彼女とは家が近くで、幼稚園からの幼なじみ。
小学校の頃は、お互いの家を行き来して遊んだ。
お互いに絵を描くのが好きで、イラストを描いたり、マンガを
描いたりしていた。
また、私は彼女から音楽の影響を受けた。
彼女は私が知らないような音楽を沢山聴いていて、その影響で
私もいろいろな音楽を聴くようになった。
高校からは別々になったけれども、今でも連絡をとっている。
ただ、小学校や中学校の頃、私は彼女に対してコンプレックスを
持っていた。
私と彼女が同時に、誰か別の子と友達になっても、いつも彼女の方が
好かれて、仲良くなっていった。
いつもいつもそうだったので、誰かと仲良くなるたびに
「どうせみんな私より彼女を選ぶんだ」と自分に対するNOT OK感
を深めていった。
私は彼女の元気の良さや、運動が出来るところや、無邪気さが
うらやまし かった。
ただ、そのコンプレックスは彼女だけに感じるものではなかった。
その後、高校でも大学でも、親しい友達が出来たとして、その子と
共通の友達が出来る度に、皆、私よりもその子と仲良くなって
いった。
「皆、私のことは選ばない」という思いをずっと感じていた。
いつも、誰からも「一番」の存在だと思ってほしかった。
でも、そんなことは叶うはずもなく、私は孤独感ばかりを深めて
いった。
どうせ私は選ばれない。
私は、いてもいなくてもいい存在なんだと思っていた。
愛情がほしくてたまらなかった。
愛情を独り占めしたかった。
それは姉との関係に起因するものかもしれない。
家庭の中で、私は親の愛情を姉ではなく、私一人に集中させた
かった。
幼い頃、姉も私も体が弱かったが、ある時、姉が肺炎をこじらせて
入院したことがある。
その時、姉が寂しがらないようにと祖母と母は、バービー人形やら
何やらいろいろなおもちゃを姉に買ってあげた。
私はそれが羨ましくて羨ましくて、「私も入院したい」と思った。
入院してバービー人形を買ってもらう夢まで見た。
「私の方が体が弱くて、学校もよく休むのに、どうして入院という
一大イベントは姉に取られるんだろう」と思って悔しかった。
その後、姉はわりと病気をしなくなったけれど、私はずっと病気がち
だったのは、そのことで親の気を引こうとしていたのだと思う。
いつもいつも心配される存在は、自分でいたかったのだ。
さて、結婚式で久しぶりに会った私の友達は、とても幸せそうな顔を
していた。
明るく元気なところも、天真爛漫なところも昔のまま。
でも、今はそれを羨ましいとは思わない。
彼女は彼女、私は私だから。
彼女は、今回の結婚を機に、30年近く過ごした福岡を離れ、愛媛で
新生活をスタートする。
誰も知り合いのいない土地で。
私は彼女は福岡でずっと暮らすつもりだと思っていたので、今回の
決断にびっくりした。
心配ではあるけれど、彼女ならやっていくと思うし、それを応援した
いと思う。
また、その結婚式で久しぶりに会った中学校の時の同級生は、2回
離婚をして、3歳の女の子を抱えるシングルマザーになっていた。
人生の中で、同じ時間を過ごした同世代の子が、それぞれの人生の
中で、さまざまな選択をし、自分の人生を生きている。
その選択は、必ずしも前向きなものではないかもしれないし、無意識
のうちに行われているものかもしれない。
でも、人は皆、そうやって生きている。
当たり前で普通のことかもしれない、そのことが、とてつもなく尊く
思えた。