2007年07月05日


405 <七色仮面の告白日記>

トモダチはいますか?

友達という言葉、
どうも馴染みがないというのか、馴染めない。

確かに自分には、友達が少ない。 いや、いないに等しい。
かと言って、いないからどうのということはない。

まがいなりにもそういう「友達」がいても、
自分は「友人」と呼ぶ。
別に「友達」という存在や、言葉に罪はない。
使いまわしとかトモダチという言葉の響きに、
どうも表面的なイメージや軽さがあってならない。

表面的に感じるのは、 自分の経験から感じたことなんだろうし、
経験による、友達という言葉の呪縛からの逃避なんだろう。
それだけに、友達というのに敏感だ。

じゃあ友人はいるのか。
そう考えてみても、友達同様少ないように思う。
それは、なにを持って友人と呼ぶのか、わからないからだ。

仮に共通の話題をもっていたり、 飲みに行く相手というのは、
友人なのか。。

例えば、CSN。 ここでも友人はいない。
メンバーは同志、もしくは仲間という感じだ。
メンバーを特別視しているわけではない。
でも、友人でもない。

人と交流する上での話題は、それなりにある。
鉄道関係、昔のアイドル、洋服、化粧品、、
でもそれを人と話すのは、そういう媒体と交流しているだけで、
その人そのものと話しているわけではない。

その相手を「友人」とするのかどうか。
もしその人そのものと交流するのなら、
それはその人との交流なんだと。
だから、友人ではないような感じがする。

きっと、不器用なのかもしれない。
何かの準拠枠なのかもしれない。
であるがゆえに、ストレートな感情の交錯を、
どこか「人との交流」と思ってしまう。

こだわりでもなんでもない、それが自分のスタイルなんだろう。  

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posted by CSNメンバー at 23:56 | Comment(0) | TrackBack(0)
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