柴田翔「されどわれらが日々―」の終章。
幼なじみの婚約者に宛てた節子の手紙。
激しくは燃え立たぬ、しかしだからこそ約束された穏やかな結婚生活。
それを直前で振り捨てて、節子は片田舎の英語の教師になるべく旅立って行く。
何故自分はこんなことをするのだろうか。
節子は自問する。そしてこう書き綴る。
「でも、もう判っています。それは判ってしまったことです。
考えれば考える程、一日延ばせば延ばすほど、そうする他はないと、
ぬきさしならずに判ってしまったのです。」
「されど―」は1964年の芥川賞受賞作である。
私たちの世代の女性はこの節子を擁して出発した。
決して勇ましい旅立ちではない。
後ろを振り返り、涙に暮れながら、それでもあえて断ち切った何ものか。
彼女は否応なく判ってしまったのだ。
断ち切らねば自分がこのまま崩れてしまうことを。
「こうなることを私は決して願いはしなかった。けれそも、それでも
私をここまで連れてきたのは、意識の底に深く隠され、自分でさえ
それとは知らなかったひそかな心の願い以外の何物でもなかったと
思われてくるのです。」
節子は「寂しさ」というラケット感情に絡め取られることを決然と
拒否したのである。判ってしまったことの悲嘆のなかで、それでも
彼女は独りになることを選んだのである。20代の節子はこうして
「自らの生」に向かって旅立ったのである。
それから20年の後。
私と同世代の作家、干刈あがたの小説「しずかにわたすこがねのゆびわ」
にこんな一節がある。
「若かった頃の自分に、今の自分が教えてあげられるといいのにね。
そんなことしちゃだめよ、とか、そんなに我慢することないのよ、とか。」
この言葉も時折ふっと思い出す。
「でも、私はやはりああするより仕方なかった。
その時その時、自分なりに考えて生きてきたんですもの。」
<サラバータ サラバータ しずかにわたす こがねのゆびわ
鬼のしらぬうちに ちょっとかくせ>
「こがねのゆびわというのは、女の言葉のような気がするの。
女のからだの中にある言葉にならない声、思いのようなもの。
女が共有している体感のようなもの。」主人公の芹子が言う。
「私・・・一人になってみていろいろなことがわかった。今私は
誰とでも寝られる。好き嫌いの識別はあるけれど、嫌いでない人とは
誰とでも寝られる。」
芹子は、白いシャツの袖から出ている日焼けして艶がある腕に
魅せられてゆきずりの男を誘う。ただその膚に触れたいという思いだけで。
「帰りにパーッと眼の前が開けるような感じがした。
ああ、私はこんなことまでできるんだって」
「胸がわくわくした感じのなかには、怖いという感じもあったわ。
いったい私はどこまでという。でも自分で自分を知ることしかできないわ。
女はどういうものか、女が自分で知るしかないと思うわ。
女はどういうものか、男の人が言ったり決めたりしたことだらけですもの。」
芹子は20年後の節子である。
全く違うような二人が私のなかではつながっている。
まるでかの名作「巡り合う時間たち」のように。
節子がわたしたこがねのゆびわを握り締めて芹子は飛翔する。
「ここまで来てしまった自分がどうなるのか、ここから先に行ってみるしか
ないような気がしている」から。
そしてまた20年後の今。
私たちはどこまで来たのだろう。
干刈あがたは1992年に急逝したが、芹子は多くの読者にゆびわを
わたした。ゆびわは今でもどこかでひっそりと受け継がれているのだ。
そう、私からあなたへ。
時は巡り合うのである。
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