2012年04月13日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

寂しさに絡め取られてはいけない!!

 この季節、時折ふっと思い出す。
柴田翔「されどわれらが日々―」の終章。
幼なじみの婚約者に宛てた節子の手紙。
激しくは燃え立たぬ、しかしだからこそ約束された穏やかな結婚生活。
それを直前で振り捨てて、節子は片田舎の英語の教師になるべく旅立って行く。
何故自分はこんなことをするのだろうか。
節子は自問する。そしてこう書き綴る。

 「でも、もう判っています。それは判ってしまったことです。
考えれば考える程、一日延ばせば延ばすほど、そうする他はないと、
ぬきさしならずに判ってしまったのです。」

 「されど―」は1964年の芥川賞受賞作である。
私たちの世代の女性はこの節子を擁して出発した。
決して勇ましい旅立ちではない。
後ろを振り返り、涙に暮れながら、それでもあえて断ち切った何ものか。
彼女は否応なく判ってしまったのだ。
断ち切らねば自分がこのまま崩れてしまうことを。

 「こうなることを私は決して願いはしなかった。けれそも、それでも
私をここまで連れてきたのは、意識の底に深く隠され、自分でさえ
それとは知らなかったひそかな心の願い以外の何物でもなかったと
思われてくるのです。」

 節子は「寂しさ」というラケット感情に絡め取られることを決然と
拒否したのである。判ってしまったことの悲嘆のなかで、それでも
彼女は独りになることを選んだのである。20代の節子はこうして
「自らの生」に向かって旅立ったのである。

 それから20年の後。
私と同世代の作家、干刈あがたの小説「しずかにわたすこがねのゆびわ」
にこんな一節がある。

 「若かった頃の自分に、今の自分が教えてあげられるといいのにね。
そんなことしちゃだめよ、とか、そんなに我慢することないのよ、とか。」 

 この言葉も時折ふっと思い出す。

 「でも、私はやはりああするより仕方なかった。
その時その時、自分なりに考えて生きてきたんですもの。」

 <サラバータ サラバータ  しずかにわたす こがねのゆびわ
 鬼のしらぬうちに ちょっとかくせ>

 「こがねのゆびわというのは、女の言葉のような気がするの。
女のからだの中にある言葉にならない声、思いのようなもの。
女が共有している体感のようなもの。」主人公の芹子が言う。

 「私・・・一人になってみていろいろなことがわかった。今私は
誰とでも寝られる。好き嫌いの識別はあるけれど、嫌いでない人とは
誰とでも寝られる。」

 芹子は、白いシャツの袖から出ている日焼けして艶がある腕に
魅せられてゆきずりの男を誘う。ただその膚に触れたいという思いだけで。

 「帰りにパーッと眼の前が開けるような感じがした。
ああ、私はこんなことまでできるんだって」

 「胸がわくわくした感じのなかには、怖いという感じもあったわ。
いったい私はどこまでという。でも自分で自分を知ることしかできないわ。
女はどういうものか、女が自分で知るしかないと思うわ。
女はどういうものか、男の人が言ったり決めたりしたことだらけですもの。」

 芹子は20年後の節子である。
全く違うような二人が私のなかではつながっている。
まるでかの名作「巡り合う時間たち」のように。
節子がわたしたこがねのゆびわを握り締めて芹子は飛翔する。
「ここまで来てしまった自分がどうなるのか、ここから先に行ってみるしか
ないような気がしている」から。

 そしてまた20年後の今。
私たちはどこまで来たのだろう。
干刈あがたは1992年に急逝したが、芹子は多くの読者にゆびわを
わたした。ゆびわは今でもどこかでひっそりと受け継がれているのだ。
そう、私からあなたへ。
時は巡り合うのである。


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2012年04月06日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

啓蟄実感の春

 昨日の405のブログに改めて春を感じる。
もの皆動く季節である。
行動の春である。

 世間では大学の秋入学なんてことが取り沙汰されている
けれど、グローバルな人材がどうとかこうとか言うけれど、
そんなもんはとどのつまり「経済」にのみ照準を合わせた
ご都合改変じゃんって、やっぱり拭えぬこの感じ。
「企業好みの大学になりた〜い〜♪」ってか。

 春入学は日本の役所の年度初めに合わせただけで
今や世界に通用しないとか言うけど、春がものごとの始まり
っていうのは、この国の人々の季節感にぴったり当てはまって
いるんじゃなかろうか。大体夏から居座っているような
太々しい太陽照りつける蒸し暑さの極地の如き9月に
「新しい気分」になんかなれるかってんだ。

 この春はCSN始まって以来の胎動を感じる。
今までずっと穴に閉じこもっていたエネルギーが
グワーッと動き始めた感じ。
何ものかが産み出される予感しきり。

 折りしも明日は男N企画制作イベント
「CSN大お花見会」が開催される。
行動を始めるエネルギーを満開の桜から
たっぷり貰ってこよう。


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2012年03月30日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「ナイーブ」な人々

 先日の日経の「経済教室」欄に阪大の池田新介教授が
「行動経済学」の知見について論じていた。その記事によると
経済学では、将来の衝動的な自分を正確に自覚している主体を
「賢明(ソフィスティケイテッド、スマート)」な意思決定者、
自覚しない人を「単純(ナイーブ)」な選択者、というのだそうである。

 前者は目先の利益にとらわれず、将来の自分の状態を
的確に見越して計画を立て、その通りに実行する人である。
クレジットカードの使用は無理なく支払える範囲に留め、
長期的な健康のために喫煙や飲酒を慎み、食物に気を配って
摂生に努める人である。

 一方後者はその反対、つい目先の利益に目がくらみ、
収入が不安定なのにカードで高額なものを衝動買いしたり、
ダイエット中なのに夜中にケーキを食べちゃったり、つい
アルコールを飲み過ぎて翌日の仕事を休んだりするような
タイプである。こういう選択は積もり積もると、過剰債務や
健康被害、依存症などの自滅的な結果を呈する。

 「ナイーブ」という言葉は、日本では「純真で無邪気」という
ニュアンスを含んで用いられるが、英語では「単純でばか」という
意味で使われることが多いらしい。日本以上にシビアな状況では、
「ナイーブ」さなど無用の長物以外の何ものでもないのだろう。

 しかし統計によれば「賢明」な人はそう多くないという。
そこで大多数のナイーブな人々に対し、巧妙に網を張り巡らして
ひっかけようとする市場の蜘蛛みたいな輩が跋扈する。
当初の金利を低く設定して顧客を勧誘する消費者金融、
次々と新機能を付加して便利さと娯楽の誘惑を仕掛ける携帯機器業界、
美しくなりたい欲望を刺激し続けて利益をあげる美容やダイエット用品の数々etc、etc…。
まるでハエのようにあっけなくその網に絡め取られる「ナイーブ」な人々。

 こうした状況に対して、教授は「選択的枠組みを工夫する政策の
介入に一定の効果がある」としながらも、「人々が選択的バイアスを
自覚しない限り本質的な解決にはならない」と強調している。

 さて、今話題の消費税増税議論。
これに反対するのって「ナイーブ」なのか?
日経読んでるとそう思わされるようなことばっかり書いてあるけど、
これって案外「マインドコントロール」じゃないのか?
もし解散にでもなったらその辺きちんと判断して
「ソフィスティケイテッド」な選択をしたいものだ。


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2012年03月23日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

シャドウ・ワーク

 もうかれこれ十数年前のこと。
私の職場の上司であった女性が、たまたま一緒になった
社員食堂で昼食をとりながら、ちょっと意地悪な笑みを
浮かべつつこんなことを言った。

「これからはね、有能な女性たちがどんどん進出してきて、
その分無能な男たちが淘汰されていくのよ」

 彼女はちょっと離れた席にチラッと目をやった。
そこには確かに年功だけで地位を得たような男たちの一群が
笑い合いながら食事をしていた。

 あれから早や幾年月。
社会は果たして彼女の言うとおりになった…のか?
有能な女性たちは、「無能な男たち」をなぎ倒して颯爽と
社会に進出しているのだろうか?
確かに昨今女性が社会で働く割合は上昇している。
だが、それは大多数の女性の望むところであったのだろうか?

 今年私が受けた社会福祉士試験。その社会学分野には
毎年様々な思想家や学者が出題される。なかには見たことも
聞いたこともない名前も多い。しかし今年はイリイチが出た。
ラッキー!私は結構興味があって本も何冊か読んでた。

 彼は「シャドウ・ワーク」を提唱したことで有名。
一昔前までは殆ど女性が担ってきた、「家事」「育児」「介護」
などの無報酬の労働のことである。イリイチはそれを「誰かが
賃労働をするために不可欠なもの」とし、「あらゆる経済活動の
陰に「自助」という名目ではびこることになるだろう」と警告している。
何故なら「世界の殆どの場所において、人間の数に見合うだけの
フォーマルな賃仕事は存在し得ないであろうことがますます明白に
なりつつあった」からである。

 彼は近年の「ジェンダー」概念を「経済社会におけるユニセックス化」
として批判したことでも知られる。それで多くのフェミニストたちから
「セクシスト」との糾弾を受けたが、彼は「ジェンダーレス化は
産業社会での中性的な経済セックスを生み出したにすぎない」と
主張した。要するに女が男化することで、男性と同じような新たな
二極化に引き裂かれ、「少数者の一層大きな特権の享受と、多数者の
一層の零落を呼び起こすだけだ」と言ったのである。
彼はユダヤ人らしくその状況を「女性は二重のゲットーに捉えられた」と
言っている。

 「有能である」とは、あくまで「産業経済的価値基準に照らして」と
いうことである。つまりは一定のパイを一切れでも多く分捕ってくる
能力のことである。そして高度に管理化されシステム化された
経済社会でパイを分捕るには、その分配を仕切っている他者から
パイを分け与えるに足ると認められなければならない。
「パイを分捕る」とは、まさに「他者の評価を獲得する」ことなのである。

 昨日ある会員さんとこんな話をした。
「今の30代以降の人たちは、決して評価がない仕事などしたがらない。
彼らは評価こそが自己の価値を証明するものだというふうに育てられた
からです。」
「ではシャドウ・ワークはパイの争奪戦から落ちこぼれた人たちが
するしかありませんね。」

 今やシャドウ・ワークは巧妙にあちこちに散りばめられている。
国が声高に叫ぶ「地域・家庭での福祉活動」は、誰かを無償あるいは
それに近い労働に縛り付けることになろう。また、少しでも条件のよい
就職にありつこうと必死な若者たちの長期化する就活、そこから脱落して
引きこもる者たちの大いなるストレス、劣悪な労働環境で低賃金の
長時間労働を強いられる労働者、今やそれらも皆シャドウ・ワークに
含まれると言えよう。
そこには密かに拡大する差別の芽が潜んでいる。
イリイチが言うように、私たちはそのことに意識的であるべきなのだ。


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2012年03月16日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

ひと足早く桜咲く

 随分と長らく待たされた社会福祉士国家試験の合格発表が
昨日あった。自己採点では大丈夫との確信はあったものの、
こればかりは蓋を開けてみないと分からない。発表時刻の
午後1時にはちょっと緊張してPCの前に座った。

 厚労省の合格速報で自分の受験番号を見つけたときは
正直ほっとした。急いで2階に上がり夫に「受かったよ!」と報告。
「そうか、よかったじゃない」「うん」
何かいまいち盛り上がらないなあ。
そりゃあ「ウッヒャ〜!おめでとーーーー!!!」なんて叫んで
その辺踊りまわる…なんてことはハナから期待もしてなかったけど、
もうちょっと嬉しがってくれてもいいんじゃない?

 ってなわけで「ウワーオ!ヤッター!」という喜びの雄たけびを
あげそびれた私は、気の置けない知り合いに電話。でも仕事中
らしく留守電。ま、いいか。とにかく受かったんだし。

 今年の合格率は約26パーセント。全国で4万3千人近くが
受験して合格したのが1万1千人強。今このとき3万人以上の
人が失意の底に沈んでるんだもんね。ここは得意の自画自賛。
「ほんと、よくやったぜ私」と感慨に耽っているうち受験生仲間
からの連絡も入るだろうし。

 気を取り直してお祝いのケーキでも買いに行こうと外に出た。
そのときふと、何年か前に「社会福祉士とったら」とソソノかし(?)
私をその気にさせた介護センターのT社長に報告しようと思いつき
電話を入れた。

 「もしもし」と私が言うか言わないうちに「おめでとうございます!」
という大きなT社長の声。「え?どうしてご存知なんですか?」と
驚く私に「だって今日この時間に電話とくれば合格でしょう。
不合格ならメールだろうと思っていましたから」とのお言葉。
もう大感激ハートたち(複数ハート)

 だってT社長とお会いしたのはもう半年以上も前。
受験することはお話していたけど、まさか覚えていてくれていたとは!
そして合格発表日まで気にかけていてくれたなんて…ウヒョーッグッド(上向き矢印)
私の盛り上がり欲求不満は、このT社長への電話で跡形もなく
吹き飛んだ。

 他人事の試験のことなんて忘れていて当たり前。
実の夫(言い方変?)だって「あ、今日だったんだ」ってなもんで
大して気にも留めていない風なのに、さすが人の上に立つ人と
いうのは違うもんだ。聞いてるか?実夫! 
 
 その後のメールでも、“「○○才の手習い」なんて年齢をとっくに超えて、
それもご主人や親がかりじゃなく働きながら勉強して勝ち取った合格は
重みが違う”と絶賛してくれたT社長。「4月の花の頃にお祝いしましょう」
と、早々と祝宴までセッティングしてくれた。

 さて、本当はいの一番に知らせたかったCSNの会員各位には、
このブログで報告しようと思っていたのでまだ誰にも連絡していない。
今度会ったら盛り上がって褒めてねるんるん


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2012年03月09日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

平成八岐大蛇物語

 その電話があったのは、もうかれこれ1年以上前である。
「こちらNTTでございますが・・・」と電話の主はのたまった。
若い男性の声。
「モデムの交換の件でお電話致しました」とのこと。
光フレッツの使用者にかけているという。
電波か何かの関係で今使用しているモデムを交換しなければ
ならないので、ついては都合の良い交換日を決めてそれに
合わせて品物を送るからいつ頃がよろしいでしょうか?ってな
ことだった。1週間くらい先の日を指定し、「それではよろしく
お願いします」と言って電話は切れた。

 ところがすぐにまた同じ男性から電話がかかってきた。
「無線ランカードが2枚レンタルされておりますがお使いでしょうか?」
というのである。そんなもの見たことも聞いたこともない。
ADSLから光フレッツにするときに2階のPCと無線でつなごうかと
迷ったことはある。しかしモデムをつなぎに来た人が「無線だと
うまく飛ばないことがある」というので有線にした。
長〜いケーブルを買ってきて夫が天井を這わせ、2階につないだ
のである。電話の男性は「おかしいですねえ、モデムの後ろに
入ってませんか?」と言うけど、勿論影も形もない。
「それでは調べましてからご連絡致します。モデムの交換は
それからということにしてください」と言うので、その話は
そこまでになった。

 日々の雑事に追われ、そんなことも忘れていた何ヵ月後かの
ある日。またもや「NTTでございますが・・・」の電話。今度は
女性の声。「モデムの交換のことで・・・」と最初の電話と同じ
話を繰り返す。私は、そういう電話はあったけど、かくかくしかじかで
調べてから電話すると言ったまま何の連絡もない、ということを
電話の女性に伝え、とにかくどうなっているのか早く報せてくれ
と言った。女性は「それは誠に申し訳ございませんでした。早速
調べて担当の者から電話させます」と大恐縮して電話を切った。

 そしてまた何ヶ月かが経った。
そしてまたもや同じような電話が違う男性からかかってきた。
「モデムの交換の件で・・・」私はいい加減うんざりして
先の女性に言ったことを再度繰り返した。
「それはそれは本当に申し訳ございません。今度こそきちんと
調査致しまして必ずご連絡申し上げます」とまたもや大恐縮の態。
しかし結局それっきりでまた何ヶ月。

 3度目の電話のときはさすがの私も切れた。
「いい加減にしてくれない?」と私は言った。
「担当の部署が違うのでナントカカントカ・・・」としどろもどろに
言い訳する相手に「そんなことユーザーには関係ない!」と一喝した。
「申し訳ございません、必ずご連絡を・・・」と、しどろもどろのまま
電話は終わった。

 そんなことがその後も数回繰り返された昨年の暮れのある日。
NTTから「貸してあるカードを返してください」と返還キッドが送られてきた。
もうどうなってるんだ!と呆れ果てたが、とにかく電話をして
もう繰り返すのもいやになる「かくかくしかじか」の話をまたするはめになった。
そしたらNTT渋谷光販売センターのKさんという人から電話があり、
ランカードのレンタルを止める手続きをしたので、自動的に返還キッドが
送られてしまった、と言い訳をした後で、「この件はきっちり私のところで
解決します」と請合ったのである。「弁済しなければならないお金のことも
あるし、とにかく近いうちに一度お伺いします」と確かに言ったのである。

 NTTの請求書を調べてみたら、それまで3,000円台だった請求額が
昨年の途中から急に1,000円台になっている。ということはこれまで
ずっと借りてもいないカード代を取られていたってことなんだから
そりゃあそうだろ。来たらきっちり話をつけなくっちゃ!と、私もこれで
さすがに今度こそ終わりになるだろうと思った。

 それが何といろいろバタバタしてまた忘れているうちに
もう3月じゃない!といきなり思い出したのは、またもや先日
能天気な女性の声で「モデム交換の件で…」の電話があったからである。
思わず電話口で絶句する私。
電話している相手には罪はない。ここで怒鳴りつけてみても仕方ない。
そうは思えど声はとんがる。
「あのねえ、Kさんていう人がね」と事の顛末をやっとのことで話す。
相手は「はあ…」と困惑の声。「それでそのK様がお伺いすると
おっしゃったのですね?」ときた。
「あなたねえ、自分のところの上司じゃないかもしれないけど、
自社の人間に敬語使ってどうするのよ!」
言ってて虚しくなってきた。

 さて、この話。やっぱりどうにかしなきゃなるまい。
それにしても巨大怪獣みたいなNTT。
自分のしっぽで起こっていることを頭がからっきし把握できない。
無数に細分化された機能のそれぞれが全くばらばらで
ユーザーの方も何をどこに言ってやったら頭に伝わるのか
全く分からない。オノレ、ヤマタノオロチめ!
電話の直後はスサノオノミコトの気分だが、そのうちに意気はしぼむ。
結局はもっとガーガー喚き散らして、「訴えるぞ」なんぞと脅かすしか
ないのかと思うと、どうも電話するのも億劫な気分になってくる。

 平成のヤマタノオロチ退治は一筋縄ではいかないですねえ。。。



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2012年03月02日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

CONGRATULATIONS!!

 先月半ばから色々と「騒動」を引き起こしつつ、
老夫婦のボケ予防の期待を一心に担い始められた
「速読講座」。様々な艱難辛苦を乗り越えて
何とか日課として定着してきた今日この頃。

 一週間ほど前から講座の最後に「実際に本を読む」
というエクササイズが採り入れられている。指定の
本を指定の速度で1分間ずつ区切って読み、ページ数とか
文字数とかを記録していくというもの。その課題図書の
一つに大崎善生著「聖(さとし)の青春」(講談社文庫)
という本があり、今それを読んでいるのだが、これが
めちゃめちゃ面白いのである。

 幼児期に重い腎臓病にかかり、病と闘いながら
将棋を極め、「怪童」と呼ばれて将棋界最高峰の
A級に在籍したまま、名人への夢半ばにして29歳
で夭折した村山聖の一生を描いたノンフィクションである。

 文中には谷川浩二、羽生善治といった、将棋には
縁のない私にも聞き覚えのある名前が沢山出てくる。
聖が将棋界に入った頃の名人はそれまでの定石を
打ち破って位を勝ち取った谷川だった。そして聖の前に
強力なライバルとして立ちはだかったのが羽生であった。

 今ちょうど聖と羽生の一騎打ちのところを読んでいる。
課題図書だということ忘れて、速度指示もろくに守らず、
「はい、やめ!」とか言われても構わず読み進むものだから、
2日で3分の2を読んでしまった。どうも面白い本というのは
こういうトレーニングには向いていない。

 因みにこの本、巻末に「第13回新潮学芸賞受賞作」と
ある。さすが、賞を取っただけのことはある読み応え。
大メジャーな「芥川賞」とか「直木賞」とか以外にも、
ジャンル別に結構いろんな賞があるのねえ。そういえば
昨年のかなりんご推奨第1位「告白」(湊かなえ著)も
「本屋大賞」受賞作だったし。

 ところで「賞」といえば、先日知人の息子さんが
「ゴールデンエレファント賞」なる文学賞を受賞したとの
知らせがあった。この賞、まだ設立して間もないながら、
(今回が2回目)、日本のみならずアメリカ、韓国、中国
と合同で立ち上げたというグローバルな賞なのだ。
分野はエンターテインメント&ミステリーらしい。
受賞作は当然共催4国で出版されるという。すごいね!

 知人のご子息は弱冠26歳のサラリーマン。
おまけにイケメン。学生時代から創作に勤しみ、
社会人になってからは通勤電車の中で執筆したという
線の細い見かけとは裏腹な猛者である。
心からお祝いを申し上げたい。

 CSNのブログを書いてくれている才筆たちも
この辺で踏ん張ってエッセイの賞かなんか
取れないものかしらねえ。
「CSNブログライターエッセイ大賞獲得プロジェクト」
でも立ち上げてみようかしら。



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