2013年03月23日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「花よりダンゴ」のローストビーフ

 今年の春はひと足もふた足も早い。
今やあちこちで桜は満開。来月に予定しているお花見は、
どうやら「花よりダンゴ」を愛でることになりそうだ。

 今週の日曜日、そんな春の日にふさわしい宴が催された。
T社長率いる「株式会社楽」の「設立23周年記念家族パーティー」である。
社員でも家族でもない私であるが、はからずもお招きを受けて出席した。
まだ50歳そこそこのT社長が23年もの経営の歴史を積んでこられたとは、
何とも驚きである。

 会場の「横浜うかい亭」は、雰囲気のある建物と庭園が素晴らしい
レストラン。そこに社員とその家族の方々およそ40名が一同に会して、
これもまた素晴らしい料理の数々を堪能した。

 社員の方たちとはもう顔なじみであるが、ご家族とは殆ど初対面。
小さいお子さん方も多くて賑やかな会食であった。それにしても
全社員の家族を招待するとは、T社長らしい豪快さである。

 広いサロン風の会場で次々に供される創作コース料理。
ウニの茶わん蒸し風先附け、いかと菜の花のオードブル、空豆のスープ、
魚介のナージュ、とどれもこれも美味。そして極めつけはメイン料理。
「幻のローストビーフ」とも呼ぶべきその一品は、これまでに出会った
ことのない、まさに極上の味わい。T社長が「本場イギリスで食べた
サボイホテルのローストビーフに勝るとも劣らぬ味」と太鼓判を
押すだけのことはある。

 何でもこのローストビーフ、普段のメニューにはないそうで、
大人数のそれも特別注文でしかオーダーできないのだとか。
それもそのはず、何せ一切れの大きさが半端じゃない。ということは
よほど大きな塊肉を使わなければならないわけで、外で食べた
おいしいものは必ず自分で作ってみる私でも、こんな大きな
極上肉の塊は用意できないから、この味にはもうここでしか会えない
ということになる。

 ローストビーフとは「ステーキよりちょっと固めのハムみたいなもの」
という貧乏人の観念を見事に打ち破り、口に入れた途端に溶けてしまう
ようなとろとろの食感。牛肉があまり得意でない私でもそのおいしさに
ため息が出るほどであった。こんなインパクトのある特別料理を
家族で食べたら、そりゃあもう忘れられない思い出になるだろう。
何とも心憎い演出もまことにT社長らしい。

 こうして思いがけなく、早い花よりなお一足早く「ダンゴ」の
方を満喫した私。今年は「花」よりも「ダンゴ」についているの
かもしれない。でもこれ以上の「ダンゴ」はもう当分ないだろうなあ…

 気を取り直して、明日あたりきっと最盛であろう花を愛でに
目黒川のほとりにでも出かけてみようか。


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2013年03月16日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

この風の行方

 ここ最近のことではあるが、CSNにも時折吹きなれない風が吹く。
民間派遣会社からのオファーである。
このところ企業や行政からの受託事業に、臨床心理士や社会福祉士の
需要が軒並み増えてきているらしいのだ。

 先日も某大手派遣会社の事業部長さんが来訪された。
何でも例の「アベノミクス」とやらで景気回復の兆しが見え始めた昨今、
国の就労支援対策にも変化が出てきつつあるのだそうだ。これまでの
若年層向けから、生保受給者や引きこもる人たちへの支援策を強化する
方向にあるのだとか。そこで心理士や福祉士が求められているらしい。

 先日の来訪には、同社所属の産業カウンセラーが随行されていた。
どの派遣会社でも産業カウンセラーは自前で雇っている。今までは
それでやって来られたものが、なかなかそうもいかなくなったのだと
推察した。産業カウンセラーの女性は「難しいケースが多くて…」と、
ため息をついていた。CSNの悪戦苦闘が、民間の派遣会社にも広がって
いるらしい。

 国もいよいよ「増え続ける生保」や「高齢化する引きこもり」への
対策に本腰を入れ始めたのだ。確かにこのまま放っておいてよいわけは
ないが、今そうした対策の最前線にいるのが民間雇用の産業カウンセラー
であり、そこから当方のような弱小NPOへのオファーがあるということは、
状況がいかに大変であるかを物語っている。

 一人の支援に複数の専門職によるチームで当たることは、非常に
理想的ではあるが、それでも一筋縄ではいかないケースが相当数
あることが予想される。それにオファーのあった常駐できる福祉士は
そう簡単には見つからないし、チームをリードできるような力の
ある人となると更に難しいだろう。

 社会保障費をできるだけ減らしたい国の思惑が透けて見える
施策ではあるが、支援されるべき人に支援の手が届くことは
喜ばしいことではある。CSNがどのような協力ができるのか、
この風向きを慎重に見極めたいところである。。


 
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2013年03月09日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「依存症」は癖になる

 今週はまたもや「依存症」と「愛着障害」にまみれている。
何故なら、弁護士さんから小菅のケースに関しての「意見書」
なるものを要求されているからである。

 ケースはこれから裁判に向けて弁護士と裁判官との
打ち合わせに入るらしく、「意見書」はそのためのものだ
という。3月一杯のリミットが急に22日までと繰り上がり、
ちょっとせわしない気分なのである。

 性犯罪の証人になるのは初めてではないのだが、
今回はより難しい要素がある。裁判員裁判であることと、
量刑がかなり重くなりそうなことである。そこで弁護側
としては、検察側の反論に備えて論拠のしっかりした
意見書を出したいというのである。勢い面接を担当した
こちらとしてもそれ相当の論理武装を迫られることになる。

 もとより小菅での面接は「カウンセリング」と呼べるような
ものではなく、「査定面接」というのが精一杯なところである。
犯罪の様相は「嗜癖(依存症)」の色合いが濃く、その元を
辿れば「愛着」の問題がありそうなのだが、十分に辿りきれた
わけではない。それでも少ない回数と時間のなかで精一杯の
ことはやったという自負はある。「意見書」はできるだけ
隙のないものにしたいと意気込み、うっかりするとまたぞろ
持ちまえの「完璧癖」が出そうである。

 現在手元にある書籍だけでは心もとないので、アシストを
してくれているT心理士に「愛着障害」関連の文献の購入を
依頼、私は私で「性依存」関連の文献を探しては片っ端から
発注したのだが、どちらも余り豊富とは言えない。それでも
来週はそれらの資料を読み漁り、今週にもまして「依存と愛着」
にまみれた日々となるだろう。

 「依存症」とは「行動の悪習慣」のことであり、依存対象への
とらわれから社会生活の破たんをきたすに至るものを言う。
依存の対象はアルコールや薬物などの物質摂取、仕事や買い物
などの行為過程、恋愛や特定の人物などとの人間関係と大きく
3つに分けられる。対象に何を選ぶかは、幼児期の体験とそれに
伴う思い込みの強さによる。この思い込みを、「性依存症」研究の
第一人者である米国のパトリック・カーンズ博士は「中核信念」
と呼ぶ。

 「中核信念」の最たるものは「私は元来邪悪で価値のない人間だ」
というものである。他に「誰もあるがままの私など愛してくれない」
「人に気に入られなければ欲求は決して満たされることはない」など、
どこかで聞いたことのあるような言句が並ぶ。そう…これらはTA
でいう「脚本」の基盤になる信条と見事に重なるのである。

 カーンズ博士によれば、「依存症」のルーツはごく幼い頃にある
という。「中核信念」の裏には、寂しさ、絶望、不安などの感情が
張り付いている。それは私たちが幼い頃に様々な場面や環境のなかで
感じたものだ。人によってその程度は違うが、劣悪な環境のなかで
過酷な仕打ちを受けた子どもほど、その感情は強くなる。依存症者は
常に理不尽な怒りや恨みに苛まれている。彼らはこの苦しみを遮断
するために思考と感情を麻痺させる「嗜癖サイクル」をつくりあげる。

 「嗜癖サイクル」は、没頭ー儀式化ー強迫性行動ー絶望、という
段階を踏む。そして、お手上げ状態ー信念体系ー思考障害という
「嗜癖システム」が循環し、強化されていくのだ。まさに先日の
TAで取り上げた「脚本装置」と同じ構造である。

 う〜ん、何と興味深い…とここまで書いてふと気がつくと、
まるでブログ上で「意見書」の予行演習をしているかの如き様相を
帯びてきてるではないか。知らないうちに夜も更けている。
心なしか目まいの兆候までしてきたような…おっと危ない!
つい没頭しすぎて「嗜癖サイクル」にとりこまれないように
今日はこの辺でやめておこう。


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2013年03月02日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

元気な才能ここにあり!

 今年度もいよいよ最終月。
CSNでは、雇用促進事業の一環として、昨年の秋に「作業所の
仕事をコーデュネートしようプロジェクト(仮称)」がスタート。
皮小物を中心にサンプル作りを進め、いよいよ来年度から
本格的な活動に入ろうとしている。

 そんななか、昨年一度お訪ねしたワークセンター氷川の入所者
である根本裕一さんのししゅう展が開かれるとのご案内を頂き、
早速出かけてみた。場所は四谷にある珈琲舎という喫茶店。
側面の壁に彼の作品が額に入れて飾られている。とても小さなお店
なので、大小とりまぜて7〜8点くらいだが、そのうちの何点かは
既に売約済みとのこと。サイホンでいれたおいしいコーヒーを
飲みながらじっくりと鑑賞した。

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 根本さんの刺繍は下絵から自分で描き、刺したいものを自由に
刺していくスタイル。モチーフは自動車やバスが多く、刺し方も
色使いも奔放。既成の刺繍には見られない独特の雰囲気がある。

 四谷に行く前にちょっとセンターにお寄りしたとき、根本さんが
玄関に顔を見せてくれて、「僕つくるの大好き。何でもつくれるよ!」
と元気に話かけてくれた。私たちのプロジェクトにとっては、何とも
頼もしい言葉である。そしてこうした企画を精力的に実行している
センター所長の野崎さんもまた、なかなかに頼りになる方である。
その野崎さんが、先週のブログで書いた「自立支援協議会」で
就労支援部長を務められるとのこと。実のある活動が期待できそうだ。

 根本さんのような才能は、きっと他の作業所にも見出すことが
できるだろう。作業所と私たちの活動とのコラボレーションも
何とか実現できるかもしれない。一人ひとりの力をいい形で
発揮してもらえるようなプロジェクトの推進を目指したい。

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2013年02月23日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

この街の谷底の根雪は溶かせるのか?

 昨日は渋谷の初台青年館で開かれた福祉セミナーに出席した。
「自立支援協議会ってなんだろう?〜どう変える渋谷の福祉〜」
というタイトルで、ぱれっとの谷口奈保子氏などの呼びかけによって
つくられた‘渋谷の福祉を考える有志の会’の主催である。

 会場に入るとぱれっとの職員さん方が総出で準備にあたっていて、
懐かしい顔に出会い言葉を交わす。開場の午前10時には100席近く
並べられた椅子がほぼ満杯。盛況である。

 タイトルにある「自立支援協議会」とは、障害者が地域で自立して
生活するための支援を目的に、関係者間の情報共有や活動の連携を図る
ために設置されるもので、平成17年の自立支援法において改めて
法定化されたものである。しかし遅々として設置が進まぬ現状に業を
煮やした厚労省は、平成24年3月にこれに関する通達を出した。
その前文には次のように書かれている。

 「今般の自立支援協議会の法定化を踏まえ、自立支援協議会の設置運営に
ついて、別添のとおり通知するので、これを参考に自立支援協議会の運営の
活性化に取り組まれるとともに、都道府県に置かれては、管内市町村、
関係機関などに対する周知及び管内市町村に対する自立支援協議会の設置の
促進や運営の活性化に向けた助言など、特段のご配慮をお願いする。」

 このように「特段のご配慮」をお願いされても、ナントカ協議会とか、
ナントカ福祉計画とかの類は法律で義務化されていなければおいそれとは
実現されない。自立支援協議会についても「地方公共団体は、単独で又は
共同して障害者等への支援体制の整備を図るため、関係機関等により構成
される自立支援協議会を置くことができる」となっている。「置かなければ
ならない」ではないのである。だからいくら「置くことができ」ても
すぐに「じゃあ置きましょ」とはならないのである。
(義務かそうじゃないかは、社福の試験でよく出ていたが、こういうので
義務化されているのは数少ないのである。)

 そこで渋谷区は何年間も設置を引き伸ばし、とうとう東京都でビリから
2番目くらいになってしまったらしいのである。「それじゃあんまりだ」
となった福祉関係者たちが一念発起で今般件の「自立支援協議会」を
立ち上げようということになったらしいのである。それでまずは
セミナーを開催して皆に「自立支援協議会」なるものを知ってもらおう
ということになったらしいのである。

 中心メンバーの大学教授やグループホームの施設長、作業所の所長さん方が
パネラーとなり、協議会の説明や渋谷の福祉の現状などの話が進められたのだが、
聞くだに渋谷の福祉の状況は厳しいみたいだ。大体受け皿になる障害者事業所の
数が少なく、人口21万人強の区だというのに現在の在籍人数が全施設合わせて
239名、今後の受け入れ可能人数は30名余りとごく僅かで、それも来年度には
もう一杯になってしまうのだとか。

 就労支援施設に関しては、移行支援が2施設、継続B型が9施設、継続A型は
0である。移行支援は2年の支援期限が壁となりかなりの苦戦といい、継続B型も
高額な家賃に苦しみ、作業スペースの確保もままならないところが多いとのこと。
自立支援法施行で区外からの利用も可能となったため、便利な渋谷の事業所には
申し込みや問い合わせも多いらしいが、とても応えられないのが現状だ。

 会場には当事者やその家族の方も多く詰めかけていて、特にこれから
施設を利用したい若年層の保護者からは、「こんなに一生懸命活動しているのに
将来渋谷の施設を利用できないんでしょうか?」という切実な声が上がっていた。
渋谷の行政は何故か民間との連携を好まず、NPOの受託事業も少ない。
「自立支援協議会」の中心とされる相談支援事業も社会福祉協議会の直営である。
今後どんな展開になっていくのかは未知数だが、CSNとしてもどのような
参入の仕方をしていくのか考えどころである。


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2013年02月16日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

トライアングルバランス

 人間はいつもその行動によって他者の目に晒されている。
その人が何を言ったか、何をしたか、仕草や表情、行為と
その結果が見えるだけである。だが、人の行動は必ず思考と
感情に裏打ちされている。目に見える行動と、見えない思考と
感情とのトライアングルで人は動いている。

 客観的に見られるのは行動だけだから、その行動に問題が
あれば、思考と感情とのトライアングルのバランスが崩れて
いると考えられる。激しい感情に襲われて冷静な思考が吹き
飛んでしまったり、逆に思考的な価値観の強さから感情が抑圧
された状態にあると、その行動は不適応性を帯びたものになる。

 身体のバランスをとるのに相当の筋力が必要なように、
心のバランスをとるのにも筋力が必要だ。しかし筋力というのは
トレーニングをしなければ鍛えられない。トレーニングには
それぞれの課題に合った方法がある。

 昨日のmocoちゃんのブログにあった「自分の感情にいつも目を
向けて客観視できる練習をする」というのもそのトレーニング方法の
一つである。どうしても感情に巻き込まれて行動が反応的に
なり易い人は、その感情を意識化して距離をとる練習をするのが
効果的だ。感情というのは無意識の領域からこみあげてくるので、
それを意識化するのはなかなか大変かもしれない。しかし
トレーニングというのは最初うまくいかなくても根気よく続ける
ことで身につくのである。

 行動に問題が出ている人は、その行動を修正することで
背後の感情や思考を制御しようとしたり、思考(認知)の
癖や歪みが行動を阻害している場合は、その歪みを正すことで
適応性を取り戻そうとしたりする。これは「認知行動療法」の
基盤となる考え方だが、同時に感情の問題を扱わないと
片手落ちになりがちだと私は思う。

 「認知行動療法」は、意識を基盤としているので現実的な効果を
得やすいように見えるが、無意識領域に潜む感情を無視しては
表層的なものに終わってしまう。意識と無意識はお互いに常に
影響を与え合っている。無意識の領域にきちんと目を向けて、
意識とのバランス感覚をトレーニングで養うことを勧めたい。


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2013年02月09日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

昔も今もやっぱり「根っこ」

 今年はアーノルド・ウェスカーの生誕80年にあたるとか。
氏は現在パーキンソン病を患いながらも、精力的に執筆活動を続けている
という。地元イギリスでは、氏の芝居を盛んに上演しているらしい。
日本の菊次郎さんはじめ、「高齢にして意気衰えず」の人々はどの地にも
いるもんだね。

 一昔前は日本でも取り上げられることの多かったウェスカーだが、
この頃は余りお目にかからない。2005年にシアター・コクーンで蜷川演出の
「キッチン(調理場)」を観たのが最後。3部作に至っては学生時代俳優座で
観て以来ご無沙汰だが、今春地人会が「根っこ」を上演するそうだ。
初演は1959年。58年の「大麦入りのチキンスープ」、60年の「僕はエルサレムの
ことを話しているんだ」とともに、ウェスカー3部作と呼ばれている。

 この戯曲の主人公ビーティは、他の2部作でキーパーソンとして登場し、
「調理場」の主人公でもあるロニーの恋人である。彼女は片田舎からロンドンに
出てきてウエートレスをしている22歳の女性で、「調理場」でコックをしていた
ロニーと知り合う。都会的で物知りなロニーにビーティは首ったけ。
自慢の彼氏を田舎の家族に紹介するために一足早く帰郷したところだ。

 相も変わらず生活の愚痴を垂れ流し、他人の噂話に興じ、つまらないことで
諍いを繰り返している親族たちにビーティはうんざりする。
ねえ、きいて!ロニーはこう言うのよ。
“いいか、話すってことは、言葉を使うことだよ、ちょうど橋と同じだよ。
人間は橋を渡って或る場所から或る場所へ安全に渡ることができる。沢山
橋を知っていればいる程、それだけいろんなところへ行けるじゃないか!”


 聞こえてくるのは母親が好きだというお定まりの恋の歌。ニュースも
すぐ切っちゃうし、おまけにこの家には本が一冊もない。ビーティはビゼーの
アルルの女組曲のレコードをかける。
いい?お母さん、あの人は私にこんな風に言うの。
“さあ、聴くんだ、音楽を君自身のなかに起こすんだ、そうすりゃこの音楽と
同じくらい君は偉大になる”


 それからね、こんな風にも言ってた。
“社会主義っていうのは、年中喋っていることじゃない、生活する事なんだ、
歌う事なんだ、踊る事なんだ、身の回りにあることに関心を持つ事なんだ、
だから誰とでも結びつきがある。この世界全体と結びついている事なんだ”


 そしてね、ロニーはこう言うのよ。
“人の意見をよく聴かなくてはいけない。ただ反対しているだけでは駄目だ。
考えなければいけない。でないと沈滞し、腐敗し、その腐敗は広がる一方だ”


 ビーティの話すロニーの言葉は、親族たちにはチンプンカンプン。
戸惑い呆れ果てているところに届けられた一通の手紙。ロニーからだ!
“新しい人生を作りだそうなんて、結局は無意味なんだ。世界を作り上げる
なんてとてもできない、とても駄目だ─”すぐには理解できない親族たち。
親族全員集まってこんなに一生懸命歓迎の準備したのに、結局何かい?
そいつは来ないのかい?

 どういうわけか説明しろと母親に迫られてビーティは言う。
“駄目だ、話せないわ─(略)─農民の家に生まれていながら、
私には根っこがないのよ。町の人たちと同じ─あの無意味な群衆と同じ”


 それからビーティはは徐々に自分の言葉で語り始める。根っこって何?
彼女は義姉のパールに言う。
“あんたが生きているってことを示すような事を本当に言ったり、したりしたか
ってことなのよ─(略)─スージィったらねこう言うのよ、原子爆弾が落っこって
きて死んだって私別にかまわないわ、って。何故彼女がそんなこと言うか分かる?
もしかまわなくないとしたら彼女は何かをしなくちゃならない、ところがそれは
大変な努力がいる事だから彼女はそんなことで悩みたくない─もうそんなこと
つくづくいやになっちゃってるのよ。私たちだって同じこと─皆もういやに
なっちゃってるのよ”


“私たちラジオを聞いたり、テレビをみたり、映画にも行く─甘い恋物語とか
ギャングものならね─でもそれは一番安易な逃げ道じゃないかしら?何も努力
しないでできる─教養を積むってことは、いつも疑問を持って質問を繰り返す
ことよ、絶えず。何百万人の人がいる、この国中に誰一人質問をする人がいない。
皆一番楽な逃げ道を探してしまうのよ─(略)─私たち何に対してももう戦うって
ことをしない。私たちってまるで死人みたいに精神的にだらけきっちゃってるのね!”


 “この国の才能ある人たちが仕事する時─(作家も画家も作曲家も)─誰も私たちが
理解できるようになんて考えてやしない─(略)─私たちにつき合ってくれるのは、
安物の流行歌手や薄手な三文小説家、映画企業家に婦人雑誌、週刊誌に裸の写真入りの
実話雑誌─そんなものよ。彼らは言ってるわ、労働者は小金を持っている、奴らの
欲しがるものを与えりゃいい。奴らがくだらない流行歌や映画スターをお望みなら
いくらでもくれてやれ。難しい言葉が肌にあわないってんなら、簡単な言葉で
間に合わせてやれ。三流品がいいてんなら、それでいいじゃないか!─(略)─
こういうあくどい商業主義に私たち毒されちゃってる、なのに全然それに気づかない。
そう、ロニーの言う通りだわ─これは私たち自身が悪いのよ、私たちの責任よ。
私たちは三流品を欲しがってる─そうよ!そうなのよ!そう!私たちって…”


 今やビーティは、ロニーの受け売りではなく自分の言葉で話始めている。
“ねえ、誰かきいてよ。よかった、ロニー!やっと分かった、今やっと分かったわ、
初めて分かった、今始まったのよ、自分の足ではっきり歩き出せた─私初めて
自分で息をし始めたのよ…”


 誰がどう言おうとやっぱりウェスカーは偉大だ!



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