2009年03月09日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

蛇のように

  今朝随分音沙汰のなかった昔の知り合いから
電話がありました。彼女とは6年位前にたまたま
あるセミナーで知り合ったのですが、それはちょうど
私がこのCSNを立ち上げようとしていた頃で、そのとき
彼女は東京のはずれの自宅で、夫とともに
「精神障害者のたまり場」のような場をつくっていて、
それをNPOにしようとしていたこともあり、それから
時折連絡をくれるようになりました。

 しかしその後、私もNPOの立ち上げに忙殺され、
彼女からの連絡がいつしか途絶えてしまっても
「きっと彼女も同じように忙しいんだろう」くらいに思い、
余り思い出すこともなくなっていました。その彼女の
久々の電話でちょっとびっくりしましたが、「偶然
ホームページを見て、頑張ってるんだなあと思って」
という彼女の言葉が嬉しくもありました。

 「あなたも頑張ってるんでしょ?」という私の問いかけに
「いやあ、あれから1年もしないうちに駄目になっちゃったのよ」
という意外な答えが返ってきました。彼女の話によると、
NPOを立ち上げたのは、行政の助成金や企業の支援金を
何とかして得ようとしたためで、それまでの「たまり場」の
運営は障害者たちが月々に払う500円の会費だけで
まかなっていたそうです。いくら自宅で家賃がかからない
とはいえ、到底それではやっていけるはずもなく、
夫婦でパートやアルバイトの出稼ぎをして何とか
補填してきたものの、「あのとき既に限界に達していた」
と彼女は言います。

 しかし、NPOを立ち上げたからといって、すぐに金が
集まるわけもなく、模索した作業所への転換も
うまくいかず、「自宅を改装してもっと機能的で
快適な場づくりをしたい」という彼女たち夫婦の夢は、
あえなく断念せざるを得ない状況に追い込まれて
しまったらしいのです。

 「どんなに気持ちがあってもそれだけじゃだめなのよね」
と彼女は言いました。夫婦で必死に奔走しても結局は
成果の上がらなかった苦難の日々を口惜しげに語るのを
聞きながら、私は複雑な思いに捉えられていました。

 行政や企業から金を引き出すためには、いやでも
駆け引きや戦略が必要です。
「私たちはとても意味のあることをやっている」とどんなに
主張しても、それだけでは組織は動きません。いくら
NPOを立ち上げたからといって、「それでどこかの組織が
金を出してくれる」と期待していたとしたら、やはりそれは
甘いと言わざるを得ません。「鳩のように清く・・・」だけでは
物事は成就しないのです。

 しかし一時は30人近くの障害者たちが、彼女たち夫婦の
人柄を慕って集まってきて、食事をともにし、語り合い、
明日の元気を得ていたことを思うと、彼女の無念さに
大いに共感を覚えてしまう自分もいます。

 一通り話し終えて、「あなたは挫けずに頑張ってね」と言葉を
かけてくれる彼女に、「そうね」と答えながら、何かやりきれない
思いが湧き上がりました。それでも「まだ全てを諦めたわけじゃない、
ここを売ってどこか田舎でもう一度挑戦しようと思っている」
と、切り際に彼女の残した言葉に一抹の希望を託して
30分余りにも渡った彼女との会話は終わりました。

 以前内閣府のNPO活動実態に関するアンケート調査で、
CSNにヒアリングにいらした調査員の話では、全国で
3万5千にも及ぶNPOのなかで、活発に活動しているのは
2割にも満たないということでした。またその大半が、資金を
行政からの事業委託に依存しているとのことで、「これでは
行政の下請け機関に成り下がってしまう」という声も聞かれます。

 電話をくれた彼女の状況が、「明日はわが身」とならない
保証はありません。 来年度は「蛇のように聡く」なって、
企業や行政のひも付きにならずともやっていける道を
何とか見つけたいものです。


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2009年03月02日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

私たちの失敗

 前回のブログで「未婚率を紅白の視聴率なみに」と書いたら、
例の「婚活」の本をくださった会員のIさんから、「そんなに一人暮らしが
増えたら、経済のパイが足りなくなって食べられなくなっちゃいますよ」
と意見されてしまいました。私が「そんなこと知ったこっちゃないもん!」
と言ったら、「かなりんさんの世代は自分たちが強いのをいいことに
そんなことばかり言ってるから嫌われるんです!」と重ねてお叱りを
受けちゃいました。因みにそのIさんは40代のシングルです。

 そうか!私は格別自分が強いとも思ってはいないけれど、
「若い世代は何で戦おうとしないんだろう」と不思議に思っていた。
パイが小さかったら何が何でも前に出て分捕るか、それじゃなきゃ
自分でつくっちゃえって思ってた。Iさん曰く「今はそんなハングリーな
時代じゃないんです」。なるほど。

 そこでまた彼女が新たにもってきてくれた本の山の中から一冊を
取り出して読んでみました。荷宮和子著「何故フェミニズムは没落したのか」
(中公新書ラクレ)です。著者はIさんと同世代で、自らを「くびれの世代」と
呼んでいます。なぜ「くびれ」なのかというと、著者の属する80年世代は、
「団塊の世代」と「団塊ジュニアの世代」というマス世代の間に辛うじて
存在する少数派だからなんだそうです。

 この本によると、女にとっての80年代とは、「解放と希望がある
かのように思えた時代」であり、それまでは男だけが独占してきた
「欲しいものは何だって自分で稼ぎゃ手に入る」という実感を、
「働きさえすれば女も持てるんだ」ということに初めて気づいた
世代なんですね。雑誌は「アンアン」、世代を牽引するのはかの
輝かしき旗手、林真理子女史であります。

 ですからこの本にはあの懐かしき「アグネス論争」のことも
書かれております。男社会では「あいつはばかだ」で済まされる
ような輩のことを、フェミニストたちがまるで「女はばかだ」と
言われたかのようによってたかって擁護したがために、
段々分が悪くなっていた男たちの「女の喧嘩」願望に図らずも
加担してしまった結果となり、「ばかな女のばかな発言」が
もっともらしく取り上げられ、「あいつはばかだ」と発言した
林真理子だけが一方的に叩かれることになったのである、と
分析されております。

 実は私も「あいつはばかだ」と思っていた一人です。そこに
何故か知らぬがフェミニズムの大御所上野千鶴子が介入し、
事は一気にフェミニズム論争に発展した、という経緯がありました。

 そういえばそのもっと昔、上野女史が朝日新聞に書いてた
学生運動に関するエッセイを、曽野綾子氏に「戦争を体験した
身から言わせれば、所詮学生運動なんていいとこの坊ちゃん
嬢ちゃんの戦争ごっこ」と一蹴され、あげくに「私はフェミニズムは
きらい」と言われて、論争になったことがありました。その時は
「これは女が喧嘩するのを見て喜ぶ男が仕掛けた陰謀だ」と
言っていた上野女史なのに、自分が同じことしてちゃあかんでしょう、
と同世代の私だって思います。

 なのにそんなことは意にも介さず、しれっと「お一人様の老後、万歳!」
なんて言われちゃあ、Iさんならずとも「これだから団塊以前の世代って
やなのよね」と眉顰められてもしゃーないですね。

 そのうえこともあろうにその「ばか」が、婦人公論の誌上で曽野氏を
批判するようなことを書き、曽野氏が「あいつはばかだ」と的確に指摘し、
林真理子がそれにいたく共感する文章を寄せたというようなことも
あったっけ。

 あれっ、この出来事の中で、私たちの世代って見事にスルーされて
ない?曽野綾子という戦中世代が林のようなアンアン世代の共感を
得ることができるというのに、上野は「魅力のないこわいオバハン」
という印象しか残さない。これじゃフェミニズムが「没落」するのも
むべなるかな、ですね。

 そんな「フェミニズムの没落」なんぞどこ吹く風で、未だ意気軒昂な
上野女史がいくら「お一人さまは怖くない!」と気を吐いても、後の
世代が続かないのは、せっかく出てきたFCの芽をCPがつぶしちゃった
からじゃないのか、とこれを読んでそう思いました。

 「仕事も結婚も子どももぜ〜んぶ欲しいものはゲットしちゃうんだもん」と、
アンアンを買ってルンルンしてた80年世代に、「欲しいものを追いかける
のはいいけど、腰据えて戦いもしないあんたたちの手に入れたものって
結局はちっとも価値のないものばっかりでしょ?」と言って憚らない団塊
フェミニストのCPが、ACだらけの今の世代を生むのに一役かったのかも
しれません。

 だってこの本を読むと、80年世代というのは、「風邪をひいたときは
一人暮らしをしていてつくづくよかったと思う」世代なんだそうです。
狭い価値観のなかでは窒息しそうになっていた溢れるFCが、
「実家を出たい」というエネルギーとなって、「一人暮らしの不安」を
吹き飛ばしたということのようです。

 今やそんなFCの活力をなくした若者たちは、「年老いてひとりぽっちになったら
どうしよう」という不安に抗いきれずに、「結婚」というできあいの制度にしがみつく。
確かに一人暮らしが増えれば「経済のパイ」はどんどん小さくなっていくでしょう。
しかし、です。「FCの活力をもってすれば、きっとパイはつくれる」と私は言いたい!
「消費社会にうまうまと乗せられて電子マネーなんかコンビニで使ってるくらいなら、
一丁の豆腐でうまいものをつくる技量をもて!」と言いたい。「世代を超えて職を
創出したあの『素人の乱』を見よ!」と言いたい。「自らの内にFCをエスコートする
Aをつくれ!」と言いたい。

 80年世代のFCがCPにつぶされてしまったのは、それがあくまでも感覚の
域を出なかったからです。「今まで夫の稼ぎで買ってもらっていたものを
自分で買う」ということの快感に目覚めたに過ぎません。その頃によく
見られた「ばか高いブランド品を嬉々として買っている女たち」は、上野の
言うように「ちっとも価値のないものを手に入れただけ」と批判されても、
「だって気持ちよければそれでいいんだもん!」としか言い返せずに、
結局は侮蔑の対象になってしまうのです。

 なにを隠そうこの私、昔は「かみそりかなりん」と異名を取った強持ての
フェミニスト崩れでした。まさに「ふわふわルンルン世代」にとっては、
「怖いオバハン」の一人だったと思います。林真理子も嫌いじゃないし、
「ばか」の言い分をフェミニズムに引きつけるような教条性には嫌悪を覚える
方だったとはいえ、若い世代に対しては「何故戦わんかお前ら!」という
歯がゆさを感じていたのも事実です。知らぬうちに芽つぶしに加担していた
のかもしれません。

 曽野綾子氏は、色紙を頼まれると「あとは野となれ山となれ」という言葉を
好んで記すそうですが、私がその言葉を言うのは10年くらい早いかもしれません。
ただ芽をつぶしてしまっただけでは、Iさんの言うようにいかにも無責任ですからね。
「若い女性が一人暮らしを続けられる方法」を彼らと一緒に模索することで、
その責任を引き受けていこうと思います。従って「めざせ!紅白」のスローガンは
撤回致しません。あしからず。

 ※文中のCP、FCなどのTA(交流分析)用語については、こちらをご参照ください。

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2009年02月23日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

めざせ「紅白」!

 会員さんのなかに、ときどき本をどっさり持ってきてくださる方がいます。
その方はご本人の弁によると、「ブックオフを通りかかると自然に
吸い込まれていってしまう」という体質の持ち主らしく、その都度かなりの
量の本を買い込み、読み終わったもののなかから、CSNに関連するような
内容のを選んできてくださるので、なかなか参考になる本が多く、
皆で喜んで廻し読みしています。

 その中で私がこのところ読んだのが、所謂「婚活」に関する本です。
一つは、樋口康彦著「崖っぷち高齢独身者」、そしてもう一冊は、
山田昌弘、白河桃子共著の「『婚活』時代」です。この本は
真っ先にA子さんが目を輝かせて持っていってしまったのが、
昨日返ってきたので、今日の午前中に読みました。

 前者の著者は40代の大学講師で、自分の5年間に渡る
「婚活」の実態を記録したものです。114回ものお見合いパーティーに
出席し、結婚相談所で68人とお見合いをしたという猛者ですが、
未だ結婚には至っていないそうです。
後者は、「婚活」という言葉をつくった学者と女性ジャーナリストが
書いたもので、昔機能していた結婚の社会的システムが崩壊したために、
多くの結婚難民が出現しているという昨今の状況について、
データや取材をもとに解説しています。

 その本によると、5年前(2000年)に未婚だった20代後半の女性は
54.0%、5年後(2005年)に30代前半になった彼女達のそれは
32.0%と推移し、同じく30代前半から後半に移行した女性達の推移は、
26.6%→18.6%だそうです。

 今50代以上の男女の未婚率が5〜6%であることを考えれば、
確かに大きな数字かもしれません。しかしこの世代の私から言わせれば、
「何だ、まだそんなものなの?」という感じです。
結局30代後半になれば8割強の女性が結婚してるんじゃない!
これほど価値観が自由になってどんな生き方でも選べる時代に、
まだまだ絶対多数の若者たちが「結婚」という旧弊な制度に
しがみついていることの方が不思議です。
「紅白歌合戦」の視聴率だって50%台に下がったっていうのに!

 「結婚して子どもを産んで家族のために生きるのが女の幸せ」と
よってたかって言い聞かされ、一人で生きていくような才覚も術も
獲得できぬまま、「そんなものか」と思って結婚したものの、臍をかむ
ような思いに苛まれ、後悔の涙にくれた女達が、私たちの世代には
沢山います。そんな状況のなかから「ウーマンリブ」が生まれ、
「フェミニズム運動」が育ってきて、今や「男女共同参画社会」の
かけ声もかまびすしい世になったのを見ると、まさに隔世の感あり
なのですが、内実はそんなものでもないっていうことなんでしょうね。

 「『婚活』時代」は、未婚化が進む状況を「少子化問題」と絡めて、
しきりに「何とかしなくちゃ!」と鼓舞する論調に貫かれています。
まあ、社会学者が書いたんだからそうなるのもしゃーない、とは
思いつつ、日本の高度成長時代に「企業戦士」の家政婦兼慰安婦
として生きれば、法的な権利はばっちり付与してあげるよ、という
国家の甘言にむざむざと乗せられて、忍耐を強いられてきた女達の
無念はどうしてくれるのよ!と言いたくなっちゃいますね。

 要するに、今までは国家が総出で「結婚」という制度で国民を
囲い込み、社会を挙げて「結婚しなけりゃ一人前じゃない」とか、
「結婚こそが女の幸せ」とかの価値観を散々インプットし続けて、
男ならいかに無能でも何とかやっていける社会を築きあげていたのが、
それを支える経済力が弱まり、足元に火がついてそんなことも
言っていられなくなり、企業社会に役に立たない男は切り捨てざるを
得なくなったということではないでしょうか。それで結婚したくても
できない男達が激増し、それに伴い女達の未婚率も上がる。
子どもも少なくなる。当然の帰結でしょう。

 確かに少子化は、日本経済の国際競争力を弱める要因と
なるかもしれません。しかし女達は日本経済のための働き蜂を
産み育てたいのでしょうか?戦時中は「産めよ育てよ」と、
国家のために戦う兵士を量産することを奨励されました。
しかし元来子どもは国のために産むものではありません。
少子化が個人の選択的決断の結果ならば、それはそれで
仕方がないじゃありませんか。
 
 結婚制度とは、突き詰めればお上が民を管理し操作するために
最も都合のいい制度です。その制度の根幹を握っておけば、
鞭と飴を駆使して国民をいかようにも方向づけられるのですから。
しかしそんな思惑をよそに、この制度に「恋愛」という厄介な代物が
絡んできて、どんどん自由度が増し、もう結婚は殆ど個人の領域に
委ねられ、それにつれて困難度も増しているということになっている
らしい。「自由」というのは、得られないときは渇望の的でもありますが、
獲得してみれば過酷な面もあるものですから、それはそれでやはり
仕方がないでしょうね。
全てが良いなんてものはこの世にはありません。
 
 今女性達は制度のしがらみから解放されつつあるというのに、
その果てにある「孤独地獄」の幻影に怯えて、またしがらみのなかに
自ら戻っていこうとしているように見えます。
「婚活」などという耳障りのいい言葉にだまされず、自分の足元を
しっかり固めて選択的な生き方をして欲しいものです。

 それでもやはり結婚することを選び、しがらみを引き受けるのも
それはそれで選択的な生き方だと思います。従来の価値観を支持する
人がいても構わないし、それが自由というものです。しかしこういう風に
考え方が拮抗する事象においては、選択率も半々くらいの割合に
なったっていいんじゃありません?それがならないのは、やはり
「不安」という感情に引きづられてしまうからじゃないんでしょうか。

 スローガンは「未婚率を紅白なみに!」です。
若い女性達の健闘を祈ります。
 
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2009年02月16日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

胸に響くことば

 このところ少々疲れ気味です。
まぁ商売柄仕方がないのですが、
次々と事が起こり、その対処に追われて
休みがうまく取れなくなっているのです。
今日あたりは、朝起きたとき身体がやけに重く感じました。

 こういうときはラケット感情(こちらを参照)が出やすいですね。
私の場合は「怒り」です。
信号のない横断歩道で、
スピードもゆるめようとしない車の群れに向かって、
「轢くなら轢いてみろ!」と毒づきながら
足も止めずに突っ込んでいく、なんてことをする。
我ながら怖いですね。

 こんなときはまとまった本も読めないので、
アトレの本屋で文藝春秋を買って帰りました。
芥川賞受賞作の「ポトスライムの舟」が全文掲載されている
というのが目当てだったのですが、その前に審査員達の「選評」を
パラパラと読んでいると、こんな記述に出会いました。

 「現実をコントロールできていない登場人物を描く作家の精神は
充分にコントロールされていなければならない。」

 選者の一人である村上龍氏のおことばです。
いや全くその通り。
これって「登場人物」を「クライエント」に、「作家」を「カウンセラー」にしたら
そのまま当てはまるじゃん!
って思わずわが身に引きつけてしまいました。

 そうよね、横断歩道で車に轢かれてる場合じゃない。
って我に返りました。

 この頃はパソコンの前に座って仕事をした後
気分転換にネットの動画でTVドラマを見るのが
密かな楽しみになっているのですが、そこでも
結構ハッとすることばに出会います。

 「かなしいっていうのは、いとおしいということなんですよ。
いとおしい者の死はかなしいのです。」

 倉本聡脚本の「風のガーデン」で、緒形拳扮する「おじいちゃん」が、
愛犬の死を悲しむ発達障害の孫息子に静かに語りかける場面での
ことばです。
これってCS講座で高瀬先生の言ったこと(こちらを参照)と同じじゃん!
こんなところでもさりげなく使われてたのね。
ちょっとじんわりきちゃいました。

 「あのね、わたしはぜーんぶ振り払って生きているの!」

これは、山田太一脚本の「ありふれた奇跡」で、
八千草薫扮する主人公の祖母が、親友が死に瀕しているという
知らせを受け、その後落語に興じてげらげら笑っている場面で、
不審に思って部屋に入ってきた孫娘に言うことばです。
身体をよじり、パッパッと手で振り払う仕草をしながら。

 「だってね、どうしようもないんだもん。そうするしかないじゃないの!」

 そうよね、ぜーんぶパッパッと振り払って、
ラケットもきれいさっぱり追っ払って、
明日からまた仕事しましょ!

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2009年02月09日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

時代遅れ

 この間NHKの衛生放送で本当に久しぶりに
ダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」を観ました。
サイモンとガーファンクルの懐かしい音楽が全篇を
通して流れ、何とも言えない郷愁に誘われました。

 最後に、ダスティン・ホフマン扮する主人公の若者
ベンジャミンが恋人の結婚式に乗り込んでいって
花嫁を奪い返して逃げるという有名なシーンがありますが、
当時は親に妨害されると結婚式当日になるまで
本人同士の連絡がとれないという時代背景が、
この名シーンを成り立たせている大きな要素です。
今だったら携帯でいくらでも連絡を取り合い、
事前に行動できるでしょうからね。

 ベンジャミンは、式場を探し当てるために、当日
いろいろなところへ電話をかけまくるのですが、
それもアナログなダイヤル電話。番号を探すために
分厚い電話帳と格闘するシーンが出てきます。
いやぁ、昔は恋をするのも大変でしたね。
思わず自分に重ね合わせてしまうかなりん。
しかし恋というのは、障害が大きいほど燃え上がる
ものだ、という法則からいけば、彼の常軌を逸した
行動も頷けるというものです。

 日本でも昔は親に反対された恋人同士が、
その恋を成就させるために、手に手をとって
しがらみから逃げ出す「駆け落ち」という手段が
存在しました。その「駆け落ち」に憧れて、全く
障害のないだらけきった関係に、「恋」のめくるめく
激情を呼び起こそうと奮闘する男女を至極滑稽に描いた、
つかこうへいの「青春かけおち篇」が、大竹しのぶと
風間杜夫の主演で映画となり、1987年に公開されて
います。当時はまだ携帯電話こそ普及していなかった
ものの、恋における障害はもうどんどんなくなりつつ
あったのでしょう。

 全く歌の文句じゃないけれど、「変わる、変わるよ
時代は変わる・・・」ですね。カウンセリングの世界でも、
私が勉強していた頃のロジャーズ一辺倒の風潮は
どんどん薄れて、今は認知行動的な療法が盛んに
なりつつあります。それにつれて「援助」のあり方も
「ハウツー」を主体にしたより具体的なものになって
いきつつある感じがします。

 一昔前はあちこちでよく行われていた
「エンカウンターグループ」も、「衰退した」と言われて
久しい今日この頃。特に「ベーシック」と呼ばれる枠のない
形式のものは、殆ど行われていないようです。
CSNでもとうとう今年度は開催しませんでした。
メンバーの何人かからは「来年度はやろう」という声が
あがっていますが、さてどうしようか検討中です。

 「衰退する」というのは、時代の需要に合わなくなった
ということでしょう。ときには苦しい思いをしながらでも
自分の内面に向き合い、他者の存在を丸ごと感じる
ような体験は、なるべくなら避けて通りたいような
ものかもしれません。「人と向き合う」ということは、
引いては「自分と向き合う」ということであり、それは
かなりしんどい道のりを伴います。それにそんなこと
したって何が解決するというわけじゃなし、目に見える
成果が得られるわけでもありません。

 ありませんが、しかし・・・です。
「やはりそういうことを避けて通ってどうする」
という思いも一方にはあるのです。
「全存在を賭けて人と向き合いたい」という欲求は、
誰しもの心深くにはある筈です。
「卒業」の恋物語のエンディングがいかに荒唐無稽に
感じられようと、「駆け落ち」への憧れが結局は
滑稽な空回りに終わってしまおうと、時代の波が
浚いきれない「何か」はいつの時代にも必ず存在する
のだと、それだけは忘れずにいたいと思います。

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2009年02月02日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「主人」論争

 昨日NPO活動カレンダーにも書いたように、先週末は
渋谷区女性センター・アイリス恒例の「しぶやフォーラム」に
登録団体として参加をしました。
午後からの「渋谷(シブタニ)あやめさんの一日」と題した寸劇では、
会場とのトークで出された意見を板書したり、質問への回答数を
数えたりするお手伝いもしました。「若い男性がカウントして
くれると嬉しい」という実行委員さんからのリクエストにお応えして、
ちょっと渋り気味の男Nを無理矢理動員。他の登録団体には
若い女性はちらほらいても、こういうところに出てくる若い男性と
なると殆どいないようです。会場の平均年齢もかなり高め。
世代交代はなかなか進みませんね。

 寸劇は、中年の家庭の主婦であるあやめさんの日常を通して、
普段の生活に潜む「ジェンダー」の問題を浮き彫りにしようという
もので、脚本を書いた実行委員のKさんが老婆に扮して狂言回しの
役割を取りながら、会場とやりとりをするという趣向でした。
例えば「劇中であやめさんが夫を『お父さん』と呼んでいるけど
皆さんは配偶者をどう呼んでいますか?」といった質問をして、
「YES」「NO」のカードで答えてもらい、そのことに関する意見も
聞いていきます。私はせっせとそれらの意見を板書し、男Nと
ともにカウンタ片手にカードを数え、それも記録するという
聖徳太子なみの働きぶり。まあ、自分が進行するよりは
ずっと楽ではありましたが、手だけがやたら疲れました。

 その中で印象に残ったのが、「自分の配偶者のことを他人に
話すとき『主人』という呼び方をする人が多い」という指摘でした。
問題の提起者は、「『主人』という言葉は対局に『奴隷』を連想
させる」と言い、それに対して「私は『主人』と言っているが、
だからといって夫が私のことを『奴隷』と思っているわけでは
ないし、いちいち意識する必要もないと思う」というような反論が
相次ぎました。

 助言者として列席していた諸橋先生からは、「『主人』というのは、
『家の主』を表した言葉で、対局の言葉が『奴隷』というわけでは
ないが、習慣化して何気なく使っている言葉でも、それが含む
意味や概念が知らず知らずに意識に及ぼす影響は看過できない」
という趣旨の提言がありました。

 私の友人に結婚してもずっと夫婦別姓を通してきた人がいます。
彼女は声高に「ジェンダー論」をぶつ人ではありませんが、深く
静かに、自らのフェミニストとしての信条をその私生活の中で
貫いています。日本では夫婦別姓は未だ法律で認められている
わけではないので、彼女は制度上は「結婚」の枠外にいます。
子供達は夫の姓を名乗っているので、家族の中で彼女だけが
別の姓ですし、夫の給与には「配偶者控除」も適用されないなど、
「結婚」という制度の内にいれば得られる数々の優遇措置とも
無縁の生き方をしています。それは紛れもなく孤独で厳しい
戦いです。彼女はとても穏やかで思慮深い人ですが、どこかに
凛とした筋金入りの気概を感じさせる人です。つき合って10年近く
になりますが、彼女の口からは当然ながら「主人」などという言葉は
聞いたことがありません。

 「男女共同参画」を叫び、そのための活動をするなら
これくらいの覚悟と意識は必要じゃないのかと私は思います。
そういう私とて別姓を貫くような行動には遥かに及びませんが、
「女のくせに」という言葉を幾度となく投げつけられながら仕事をし、
我が夫ともそれ相当の戦いは続けてきました。勿論「主人」
という言葉は意識して避けています。言葉くらい意識できない
ようで「何の男女共同参画か」という思いでいます。

 上演中はとにかく割り振られたお役目に追われ、意見を
言うことも出来なかったのですが、その後の懇親会で
そういう話が出たので思うところを話しました。若い人は
「そんなことどうでもいい」と思うかもしれませんが、この一見
「どうでもいい」ことが、突き詰めれば「無意識の意識化」という
大きな命題を孕んでいることに気づくくらいの洞察力は
持って欲しいですね。それが何らかの行動につながり、
その人の「筋金」をつくるのだと思います。

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2009年01月26日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ファイト!

 いやぁ、素晴らしいですね!
かっこいい、しびれます。
こんな感慨に打たれたのは、若き日のジュリー以来。

 その人の名は誰あろう、かのバラク・オバマ氏、47歳。
「カサブランカダンディー」ならぬ「ホワイトハウスダンディー」。
全世界が注目するワシントンでの大統領就任演説。
自国民はもとより、こんな極東の片隅のミーハーおばさんにまで
感動を与えるとは、何というカリスマ性!

 新聞に掲載された全文を、翻訳では飽き足らず、苦労しいしい
英語で読み、おまけにニコニコ動画で映像も観てまたしびれ、
一粒で二度ならず、何度もおいしいオバマさん。

 先日TVで60年代のアメリカ東海岸の小都市を舞台にした
「ヘアスプレイ」という映画を観ましたが、その当時の人種差別の
様子が描かれていて、こんな時代を経て今、嘗ての被差別民族を
自らの頭首に選んだアメリカという国の底力のすごさを感じました。

 オバマ氏の演説のなかにも「まだ60年にも満たぬ前に、レストランで
食事をすることも出来なかったかもしれない父」という表現があります。
そして、「そんな父を持つ自分がここに大統領として立っているということが、
まさに我々の自由の意味であり信条なのだ」と謳いあげます。
ホント、うまいですねぇ。
 
 前述の映画のなかに黒人達が人権を訴えてデモをする場面が
あるのですが、そのプラカードに「NO SEGREGATION!」という
スローガンが書かれていました。演説ではその言葉にも出会いました。
「我々は内戦や人種差別という苦渋をなめ、その暗い歴史からより
力強い団結が生まれた」という箇所ですね。

 オバマ氏は、大統領当選直後の昨年11月早々、この就任演説の
草稿を担当するスピーチライターに就任演説づくりを指示し、
「この瞬間を表現するものにしてくれ」という注文を出したといいます。
注文の出し方までかっこいい!
そしてその注文に見事応えたライターの才能も半端じゃないですね。
過去の演説を網羅し、音声と映像も全てチェック、そのうえで
声音や間合いの入れ方まで十分に研究し尽くしてつくったとのこと。
いや、すごいです。

 演説には、「愛国心」とか「忠誠心」という古臭い言葉も使われて
いますが、それが何ともぴったりはまっているのは、このつくりこみの
為せる業でしょうね。それと本番までの余裕ある時間で、その言葉の
一つ一つに情感溢れた命を吹き込んで、自分の言葉として語り上げた
オバマ氏の技量。この二つが相乗して、世界中を感動させた素晴らしい
演説になったのでしょう。

 実際に音声つきの映像で見ると、リズム感のある「英語」という
言語によるところもあるのでしょうが、まるで上質な演歌を聴いている
みたいに心地いいのです。演歌好きのかなりんとしては、もうたまりません。

 日本にもカビの生えた「官僚語」の棒読みではなく、また「感動した!」
のバカの一つ覚えでもなく、ましてや漢字の読み間違えや失言だらけの
無知さらけ出し演説でもなく、こういう「上質な演歌」を聞かせてくれる
政治家が出てこないもんでしょうかねぇ。

 勿論歌ばかりうまくても、実行力が伴わないことにはどうにもなりません。
「この困難な冬の時代に、我が建国の祖の如く勇敢に氷河に立ち向かい、
共に試練を乗り越えよう!」と力強く呼びかけたオバマ氏が、果たして
国民の理解と共感を得て理念を実現できるのか、今後の氏の手腕に
注目したいと思います。

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posted by CSNメンバー at 22:10 | Comment(0) | TrackBack(0)
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