「寂しさ」が私の中にあった。
心細くて、誰かに頼りたくて仕方がない感じ。
でも、CSの授業の中で「寂しさ」はリアルフィーリングではないと
言われた。
最初それを聞いた時、私はものすごくショックを受けた。
(実はそれを教えてもらったのは初めてではなく、昨年TAの授業の
中でも習ったらしいのだが、私はすっかり忘れていた。)
今まで、私の人生の中で「寂しさ」というのは常に私の隣にあって、
何かにつけて私の心を襲ってくるものだったからだ。
それがリアルフィーリングじゃないなんて!
じゃあ、私が今まで感じてきたものは何?って思ってしまった。
でも確かに「寂しい」という感情は、何も解決しない。
「寂しさ」が引き金となって起こした行動で、良い方向へ向かった
ものはない。
かなりんは「寂しさ」とは、過去の体験から来るものだと言った。
私は家族の中にいても、誰も頼れる人がおらず、一人ぼっちのように
感じていた子供の頃のことを思い出した。
「寂しさ」がリアルフィーリングではないと知った今、その感情は
脚本に気付く「しるし」になる。
「寂しさ」を感じる時、私は脚本に入りかけている。
今は寂しくはない。
何か状況が変わったわけではない。
以前と同じ環境。
でも、寂しさはない。
それはCSNのおかげだろうと思う。
CSNの存在を知らなければ、私は今も寂しさを抱え続けていた
だろう。
CSNの誰か一人の存在のおかげでそうなっているわけではないと
思う。
CSNという場所が、私にはある。
そう思えることで、寂しくないと思える。