2010年04月05日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

つぶやき、つぶやく、つぶやけば…

 今「ツイッター」というつぶやきのサイトがはやっているという。
米国発のこのサイト、あっという間に世界中に広がり、今や何千万人もの
ユーザーを抱える巨大サイトに膨れあがっているらしい。各界の著名人や
政治家たちもこぞってつぶやきまくり、就職のエントリーに使う会社まで現れた。

 世界中のものすごい数の人たちが、とりとめのないことをあっちでもそもそ、
こっちでもそもそつぶやいて、それが次第に世を揺るがす大音響になっていく
なんて、何かホラーチックで気色悪い。主張するならもっと堂々とやれよ!

 ・・・とか思ってたんだけど、数日前の日経新聞に「ツイッターで商店街客集め」
という見出しを見かけて、「そうか、サイトと鋏は使いようかも」と思い直した、誠に
変わり身の早いかなりんです。

 記事によると、段々と客足に翳りが出ている全国各地の商店街が、若者を
呼び込もうと、特別メニューやイベント情報の発信をツイッターで行い始めた
のだそうです。これ、私たちがドーナツカフェを開くことになった白楽の六角橋
商店街にも使えるんじゃなかろうか。

 昔ながらの小売店が軒を並べるこの商店街、レトロで懐かしい雰囲気は
いいけれど、どうもやることが古臭い。この間も「何とか祭り」と称して三角くじ
とか引くのを出してたけど、これじゃ若者は食いつかない。傍に神奈川大学が
あって学生たちは多いのだけれど、それを呼び込んでいるのはほんの一部の
店でしかないみたいです。

 私たちの店のすぐ傍に、いつも学生風の若者が行列しているつけ麺屋さんが
あって、早速食べに行って見ました。うどんみたいな太い麺でボリュームがあり、
まあそこそこおいしいかったのですが、それでもさほど安いわけでもないのに
「何でここだけこんなに繁盛しているんだろう」と不思議でした。この間商店街の
魚屋のおかみさんが、「あそこはネットで客を呼んでるのよ」と話しているのを
聞いて「はは〜ん」と思いました。もしかして「ツイッター」かも。

 メンバーにこの話をしても、「ツイッターって何?」というレベルで、知っているのは
ごく僅か、使ったことのある人は皆無という情報貧困世帯の我がCSN。「それなら」
と、早速今日登録してみたんだけど、どうもいまいち有効な使い方が分からない。
最初は意気込んで参加したものの、やがて嫌気がさして全く使わなくなった「ミキシ」
の古傷がうずき、「やっぱりこういうのは苦手な体質なのね」と、書き込みもしない
うちからつぶやくかなりん。

 「それでもここに有効な広報ツールがあるのに使わない手はないわよね」
と気を取り直してつぶやき、初心者向けのヘルプページなどを読み漁っては、
「やっぱりよくわからない・・・」とまたつぶやく。いやはや、「つぶやき」のサイトを
前につぶやいてばかりのかなりんですが、いずれ「ツイッター」の達人になって、
カフェと焼きドーナツの宣伝をつぶやきまくり、行列をつくってやるぞ!」という
意気込みだけは健在です。

 はてさて、どうなりますことやら・・・(と、これもつぶやきです)。


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2010年03月29日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

三寒四温

 今日も白楽帰りです。
夜更けの風は身にしみるように冷たく、
空には冴え冴えと輝く満月。
闇の中で寒さに震える桜が白く浮き上がり、
足踏みする春をじっと待っているような・・・。

 開店の準備は着々と進んではいるものの、
思いがけない事態が起きたり、予想以上に
手間のかかることがあったりと、なかなか
計画通りには進まず、4月9日に予定していた
オープンが一週間ほどずれこみそうです。

 すぐそこに来ているはずの春なのに、
肝心のところで歩みを止めているような・・・。

 昨日は恵比寿に集まって皆で何種類もの
生地をつくり、それを今日白楽に持っていって
焼いてみました。どれがどんな風に出来上がるのか、
ワクワク、ドキドキのひととき。ワイワイと賑やかに
過ごしました。

 こうしてずっと一緒に頑張ってくれているメンバーたちも、
段々と速さを増してきたペースに疲れが出てくる頃です。
ストレスがピークを迎える前に、少し歩調を緩めるのも
いいのかもしれません。

 躓いては身を立て直し、挫かれては気を奮わせ、
思えばいつもそれが私の来し方であるような・・・。


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2010年03月22日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

カウントダウン

 いよいよドーナツカフェのオープン準備が、
秒読み状態になってきました。
今日もついさっき白楽から帰宅したところです。

 どんなに小さな店でも、いざ開くとなると、こんなにも
大変なんだと思い知る日々ですが、皆で力を合わせて
一つ一つクリアしながら着実に形になっていくプロセスは、
この上なく感動的でもあります。

 まだまだやらなければならないことは山ほどありますが、
心底にあるワクワク感の高まりが、疲労感をカバーして
毎日のエネルギーになっている、そんな感じです。

 オープン予定は4月9日(金)、 間もなく迎える花の季節に
私たちの思いを重ね、満開を願って夢膨らむ春です。



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2010年03月15日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

工房も人のつながり

 このところ頭の中は寝ても覚めても「ドーナツ」です。
ですからブログも勢いドーナツのことになっちゃいます。
昨日のA子さんブログにあった「本町小学校」でのイベントの様子も
NPO活動カレンダー」にアップしたところ。見てくださいね。

 一昨日は溝口にある工房にお邪魔して、ドーナツ作りの研修を
受けてきました。その工房は、駅から離れた住宅街でのおよそ
目立たないところにあります。入り口もただの事務所のように
狭くて殺風景。そこのショーウインドウに、少しだけ焼き上げた
ドーナツを並べて売っているのですが、それでもひっきりなしに
お客さんが買いに来ていました。
 
 奥のスペースが工房になっていて、会議室にあるような机が
3卓ほど離れて並べてあり、その一つに4台の焼き器を置いて、
一人の若者が黙々と焼いている。絞り器を回して次々とタネを
流し込み、焼けた分からヒョイヒョイとリズムよくはずしていく。
その手際は見とれるほど見事で、思わずため息が出ちゃいました。

 ひたすら感心して目を見張っている私たちに、「彼は特別ですから、
こんなに早く出来なくても全然大丈夫ですよ」と安心させるように
言ってくださったのは、責任者と思しき年配のIさんとおっしゃる方。
その方は一年前まで料理もしたことのないサラリーマンだったそうで、
「それでも今は結構やれるんですから、皆さんもすぐうまくなりますよ」
と、硬くなっている私たちを気遣ってにこやかに話してくれました。
もう一人袋詰めをしたり、個数を確認して箱をつくったりしている
男性がいて、工房はその3人のスタッフで切り盛りしているようでした。
その男性も私たちの質問に丁寧に答えたり、色々と親切に教えて
くれたり、皆とても気持ちのいい方たちで、しばらくすると私たちも
リラックスした気分になれました。

 今日発送する商品の生産がひとまず終了したところで、いよいよ
私たちが焼いてみる番です。最初は皆、絞り器を持つ手も緊張して
恐る恐るという感じでしたが、2回目は少し慣れてきて、それなりに
きれいに出来るようになりました。これで何回か練習すれば、ここの
若者ほどの速さは望めずとも、何とか格好はつきそうな手ごたえを
感じてほっとしました。

 聞けばこの工房では、一日1000個以上を焼くこともあるとか。
それならどうしてもスピードが要求されますが、私たちのカフェ
ではせいぜい最初は2〜300個くらいのところでしょうから、ゆっくり
やっても充分間に合います。熟練すれば彼を凌ぐ速さで焼ける
メンバーも出てくるかもしれませんし。

 この工房では、基本の粉を使って色々な種類のドーナツを
編み出し商品化しています。両側の壁の戸棚には、使用する
様々な材料がしまわれていて、その一つ一つが厳選されたもの
であることにも驚いたり、感激したり。例えばチョコレートは
ベルギー産のビターチョコレート、紅茶はブレンドではなく
セイロンのストレートティー、最近商品化した「煎茶ドーナツ」
に使うのは、静岡産の高級茶、卵も岩手からの直送品とのこと。
こうした材料は皆で足を使って探してくるのだとか。「良い材料を
使わなければおいしくできませんから」というIさんの言葉に
深く納得し頷きながら、「私たちもその心がけを忘れないように
しよう」と心の中で誓いました。

 「ドーナツを焼いているときは、集中して頭の中が空っぽに
なるからいいんですよ」と笑うIさん。サラリーマンから転身して
本当によかった、今は毎日が幸せな気分で過ごせます」と
おっしゃっていました。その言葉を実証するかのごとく、工房は
素朴で暖かく、かつ自由で創造的な雰囲気に満ちていました。

 私たちもゆくゆくはこんな工房を持って、皆に生き生きと
働いてもらいたい、と夢広がる実り多い研修でした。
さあ、明日からまた、カフェの開店準備に勤しみましょう!

 
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2010年03月08日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

縁あって白楽

 今春CSNがオープンするドーナツカフェの店名は「縁(えにし)」。
これまで全く知らなかった白楽という街に一目惚れし、プロポーズは
したものの、待たされることしばし。競争相手も結構あったらしいので、
もしかしたらだめかな、と諦めかけていたところへ飛び込んできた
色よい返事。まさに「縁あって嫁いで行きます」といった感じです。

 「縁」というのは日本独特の言葉ですね。まして「えにし」などという
みやびな読み方には何ともいえない情緒があります。
(因みに英語では‘relation’。味もそっけもありませんねえ。)

 そして懸案のロゴマークもようようにしてこのたび完成。
我らがCSNきってのデザインセンスを誇るnekoちゃんが、
数日間事務所に泊り込んで作ってくれました。
そこらへんのフリー素材なんぞ一つも使っていない、正真正銘の
オリジナル。その艱難辛苦の末の作品をここにご披露しちゃいます。

 ジャーン!!

rogo1-1.gif


 どうです?この見事な出来映え。
(まあ、私が自慢する筋合いでもないけど・・・でも自慢したい!)

 これからこのロゴが何かにつけて大活躍することになるでしょう。
そして店の名の「縁」が、その名の通り人と人をつなぎ、大いなる
賑わいをもたらしてくれますように!


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2010年03月01日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「連帯」と「ネットワーク」

 先日来ボーヴォワールの「他人の血」(新潮文庫)を
読んでいたら、「連帯」という言葉が随所に出てきて、
この言葉を繰り返し口にしていた若き日々をまたもや
思い出しては感慨に耽ってしまったかなりんです。

 そういえば去年の「木村周先生特別講義」のなかで、
先生も口にされ、そのときにちょっと懐かしい感じが
したのを思い出しました。今はもう殆ど聞かれることの
ない言葉になってしまいましたね。

 その代わりに昨今頻繁に耳にするようになったのが、
「ネットワーク」という言葉。我がNPOの名称にも使われて
いますが、命名をしたときの気持ちには、「人と人のつながり
を大事にする場をつくりたい」という願いがあったことが
思い出されます。

 「連帯」という言葉にはどこか硬い感じがありますが、
「ネットワーク」というと柔らかいイメージですね。「連帯」を
英語で言うと‘solidarity’です。‘solid’というのは「固体」の
ことですから、やはり‘net’の方が断然柔軟ですね。
 
 日本語のイメージでも、縦糸と横糸をしっかりと織り込んで
作り上げる「帯」は硬くて形も決まっているけれど、糸をゆるく
つなげて編む「網」は柔らかく広がりがあります。

 これってやはりつながりを生む媒体の違いでしょうか。
「連帯」の基盤には、往々にして「イデオロギー」なる観念的な
代物が介在していましたが、「ネットワーク」にはもっと心情的な
ものがあるような感じがします。

 イメージだけなら、「ネットワーク」は「連帯」よりずっと容易く
つくれそうなんですが、しかしやってみると、これがなかなか
そうはいかないのです。「イデオロギー」ってヤツは剣呑では
あるけれど、良くも悪くも単純ではっきりしていた。その点
「心情」っていうのは、どうも複雑でかなり面倒なものだったり
するんですね。60年後半に頻発した左翼セクト同士の激しい
衝突は、「イデオロギー」という衣で覆った「憎しみ」とか「怒り」
とかの感情の爆発です。いってみれば、「心情」というのは、
「優しさ」とか「悲しみ」とかの茫漠とした見掛けの陰に、硬い
「連帯」を空中分解させるような恐ろしいエネルギーさえ
孕んでいる誠に混沌としたわけのわからないものなのです。
 
 そんな曖昧で捉えどころのない「心情」なんてもので網を
作るのだから、どうにも一筋縄ではいきません。糸の太さや
強度も人それぞれだし、そのときによっても違う。だから
つながったかに見えても、ちょっとした衝撃があれば
あちこちですぐに切れる。いざ編もうとしてみると、それは
それは難しいのです。

 だから今は、とにかく形だけつながっているようにさえ
見えればいいという向きも増えているようですね。
ただそっと広げて、つながったような錯覚に浸っている
うちはそれで済むけれど、ひとたびその網で何かしようと
するとひっきりなしに綻びる。これじゃあドジョウ掬いの
ひとつも出来やしません。

 かように「ネットワーク」というのは厄介でしんどいものだ
ということを、「ネットワーク」の名を冠したこのNPOを
やってみて改めて痛感しました。考えてみればことさら
改めなくても、「人と人がつながる」なんてことがそう簡単に
出来ようはずもないのです。帯のようにがっちりと枠を
決めて、その中に糸を閉じ込めてしまうようなやり方でも
しなければ、すぐにばらけてしまいます。目的に「革命」
なんぞを標榜していれば尚更ですね。今でもこういう
やり方をしている組織もあるようですが、歴史を見れば
そういう方法がいずれ破綻することは明らかです。
どんなに大変でも、時間がかかっても、しこしこと網を
編み続けるしかありません。

 それぞれが自由に存在しながら、尚且つちょっとや
そっとでは綻びぬような関係をつくりあげるためには、
何度も何度も切れた糸をよじり直し、他者の出してくる
糸との調整をしながら、時間をかけて綻びた網を修復
していかねばなりません。途中で嫌になって投げ出す
こともあるけれど、それでもまた気を取り直して針を
とる。そうして少しずつ網は強くなっていきます。

 CSN開設以来実に7年。メンバーの一人一人がそういう
作業に取り組んできた年月でした。その苦しみと葛藤を
たっぷり吸い取って、まだまだ小さくはあるけれど、使用に
耐える強度をもった網ができつつあります。くしくも今度
皆でオープンすることになったドーナツカフェは、CSNの
「ネットワーク」の名が、単なるイメージを超えて内実を
獲得していくその過程の象徴であるような気がします。


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2010年02月22日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「世の中」というもの

 先週の金曜日に「食品衛生責任者」の講習を受けてきました。
東京会場は今年度一杯満員だというので、埼玉県に申し込みました。
浦和駅から徒歩15分、「埼玉県食品衛生協会」なる古い4階建ての
ビルの会議室に、朝の10時から午後5時まで缶詰状態。
60名の定員一杯の会場には、様々な年齢層の男女が集まっていましたが、
その中には中高年の男性の姿も目立ちました。

 「いやあ、きついですなあ」と話しかけてきた男性は、自動車の
会社を営んでいて、この不況下でどうにもならずに兄弟がやっている
飲食業を始めることにしたのだそうです。まだ物件が決まらずに
苦労しているとのことでした。「自動車の方もやりながらですから
厳しいですが、食っていくためにはしょうがありませんわ」と、
疲れた表情で語っていました。

 この中には、リストラや失業でやむなく飲食業を選んだという人も
結構いるんだろうな、と思いました。そんな切羽詰まった状況にいる
人たちにとっては、「世の中」は果てしなく辛く厳しいものとして
立ちはだかっているのでしょう。

 私たちのドーナツカフェ構想など、そういう人たちから見たら
「何とノーテンキな・・・」と呆れられるような代物かもしれません。
先日掃除に行ったときに挨拶した隣の自転車屋のおじさんも、
「いやあ、商売厳しいですわ」を連発していました。

 我が家の連れ合いも私のいかにものんきそうな顔を見ていると
不安になるらしく、「あれはやったのか、これはどうするんだ」と
毎日のように問いかけてきます。彼の中では、そもそも「ドーナツと
コーヒーがメインの店」なんてもので商売が成り立つとはとても思えない
らしいのです。「それじゃ厳しいぞ、世の中そんな甘いもんじゃない」と、
苦虫を噛み潰したような顔でのたまわれます。私が軽い調子で
「一生懸命やってだめだったら、やめちゃうもん」とあっさり言ってのける
ものだから、ますます呆れ果てた顔になり、「何たる無責任!」と絶句。
彼にとって「世の中」とは、とるべき責任とそのための大変な労働に満ちた、
微塵も楽しくないものなのでしょう。

 確かに「世の中」というのは、それ程甘いものでも楽しいものでも
ありません。「何とかなるさ」とたかをくくっていれば、足元をすくわれる
こともあるでしょう。しかし、「世の中」なんてどこまでも解体していけば、
結局は個人、つまりは「自分自身」に行き着くのではないでしょうか。
自分自身が持つ欲望や感情や思想の集大成、それが「世の中」という
ものではなかろうか、と私は思っています。そして、自分と同じような、
あるいは全く違う内面を持った他者との関係をどう生きるかで、その人の
とらえる「世の中」の様相もまた変わってくるのではないでしょうか。

 畢竟、「世の中」は自分の中にしかありません。「これが世の中だ」と
差し出して示せるような実体なんてどこにもないのですから。自分という
人間の持つ不確実性に満ち、だからこそ自分の手で確実性を獲得して
いくしかなく、その苦しさと楽しさを併せ持って、今「世の中」は私の中に
あります。

 
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