2009年08月03日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

肝心なこと

 先月の末に近所の酒屋さんが閉店しました。
私が子どもの頃から、かれこれ半世紀以上も
商売をしていたお店です。この前通りかかったら、
閉められた店の戸に「この度諸事情により
閉店することになりました。長い間のご愛顧
ありがとうございました」と書かれた貼り紙が
してありました。突然の、ひっそりとした
閉店でした。

 子どもの頃には、お酒は勿論、お醤油でも
お味噌でもこの店から買っていました。
確か計り売りだったと思います。お醤油が
大きな樽から一升瓶に流し込まれるのを
面白く見ていた記憶があります。

 いつの頃からかスーパーができて、便利な
ペットボトル入りの醤油やポリ袋入りの味噌が
主流となりましたが、それでもビールなどの
酒類はこの店から配達してもらっていました。
そのうちクリーニングの取次ぎもやるようになって、
結構おつき合いは続きました。

 しかし世の変遷留まるところを知らず、
安売り店があちこちにできたと思ったら、
今や酒はスーパーでもコンビニでも買えるように
なり、加えてネットの発達が、何でもどこでも
たちどころに手に入る便利さを提供し、今では
その日のうちに食料品まで配達してくれるという
スーパーもあるといいます。

 まあ、目先のきいた店主なら早めにコンビニに
乗り換えるとか、業態を変えるとか、いろいろ
やり方はあったでしょう。でも「諸事情」でそれは
やらなかった。時代の波に乗れなかったのか、
あえて乗らなかったのか、もしかしたらこれから
乗ろうとしているのか、そこの判然としない全てが、
「諸事情」という一言に置き換えられています。

 「肝心なことはあからさまに言わない」という
文化が日本にはあるように思います。今流行りの
「私はこうして功成り名を遂げた」系の本でも、
その中に出てくる苦労話や努力談には、どうも
肝心なところがスポッと抜けている気がします。
先日会員のIさんも同じ感想を漏らしていました。

 何やかやと仔細に語ったのでは、「私ができたの
だからあなたもできる!」と歯切れ良くは言えない
でしょうからね。特に「肝心なこと」というのは、
余り人には語りたくないことだったりしますし。
 
 件の酒屋さんも、何ヶ月か先には瀟洒なマンション
か何かに変身して、私をアッと驚かせるかもしれません。
もしそうなったら、それに至るまでの「諸事情」を
是非知りたいものですが、それが仔細に分かることは
まずないでしょう。

 さて突然ながら、ここで私も貼り紙ならぬ
「貼り文」をしておきます。

 「かなりんは諸事情のため、このブログを
担当日の2日前に書いています。」

 いったい何のこっちゃと思われるでしょうが、
この「諸事情」というのは、やはり私にとっては
「肝心なこと」なので、ここには書かないでおきます。


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2009年07月27日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

それぞれの出発

 昨日A子さんのブログにもありましたが、
「木村周先生特別講義」を開催し、主催者として
感じるところが多くありました。
NPO活動カレンダーにもアップしましたのでご覧ください)

 現在の労働環境が日に日に厳しさを増しているのは、
相談内容からも痛感するところですが、そのなかで
感じるのは、「どう生きるか」ということと、「どう働くか」
ということが、より重なりを強めているということです。

 言い換えれば、「どう働くか」を自由に決めることが
困難な状況では、「どう生きるか」は、その働き方に
規定されてしまいがちだということです。新卒での
就職を逃すと、後は非正規雇用などの不安定な仕事に
甘んじなければならないというのが一般的な現状です。
「働かずに引きこもる」という行為も、「どう働くか」の
変形と捉えれば、それが必然的に「生き方」を大きく
左右することは否めません。

 先生から提起された「キャリア・ガイダンス」の
重要性や、それが今日「キャリア・コンサルティング」
と名を変えて、益々必要性が叫ばれている現状で、
しかし果たしてそうした国の方針が充分に機能して
いるのか、という疑問は多くの方が抱かれたようでした。

 「働く」ということの困難に突き当たっている個々の
事例では、本当に様々な要因が見受けられます。
その人の心理的な問題から社会的な問題まで、
ミクロでみていけば、それこそ千差万別です。
しかし、そのなかで浮かび上がってくる現代特有の
課題は、確実にあることが感じられます。

 そこをどう掬い取り、どういう形で支援に結びつけるのかは、
かなり難しい課題です。単に「キャリア・コンサルタント」の
数を増やすだけではどうにもなりません。重要なのは
その中身です。何十万もの費用をかけて資格をとっても、
仕事の場が用意されているわけではないし、多分充分な
研鑽の機会も多いとは言えないのが現状でしょう。

 「働く人たち」は今どんな支援を必要としているのか、
それはその人によって一様ではないし、型どおりの研修や
相談では対応しきれない事例も多くあります。そのなかで、
私という個人は何ができるのか、どこから出発するのか、
ということが問われていることを痛感します。
組織もネットワークもまずは一人からしか始まりません。

 一人でできることなどたかが知れているのですが、
それでもそこから始めてみるしかありません。昨日
木村先生も強調されていたように、まずは身近なところ
から、そして徐々に外に向かって、自分が抱えている
課題や悩みを投げかけてみることです。

 昨日参加された方々が、何らかの形で「自分なりの出発」を
してくださることを願いつつ、私自身もささやかではあっても
自分ができることを続けていこうと思います。

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2009年07月20日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

その河を漕いでいけ!

 昔私の敬愛する野坂昭如センセイが歌っていた
「黒の舟歌」という曲があります。その歌詞に
「男と女の間には 深くて暗い河がある」という
フレーズがありますが、「深くて暗い河」があるのは、
何も「男と女の間」だけではないようです。

 「親と子の間」、「金持ちと貧乏人の間」、「資本家と
労働者の間」、、「正社員と派遣社員の間」、「政治家と
国民の間」、「理想と現実の間」、そういえば以前
映画のタイトルになった「冷静と情熱の間」ってのも
ありましたっけ。

 このところ私がとみに「深くて暗い河」を感じるのは、
「思考と行動の間」です。いくら頭の中で「こんなことを
やろう」とか「やりたい」とか「やらねばならぬ」とか
考えても、それを実行に移すのは並大抵のことでは
ありませんね。

 どうも連日の暑さで少なからず意気を削がれがちな
こともあって、ますますその河が深く暗いものに
感じられるのかもしれませんが、それでなくても
「思考」にくっついてくる様々な感情が行動を妨げる
ことは度々ありますね。今日は午前中にブログを
書いてしまって、午後から映画に行こう!と思って
いたのに、何となく出かけるのが億劫に感じられて、
だらだらしてたらすぐに午後になっちゃいました。

 こんな日常の些細なことでもこうなのですから、
もっと大きなヴィジョンとか計画とかを行動まで
もっていくには、その間にある「深くて暗い河」を
渡る頑丈な舟と、オールを漕ぐ強靭な腕が必要だと
思うのですが、ある本でそれらを併せ持った若者が
いることを最近知りました。

 その本とは、「TABLE FOR TWO」というNPO法人の
事務局長が書いた「20円で世界をつなぐ仕事」
(小暮真久著、JMAM)です。小暮氏は弱冠27歳。
そのNPOの創設者が発案した「企業の社員食堂に
カロリーを抑えたヘルシーメニューを加えてもらい、
その代金のうち20円が開発途上国の子どもたちの
給食一食分として寄付される」という事業モデルに
惚れこみ、エリートサラリーマンから転身して
NPOの事務局長になったという若者です。

 この事業モデルのユニークさは、著者も述べている
ように、「単に途上国への食糧支援のみならず、自国の
メタボリック・シンドロームという社会課題を同時に
解決しようとする」ところにあります。また、意識的な
募金ではなく、毎日食べるランチの代金に寄付金が
含まれているというシステムもなかなかのものです。

 但し、その発案者に口説かれて、小暮氏が事務局長に
就任した当初には、まだNPOの認証手続きもされておらず、
彼が胸躍らせたそのヴィジョンも全くシステム化されて
いなかったと言います。発案から小暮氏がそれに着手
するまで、何と1年もの年月が無為に流れていたのです。

 私も体験した認証手続きの大変さを筆頭に、小暮氏が
地道な営業を重ね、様々な障害を乗り越えて、システムを
具現化していくそのプロセスは本に譲るとして、どんなに
優れたアイディアもこうして行動する人がいないと決して
形にはならないのだということを、改めて痛感しました。

 そんなところに、CSNにも一人の若者が訪ねて
いらっしゃいました。彼は、SNSのサイトで幾つかの
コミュニティーを運営し、それをベースに「カフェパーティー」
などのイベントを手がけている方で、若者たちが
もっと関係性を深めるために「グループワーク」を
導入したいと考えているとのことで、ネットからCSNの
ホームページを探し当てて連絡をくれました。彼も
なかなかの行動力を持った人だと感心しました。

 「深くて暗い河」は誰の前にもあると思います。
しかしそれを越える舟は誰もが持っているという
わけではないようですね。何故ならその舟は
自分でつくり、自分で漕いでいくしかないからです。

 「かなりん丸」は今その河のどのあたりにいるので
しょうか。暑さにへばって櫓を漕ぐ手を休めているうちに、
波に浚われてしまわないように気をつけなくっちゃ!

 まさに、「ROW & ROW〜 ROW & ROW〜 
ふり返るなROW ROW〜」ですね。


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2009年07月13日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

夏ウツ

 今日は真夏の暑さですね。
こんな風に段々暑くなってくると、
もう気持ちはユウウツになっていくばかり。

 そんな浮き立たぬ気分を助長するかのように、
事務所のPCからシーサーのブログにアクセス
できないというアクシデントが発生。汗だくで
1時間余りも格闘した挙句に、仕方がないので
研修室のPCで書いています。

 とにかく先週から引き続き、身体の芯に
しぶとく居座るだるさがとれない。これは
多分あちこちで冷房に晒され始めたため。

 何が嫌いって、この人工的な冷気ほど
嫌なものはありません。特に電車やバス
などの乗り物や飲食店では、外との温度差が
身体を直撃してきます。

 それでもこの「人工冷気」がなければ、
いっときたりとも猛暑は凌げない。いつの間にか
そういう身体になっちゃった。

 まるで表面だけは当たりがいいけど、
不実この上ない男にとっつかまって、なかなか
別れられないみたいなもの。エアコンつける度、
昔のそんな腐れ縁を思い出したりして。

 この季節になると、どうしても食欲が落ちるのも、
「食べること大好き」人間かなりんの夏嫌いの
一因です。「土用の丑の日」には一足早いけど、
うな丼でも食べて、少しはシャキッとしましょうか。

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2009年07月06日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

今日は「半安息日」

 先週から引き込んだ風邪がどうも抜けきらずに、
身体の芯が何だかだるくて今一つはっきりしません。
こんな日はなにもしないで寝て暮らしたいと思うのですが、
なかなかそうもいきませんね。

 昨日の日経の文化欄に宇野邦一氏が「安息日には」
と題したエッセイを寄せていましたが、ユダヤ教の安息日
というのは「労働しない。機械に触れない。お金を手に
持たない。車に乗らない。電話に出ないし、かけることも
ない。料理もしない。」と徹底しているのだそうです。

 現代の日本に暮らす私たちにはとてもできないような
ことばかりですが、「休日もコンピューターから離れられない
自分に、こういう安息日を課してみようかと思うことがある。」
と宇野氏は書いています。

 それはそれで結構大変で却ってストレスになったり
するのかもしれませんが、ひと月に一日くらいはそういう日を
意識的に設定してみるのもありかもしれませんね。
「今日は私の安息日!」と宣言して、絶対に何もしない。
そうすることで、時間に追われる普段とは、別の景色が
立ち現れるような気もします。

 とはいえ、オフの日に風邪ひきのハッキリしない頭に
むち打って、こうしてブログなんぞを書いている私には、
とっても無理な相談かも。電話はかけなくてもかかって
くるし、宅配便は届くし、新聞代の集金もやってくる。
第一料理をしなけりゃ、空腹にも耐えられないよ〜。

 まあ、今日は短めのブログで手を打って、さっさと
ご飯を作って食べ、早めに寝ることにします。
「半安息日」というところかな。
  
 それにしても、ボーッとしている間に経ってしまう
時間の何と早いこと。宇野氏は「そういう時間の数値と
自分の心身が過ごした時間との間に断層ができている」
と言い、「そういう時間のからくりから離脱するには、
『安息日』が必要なのかもしれない」と述べています。

 本当に、うかうかしているとせっかくの「半安息日」さえ、
時間に追われて過ごすことになってしまいそうです。
知らず知らずのうちに人間がとらわれているものは
数多くあると思いますが、「時間」というのはそのなかの
最たるものなのかもしれませんね。

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2009年06月29日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

私の中のローラ

 もう本当に何十年も前のことになりますが、
私の卒論は「テネシー・ウィリアムズ」でした。
1940〜50年代に活躍したアメリカの著名な
劇作家ですね。

 同性愛者として知られる彼は、晩年アルコールに
溺れ、1983年にボトルキャップをのどに詰まらせて
変死を遂げています。1979年にはヘイトクライムの
犠牲者にもなりました。その名声とは裏腹に、暗く
悲惨ともみえる人生を歩んでいます。

 卒論で主に取り上げたのは、その代表作の一つで
ある「欲望と言う名の電車」です。これは日本でも
文学座が今は亡き名優杉村春子の主演で何回も
上演し、私も5〜6回観ています。アメリカでは、
ヴィヴィアン・リーの主演で1951年に映画化されました。

 この劇の主人公のブランチは、今で言う「ボーダー」
ですね。過剰で過敏で虚栄心と自己愛のかたまりで、
決して観客の共感を得られるようなキャラではない。
しかし、ウィリアムズがこのブランチに自分を投影して
いるのは明らかで、彼女が破綻に至るプロセスを
痛切なタッチ描いています。

 私は当時からこの手の話が好きだったんですねえ。
「ボーダー」の芽は20歳にして脈々と育っていたのです。
その「ボーダー」を見事に演じる杉村春子にも大いに
心酔したものです。

 卒論を書くのにウィリアムズの戯曲は殆ど読みましたが、
今になってよく心に浮かんでくるのは「ガラスの動物園」です。
主人公のローラは、足に障害を持ち、その繊細な心ゆえに
社会に適応できずにガラス製の動物たちをコレクションして、
その世界で毎日を暮らしています。
今で言う「引きこもり」ですね。「おたく」っぽくもあります。
それを何とかしようと奮闘する母親のアマンダ、希望のない
フリーター生活に絶望している兄のトム、母親がローラとの
結婚を目論んで夕食に招くトムの同僚ジム、の4人が
登場人物です。

 ローラは、精神を病み、その生涯を精神病院で過ごした
ウィリアムズの姉ローズがモデルと言われています。
ウィリアムズは、彼女にロボトミー手術をすることを許諾した
両親を生涯許さなかったと言います。

 「精神を病む人々」への共感と受容の姿勢は、彼の
戯曲全般に常に貫かれています。私はその彼の姿勢に
いたく引きつけられたのでした。

 来訪者のジムは、障害のコンプレックスに苛まれる
ローラに、「人と違うことは恥ずかしいことではない」とか、
「自分の中に長所を見つけてそれに誇りをもつべきだ」
とか「ふつうの人なんか決して素晴らしくはない、世界中
どこにでもたくさんいるけれど、きみはたった一人の
かけがえのない存在だ」とか、まあ熱心に真摯とも
思える口調で励まし慰めるのです。

 彼に高校時代から憧れの気持ちを抱いていたローラは、
その慰めに一時は感動し、立ち直るきっかけになるかと
見えますが、彼に婚約者がいることが分かった瞬間に、
ジムの言葉の魔力はあえなく消え去ってしまいます。
 
 勿論ジムの言うことは正論です。そのとおり!!
今でもどこかのカウンセラーが言いそうな言葉です。
しかしどんなに心から発せられたとしても、「そんなことを
言うのなら彼女と結婚しろ」というのはいかにも理不尽な
要求だとは分かっていても、「ご立派な言葉なんぞ
クソの役にもたたねえんだよ!ジム君」と、ローラに
投影した20歳の私の心は叫んでいたのでした。

 今何故こんなことをつらつら思い出すのかと考えてみるに、
「こころの時代」とか言われる昨今、ジムみたいなことを
言う人が増えている気がするからでしょうか。
へたをすると、自分の中にジム化している部分を感じたりも
するのですね。

 多分私の根底には、未だガラスの動物たちと戯れる
ローラがいて、常にジムに向かって深い絶望的な眼差しを
投げかけているのだろうと思います。

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2009年06月22日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

上野の森のネオテニー

 先週半ばにたまたま上野に行くことがあり、
ついでに上野の森美術館に寄って来ました。
以前日経で紹介されていた美術展が開催されて
いることを思い出したからです。

 上野も久しぶりなら、美術館などなお久しぶり、
夕方からの入館でしたが、閉館までゆっくりと
鑑賞することができました。

 開催されていたのは「ネオテニー・ジャパーン」
と題する現代美術展。1990年以降の日本に
台頭してきた独特の作風。今や世界中から
注目を集める若いアーティストたちの作品群が、
圧倒的な存在感を醸し出す、いや、何とも刺激的な
空間でした。

 日経では「ありそうで今までなかった美術展」と
紹介されていましたが、確かにそうですね。
それもそのはず、ここに展示されている33人の
作家の作品は、全て個人のコレクションによるものだ
といいます。その人とは、精神科医の高橋龍太郎氏。
「あなたの心が壊れるとき」などの著書がある
その道では有名な方ですね。

 しかしながら、高橋氏がこれほどのコレクターだとは
ついぞしりませんでした。コレクションは全部で1000点
以上に及ぶそうです。そういえば氏が以前著書のなかで、
「エルメスのバッグに50〜60万も出すなら、その金で
現代美術家の優れた作品を買った方が遥かに価値がある」
というようなことを書いていたのを思い出しました。
確かに、20年前なら60万くらいで買えた作品が、今では
何千万もするのだそうです。

 高橋氏は私とさほど違わない全共闘世代。
並べられた作品を観ていくと、並々ならぬ感性の
ユニークさに驚嘆します。当時は無名だった作家達の
作品をたった一人でこれだけコレクションし、今や
その殆どが世界中から熱い視線を浴びている。
それも氏は投機的な意図で集めたわけではありません。
作品は全て氏個人の展示スペースで公開されている
そうです。いや〜、快挙というしかないですね。

 「ネオテニー」というのは、生物学の用語で「幼形成熟」と
いう意味だそうです。ウーパールーパーとも呼ばれ、一時
ブームになったアホロトールというペットが、環境的な変化で
「サンショウウオ」に変身するような、幼形を保ったまま
性的にも成熟してしまう変態過程をこう呼ぶと言います。
20世紀当初にボルグという解剖学の教授が、「人類は
類人猿のネオテニーである」という衝撃的な主張をして、
この概念を一躍有名にしたのだそうです。

 この20年、豊かで気ままで自由な環境を謳歌してきた
日本の若者たちは、ゲーム、漫画、アニメ、ケータイに散財し、
「こどもの王国」を作り上げた。高橋氏の言葉を借りると、
「繊細で傷つきやすく、脆いくせに暴力的で、エネルギーが
溢れているかと思うと倦怠に満ちる」。そんな「こどものもつ
全能感がそのまま実現した夢の王国」です。それは「幼形が
そのまま成熟していくネオテニーそのもののことでもある」と
高橋氏は述べています。(ワ〜ォ、それなら男NのNって、
もしかして「ネオテニー」のN?!)

 そのうえ、「世界で最も精緻を極めた技量をもつプロ集団に
よって支えられていた」この王国は、世界中で評判を呼び、
「同じ感性を育ててきた日本の作家たちが、既成の洋画壇から
遠く離れたところで、表現活動を開始した」のです。

 「今やアートはかつてのように見上げたアートではなく、
地上に目を下ろし、自分たちが発見するものとなっている」
と高橋氏は言います。「アートのネオテニー化を世界中が
受け入れつつある」と。

 確かにその作品たちは、どれもどこかで見たことが
あるような、それでいて極めて個性的で強烈な雰囲気を
撒き散らしています。サブカルチャー的であり、おたく的であり、
ファンタスティックであり、過剰なまでに精緻で巧みです・・・

 と書いていて、その感じを言葉で表すのは至難の技だと
気づきました。7月15日までやってますので、興味の
ある方は是非行ってみてください。
それこそ「百聞は一見に如かず」です。

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