2009年01月19日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ココロのチカラ

 私と一緒に三鷹市で社協の「こころの相談」を担当している
みよみよこと岩井美代子さんが、「こころのちから」という本を
出したのは7年前のことです。昨年末に会ったとき、彼女は
「この間その本のお葬式をしたの」と話していました。
「7年も経てばもうその本の使命は終わったと思うから」と。

 本はそれなりに売れて、もう出版社にも殆ど残っていない
とのことです。みよみよは「アサーティブ」をやっている人だから、
「こころのちから」もアサーティブをベースに書かれています。
コミックイラストレーターふじわらかずえさんのユーモラスな
挿絵がついて、分かりやすく親しみやすい内容に仕上がって
いました。

 みよみよの「こころのちから」はどうやら著者によって葬られた
ようですが、今こそ「心の力」が問われる時代になったと感じて
いるのは私だけではないでしょう。金や権力がなくても、心さえ
丈夫なら生きていける。そんな気がします。もしかなりんが今
本を出すとすれば、タイトルは「今こそつけよう!ココロのチカラ」
とでもなるでしょうか。

 身体を鍛えるためにトレーニングが必要なように、心を強くする
ためにも鍛錬することが必要なんですね。身体のトレーニングには
一人で黙々と出来ることも多いけれど、心の力をつけるためには
人の中でのトレーニングが欠かせません。「社会」というのは謂わば
心のトレーニングジムのようなものです。面倒で厄介な人間関係は、
格好のトレーニングマシーンです。傷つけたり傷つけられたりしながら、
人の心は力をつけていくのです。

 生きていく中で様々な体験をするのも大切なことです。
特に失敗や挫折などの負の体験は、一段と心を鍛えるのに役立ちます。
但し安易な「経験主義」に陥ってしまわないためには、本を読んだり
理論を学んだりすることも必要です。「実感」と「理論」が融合してこそ
心の力は強くなります。

 こうして心に耐久力や包容力や洞察力をつけていければ、
易々と感情やムードに流されない丈夫な心がつくられます。
心の力にはこの他にも独創力、分析力、想像力、共感力など
沢山ありますね。いってみればこれらは「心の筋肉」のような
ものです。それぞれをバランスよく総合的に鍛えることが必要な
のは、身体の筋肉と同じことですね。

 丈夫でしなやかな心をつくる「ココロの筋トレ・かなりん’ズブートキャンプ」、
この困難な時代を生き抜くための必須アイテムとして大ヒット!・・・って
どうも「妄想力」だけが鍛えられちゃったようで。。。ってなこと言ってないで
ちゃんとトレーニングに励み、決断力と表現力と忍耐力を駆使して、
みよみよみたいに真面目に本書きます。乞うご期待!

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2009年01月12日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

それでも「つながる」ために

 今日は久々のNTBです。
NTBというのは、ナチュラルトラックバックのことです。
こちらとかこちらとかこちらに出てくるやつです。

 というのは、昨日のA子さんのブログで、「人間関係」というやつの
度し難さを改めてつらつら考えてしまったからです。

 人間というのは文字通り「人の間」で生きるもので、決して
たった一人では生きられない。生れ落ちてこのかた、
人の手を借りなければ生存さえも危ぶまれる生き物です。

 加えて人間には「自我」という厄介なものがあります。
肉体のみならずこの「自我」を育てていくためにも「栄養」が要る。
そしてこの「栄養」というのが「存在認承」だの「愛情」だのという、
これまた他者なくしては摂取できないような代物ばかりです。

 生まれて初めて接触する他者である「親」から、これらの「栄養」を
満足に摂取できなかったと感じると、人はその不足感を埋めるために
自己への強い執着と他者への過剰な欲求を抱きます。人間というのは
「自我」に関してはとても貪欲なので、生育環境がどのようであれ、
十分に満ち足りていると感じる人は余りいない。そこで世の中には
隙あらば他者から「栄養」を奪い取ろうとする人々が溢れているのですね。

 A子さんの先輩のように、他者を疎外することで集団のなかでの
存在感を確認しようとする人は結構います。その他にも権力に擦り寄ったり、
巧妙に威圧したり、不機嫌になったり、あるいは一生懸命良い子にして、
人に気に入られるようにして、果ては病気になったりしてまで、
「栄養」欲しさのあの手この手の応酬が飽かず繰り広げられているのが
「世の中」というものです。

 原理としては多分とても単純なんですよ。
奪い取ろうとするからなかなか奪えない、奪おうとするのをやめた途端に
必要なものは自然に満たされる。奪い取ることに汲々としている人たちは
結局は何も得られないのです。見かけだけの「愛情」や「尊敬」など
何の栄養にもならないのですから。

 それでも奪うのをやめるのは不安なんですね。
だってみんなが奪い取るために必死なんだもの。
やめてしまったら奪い取られるだけになって、私の心の穴は永遠に塞がらない!

 そんな「世の中」にはとてもじゃないけど出て行けない、という「引きこもり」
の人たちが増えるのもむべなるかなという気はしますが、でも 「引きこもり」
というのは「世の中」、引いては「人間関係」からの逃亡に他ならないと
私は思っています。「逃亡」には限界がありますからね。いつまでも
逃げ続けるわけにはいかない。だって彼らとて決して一人では生きられない。
言ってみれば誰かが彼らの食い扶持を負担しているのですから。
自分の食い扶持を自分で稼がなければならなければ、どんなに嫌でも
社会に出てそこでの「人間関係」を引き受けていくしかありません。

 サルトルは「出口なし」という戯曲で、他者の鏡に映ることを避けられぬ
人間の状況を「地獄」になぞらえました。自分の意識から決して出て行かぬ
他者。自分の力の及ばぬところで別の意識が自分を規定してくるという
絶望的な状況。それは他者の価値観で断罪されることへの不毛感を
募らせます。それでも彼はその状況を引き受け、果敢に選択的行動へと
アンガージュすることを説き、真の自由への道を示しました。

 A子さんは「とにかく自分のストレスを減らすために何か行動をとる。」
と書いています。「人間関係」がもたらすストレスフルな状況を引き受け、
自分で選び決断した行動を取ることは、まさにサルトルが提唱した道に
他なりません。それは彼女の「人間関係」へのスタンスを変えることにも
なるでしょう。 今後の行動のなかで、「奪う」ことから「つながる」ことへの
真の転換が喚起されることを願っています。

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2009年01月05日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「ごった煮」万歳!!

 先日迎えた新年も早や5日が経ちました。
今日が仕事始めという方も多いかと思います。
長く休んだ後の出勤というのは、その分辛いものですね。
私も今日あたりからボツボツ仕事モードに戻そうと思っております。

 昨年末の頑張りが祟ったのか、年明けは少々風邪気味で、
3が日は家で寝て食べてTV見てまた寝て・・・とだらだら過ごしましたが、
昨日は何年ぶりかの初詣に浅草まで行って参りました。
久しぶりの雷門、人出もすごかったです。
浅草寺前の境内はご覧の如くぎっしりと人で埋まり、
参拝するまでにかなりの時間がかかりました。

090104hatumoude1.jpg

20代と思しき若いお嬢さんが「アサクサデラってすごいよ」
と携帯で話しているのを耳にしました。
観音様もビックリ!ですね。

 人ごみに押されるようにして参拝してから、おみくじを引きました。
これもずらっと並んでいて、やっと順番が回って来たのですが、
降れど廻せどおみくじ棒がなかなか出てこなくて、後ろの若い人に
助けてもらう始末。冷や汗物でした。
こんな按配でよいくじが出るわけもなく、結果は「凶」。
「今年は余り新しいことに手を染めずに、じっと機を伺うべし」
とのご託宣。やれやれです。

 境内にところ狭しと並んでいる屋台のテントで、甘酒と焼ソバを食べ、
商店街に出て人形焼を買い、結構初詣気分を味わって帰ってきました。
半日ほどの外出でしたが、たまにはこういうのもいいもんですね。

 さて、今日5日は「女正月」と呼ばれる日で、お汁粉を作って食べるのが
今は昔の慣わしです。我が家もこれから作って食べようと思います。

 「女正月」とはまた古臭い言い方ですが、昔は元旦から大勢の年始客が
押しかけて、暮れからこっち休む間もなく接待に追われていた主婦も、
やっと5日頃にはその波も引き、一息つくことが出来たのでしょう。
もう都会では余りそういうこともなくなってしまい、女達も仕事に出かけていく
時代ですが、我が家では「お汁粉を作る日」の習慣だけは今でも
続いています。
 
 そういえばいつも7日には「七草粥」(もどきですが)も作って食べてます。
パパりんの大好物の「いか人参」も小さい頃からずっとお正月の食べ物として
受け継がれてきました。今年はひろみんのところも作ったみたいね。
だんな様が切ってくれた人参は美味くつかりましたか?
うちも例年通りパパが大晦日に大きなボール一杯人参を切って
どっさりつけこみ、お正月の手抜き食卓で大活躍です。

 思えば初詣といい、女正月、七草粥といい、「お正月」は古くからの慣わしや、
それぞれの家で受け継がれてきた習慣が大ブレイクする時期ですね。
年賀の挨拶も世界中にメールで瞬時に送れるようなこの時代に、こうした
伝統行事がしぶとく残存することは、奇妙でもあり、そしてまた私たちの
胸中深くに染み付いた「営々と続く民族の血」のようなものをいやでも
感じさせますね。

 以前インドネシアからの留学生を初詣に案内したことがありましたが、
「自分はクリスチャンだから」と頑なにお参りをしませんでした。
12月のクリスマスでのお祭り気分が抜ける間もなく、お正月には群れを成して
神社仏閣に詣でる日本人が、彼の目には何とも不可解に映ったようでした。

 昨晩TVで山田洋次監督の「母べえ」という映画を観ましたが、
人が思い考えることも国家に規制され、激しく弾圧された時代が
ついこの間まで続いたのだということを、改めて思い起こしました。
一色の価値観で塗り込められた時代の不幸は言うまでもありません。

 この時代の「神」は「現人神」と呼ばれる「天皇」でした。
それを誰もが疑いもなく信じ、違和感を唱えることは許されず、
「戦争に勝つ」ことこそが至上の価値であり、そのための「殺人」が
奨励された時代が、僅か60年ほど前にはこの日本にあったのです。
このように「価値観」などというものは、権力によって容易く操作され、
そして簡単に覆されもする、その程度のものだと私は思っています。

 キリストと天照大神と菩薩如来がごっちゃになっても意に介さぬ
今の日本人のアバウトさも、それはそれでいいじゃないかと私は思います。
但し、手を替え品を替え誘惑してくる商業主義にはうかうかと乗らないように
しなくっちゃね! 神社でもお寺でも初詣客をあてこんで、様々なお守りやら
お札やらが相当の高値で売られていますし、来月また皆が揃ってブレイクする
「バレンタインデー」なんていうのはチョコレート屋の陰謀に決まっています。
日本人ってアバウトな分こういうのに弱いように感じます。
おまけにお金の持ち合わせがなくても携帯の電子マネーでお買い物が
出来る。今年の終わりに「気がついたら返済能力オーバー」なんてことに
ならぬよう、皆さん気をつけましょうね!

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2008年12月29日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ココロのファイル

 年も押し詰まり、ここ数日書類の山にまみれていた
かなりんです。何せ毎日「セミナーのお知らせ」やら
「NPO関連のアンケート」やらその他諸々の郵便物が
これでもかこれでもかというくらい届き、ちょっと処理を
後回しにしているうちに、デスクの上だけでなく
事務所のソファーにまで山積みになっている始末。
おまけにスクラップ用の新聞や雑誌の切り抜きも
いつの間にかかご一杯溜まっている。年末くらい
すっきりしたいと、nekoちゃんはじめ事務所に顔を
見せたメンバーの手を片っ端から借りて整理をしました。
お手伝いくださった皆様、まことにありがとうございました。
おかげで清々とした気分でPCに向かっております。

 「書類の整理」というのは、つまりファイリングですね。
種類ごとに分類してそれを該当のファイルに綴じる。
言葉で言えば簡単そうですが、これが結構面倒な作業
なんです。最初の段階の「分類」のところでまずつまづく。
「これはどの項目に分類したらいいのか?」と迷うものが
結構多い。ファイルというのは後で見直したいときにすぐ
取り出せなければ意味がないから、大雑把に分けると
どこに綴じたか分からなくなるし、かといって余り細かく
項目を立ててもファイルばかり多くなって、これまた
取り出しにくい。適当なところで手を打てば、はっきり
分類しきれないものが必ず出てくる。
あゝ、やんなっちゃう!

 頭を使い手を使い、足りない項目を足しては何とか
分類を決めたはいいけど、かさばりすぎて綴じられない
分厚いパンフ類とか、十冊以上も送られてくる小雑誌とか
もうどうしたらいいの?ファイルはどんどんパンパンに
なっちゃうし、古いものは捨てちゃえばいいんだけど、
全部「エイヤッ!」て捨てちゃっていいのかどうか、
いちいち見返してみなけりゃ分からない。たまに大事な
資料とか保存用のデータがあったりするし・・・と、
なんやかんややってるうちに、狭い事務所の床は紙の山に
覆われて、トイレに行くのも一苦労と相成りました。

 聞くところによりますと、「事務」というのは「ファイリング」
と言い換えてもいいくらい根幹的な仕事なんだそうです。
確かに定期的にやっていればこんなに溜まりまくることもないし、
「参考になる資料があった筈だけど、どこにしまったかしら?」と、
企画書を書いている途中で探し始めて半日を費やしちゃった、
なんてことにはならない。仕事をスムーズに進めるためには、
まことに重要かつ実効性の高い作業なんですね。

 実はこの「ファイリング」、実際の仕事だけでなく、
私たちの心にも必要なんです。ファイルするのは書類ではなく、
「感情」というこれまた厄介な代物です。私たちは生きている限り、
日々様々な感情の波に襲われます。「怒り」「悲しみ」「喜び」
「口惜しさ」「寂しさ」「虚しさ」などなど、その種類は数限りなくあります。
なかには名前もつけられないようなものも多いですね。
膨れ上がり、溢れかえり、どうにも納めようがない。
納めどころも分からない。でも何とか納めていかないと、
前に進むことができなくなってしまいます。

 「分ける」というのは「分かる」に通ずると言います。
まずは自分の感じていることがどういうものなのか、
それはどこから来たものなのかが分からないと、
ファイリングはできません。とにかくできるだけぴったりくる
言葉を探して中身を言語化することから始めます。
「感情」というのはとにかく名前をつけるだけで、大きく
膨らんでいたものが少し萎むことが多いのです。重さも
幾らかは軽くなります。
 
 実際のファイリングにも言えることですが、大事なのは
分類の仕方です。これは本当に人それぞれ、「善い」「悪い」
などの価値観で分ける人もいれば、「好き」「嫌い」などという
感覚的なもので分ける人もいます。どちらにしても偏った
インデックスのファイルしかないと、無理にそれに合わせて
納めてしまいがちなので、ぴったりいきません。ファイルの
インデックスは自分で書くのですから、どんな分け方をしても
自由です。胸の内に散らばって整理のつかなかった感情が
しっくりとした「納まりどころ」を得られるかどうかは、この
インデックスの書き方に大いに左右されます。

 「プラス」とか「マイナス」とかいうインデックスもありますが、
それが「プラス」→「善い」、「マイナス」→「悪い」と結びついた
分類になってしまうと問題ですね。そういう人は「マイナス」の
ファイルごと隠してしまったりするので、実感とはかけ離れた
分類になってしまい、納まったようで本当は納まりきれていない、
などということが起こってしまいます。「マイナス」はそのまま
「マイナス」としてファイルして、しっかりとそのファイルを使う
ことが必要です。

 心の中に訳のわからないものを沢山抱えていると、
「ファイル」そのものが作れずに、呆然と立ち尽くして
しまっていたり、ときどき爆発しそうになるような人もいます。
カウンセリングでは、そのようなケースでファイル作りの
お手伝いをすることもあります。1冊ずつファイルを作り、
インデックスをつけ、時間をかけて一つ一つの感情を
それに納めていくことで少しずつ落ちついてくるのです。

 ともあれ自分なりの使い勝手のいいファイルを持つと
いうことは、実際の仕事をこなすうえだけでなく、人生を
歩むうえでもでも大事なことと言えそうですね。そして
実際のファイリングがなかなか一人だけでは進まないように
「ココロのファイリング」にも人の手を借りることは有効だと
思います。

 さて、事務所のファイルも片づいたことだし、このうえは
「ココロのファイル」の方もさっぱりと整理して新年を迎えたいと
思います。皆様も大掃除の傍ら「ココロのファイリング」にも
精を出してください。良いお年を!

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2008年12月22日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

アナログ礼賛

 CSN恒例の忘年会は明日決行です。
今年は会場選びが難航したのですが、
下見と試食を繰り返しやっと決まりました。
それでも味とボリュームが予想通りかどうかは
そのときになってみないと分かりません・・・と、
お酒が飲めないかなりんとしては、どうしても
食べ物にこだわってしまうのですが、忘年会の楽しみの第一は、
何といっても余り普段お会いできない方が来てくださることです。
今年も何人かそういう方々から「出席」のご返事があり、
今から楽しみにしています。

 今年は、コアメンバーとレアゲストを含め、
例年に増して大人数で、賑やかになりそうです。
そんななか、例の「W大学セクハラ相談室」に
於ける「情報漏えい事件」のあおりを受けて
出席できなくなってしまったメンバーがいます。
何とも残念です。

 彼女は今事後の対処に追われているようですが、
さぞかし大変なこと思います。
それにしてもデジタルデータというのは怖いですね。
簡単に持ち出すことができるし、自分にその意図がなくても
知らないところで流出してしまう。W大の事件もどうやら
ウィルスに汚染されたPCを使ってデータを整理しようとして
起きたことらしいです。

 こんなことが身近に起きてみると、改めて
気をつけなくちゃあと思います。私がかつて勤めていた
サンプラザ相談センターのような、何万件もの相談データが
あるところなぞ、よほどの注意と管理がなければ同じような
憂き目に遭っていたかもしれません。
そんなことを想像するとぞっとしますね。
サンプラが紙データで本当に良かったと思います。
今のようにデジタル化が進む前に閉鎖したのは、
それこそ「不幸中の幸い」だったのかもしれません。

 私は今でも相談の内容はペーパーに肉筆で記録しています。
日々の仕事にパソコンが欠かせなくなってはいますが、
どうも根本的な仕組みが分からないものには全幅の信頼が
置けない気がするのです。以前ホームページのサーバー管理会社から
突然「ホームページが何ものかによって侵入されているので
こちらでストップしている」との連絡があり、「データを全部更新してください」
と言われたときは、訳がわからないまま、「ウチのホームページに侵入して
何の得があるんじゃあ!!」と喚き散らしながら一日がかりで作業をしました。
すっごく大変でしたが、結局自分が遭遇しているその災難がどこでどうして
起きたのかはイマイチ理解できませんでした。

 メールなんかもちょっと間違えれば、関係のない人が
見ちゃうこともありうる。だから相談内容に関することは
できるだけメールではやりとりしないようにしています。
思えば手紙を書いて封筒に入れて糊付けして〆印を書くようなことに
ずっと慣れ親しんできてしまった私のような世代には、
クリック一つでポンと送れるメールというのはお手軽な分
何となく胡散臭い感じがしちゃうのです。

 それにデジタルデータというのは、PCの不調で何時パーに
なっちゃうか分からないという不安もつきまといます。
今回のことで「おゝ、やっぱりアナログに如くものはなし!」
の感慨を新たにしたかなりんです。

 だからという訳ではないのですが、忘年会の二次会は
恵比寿駅付近の「アナログ」というカフェを予約しました。
とても雰囲気のいいお店なのですが、難点はビルの4Fに
あるのにエレベーターがないこと。それが「アナログ」という
店名の由来なのかもしれません。いい気分で酔いの回った
面々にはちょっぴり辛いかもしれませんが、これも足腰の
鍛錬です。一次会にご出席の皆様はこちらの方への
参加もどうぞよろしく!

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2008年12月15日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

野生脳に還れ!

 先日の青少年自立支援センターでの講演で精神科医の
斎藤環氏が、「近頃は何でもかんでも脳のせいだとする
風潮が高まっているから、私たちは新たに『脳至高主義者』
という『敵』と戦っていかねばならない」というようなことを
おっしゃっておられましたが、まあ、「心」などという曖昧な
代物よりは、「脳」というはっきりしたものの方が確からしく
感じられるということはあるでしょうね。

 でもかの神田橋條治先生も「心の病気とは脳の病気である」
ってなことをおっしゃっておられますから、そういう見方は別に
最近に限ったことではないとも思います。斎藤氏の発言は、
物理的に立証できないものを排していく「科学絶対主義」への
反発も含まれていたのかもしれませんが、「敵」とまで言うのは
ちょっと大げさなような気もしました。

 まあ私とて「心の問題」は全て「脳の問題」と言い切られると
ちょっと違和感を覚えないでもありません。ありませんが、
やはり「心」は「脳」と密接につながっているんだろうな、という
気はします。それは私が「心」を抽象的な概念としてではなく、
「身体」という具象を通して感じるからだと思います。

 身体が気持ちよくなければ心も気持ちよくない。
身体の快、不快を感じるのは脳だし、身体が「気持ちよくない」
と言ってるのに「気がすまない」とか、「そうすべきじゃない」とかいう
思考を先走らせて、身体の「不快」を感じなくさせるのも多分
脳の仕業でしょう。

 人間は一人では生きられないから「社会」をつくり、
そこに「文化」が生まれ、その文化に基づく「価値観」が
脳に入り込み、それに伴う様々な感情が脳を支配するように
なった。文化が発達すればするほど人間の脳は不健康に
なったと言えるかもしれません。

 たまたま昨日の日経紙に「脳の健康法」と題するコラムが
載っていたのですが、その記事によると、効果的で最も
始めやすい脳の健康法は、生きるための強い本能である
食欲を利用した「快食療法」なのだそうです。おなかがすいた
ときに好きなもの、食べたい物だけをおいしく楽しく、心ゆくまで
食べる。夜中であろうと健康に悪いものであろうと構わない。
自分が最もおいしいと思う味付けで満足する食べ方をする
のがよいのだそうです。

 思えば最近声高に注意が喚起されている「メタボリック症候群」
に関しても、「一日きちんと三食とる」とか、「栄養が偏らないように」
とか、「脂肪分を抑えて」とか、いろいろとうるさいことが言われて
いますが、そうした現象が起こるのも、人間が「文化的な生物」
だからに他なりません。本能のままに食べている野生の動物には
「メタボ」はいませんからね。身体が必要な分だけしか食べない。
それで十分満足する機能が生まれながらに脳に備わっている
のですね。

 こうしてみると人間の脳というのは、知らず知らずのうちに
相当深いところまで「文化」に汚染されているのですね。 
「食べ物を粗末にしてはいけない」とか、「好き嫌いなく食べなきゃ
いけない」とかという「価値観」のもとに、おなかが一杯になっても
無理して残さず食べたり、嫌いなものも我慢して食べたりしている
うちに、脳がストレスに侵されてどんどん不健康になっていく。
脳が不健康になると身体も不健康になり、心も病んでくる。
「おゝ、悪循環!」ってなところでしょうかね。

 おなかが一杯になっちゃえば、自分がよそったごはんも平気で
残し、一口食べてまずいものには手をつけず、いつも「おいしい
(但し「安くて」がつく!)」を貪欲に追い求めて、皆から「食に
かけては超わがまま」と言われているこの私。
「おかげで脳も心もすこぶる健康!」ってなことで締めたいのですが、
サプリのんだり体操したり、ウエストのお肉にため息ついたりしている
自分を振り返ると、やっぱり汚染されているのを感じてしまいます。
現代人が「野生」を取り戻すのは至難の技ですね。

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2008年12月08日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

不幸中の幸い?!

 12月に入って目の前の予定をこなしていくうちに
瞬く間に日が過ぎていきます。今年は早々に年賀状は
印刷したけど、まだ忘年会の日取りも決まってない!
もっとゆったりした年の瀬を過ごすはずが、やはり
例年に違わず慌しい様相を帯びてきた今日この頃です。

 そんな中で夫が旅行に出ると言い、車の装備等の
関係で日程がなかなか決まらず、行き先も二転三転し、
私の予定との調整もあってやっと今日本決まりになりました。

 そこで夫は前にネットで予約していたホテルをキャンセルして、
新しい日程で予約しようと、入力をし始めました。たまたま
傍にいた私がそれを覗いていると、予約取り消しの画面が
出てこないうちに、規約の下の「同意する」「同意しない」
「キャンセル」と並んでいるボタンの、「キャンセル」をクリックして
終わりにしていることを発見。「これじゃキャンセルできないよ」と
私が言うと、「だってキャンセルって書いてあるじゃないか」
「これはね、この画面のキャンセルで予約のキャンセルじゃないんだよ」
「そうなのか。でも今まではちゃんと出来たぞ」とのたまう。
「もしかして。。。」と嫌な予感が胸を走り、あわてて予約確認画面を
見ると、ズラーッとホテル名が並んでいて、その横には全てに
「予約済み」の文字が・・・。
「あゝ、やっぱり!」。悪い予感は見事的中!だったのです。

 とにかく夫は結構なパソコン音痴にもかかわらず、便利さ
だけは覚えてしまって、しょっちゅうネットで買い物をしたり
音楽を録音したりしている。その上思い込みが激しく、
一度インプットされたことをなかなか修正できない。
何かの拍子に「これでいい」と思ってしまうと、決して確認しない。
普段は変に慎重なところがあるくせに、肝心なところがスポッと
抜けてしまうんですね。メールも業者からのは全部広告の
迷惑メールだと思い込んでいて、ネットショッピングの確認メールも
全部開けもしないで削除してしまい、どこで何を買ったのか
分からなくなって困るなんてことも度々、という有様なのです。

 そのくせちっとも学習しないから、同じことを何回も繰り返す。
その度に「何でこうなるんだ」と、恰もパソコンやヤフーのせい
だと言わんばかりに憮然として私に聞いてくるので、
「ッタク!この間言ったじゃない!」となること多々。今回も
計画の赴くまま、その都度ホテルの予約をし、変更しては
また予約を重ねた結果こうなってしまったのでしょうが、もう
私は、いきなり判明したこの余りにも恐ろしい事実に、
「えっ!!」としばし絶句状態。それも同じ日に違うホテルを
予約していたり、場所も東北から北海道まで様々。
「たかだか2泊3日でどうやってまわるんじゃい!!」と
突っ込みまくりつつ、とにかく全てキャンセルしました。

 何とかキャンセル料を取られずに済む範囲だったので
ほっとしたのですが、念のためにメールを見てみると、
こちらにも確認メールがズラーッ。片っ端から開けていくと、
確認画面にはないホテル名の予約メールが何通か
混じっている。全部「ヤフートラベル」からのメールで
確認・取り消しのURLも同じなのだからおかしいと思った
のですが、仕方がないのでこれは全部電話をして確認
しました。それだけで10軒くらいもあったのですが、
入っていないというところと、入っていたところが半々
くらい。ヤフーの予約システムも余りのメチャクチャな
予約に戸惑ってしまったのかもしれませんね。

 そんなこんなで午前中から我が家は大騒動。
結局数時間以上をこのために費やしてしまいました。
しかしこれが全く気がつかないままに過ぎてしまったら
と考えると、冷や汗が出ますね。キャンセル料だけで
ゆうに日本一周出来ちゃうんじゃないかってくらい
すごかったですから。さすがの夫もうなっておりました。

 そんなわけで今は、ボヤを発見し、水際で大火を
消し止めた消防士のような気分でおります。この上は
夫が無事に旅を遂行してくれることを願うのみです。

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