毎年うっとおしいと感じ、気分が滅入るのですが、
今年の梅雨はなんだかいつもと違っています。
思えば年頭の引越しから始まり、
短期の派遣、ブログのレギュラー、両親へのカミングアウトと
目まぐるしい日々でした。
気持ちもそれに比例するかのように起伏があり、
そしてようやく、安定した日々になりつつあると感じています。
その主たるのは、カミングアウトによって得たとも言える生活の安定で、
その安定はこれまでの感情の起伏を平坦にし、
仮に何かが起きても、比較的穏やかでいられることが
起因しているのでしょう。
そしてこんな気分でいられのは、
どこか余裕がある証拠なのかもしれません。
そんな梅雨の朝、 雨音で目覚めることが多くあります。
耳障りな音もなくただ雨がシトシト、
地面や樹木を叩く音だけが聞こえる。
布団に潜りながら、雨の音だけ。
「あぁ、静かだなぁ」 そんな雨の朝、
時期こそ違えど、最後に付き合った彼を思い出します。
彼と初めて一緒に迎えた朝は、雨が降っていました。
それまでは付き合うことを正式に交わさず、
頻繁に食事をしたり、電話をするような関係で、
交際前の適度な緊張感を持つ間柄でした。
日増しに自分の心は彼へ傾き、
彼を正式な「彼」として付き合いたいと思った。
そう心に留めていたある日、 いつものように彼と食事をし、
初めて夜を共にすることになった。
激しさより、むしろ安堵感と付き合いたいという静かな想いだけが、
よぎっていたのかもしれない。
そして迎えた朝、
彼の仕事の関係上、雨天時は仕事が休みということで、
彼は仕事先に「今日は休みます」と連絡をし、
ぼんやりとした朝のひとときを過ごすことができた。
このとき、今まで抑えていた激しさが波立ち
初めてであろう自分の口から「付き合ってほしい」と、伝えた。
彼は静かに頷いた。そして雨音だけが聞こえていた。
彼とは約三年間の交際を経て、
最後はあまりにも出来すぎか彼の間抜けさで終止符を打ったけど、
今でも彼の存在は、どこか「好きなのかな」なんて思ったりしてしまいます。
今の心の平坦さはその頃の平坦とは全く違うもので、
交流分析的には「自分が育てたA」で得たものであるには違いない。
その平坦を誰かとの関係性によって損なわれがちになるとき、
交流分析はそこで起こる問題について冷静に直視する意味で、
有用であると思う。
でも誰かを好きになる時、
交流分析の解釈で今の自分の心情を図るのは、味気ない気がする。
そして、彼を思い出すときも。。
そんなことを言えるのも、きっと今が平坦だからこそ、
どんな終わり方をした恋にも
自分なりのOKさを持っているだけなのだろう。
「きっと雨のせいかな。。。」
雨は人を詩人にさせると、勝手な言葉を引用しながら、
彼の顔を思い出しては、今の自分を感じています。
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