2015年02月10日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

口紅をつけた女たち

 先日公開された松井久子監督の映画「何を怖れる」のなかで、
田中美津さんが連合赤軍の永田洋子に会った際のエピソードを
語っている。彼女とは先方から指定された某所の喫茶店で会った。
永田が滔々と語る革命理論には全く関心がなかったが、唯一
興味をもったのが、「次はいつ食べられるか分からないから、
自分たちはレストランで食べ残したときは、必ずポリ袋に
入れて持ち帰る」という話だった。

 誘われて丹沢山中のベースキャンプに出かけて行き、彼らの
生活ぶりを見学した。そこには「感じのいい若者たち」や
「おっとりした身重の女性」がいた。それが1971年10月頃の
ことで、その翌年の2月に榛名山荘において一連の事件が起きた。
その後田中さんは「永田洋子は私だ」という原稿を書く。

 ベトナム戦争の終焉とともに下火となった反戦運動に抗う
ごとく、より過激な武力闘争を訴えて台頭してきた赤軍派。
彼らは日々喧々諤々の議論を交わし、いっぱしの革命家気取りで
いるが、その陰で女性の活動家を炊事洗濯に追い使っている。
シティーボーイ風に気取った彼らは、間違ってもレストランの
残飯を持ち帰るような格好悪いことはしない。しかしその
カッコよさは、残飯を持ち帰る女のカッコ悪さに支えられて
いることにはとんと無自覚。男と対等に渡りあうには女もまた、
いっぱしの革命家を気取るしかなかった。

 永田洋子は、射撃練習をするとき口紅をつけていたという
理由で女性隊員を粛清した。妊婦も殺した。自分たちを赤軍派に
認めさせるためには、食べ物の心配をしたり、子どもを孕んだり
するような「ここにいる女」ではなく、理屈を前面に押し出す
「どこにもいない女」にならなければならない。永田は自分の中の
「ここにいる女」を殺さざるを得なかった。殺したのは永田であり、
殺されたのも永田であった。

 「永田自身が色濃く『ここにいる女』であったがゆえに」と、
田中さんは言う。年を聞かれて一才若く答えてしまった自分自身と
重ね合わせながら。「年なんて気にしない毅然とした女として
生きる」のは「どこにもいない女」、髪振り乱して化粧もせず
革命論を振りかざす、そんな「どこにもいない女」を無理して
生きようとして、永田は噴き出した毒にやられた。「リブを生きる
自分に貴重なことを教えてくれた」と、田中さんは振り返っている。

「20歳であることを素晴らしいなんて誰にも言わせやしない」
ポール・ニザンのこの言葉を好んで繰り返しつぶやきながら、
化粧っ気もなくおしゃれもせず、デモに明け暮れた学生時代。
「口紅をつけたバカ女たち、皆殺しにしてやりたい!」
ノートに書きつけた過激な言葉を今でも鮮明に覚えている。
私もまた「永田洋子」だったのだ。

 映画には田中さんの他に私と同世代の女たちが続々登場する。
「モナリザスプレー事件」を起こした米津知子さんは、私の
元同僚の友人である。彼女もまた「バリケードのなかでともに
戦う仲間としては、化粧気のないヘルメットの女の子、個人的に
つき合うのは口紅をつけたかわいい女の子」という、男の
二重基準を見せつけられて落胆した、と話している。

 米津さんは障害者としてリブの活動を生き、友人もまた
粛々と自分の課題と取組み続けている。彼女曰く「男たちの
運動は途切れてしまったけど、女たちの運動は一度も途切れる
ことはなかった」のだそうである。

 映画の中の女たちは皆とてもきれいだ。
しっかりおしゃれもしてお化粧もしている。
それと同時に揺るぎのない自分自身を築き上げてもいる。
きれいに若く見られたい自分を抑圧せずに、外見などに惑わされぬ
毅然とした自分を保つ。女の課題は何と難しいのだろう。しかし
それだからこそ、女たちはこれほどの年月を戦い続けてこられた
のかもしれない。


 
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2015年02月03日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

禁煙記念日

“「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日”
                ─俵万智「サラダ記念日」

“節分に大した意味もないけれど二月三日は禁煙記念日”
              ─かなりん「禁煙記念日」


 一年前の今日、煙草をやめた。
そんなに重大な決心をするというわけでもなく、
「そろそろやめてみようか」という感じでやめた。
最初の一週間くらいはちょっときつかったけど、
電子煙草とアーモンドスカッチとおしゃぶり昆布を
総動員して乗り切った。

 電子煙草は短期間で卒業し、おしゃぶり昆布も
かなり頻度が減った。だがアーモンドスカッチだけは
いまだ続いている。アーモンドには水溶性の食物繊維
が豊富らしく、それが便秘に効くという。おかげで
便通はすこぶる快調なのだが、何せ高カロリーな菓子
なので要注意。一年も経ったんだからもうそろそろ
脱出どきね。

 余談ながら、男Nが久々にブログを書いた。
http://npocsn.seesaa.net/article/413417149.html
これから継続させることを目標にするとか言っている。
定めし今年の節分は、男Nの「継続記念日」になるかもしれない。




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2015年01月27日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ナイーブ・リアリズム

 社会心理学に「ナイーブ・リアリズム」という
言葉がある。人は誰でも「自分だけは他者と違って、
外界の事物を客観的事実そのままに見ている」のだ
と思っている。そして「自分の態度、考え、好み
などはそうした冷静で歪みのない理解の結果だ」
という信念を持っている。その信念のことを
「ナイーブ・リアリズム」つまり「幼稚な現実認識」
というのである。

 「自分は世界をありのままに見ている」という
無邪気な思い込みが、「他の人も自分と同じように
見るのが当然だ」、あるいは「自分と同じように
感じたり考えたりしないのは、その人の認知が
歪んでいるからだ」と考える。ま、要するに
「自分だけはまともだけど他の人はみんなバカ」
という、私たち誰もが持ちがちな信念のことなのだ。

 例えばこんな実験があるそうだ。
政治報道をはじめとする様々な問題について、
「あなたはマスメディアの影響を受けますか」
という質問と「世間一般の人は影響を受けると
思いますか」という質問を行うと、後者の問いに
肯定する人の割合が前者のそれより一貫して高い
という。

 そういえば、「ステレオタイプ」というのも
社会心理学の言葉だ。自分にとって余り重要じゃ
ないものに対しては、人はその内容を吟味して
検証しようとはせず、「ステレオタイプ」の
既成概念を使って済ませようとする。例えば
「女はこうだから」とか、「役人というのは
こんなもんだ」とかである。

 人は、全ての事象に対して深い理解と認識を
持つよう努められるわけじゃない。そんなことを
していたら、認知のキャパシティーがパンクして
しまう。だから「ステレオタイプ」の認知も
「適応」という観点からみると必要ってことなのよね。

 だけど「ステレオタイプ」は一方で誤解や偏見を
生む温床でもある。私たちは知らず知らずにこうした
認知的方略を駆使して、自己の信念を守ろうとして
いるのだ。こうしてみると、「ありのままの自己」
なんていうのは全く幻想でしかないと思えてくるよね。

 社会心理学は、どんなことであれ事象の証明を旨と
しているので、これ迄に沢山の実験が行われている。
例えば、人種差別意識など全くない、という人たちの
潜在意識に無自覚な差別的態度があることを明らかに
したり、身体的魅力により有罪性の判断が影響される
ことや、「公正世界仮説」という因果応報的世界観に
よって犯罪などの犠牲者非難が起きることなどを
証明してみせたりしている。

 え?私に限ってそんなことはないって?
それこそが、あなたのナイーブ・リアリズム!



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2015年01月20日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

自己中に乾杯!

 今日は仕事で一日中外出していた。
移動はJRと東京メトロ、そして途中短い区間
だったがバスにも乗った。
「事件」は、そのバスの中で起きた。

 そのバスは、夕方だったせいか結構混んでいた。
通路に立っている人も多く、私もちょうど真ん中の
柱のあたりに窮屈に位置取りをした。
それ程窮屈になるのには原因があって、優先席の
前に何とドデンと大きなバギーが置かれていた
のである。中は空っぽで、ママは赤ちゃんを
抱いて優先席に座り、その隣には母親と思しき
中年の女性が付き添って座っている。

 そこに乗り込んできて、バギーの横に身体を
逸らせるようにして立った初老の女性が「これ、
折りたためないんですか?」と、咎めるような
口調で尋ねた。「折りたためないんですう」と
甘えた調子で答える若いママ。「え〜っ」と
不満気な声を上げる初老女性。

 隣の中年女性が「あそこがベビーカーの入る
座席なんですよ」と、向かい側の席を恨めし気に
じっと見つめやる。確かに車いすやベビーカーの
対応シートと表示されているその席には、女子高生
らしき若者が「我関せず」の風情でスマホに夢中。
そのすぐ横に立つサラリーマン風の男性や、周りに
いる中年男性諸氏も全員が「我関せず」。

 そんな光景をぼんやりと眺めていた私の前に、
一人のやせた老女が、入口の方から押し込まれる
ようにしてやって来た。顔は私の方を向いているが、
身体はシートに押し付けられるように横向きに
なっていて、何とも不自然な態勢だ。その老女が
キッと私を睨みつけるや、びっくりするような
大声で怒鳴り始めた。

 「全く迷惑ったらありゃしないよ、こんな混んだ
バスにたためないウバグルマなんぞ持ち込んで一体
何だと思ってるんだ!!あたしゃあ腰が悪いんだよ!
それなのにこんな格好させやがって、全く非常識
にもほどがあるよ、こんな混んだバスにアカンボ
なんか連れて乗るなってんだよ、バカヤロウ!!!」

 ここで終わりではなく、2停留所先で私が降りる迄
これがずうーっと続いたのである。やせ細った身体の
どこから出てくるのかと思うくらいの車中に響き渡る
でっかい声で。それも私の顔を真っ向から睨みつけ
ながら。本当は優先席に向けたかったのだろうが、
何せ身体が反対側に捩れているので、これが精一杯
だったのだろう。もうまるで私が怒鳴られているかの
ようだった。

 件のママやその母親がどんな顔をしているのかは
人が壁になっててんで見ることができなかったが、
降りた気配がないところを見ると、まあ、知らん顔
してやり過ごしてるんだろう。老女の渾身のパンチ
もそれほど効いてないのかも。
何せ「たためないんですう…」だからね。

 私が降りた後も飽くなく浴びせられるであろう
罵倒の嵐。その嵐を吹き荒れさせるままにして、
バスは走り去った。嵐を逃れてほっとして見送る
私の胸に妙な感慨を残して。

 帰宅して今日の「事件」を思い起こすと、その
登場人物たちが胸中を去来する。そういえば
赤ちゃんを除いて全て女。彼女たちの見事な
自己中ぶりと、嵐を恐れぬエネルギーの強さに
飲めぬ酒で「乾杯」でもしたい気分になっている。


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2015年01月13日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「うだうだ」の効用

 以前、一人暮らしの90代の伯母が脚の骨折で
入院した時のことである。今の病院は、高齢者
だからといって、完治するまで置いてくれたりは
しない。ひととおりの治療が終わると一週間
くらいで退院を勧告され、その後のリハビリ
テーションのための転院先も決まらずに、困って
しまって、専属のMSWさんに相談したことが
あった。

 親身に話をきいてくれた彼女は、
リハビリテーション病院に関する情報などを
いろいろと教えてくれてから、話の最後にこう
言ったのである。「転院先を決めるまでには
ちょっと時間がかかるでしょうから、担当の医師
には私から何かうだうだと退院を引き延ばす
ようなことを言っておきましょう。」若いのに
なかなかの人だな、と思ったのを覚えている。

 物事には正面切ってかかっていっても
うまくいかないことがある。病院のなかでは
医師は絶対権力者である。MSWごときが
早すぎる退院に真っ向から文句を言っても
事態は変わらない。それどころか、悪化する
可能性すらある。「何かうだうだと」
引き延ばすのが得策なのだ。彼女は、珍しく
そういうことが分かっている人だったのだ。

 人生にはそうした局面が結構ある。
相手に力があり、なおかつ合理的な理由がある
場合は、真正面からぶつかってもうまくいかない
ときが多い。しかし「正しい」ことを証明する
ことに熱意をもつタイプ人には、こういう
搦め手を使うことを潔しとしないところがある。
そしてその手の人は、「正しい」ことは
誰にとっても正しいのだと思っているふしがある。

 結局伯母はそのMSWさんが「何かうだうだと」
引き延ばしてくれたおかげで、それから10日
余りも退院を免れ、その院内でリハビリも
しっかり済ませて自力で歩けるようになって
退院した。笑顔で見送ってくれたMSWさんには、
今でも感謝している。



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2015年01月05日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

年の初めに

 皆さま、明けましておめでとうございます。

 それにしてもお正月のお休みって、
どうしてこんなに逃げ足が速いのかしらねえ。。
あっという間の三が日。そして今日は早くも
もう仕事始め。

 といっても私の仕事始めは明日。
最後のお休みとなった今日は、朝から新宿に
映画を観に行った。伊勢真一監督作品
「妻の病─レビー小体型認知症」。

http://www.asahi-net.or.jp/~ev3t-tnb/new/tsumano_A.html
http://www.asahi-net.or.jp/~ev3t-tnb/new/tsumano_B.html

 何故朝かというと、午前10時30分から
一回のみの上映だから。何故正月気分も
抜けやらぬ今日かというと、今週一杯しか
やっていないから。何故新宿かというと、
東京の上映館はK's Cinemaだけだから。

 TVでもスマホでもどこでもいつでも
好きなときに好きなところで映画を観られる
この時代に、これだけ窮屈な条件をクリアして
観に行くというのはなかなか貴重なことだし、
特別感がある。正月休みの締めくくりには
相応しい。

 会場には私たちと同じような年配の夫婦の
姿が目だっていた。映画のような若年性のものも
含めて今や認知症は他人事ではない。そして
夫婦や家族にとっては、むきだしの愛を否応なく
問い詰められる体験でもある。一人ひとりが
我が身に引きつけて「自分だったら」と考えた
筈である。

 かくいう私もその一人。
映画のなかで当事者の夫が言うごとく
「人生なにが起こるか分からない。だから
「余り先のこと考えたらやっていけない」
そう簡単には答えが出ないこの課題。
考えようによっちゃそれもまた
年の初めに相応しいんじゃなかろうか。


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2014年12月30日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

自由と不自由の間

 何やかんややっている間に、今年最後の
ブログになった。CSNを立ち上げて最初に
ブログを書いたのは、辿っていってみると
設立1年後の2005年3月5日。かれこれ10年間
ブログを綴ってきたことになる。

 その間にmixiとかFacebookとかのSNSなる
ものが普及し、ブログはパーソナルなもので
ありながら、万人の目に晒される可能性が
どんどん大きくなっていった。「ブログ」
とは「日記」と訳されていたが、それは
シークレットという性質を持つ従来の日記
とは似て非なるものなのであった。

 最初の頃はそんなことを考えもせずに
書きたいことをそのまま書いていた。
「ネット」というものの性質もよく分かって
いなかった。分かってなかった頃の方が
自由だった。

 今は正直不自由だ。
ムカシムカシに書いてたみたいに
「ア×××は大嫌い!」とか
「う○○○は下品だ!」なんてとても書けない。
まあ、まかりまちがってもご本人が読むと
いうことはないだろうが、もしかして
ア×××を好きな人や、う○○○を尊敬して
いる人が見たら不快だろうな、と思うわけで。
そしたらその途端に不自由になってしまうわけで。

 そして不肖かなりん。
何が嫌いかって、不自由なことほど嫌いな
ものはない。しかしだからといって何でも
かんでも思ったことを直截に言えばいいって
もんでもない。歯に衣着せずにものを言って
いるように見えながら、そこに巧みな計算を
働かせる。そうやって「表現に落差をつける」
くらいの芸当ができなくちゃ成熟した大人とは
いえない。私の尊敬するそ△△△氏もそう
言っておられる。

 というわけで、あれこれ乏しい知恵絞って
一年間書き綴った拙ブログ、お読みくださった
皆さまには誠に感謝。そしてまた来年も
不自由と自由の落差を何とか昇り降りしつゝ
渡っていきたいと思っている。

 それでは皆さま、良いお年を!


 
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