「ずっと」というのはいつからか、と言うと、高校生の時
にはぼんやりとそう思っていたし、大学生の時には明確に
そう思っていた。
「どんな仕事をするか」ということよりも
「どれだけ安定した会社で働くか」ということが大事だった。
仕事の内容にこだわりは何もなかったし、「これがやりたい」
という仕事も自分の中に見つけることはなかった。
会社の中で与えられる仕事を、コツコツとやっていくのだろう
と思っていた。
自分のやりたい仕事を見つけようとしたこともあったが、
そんなに一生懸命、「仕事」について調べたり、体験
したりということもせず、今思えば「ぽわーん」とした
空気の中で、ぼんやりと彷徨っていただけだった。
私が大企業に憧れる理由は、家族にある。
父はサラリーマンで、母は家でクリーニング店を営んでいた。
父は地元では名の通ったメーカーに勤めていたが、高卒
だったことで、思うように出世が出来なかったようだ。
父は時々「大学にさえ入っていれば」ということを私の前で
漏らした。
金銭的な事情により大学進学を断念したらしい。
父は高校時代は成績優秀だったようで、当時の先生からも
大学進学を勧められていたようだ。
そのことが余計、父の「大学に行っていたら」という悔いを
強めたのだろう。
父は、姉や私が進学校に入り、国立大学に入ったことを誇らしく
思っていた。
自分の出来なかったことを子供に実現させたいと思っていたの
かもしれない。
父から勉強や進学についてうるさく言われたことは一度もなかった
けれど、子供の私は自分が頑張ることで、父を誇らしい気持ちに
させたいと思っていた。
そんな父は私が大学生の時に、会社の上司とケンカをして会社を
辞めた。
不景気だったこともあり、思うように再就職が出来ず、警備の
アルバイトなどをしていた。
その後、父の友人の助けで、ある会社で正社員としての仕事を得た。
それ以外にも父は、個人的なことで借金を作り、親戚に迷惑を
かけるようなこともあった。
借金のことも会社のことも両親から詳しく話を聞いたことはない。
私が両親に詳しく話をしてほしいと頼んだこともない。
私と両親との間は、ものすごく遠かった。
父の給料だけでは生活出来ない為、私が子供の頃から母は家の一部を
改築して、クリーニング店を営んでいた。
但し、そんなに儲かる仕事ではなかった。
もともと、客とクリーニング工場との取次ぎをするだけの仕事だから、
利益が薄い。
しかも出来高払いである為、季節によって収入の変動が激しく一定
しない。
近隣には競合のクリーニング店が多く、競争も激しかった。
何故、母は儲けの少ないこんな仕事をしなくてはならないのかと
思っていた。
そんなこともあり私は安定した企業で働きたいと思った。
結婚したからと言って、相手の給料でずっと食べていけるわけでは
ない。自分で稼がなければ、相手に頼らざるを得なくなり、自分の身が
不自由になる。
それは嫌だった。
有名な大学に入り、有名な企業に入れば「安定」という切符が手に
入ると思っていた。
父や母のような思いは絶対にしたくないと思った。
今は、大企業に入れば一生安定するなんて、単なる幻想だと
分かっている。
ただし、その幻想を捨てることに恐怖を覚える。
捨てようとする度に、父と母の姿が私の目の前をちらつく。
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