2009年11月09日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

母の日とカーネーション

 季節はずれのタイトルで恐縮です。
昨日のエンカウンターの振り返りを今日また振り返っていたらふと浮かんだのです。

 最近読み返した「太郎物語」(曽野綾子著・新潮文庫)にこんな場面が
ありました。高校生太郎の友人で、世間的な価値観を堅固に保持する両親を
持った藤原の家庭が、その兄の反逆的行為で崩壊したというエピソードが
あり、太郎の家を訪ねてきた藤原と太郎、その母信子が食事をとりながら
会話するところです。

 藤原 「僕ら、兄弟はね、物心ついてからずっと、親に復讐することを
      目標に暮らして来たんじゃないか、と昨日ふと思った」

 藤原の兄は、親の価値観が到底受けつけないような女性と同棲し、
一旦は家に連れ戻されるのですが、結局はその女性と無理心中を
はかって自分だけ助かるという事件を起こしたのです。また、藤原の弟は
潔癖症の母に過保護に育てられ、どんなものも素手で触れられないほど
腺病質な「バイ菌ノイローゼ」の子どもだったのが、学生運動にのめりこんで
「やってることは幼稚だけどただ生きるための安全を確保するだけではない、
もっと積極的に生きる味を覚えた」のです。これは70年代に書かれた小説
なので、このあたり私とちょっとだぶります。

 藤原 「弟だって本当は学生運動なんて信じちゃいないと思うんだ」
 太郎 「それをやれば確実に親がいやがるからな、その手応えがほしいんだろう」
 藤原 「うん、それでうっぷんを晴らしているんだ。現に直接は仕返しできないから…」
 太郎 「そうじゃないさ。それも一種の甘えというか求愛かも知れないぜ。親に憎まれる
      という形で親にかまって貰いたがってる…」
 
 藤原は、「それは信じられない」と言って唇を噛みます。そして「はっきり言えば、
僕たちはもし孤児だったら、ずいぶんうまく行ってたと思うんだ。」と続けます。
やはり「求愛」などという解釈は、当人にしてみれば受け入れがたいのよね。
それも同じ高校生の友人に言われたりすればなおさら。太郎自身も「瞬間的に
こんな風に考えついた自分が不思議だった」と書いてあるけど、「何かどこかで
出発点がまちがってしまった」藤原家の、「まちがってしまった理由」は、信子の
言うように「お互いの過大期待」であることは、客観的に見れば否めません。

 藤原 「だけど或る時、気がついてみたら、僕たちは皆、黙っちゃってたんだ。
      お互いに何か本当のことを言ったら、ダメになりそうな気がしたんだ。
      本当のことを言ったら、母さんはすぐ泣くし、親父は怒るし、そういうことは
      まず煩わしいし…それから、親を悲しませたくないっていう気持ちもあるし…」    
 太郎 「親がわかってくれっこないっていう絶望もあるしな」
 信子 「ちょっと待って頂戴。親がわかってくれないって、親は子どものこと、わからないのが
     当たり前なのよ。そんなに何もかもわかる親がいたら気味悪いじゃない」
 太郎 「しかしさ、つまり、君んちの場合、君がそこまでわかってれば、大したことないよね。」

 そうなんですが、子どもはなかなか親を諦められないものです。果たして藤原は
「そうだろうか」と小声でつぶやいたきりです。「重々しい気分になってしまうより、
むしろ軽薄な気分になるほうがずっと願わしいような気がした」太郎は、
「母さんはどう思う?」と問い、「よそのお宅のことを、わかったつもりで何か
申し上げることはできないけれど…」と渋る信子を、「いいよ、遠慮するなよ」
とけしかけます。

 信子 「子供は誰だって親に怨みを持つと思うわよ、お父さんお母さんが絶対に
     正しくて好き、という人もいるかも知れないけど」

 ここで太郎は「きゃあ!」と叫んでいすの上からとび上がり、皿をひっくり返して
しまいます。「どうしたの?一体」と母に質され、太郎は余り言いたくないのだけれど、
そんなことをした手前「本当のことを言わなきゃいけない」と思って渋々白状します。

 太郎 「何でもないけどさア。母の日に、お母さんありがとう、って作文書いたり、
     花束捧げたりするのあるよなあ。あれ思い出したら、いたたまれなくなったんだよ」

 太郎は、「あれこそ、残酷物語だと思っていた。白々しさの極だと考え」、
「テレビにそういう催しがうつったりすると、ブリキの皿をスプーンで引っかいた音を
聞いたときのように歯が浮きそうになった」のです。

 信子 「憎み合っている親子というのも、世の中では意外と多いと思うのよ。
     ただ、親子の間の憎しみっていうのは他人に対する憎しみみたいに単一じゃ
     ないから、それで苦しむのよ。でも、もし憎んでいるとしたらね、藤原君が。
     そしたらそういう親にはうんと感謝した方がいいと思うわ」
 太郎 「どうして」
 信子 「だって、本当の憎しみを教えてやれる人なんて、人生にそういないの。
     愛によって教えられるのが一番いいんだけど、もしそれが不可能だったら、
     憎しみによっても同じものを教わるのよ。そこが面白いところよ」

 曽野氏は別の著書でも「親子の関係は特別だ」と言っています。
このことについては、もう十数年前になりますが、私が岸田秀先生のゼミで
発表したときに、先生と論争になったのを覚えています。先生は強固な「母親嫌悪」を
持っておられる方ですし、筋金入りのフロイティアンですから、クリスチャンである
曽野氏のこんな言い分を承服できないのは、当然といえば当然です。

 それでも先生は後に曽野氏の小説「夢に殉ず」の文庫版の後書きをされています。
「著者からの強い希望で」とのことでした。もっとも先生は「編集者が都合よく双方に
伝えるんだよ」と言っていましたが。

 後書きをしたぐらいでは容易に両者の溝が埋まるとも思えませんが、しかしその先生も
「母の日のカーネーション」に対する太郎の感覚には同意をしてくれました。

 今回のエンカウンターグループではからずも露呈した感がある「ジェネレーション
ギャップ」は、この両者間の溝よりも深いのかも知れません。


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2009年11月02日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

口には苦いけど・・・

 何ヶ月か前に行政の「電話相談」を担当している
ボランティアさんたちへの研修講座をお引き受けした
ことがあります。そのときにテーマの一つとして
出されたのが、「死にたい・・・」と訴える相談者に
どう対応したらいいのか、というものでした。

 「電話相談」というのは、どこでも相談内容がかなり重く
なりがちなのが特徴です。良くも悪くも「顔が見えない」
ということが影響しているのだと思われますが、ボランティア
さんたちの手に余るようなケースも多く見受けられ、
そのなかで頑張っている皆さんに頭が下がりました。

 ケースの話を一通り聴いた後で、私はちょっと皆さんに
質問をしてみました。「皆さんは今までの人生で『死にたい』と
思ったことは一度もありませんか?」。一瞬ハッとするような
沈黙があり、それから殆ど全員の方が手をあげました。
「何度もあるわ」という呟きも聞こえました。その中の一人が
苦笑しながら「そういえば思い当たるのに、普段はそんな
こと忘れているんですねえ」と感慨深そうにおっしゃいました。

 日常をつつがなく送っていくには、「死にたい」などと
いう想念に囚われているわけにはいきません。その思いは
話される機会もなく、記憶の襞深くにしまいこまれて、
あることさえ忘れています。しかしそのときに抱いた苦しさや
辛さは消えてしまったわけではなく、心の奥底に沈殿して
何かの折にふっとこみ上げてきたりするのです。

 誰にでも覚えのある感情として「死にたい」という言葉を
捕えたとき、それは自然に共感の気持ちを生みます。
「その気持ちを大事に話を聴いてください」と、ボランティアの
方たちにお話しました。

 はからずも今回「心に効く代々木の森のワークショップ」と
銘打って、CSNが開催した合宿エンカウンターグループは、
参加したメンバーがそれぞれに心の奥深いところに沈む
そんな思いを吐露するような場となった印象があります。
NPO活動カレンダーに記事を掲載しておりますので、どうぞ
ご覧ください)

 1泊2日という短い時間でしたので、充分に思いが出せずに
不全感が残ってしまったメンバーもいるのではないかと
気がかりですが、今後の振り返りや個別のカウンセリングで
フォローしていきたいと思っています。

 昨日のブログでA子さんも書いていましたが、参加した
メンバーはさぞ疲れたことでしょう。その疲れを越えて、
今回の体験がこれからの時間のなかで醸成され、ジワリと
「心に効く」良薬となることを切に願っています。

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2009年10月26日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

12歳の恋物語

 つい先ごろ小説家の原田康子さんが亡くなったのを
日経に追悼文が掲載されているのを読んで知りました。
記事中の「挽歌」という文字に、ふと遠い昔の思い出が
蘇り、一瞬甘く切ない感慨が胸をよぎるのを覚えました。

 あれはまだ小学校の6年生の頃。
もう少年少女文学全集の世界には飽き足らなくなっていた私が
従姉の家の書棚に見つけたハードカバー。背表紙に「挽歌」の
文字。それまでの子ども向きの本にはないあえかで密やかな
雰囲気を感じ、そっと抜き取ってぱらぱらとめくってみれば、
そこには未だ読んだこともないめくるめく恋の世界が
繰り広げられていたのです。

 家に持ち帰って夢中で読みました。
それは少女と中年の男の恋物語で、読み進むうちに
まるで自分が主人公になったかのように高揚した
気分になり、読み終えてからもずっとその高揚感は
続きました。ランドセルに入れて持ち歩き、授業中や
学校帰りの道々にそっと開いては、こみ上げる甘い
気分に酔ったのを覚えています。

 「挽歌」の文字に触れて蘇った感慨は、まさしく
12歳の私が感じたものです。もう半世紀以上もたって
いるのに、本当に身体の感覚というのはリアルに
再現されるものなのですね。

 不思議なことにこの本はそれっきりで、読み返すことも
なく過ぎてしまったので、私は「挽歌」の主人公は12歳の
少女なのだと勝手に思い込んでいました。そんなことは
ないらしいのが今回初めて分って苦笑してしまいましたが、
それほどまでに主人公に自分を重ねて空想に耽った
少女の私が愛おしくもあります。

 「父親願望」一色に彩られていたその頃の私の心象風景を
思いやれば、この小説への私のはまり方は随分幼いもの
だったんだなあと分ります。還暦を過ぎた今はどんな風に
感じるのだろうと、文庫本を買って読み返してみたくなりました。
冷たい雨がそぼ降る今日のような日にはぴったりの小説かも
知れません。


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2009年10月19日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「NPOまつり」翌日報

 昨日A子さんが「速報」でお知らせしたとおり、
「NPOまつり」は無事終了しました。
NPO活動カレンダーにもご報告をしておりますので、
ご覧ください。

 こういうイベントに参加すると、「何事も一人では
できないのだなあ」と痛感します。特にフリマへの
参加は初めてだったので、余り勝手がわからずに
大変でしたが、快く衣料などを提供してくれた方々や、
当日応援に来てくれた会員さんたちのおかげで
何とか乗り切ることができました。

 また、これも初めて手がけた「焼きドーナツの販売」は、
予想以上の売れ行きで、用意した160個余りが2日目の
午後3時には早くもソールドアウト。「3個お買い上げの
方は性格テストが無料で受けられます」というキャッチも
結構売り上げに寄与していたようです。

 将来に向けての雇用創出事業が、かねてよりの
CSNの悲願でしたが、その実現に一筋の光が射した
思いです。このうえはどうにかして形にすることを
めざして一歩を踏み出そうという意欲が湧いてきます。
NPOまつりが本当によいきっかけを与えてくれました。

 折りしも昨日の日経新聞「春秋」欄に、長野県の
「伊那食品工業」のことが書かれていました。「いい
会社をつくりましょう」という社是のもと、リストラなし、
成果主義なしの終身雇用。午前と午後にはお茶の
時間もあるそうです。

 この会社のモットーは「企業は会社を構成する人々の
幸せのためにあるべきだ」というもの。ただ居心地が
いいだけではなく、工夫創案の社風が、寒天でつくった
「食べられるフィルム」を生むなど、寒天の国内シェア
トップという見事な業績を上げているといいます。

 記事には、「最も根本的な経営効率化策は社員の
モラール(やる気)の向上」という創業者の言葉が
紹介されています。まことに手本にしたい言葉ですねえ。

 同欄には経営コンサルタントの高橋克徳氏の言葉も
併せて掲載されています。「職場にも感情があり、良い
組織は良い職場感情を持つ」、そして「職場は感情で
変わる」ということです。前述の食品会社のように
「イキイキ、あたたか」の2つがそろえば鬼に金棒、
従業員を平然とリストラし、効率ばかりが優先される企業は、
「ギスギス、冷え冷え」になり、「こんな感情に職場が
包まれれば組織が危ない」と説いています。

 企業ならずとも、どんな組織にもこれはあてはまりますね。
もしCSNが何らかの事業を手がけるならば、いつも「イキイキ、
あたたか」の感情を持つ職場をつくりたいと、益々夢は広がる
今日この頃です。


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2009年10月12日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

エンカウンターグループへのお誘い

 昨日A子さんがブログに書いていたように、
フリマの準備が何とか目鼻がつき、NPO祭り
の段取りも着々、とはいきませんが、まあ、
どたばたと進んでいます。本当はゆっくり
秋の風情に浸りたいところですが、なかなか
そうもいきませんねえ。

 でも今月末に合宿エンカウンターグループが
あるので、ちょっと楽しみ(詳しくはこちら
をどうぞ)。今回は近場の代々木とはいえ、
緑豊かなオリンピックセンターで、しばし
深まりゆく秋を味わいたいと思います。

 昨年の2月以来1年半以上たってしまいましたが、
「エンカウンターグループの灯を消すな」の思い
覚めやらず、1泊2日という短期間の開催では
ありますが、何とか実施にこぎつけました。

 ベーシックのエンカウンターグループ(それ何?
っていう方はこちらをお読みください)は、今
あまり見かけなくなってしまいました。
「若者がリアルな人間関係を求めなくなった」
と言われて久しいですが、それは「濃密な関係が
怖いからだ」というのもよく聞くところです。
実際、今回初参加の方からは「怖い」という
声も漏れ聞こえてきますが、それは、窓に映る
軒先の洗濯物の影を「幽霊だ」とおびえている
ようなものです。

 確かに「リアルな関係」というのは、しんどい
ところや煩わしいところがあるかもしれません。
思わず傷つけるようなことを言ってしまったり、
逆に傷つけられることもあるでしょう。しかし、
だからといってそういうものを避け続けていたら、
実体のないひとりよがりの関係しか持ちえません。
それは楽かもしれないけれど、人の言葉や存在が
胸にしみたり、心に響いたりする体験は決して
できません。

 何も恐れることはなく、構える必要もありません。
どうぞ皆様、リラックスした気持ちでご参加ください。



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2009年10月05日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

自己評価と自己受容

 CSNニュースが皆さんのお手元に届けられて、
いろいろな方からお礼やら励ましやらのご連絡を
頂き、ほっとすると同時に嬉しさもひとしおです。
そのなかで久しぶりに会ってお話したいと
おっしゃって、事務所をお訪ねくださった方が
ありました。

 その方は、以一年ほど前に私が出た東京都主催の
引きこもり支援に関連するセミナーで講師をされて
いたT さんで、学習塾を経営されていらっしゃいます。
それが割合この近くだったもので、私の方が「そのうち
お訪ねします」と言いながら、なかなかお約束が
果たせずにいたのですが、今回ニュースをお送りした
のがきっかけで、連絡をくださいました。

 Tさんの塾の何割が不登校や引きこもりの生徒だ
そうで、セミナーのテーマもたしか「NPOの経営を
どうするか」というようなことでした。「支援は大切だが、
総力をそこに注ぎ込んでいたのではとても経営的に
成り立たない」ということで、「私も試行錯誤の毎日
です」と率直に話されていたのが印象に残っています。
その折に私たちが考えていた「お菓子づくり」を通して
の雇用創出と事業展開について少し話をしたのですが、
非常に興味をもってくださって、今回の訪問も「その
計画がどうなったか」という関心が大きかったようです。

 結局はそれ以外のことにも話がはずんで、瞬く間に
2時間近くがすぎてしまいましたが、その中で非常に
私が興味を引かれた話がありました。 Tさんの塾では
「10代のアスリートたちの学習支援」も手がけている
とのことで、若いうちに全国からスカウトされて集まって
くるスポーツ選手に勉学の大切さを説き、勉強との
両立をサポートしているとのことです。競技の練習に
明け暮れる選手たちには苦しい道ですが、そこでの
両立を実現することが、選手生命の短いアスリートたち
の、その後の生き方を左右する命題でもあるといいます。

 その中には今年の「サッカー日本代表」に選ばれた
選手もいるとか。Tさんは、「若いうちにちやほやされると
それが終わってしまってからの落差に耐えられない。
長い一生を持ちこたえるだけの力をつけておくことが
彼らにとっては至極重要なこと」と話していましたが、
真にその通りだと思いました。

 それ以上に興味深かったのは、Tさんの塾で
選手たちに定期的に行っているという「自己評価テスト」
の結果が、「実力のある者ほど評価が低い」という
話でした。どんなに力があっても、日本全国、引いては
全世界を相手に競争している彼らにとって、自分より
力のある選手は必ず存在する。常に「まだまだ」という
思いに駆られるのも当然のことです。それに「自分は
これでいい」なんて思ったら、そこで成長は止まって
しまいかねない。「まだまだ自分はだめだ」という
気持ちをばねにして過酷な訓練を耐え、力を伸ばして
いくのでしょう。

 この話から改めて考えたのは、「自己評価」と
「自己受容」というのは、全く別次元の課題なのだ
ということです。よく「自信を持て」と言われますが、
「自信」というのは「評価」をもとにしていることが
多いのではないでしょうか。他者と比較した自分の
位置が高いと思われること、また他者からそれを
認められることなしに「自信をもつ」ということは、
かなり難しいのではないでしょうか。

 これに反して「自己受容」というのは、「今の
ありのままの自分を受け入れる」ということです。
「評価」は全く関係ありません。しかし幼い頃から
「他者との比較」に晒されてくると、「他者より
優れていなければ自分はだめだ」という思い込みが
強化され、それにとらわれてしまいます。
アスリートならずともそういう傾向は顕著ですね。

 確かに競争が自分を鍛え、力を伸ばす要素に
なることは否めません。しかしそれはあくまでも
ごく一面の価値観に依っているに過ぎません。
100メートルを10秒以下で走れることは、勿論
素晴らしいことではありますが、日常ではそんな
ことがでできなくてもちっとも困りません。どれほど
凄い記録であろうと、才能であろうと、「競争に勝つ」
ということの価値が褒め称えられるのは、人生の
ほんの一断面においてに過ぎない、そういうことも
しっかり弁えていないと、人生を誤りかねません。

 以前読んだ曽野綾子氏の「太郎物語」という小説で、
高校陸上選手の太郎が、「スポーツをやる意味って、
いつも必ず自分の前を走っている選手がいるって
思い知ることにあるんだと思う」というようなことを
言っていたのを思い出しました。そこそこの資質
しか持たない子のほうが、却ってそういうことを
早く悟り、ありのままの自分を受け入れることが
できるのかも知れません。

 たいした才能もなく、イチロウにもナカタにも
なれない私を含めた凡才たちのほうが「NO1
幻想」から早々に逃れられるとしたら、「凡才も
またよきかな」ですね。


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2009年09月28日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

必殺!?コンシェルジュ

 やっと会報の発送も終わり、ちょっと一息というところで、
かねてから泊ってみたかった椿山壮フォーシーズンズホテルに
一泊してきました。ちょうど「シルバーウィーク棚卸しセール」
というのをやってて、期間限定の超格安プランがあったので、
「ラッキー!」とばかり予約した次第。

 さすが格式のあるホテル、その重厚なつくりやあちこちに
置かれている調度品の贅沢さには驚嘆するばかり。迷路の
ような回廊を歩き回り、天文学的な値段であろうと思われる
大きな壷の一つ一つに触ってみたり、意匠をこらした豪奢な
ソファーにいちいち座ってみたりするうち、あっという間に
数時間を費やし、喉が渇いて部屋に戻って冷蔵庫の中の飲み物
を見れば、何とジュースの小瓶が950円、ただの水でも650円
もする、ウワーオ!

 勿論施設内のどこにも自販機なんかないし、カフェも
レストランも他のホテルより3割がたはお高い。いくら
超格安に泊れても、こんなところで食事していたのでは、
宿泊費が2倍、3倍になってしまう。はなから食事は
外でしようと思っていたのだけれど、さてどこへ行こうか。
そこでちょっとこのあたりの地理でも聞こうかと思い、
コンシェルジュのいるコーナーに行ってみました。

 そこで迎えてくれたのが、40台前半かと思しきなかなか
イケメンの男性コンシェルジュ。やわらかい笑みと物腰で
私の話を聞くと、頷きながら何やら分厚いファイルを
取り出して目の前に広げました。そこには何と驚くことに、
大衆的な居酒屋から高級レストランに至るまで、近隣の
レストラン情報がぎっしりファイルされており、価格から
雰囲気までどんな要望にでも応えられるような見事な資料に
なっていました。その上どこも自分で足を運び味も確かめて
いるらしく、ひとつひとつ丁寧に説明してくれました。

 いやぁ、何というプロ魂!これぞコンシェルジュの鑑なり。
まるで「金のないやつは来るな」といわんばかりの雰囲気に、
場違いなところにいるような私の違和感もこれですっかり
吹っ飛びました。げんきんにもさすが一流ホテルは違うわあ、
と感心することしきり。私がチョイスした神楽坂の中華レストラン
にも、いかにも行きつけという感じで予約の電話を入れて
くれました。

 もう大感激のかなりんは、何かというとコンシェルジュ。
「予約時間より早めに行って神楽坂の街をふらふらしてみたい」
と言えば、「もう是非ふらふらしてみてください。神楽坂は
ふらふらするのに絶好の街です」と手放しで受け入れてくれ、
プリントアウトしてくれたお店の地図で、よさそうな散策ルートを
あれこれ説明して、タクシーの運転手にも丁寧に依頼して、
送り出してくれました。

 予約した中華レストランは神楽坂の路地裏にあって、
教えてもらえなければ全く来ることもなかったであろう
ような玄人っぽい佇まい。こじんまりとしていましたが、
彼が言っていたように味はなかなかのものでした。
「神楽坂のふらふら」も堪能して、いい機嫌でホテルに
帰ると、コンシェルジュ氏が「いかがでしたか?」と
声をかけてくれました。「素晴らしかったですよ!」
と答えると、「それはよかった」と小さく拍手のジェスチャー。
それがまた嫌味でなく、さりげなく、いやぁ、仕事人ですねえ、
参りました!

 そんなわけで、超格安プランながら、めでたくリフレッシュ
気分を満喫できました。浴室のシャワーの詮が硬くて使えなかった
(シャワールームは別にあったからよかったけど)のと、翌日
の土曜日にやたら結婚式が多くて、せっかくの庭園にうじゃうじゃ
と人が湧いて出たのとが、ちょっと不快といえば不快だったけど、
まあそれもかのコンシェルジュ氏の仕事ぶりから差し引いても
おつりがくるというもの。奮発したカフェのケーキもおいしかったし、
総括はプラス。

 しかし、こんなところで金のことなぞ考えずに散財できる
身分になってみたいもんですねえ。


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