ウチのブログはスゴイです。
ウチでは3人で交代でブログを書いています。
だから、内容の面白さもさることながら、
打ち合わせもないのに3人が影響し合いされ合い、
それぞれが少しずつ変容していくのです。
ナチュラル・トラックバック・システムなのです。
なぜこんなことを書くのか?
今日のブログは昨日のA子さんのブログに触発されたものだからです。
さて、
最近、原因不明の湿疹が右半身を中心に発生しています。
こことここの間で発生しました。過去に経験した覚えがありません。
通院している神経科の先生曰く「皮膚科で診てもらったほうがいいよ」。
そりゃそうです。医学生理学的には。
でも、心理学的には、正確に言えば「かなりん学」的には、
また違った見解になります。
最近僕は決断して新しいことにチャレンジしています。
今のところいい調子です。
とくに不安はないです。
ところが、この「不安がない」のがちょっと疑問らしい。
新しいチャレンジには不安がセットで付いてくる。
これは冷静に考えてみれば当然のことですね。
なぜ不安がないのか?
どうやら僕が「抑圧」しているらしいのです。
自分のことなのに「らしい」と言うのは、
無意識のなせるワザらしいからです。
「抑圧」されているらしい、意識されない「不安ちゃん」は、
果たしてどこへいってしまったのか?
どうやら、しっかりと自分の中に在るらしい。
そして、その存在を湿疹という形でアピールしているようなのです。
これらはあくまで仮説です。
でも僕は結構そのとおりだと思っています。
去年の秋から冬にかけて、立て続けに痔と腰痛が発生しました。
その頃もかなりストレスフルで、
しかもストレスを意識していませんでした。
心の問題が体に現れることを“初めて”実感しました。
それまでは心と体の相関関係を意識したことはなかったのです。
頭でっかちで行動することが苦手な僕は、
言い換えれば「ひきこもって思索にふけること」を得意とする僕は、
思い立って行動するとき、「不安ちゃん」を抑圧する傾向があるようです。
そんなとき、何もせず安らかでいたいという無意識の思い、
これを僕は「抵抗勢力」と呼んでいますが、
彼らの反対の声を無視してしまうのです。
でも彼らは隠然たる勢力で在り続けているわけです。
そして、良くも悪くも改革を断行する小泉首相とは違い、
僕は最後には、彼らに屈するのです。
ちょっと言葉遊びが過ぎる気がしますが、
僕、こういうの好きなんです。ゴメンナサイ。
今日、カウンセリングを受けました。
そしてこういったことを考えてきました。
不安を抑圧するのは好ましくない。無意識であることがよくない。
抵抗勢力を無視することは真の行動改革とは言えない。
「不安ちゃん」を俎上に載せる、さらには意識して抱えて行動する。
これができてこそ、本当に変容したと言えるのではないか。
理屈はよくわかります。
でも今は実践は難しい感じがします。
言うは易し、横山やすしです。
たびたびツマンなくてスミマセン。
この問題は僕にとって重要で、進行形なので、
またブログに書きたいと思います。
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