2011年04月29日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

風邪薬なんてしゃらくさい!

 一昨日の夜からぶり返した風邪が未だ退散して
くれない。今朝もまだだるさはとれず、起きてもすぐ
横になりたくてさっきまで寝ていた。こういうときって
いくらでも眠れるから不思議。

 さて、今日は夕方からカウンセリングの予約が
入っている。こんなぐたぐたを立ち切って、態勢を
立て直さなきゃ。

 そこで買ってきてあった「新潮45」巻頭の
曾野綾子氏のエッセイを読んだ。氏の書いたものを
読むと心がシャンとなる気がするのである。今回の
震災に纏わる随想の終盤に曾野氏が1999年にソ連
ベラルーシのゴメリ州に入ったときの話がある。
氏が日本財団の長をしていた頃の話で、チェルノブイリの
原発事故汚染地区の子どもたちの健康診断を財団が
引き受けていたのである。

 炉心から30キロゾーンの居住禁止区域にも何十組かの
家族が暮らしていて、曾野氏たちは何軒もの家を訪ね、
歓迎されたり、金をねだられたりしたという。小学校
もあって女性校長から「事故の後遺症の子どもの存在」
を訴えられた。病気なら何でも「後遺症」だと言い立てる
厚かましさに触れ、氏は「すべてを原発事故に結びつけて、
たくましく生きようとする人々は健在だったのである」
と書く。

 放射能が残るという村に住んで、元気一杯に暮らしている
赤鼻のアル中の老人のことも書かれている。きのこも
ジャガイモもどっさり採れて何も困ることはない。
「放射能が怖くないですか?」と聞くと、「強いウォッカを
飲めば大丈夫なんじゃ」と答えた、という。

 「まるで上質のロシア文学を読むような思いで、今でも
記憶に鮮明に残っている」と氏は書いている。こういう
話読むと、日本が戦争して勝てるはずないよねって思う。
何もかもが神経症的色合い一色に染め上げられているように
見える日本。「鬼殺しを飲めば放射能なんか平気なんじゃ」
って言う豪胆さって望むべくもないのかしら。

 でもこういう話読むと元気が出る。
錯覚でも一時的にしゃんとした気分になる。
鬼のいぬ間に…じゃなくて「鬼のいる間に」仕事しよう!


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2011年04月22日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

諸悪の根源?!

 今私の手元に一枚の古ぼけた写真がある。
それは、今週の日曜日に行われた亡き伯父の
3回忌の席で伯母から手渡された。そこには
燕尾服を着てシルクハットをかぶった一人の
初老の男が写っている。伯父や私の母の父親、
つまり私の祖父に当たる人のポートレートである。

 この人に私は会ったことがない。
長命な家系には珍しく60代で亡くなっており、
私が生まれた頃にはもうこの世にいなかった
らしい。明治の頃には珍しくもなかったのだ
ろうが、本妻の他に何人もの女性がおり、子どもも
あちこちにいたらしい。私の祖母もその一人
だったが、若くして本妻が亡くなって後妻に入り、
自分の子ども2人(伯父と母)とともにまだ
幼かった先妻の子ども4人を育てたという。

 祖母が後妻になるときには、多くの女たちの間で
熾烈な戦いが繰り広げられ、伯母の話によると
「おハルさん(祖母)が勝った」んだそうである。
それで祖母は、戦いに敗れた幾多の女たちの強烈な
嫉妬と恨みをかうことになったのだそうである。

 祖母が育てたという先妻の子どもたちは、
成長後も祖母を大事にして、私も随分かわいがって
もらった。しかしどの家にも跡取りがなく、養子を
とったりしていたが結局は途絶えてしまった。
そういう伯父たちの葬式には、「あの人お祖父さんの
隠し子らしい」という人が来ていることもあった。

 祖父は「福島民報」という地方新聞の副社長だった。
その名は三瓶仙輔。福島の名家の出で、明治の男の
ご他聞にもれず放蕩を重ね、女たちを翻弄して
あっけなく他界した。伯父も母も「後妻の子」と
いうだけで差別的な目で見られて、屈折した心情を
抱えていた。認知さえされなかった非嫡出子を
入れれば、彼の撒き散らした不幸は計り知れない。

 私は祖父を「三瓶家の不幸の源」と呼んでいた。
伯母に「あの世に行ったら文句を言ってやるんだから
顔くらい見ておきたい」と言ったら、写真を捜し出して
持ってきてくれたのである。それを眺めながら
「まったくこいつのせいで!」と呟いたら、従兄弟の
娘たちが「うわー、こいつ呼ばわり」と驚いていた。

 写真の男はいかにも地方の名士然としているが、
想像していたほど傲岸な顔つきではない。美男ではないが
どこかユーモラスな風貌でかわいげがあり、女には
もてたんだろうな、と思わせる。あの世でも女たちに
囲まれているのかもしれない。私より先に恨みを
言っている人もいたりするのかな。しかしそんなことで
かなりんは日和らない。あんたの顔はしっかりと目に
焼き付けた。捜し出して絶対蹴っ飛ばしてやるぞ!


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2011年04月15日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

縁一周年

 風邪はなかなか完治せず、地震もまだまだ治まらず。
日常と非日常がないまぜになったような日々のなか、
早いもので縁はこの16日で一周年を迎える。

 去年の今頃は怒涛のような忙しさできりきり舞いを
していた。今年本物の怒涛が来るとは予想だにせず。

 今は一周年の売り出しの準備におおわらわ。
今日は前日のこととて、多分深夜までかかってしまいそう。
そこで早めにブログをアップしておく算段。
備えあれば憂いなし?!
いやいや、憂いだらけの春ではあるけど…。

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2011年04月08日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

おかしいです!!

 一昨日あたりから風邪を引きこみ、昨日は
寝たり起きたりの一日。そんななかまた地震があってヒヤリ。
それから目がさえて結局夜中に本を読んでしまった。
こんなことをしてるからなかなか治らない。

 体調が悪いと余計勘にさわるのが、例のCM。
芸能人が入れ替わり立ち代りフリップ持って何か
スローガンみたいなことを繰り返す。これまるで戦争中の
「欲しがりません勝つまでは」みたい。
「それ本当に必要ですか?」って、いらねえのは
てめえなんだよ!

 I子姐さんも書いてたけど、やたら「日本、日本」って
連呼するのもいい加減にして欲しい。9・11のとき
アメリカ人たちが星条旗振り回して「アメリカ!アメリカ!」
って叫びたくっていて「いい加減にしろよ!」と思ったけど、
今度は日本かよ。それもどこの誰だか分からない奴が
変なイントネーションで「日本の力を信じてる」とか、
サッカー選手が「日本は一つのチームなんです」とか
言うのを聞くと全く背筋がゾクゾクする。風邪には最悪ね。

 ブログ書いたら、テレビなんか見ないで一日中寝てようっと。
願わくば今日は地震がありませんように…。


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2011年04月01日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「贈る言葉」をもう一度

 関係各方面に連絡しまくってお騒がせ致しましたが、
何とか無事解決…というのは地震にまつわる停電の話じゃなく、
先日放映された「金八先生ファイナル」収録の件。アナログな
我が家のビデオデッキで地デジがちゃんと撮れるか心配で、
何人かの方にお願いしていたのですが、VHSビデオに4時間
ばっちり収録できて、数日前の深夜にじっくり一人で観ました。

 私が以前サンプラザの相談センターにいた頃、
難しいクライエントさんが増え、若いカウンセラーが
トラブルを起こす事例がありました。相談室で激昂して
怒りを爆発させた男性がいたのです。カウンセラーは
「怖くてもう担当できない」と泣いて訴え、その当時の
理事がおたおたして「何かあったら大変だから」と、
こともあろうに警察に相談に行き、テーブルのしたに
非常ベルを設置することをアドバイスされて、その通りに
しようとしたことがあったのです。

 まあ、私もまだ若かった(今よりはね)から、ミーティングで
「そんなことしてまでわが身を守りたいのならカウンセラー
なんてやめちまえ!世の中にはもっと安全な仕事山ほどあるんだ
から」と若い女性カウンセラーを怒鳴りつけ、「警察ふぜいが
分かったような顔してしゃらくさい、あれこれ指図受けるほど、
相談センターは落ちぶれちゃいませんよ」と理事に啖呵を切り、
恐れをなした理事がその案を引っ込めるという一件がありました。
結局最後までそんな非常事態は起こりませんでしたが。

 それとどこか似たような場面が出てくるんですよね、
金八先生には。「15歳の妊娠」のときも、「腐ったみかん」
のときも、「覚せい剤汚染」のときも。「カウンセラーという
仕事を舐めるな!」というあの時の私の熱さ、胸の焦げる
ような怒りが噴出するんですね。それも私のような即席の
啖呵じゃなく、力のこもった説得として。金八先生については、
「ださい」だの「うざい」だのいろいろ言われるけど、
こういう熱い思いを嗤う奴はこの私が許さない!って、
もう完全転移してます。

 人と向き合う仕事をするということは、自分の人格を丸ごと
その仕事の道具にするということです。それが嫌なら、そういう
仕事はやらなきゃいい、とその思いは今でも変わりません。
福祉の世界には結構いるんですよね、そういう人。佐賀の
谷口さん、大阪の生田さん、東京の湯浅さん…。そして
教師では金八さん。架空の人物かどうかなんて関係ない。
彼は小山内美江子という脚本家が作り出した人物ですが、
ちゃんと生きてる。生きてるように書いてる。脚本家の力
ですね。武田鉄也という俳優の力も大きい。

 最初はチンピラ風だった風貌が、時が経つにつれて
実に味のある顔に変貌している。遂に定年を迎えて、
肉体の衰えは隠しようもなく、しかしその熱い思いだけは
胸の底にしっかり生きてる。「ファイナル」でも十分
堪能しました。良かったです。


 ※ 思い出ブログ2題、ついでに読んでくださると
  嬉しいです。

2006/2/7
  
2008/4/14



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2011年03月25日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

語れども未だ溶けず

 先週の土曜日に今期のTA学習講座が終了した。
最終回はいつも「変容のための決断」というテーマで
行うのだが、今回はさながら「地震を語る会」の
様相を呈した。

 あれから2週間経つが、復旧はまだまだこれから。
通勤難や停電の余波も当分治まりそうもない。生協に
注文した製品にも欠品が相次ぐ。

 誰の胸のうちにも得体の知れぬもやもやが湧き起こって
居座っているようだ。もやもやの中身をよくよく見れば、
不安、虚無、恐れ、怒り、苛立ち、といった感情が蠢いている。
ラケット感情の巣窟だね。

 地震の後で何回もTVで見た黒い波の塊は、まるで
世界中の人間の欲望が凝り固まって押し寄せてきた
みたいだった。見るたびに独特の虚しさに襲われた。
まだ瞼の裏に焼きついて消えない。

 それでも日一日と薄皮を剥ぐように日常の感覚が
戻ってくる。時間というのはすごいものだ。焼野から
僅か十数年で「もはや戦後ではない」と言わしめたように、
この震災もいつか「アニバーサリー」になるんだろうか。

 「戦前」「戦後」みたいに「震災前」「震災後」の
意識の変化は残るのだろうか。そのうち跡形もなく
消えてしまうのだろうか。

  海外ではもう原発擁護論が出てきている。
何があっても人間の欲望は止まるところなく膨れ上がるんだろう。



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2011年03月18日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

やっぱりこれからが大変

 私が子どもの頃はよく停電があった。
ろうそくの灯りの下でご飯を食べるなんてことはしょっちゅう。
ゆらゆら揺れる大きな炎に見とれ、指で障子に影絵を映し、
物語を作っては楽しんだ。

 随分長い間東西の冷戦が続き、あちこちで核実験が行われていて、
1950年代には、太平洋のビキニ環礁沖で行われた米国の核実験で
日本の漁船が被爆する「第五福竜丸事件」というのがあった。
その頃の雨には常に放射能が含まれていて、放射能値も発表されて
いた記憶がある。大人は「雨に濡れると頭が禿げる」と怖がっていた
けれど、何分子どものことで、そんなことはお構いなしに外で遊んで
いたから多分私も大分放射能の雨に濡れたんだろう。

 東京大空襲の焼け野原のなかで生を受け、食べ物もろくになく、
電気が必要なものといえば電球とラジオくらい。日常茶飯の停電にも
大して困ることもなく、放射能含みの雨に打たれても禿げることも
なかった。決してその時代がよかったというわけではないけれど、
今更ながら環境の激変を痛感する。

 日本全体が電気なしではどうにもならなくなってしまっている。
原発はまるで麻薬だ。電気づけの私たちの生活は、原発に依存
しなければ到底成り立たないところまで来てしまった。ろうそくで
影絵を楽しんだあの頃にはもう戻りたくても戻れない。

 不安にかられて買いだめに走る神経症的反応は、まるで中毒患者だ。
東京にいるのに今にも放射能が降ってくるかのようにおびえるのも
どうかと思う。こうしてしまったのは、誰のせいでもない、便利さを
求め続けてたっぷりとその恩恵に浴した私たち自身なのだ。自己責任
というのはこういうときにこそ使う言葉だろう。理不尽にひどい目に
遭わされた被災地の人々のことを思えば、私たちの誰もが幾許なりとも
リスクは負わねばならない。
 

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