっていました。
それを一つ一つ分類していくんですからね。男Nとnekoちゃんの
尽力なしにはとてもできませんでした。

 というわけで、めでたく最終集計まで漕ぎつけ、
nekoちゃんがしっかりと表にしてくれました。
あとは私が記事を書くだけなんですが・・・。
ここまでできていて進まない。

 じっと表を眺めていると、苦手な数字がばらばらに踊りだす。
え?あれがこれで、これがあれで?こんなのもあるの?
あゝやだ!統一した動きがつかめない。
もう・・・どうまとめたらいいのかわかんな〜い!
これヒトエに夏の暑さのせいだかんね!
かなりんがムノウなせいじゃないかんね!

 と何もかもを夏のせいにできたらいいのにい!
そうもいかないのが世の常、義経、ゴンギツネ。
どう、男N? いい線いってる?
ついでにもう一つ。
こんなに仕事してるんだから、金くれ、盆暮れ、ヘッタクレ
・・・って、
とうとうかなりんも壊れてきた?!

 さて、ばかなことを言ってないで仕事しましょう!
記事書け、汗かけ、コレキッカケ。・・・ってね。

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2008年08月04日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

自立は×年後。さて結婚は・・・?

 皆さんこんばんは。
現在8月3日PM10:00ジャスト。
ただいまかなりんは軽井沢の山荘で夏休みのひとときを満喫中です。
昼間は少し蒸し暑かったけど、今は寒くもなく、暑くもなくとても快適です。

 明日帰京した後では、もうブログなど書く元気も残っていないかも
しれないので、スイマーさんのVAIOで早めに書いておこうという魂胆。

 日曜日の旧軽は人でごったがえしていたのですが、その混雑を縫って
とてもお買い得なサンダルを買った後、銀座通りのはずれでゆったりと
ランチ。デザートも充実していて大満足。

 その後がこの日のメインイベント。以前も行ったことのある占い館で
スイマーさんを占ってもらうことになって、一行5人でぞろぞろと押しかけました。
占い師は星健太郎という、これがまた名前に違わぬかなりなイケメン。
それだけではなく、ものすごく言うことが的確で、当人はじめ全員がびっくりして
しまいました。

 「自分はパス」と言っていたメンバーも、余りにもびっくりして
次々に占ってもらう仕儀と相成りました。そこでの一番の収穫は
何といっても男Nの将来が明らかになったことです。
どんな結果だったか知りたい方は、本人から直接聞いてもらうとして、
本当に「な〜るほど」ってナットクしきりのかなりんでした。

 私を含め他の3人の占い結果も、その洞察の鋭さにはさすがのかなりんも
脱帽するほど。常々感じているのですが、占い師、それも特に男性の占い師
というのは優れた人が多いですね。下手なカウンセラーなんか足元にも
及びません。

 というわけで今日のメインイベントは大成功!
明日は安曇野の近くの松川村まで足を延ばし、スイマーさんご推薦の蕎麦屋さんで
お昼を食べる予定です。残った時間を思い存分エンジョイして帰ります。
それでは皆さん、お休みなさい。


 

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2008年07月28日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

夏の盛りに

 いよいよ私のダイダイダ〜イ嫌いな夏が本格的にご到来。
朝起きて「今日も夏だ」と思うだけで気が滅入る。
ただでさえ不調な朝は、クーラー当たりでだるさもひとしお。

 今日一日のオフとはいえ、
家事など一切する気にもなれず、
新聞をポストに取りにいく気にさえもなれず、
かといってまとまった本を読む気になどもさらさらなれずに、
気だるさと所在無さが入り混じったような気分で、
昨夜読みさしたままテーブルの上に放り投げてある
雑誌を手に取りました。

 そしたらいきなり曾野綾子氏の巻頭エッセイで、
こんなセリフに出くわしました。
 「僕は結婚式は嫌いだね。一月か二月すると
もう別れたいと言ってくるのが多いんだから。
しかし葬式はいいね。葬式は完璧だ。神の元に
送り返すんだから」
 長崎はコンベンツァル聖フランシスコ教会の
坂谷豊光神父のお言葉だそう。こういうセリフを
吐くには、相当の年季と骨がいりますね。

 そこで少しシャキッとして、そのエッセイを
読み通しました。それは、主に著者夫妻が頼まれ
仲人をし、後に幼い子どもを連れて離婚した
安井浩子という女医さんの話でした。

 彼女は離婚しても職はあるし、子どもをみてくれる
両親も健在で特に困ることもなく、幾つかの病院に
職を得て働き続けてきました。しかしある日、離れた
地で学生生活を送っていた息子が交通事故で突然
亡くなってしまいます。その後病院を退職し、一人娘
として両親を見送った彼女は、東京の自宅を売り、
自分の本拠地は軽井沢の山荘だけにして、去年
渋谷の道玄坂に週末診療をする医院を開いたとの
ことです。そして「若者達の町渋谷で、彼らの満たされて
いない心の状況を、いつか打開するための働きもしたい、
とも言っている」のだそうです。

 エッセイではベトナム難民から日本の医師となった
武永賢氏にも触れています。彼もまた、安井氏と時を
同じくして、新宿の繁華街に週末も診療する医院を
開いたとのことです。

 家族を全て失った孤独な境遇のなかで、なお周囲の人々に
目を向け続ける初老の女医と、祖国ベトナムでの辛酸を
なめ尽くして再び人生に挑戦しようとする青年医師とが、
「申し合わせたのでもないのだろうに、まず日本で人々が
病気になっても見てくれる医師が少ない時間の空白を埋める
ために働きだした」のです。

 曾野氏はこのエッセイの中で、氏が「余生を途上国での
医療活動に捧げ、そこで生涯を終えてください」と声をかけた
という4人のことを書いています。
上記の2人の他に、日本ではライの第一人者であり、
国立療養所・長島愛生園園長を務めた医師中井栄一氏、
そして、南アのエイズ・ホスピスで長年患者と暮らし、
エイズの末期患者からうつった結核で今年命を落とした
根本昭雄神父です。「神父は私が頼んだように、殉教の
道を全うした」と著者は書いています。

 安井医師と中井医師は、曾野氏が日本財団時代に
行ったアフリカの貧困調査旅行に自費での参加を
呼びかけられて応じています。曾野氏は2人に
「お2人とも長い間思う存分仕事をしてきて、一応一生
食べるくらいのお金にも困らないでしょうから、残りの
人生を途上国の人たちのところで人助けをして、そこで
死んでください。そのための下見旅行にきてください」
と言ったのだそうです。それも「自費で」です。
こういうセリフも年季と骨がなきゃ、そうそう言えたもんじゃ
ありませんね。

 「もちろん、自己の運命の第一責任者は自分だ。ただし
周辺もそのために働いている。良いことも悪いことも、望ましい
ことも望ましくないことも、健康も病気も、悲しみも喜びも、
なぜか平等にそのために動員される。要はそれらの要素を、
当人が使いこなせるかどうかだけだ」と著者はエッセイの
最後に書いています。

 夏ばてでたるみ切った身体と心がシャキッとするためには、
このくらいのことを言ってもらわないとだめですね。
さあ、私も自分の中の全てを動員してダ〜イキライな夏に
立ち向かいましょうか。


(文中の「」内は、新潮45・8月号掲載、曾野綾子著「夜明けの新聞の匂い」より抜粋)

 
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2008年07月21日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

因果なお仕事

 もう大分前のケースになりますが、30代くらいの女性が、
「上司とうまくいかない」というご相談に見えたことがあります。
その方は某公共施設に勤務する職員さんでしたが、上司は
辣腕ぶりを買われて最近民間会社から移ってきたという
年上の女性で、赴任当初から彼女のことを「無視する」と
言うのです。

 朝挨拶をしても知らん顔をされる、担当の仕事からは
いつの間にかはずされ、ミーティングの時間も知らせて
もらえない、ことさら彼女にだけ細かなミスをあげつらって、
皆のいるところで声高に叱責する、他の人が嫌がるような
面倒な仕事をわざと彼女に振ってくる、などなど、これでもか
といわんばかりの上司の意地悪ぶりが延々と話されました。

 彼女の語り口は一方的で、上司に対する非難のタネは、
「ろくな大学を出ていない」、「母子家庭で育ったらしい」、
「水商売上がりだという噂もある」というようなことから、
服装や化粧にまで及び、聴いている私の方がうんざりして
くるようでした。そして、いつの間にかその上司の気持ちに
なって彼女を見ている自分に気づきました。
「こんな部下だったら無視もしたくなるなあ・・・」と。

 こういう風に、対人関係に問題のあるクライアントさんは、
カウンセリングルームのなかで、カウンセラーを相手に
その関係を再現することがよくあります。そのことにご本人は
気づいていません。それを気づいてもらうのは、これがまた
結構難しいのですね。辛抱強く話を聴きながら、その折々に
少しずつこちらの気持ちを伝えていくしかありません。

 こういうケースは、かなり根深いところに自己愛の手痛い
傷つき体験があることが多く、クライアントさんは無意識に
それに向き合うことを避けているので、自分と上司との
ぎくしゃくした関係性の後ろに何が潜んでいるのかなどと
いうことには気づきたくないのです。上記のケースも
クライアントさんが母親からいつも美しくて華やかな従姉と
比較されて育ち、今でも拭いがたい劣等感を抱いている、
ということが語られるまでには、相当の年月を要しました。

 このクライアントさんには非常に強い容貌コンプレックスが
あり、ご自身の女性性に対する否定感が、対人関係上の
様々な問題を引き起こしていたのです。よく話を聴いていると、
上司とだけではなく、同僚や後輩とも余りうまくいっていない
ことが明らかになってきました。

 こうした否定感は、気づいたからといって一朝一夕で払拭
できるものではありません。しかし、全く何も気づかずに同じ
対人関係のパターンを繰り返していくよりは遥かにましです。
クライアントさんに力があれば、こういうところまで来ることも
できます。カウンセラーとしても、クライアントの執拗な上司転移
に堪え続けた甲斐もあったというものです。

 でも残念ながら、気づく前に途切れてしまうケースも多いの
です。本当にもう少しのところでするっと身をかわされてしまう
ことが結構あったりするのです。そういうときは自分の未熟さを
棚に上げて、口惜しいような、虚しいような、複雑な気持ちに
なります。そして、そんなえもいわれぬ感情を味わうのもまた、
カウンセラーという因果な仕事の側面なのだろう、と妙に納得
したような気持ちになるのです。

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2008年07月14日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

催眠のすすめ

 mocoちゃんご主人代筆ブログのコメント(こちら)でも
書きましたが、先週の日曜日の午前中に自己催眠をかけました。
テーマは「禁煙」。以前「不眠」でかけたことがあるのですが、
それにしても随分久しぶりの自己催眠でした。効果は我ながら
驚くほどです。

 風の噂に聞くところでは、mocoちゃんご主人はもうとっくに
あえなく挫折したとか。やはり催眠かけた方がいいんじゃない?

 「催眠」というと、何か怪しげな「洗脳」みたいなものを
思い浮かべる向きもあるかと思いますが、決してそのような
ものではありません。「催眠術」や「催眠ショー」と、療法としての
「催眠」とは似て非なるものです。

 「催眠」とはいわばイメージを使った自己暗示による行動の
コントロールです。暗示が潜在意識に働きかけ、顕在意識に
よる「行動の決断」よりもう少し深いところで作用するので、
「不屈の意志」や「我慢」といった苦しい要素なしに目的が達成
できます。但しその暗示が受け入れられ、効果を発揮するため
には、細心の注意と集中力を必要とします。

 どんなイメージを快く感じるか、とかどんな暗示なら受け入れ
やすいかというのは、自分が最もよく知っているのですから、
「催眠」は自分でかけるのが一番です。とはいえ、顕在意識の
下層にある領域のことになると、結構自分では気づいていない
ことや、分かっていないことが多いのですね。だから、慣れる
までは専門家と話し合って、暗示をかけてもらうほうが効率的
なのです。療法士はその人に最適な暗示文を一つ一つ作成
して治療に臨みます。
 
 催眠では余り深いテーマは扱わないことになっています。
人によっては被暗示的な状況のなかで退行したり、病理的
なものが出やすくなったりします。予期せぬような事態が
起こって、当初の目的が達せられないようであれば速やかに
中止せよということです。米国では、「催眠療法士」の資格
だけで「トラウマ」などの課題を扱うことは禁じられています。

 それにもう一つの問題点は、顕在意識でははきりと望んで
いると思うことでも、半意識的、或いは無意識的なところでは
強い抵抗があったりする場合も多いということです。その場合
はどんなに素晴らしい暗示も受け入れませんから、まずは
カウンセリングなどでその課題をクリアにしておくことが必要に
なります。

 私の場合は、「禁煙」のテーマの奥に、心理的な「依存」から
「強迫性」に関わる一連のの問題があり、その「強迫的依存性」
を取り払ってしまうことに頑固に抵抗する自分がいるのを感じて
いましたので、今まで催眠をかけなかったのです。しかし、今回は
たまたま関わりの深いクライアントさんからのお申し出ということも
あり、自分の「依存性」という課題にも、顕在意識のところで取り組む
準備ができたような感もあり、「では一緒にやってみようか」という
ことになりました。

 とにかく「催眠」の効果があがる第一条件は、「その人がそのことを
心から望んでいる」ということです。ということは、「もし暗示がきかな
ければ、そのことを本当には望んでいない」ということになります。

 さて、それではあなたも試しにやってみますか?

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