私は小さい頃あまり活発な子どもではありませんでした。過保護に育てられた子が総じてそうであるように、私もどこか臆病で人と競争するのが苦手だったと思います。当然腕白坊主たちのなかで俊敏な動作や要領のいい振る舞いはできません。家の中で絵本ばかりを読んでいるような子どもでした。母は私に「自分のイメージ通りの優等生」であることを有形無形に押しつけ、私は知らず知らずのうちにその要求に従っていたのですね。母のイメージのなかの「優等生」は「運動は苦手だけど、勉強のできる子」でした。その当時は「運動のできる子は勉強の面では劣等性」と相場が決まっていたのですね。なかなか今の優等生みたいに「両方できる」なんて子はいなかったのです。
母は「うちの子は体育が苦手で…」と、いかにも表面上は謙遜した風を装いつつ会う人ごとに言ってましたが、その裏には「そこいら辺の子と違って勉強ができるのよ」という自慢がしっかり隠されていたのですね。そんなこととはつゆ知らず、私は「自分には運動能力がない」と思い込んでいました。だから鉄棒でも跳び箱でも到底「できる」なんて思えるはずもなかったのです。
母自身も運動は苦手だったようで、多分劣等感があったのだと思います。「運動だけできたってしょうもない」といつも言っていました。その母が晩年筋力が甚だしく弱って内臓が支えきれなくなり、子宮や腸が体外に出てきてしまう厄介な病気になったのも、こうした長年の運動軽視のつけが回ってきたわけで、まぁ当然の帰結とも言えます。
私が俄然運動に目覚めたのはその頃からです。もうそれまでの人生で「勉強だけできたってしょうもない」ということを十分実感し、母の苦しむ姿を見て「人生は筋力にあり」とこれも些か偏った信条を抱くに至ったのです。毎日のヨガを怠らず、ジムに通う傍らジョギングに精を出す日々が続きました。この頃の私は今思うとどこか神経症的なところがありましたね。それでも現在の基礎体力はこの時期に養われたのだろうと思います。
今は毎日のヨガを続けているだけで、ジム通いもジョギングもやめてしまいました。母の遺伝か、どんなにトレイニングしてもさほど筋力のつく方ではないのですが、自分の内臓くらいは支えられるだろうという自信は持てたからです。何かに憑かれたように運動をすることの過剰さにも不健康なものを感じました。ジムに通っている人たちのなかにこの手の「ジムホリック」を結構見かけます。「楽しさ」のない運動はかえってストレスになると気づきました。
最近夫と二人でボーリングを始めました。最初はメタメタだったのですが、このところいくらかスコアが出るようになってきました。つい先日新調した13ポンドのマイボールもさほど重く感じられなくなりました。夫は週に2〜3回は行っているようですが、私は仕事で余り行けず、せいぜい月に3〜4回といったところです。それでも行けば6ゲームくらいは投げて、心地よい汗をかいています。
私は確かにずば抜けた運動能力があるわけではないけれど、人並みには何でもできるんだ、と今はそう思えます。跳び箱だって今ならきっと跳べるでしょう。眼前にそそり立っていた「エベレスト」はまさに私の脚本のなかの「人生の跳び箱」でした。それが等身大の「跳び箱」に変わったのも、この「できる」というイメージを持てるようになってからのことです。
そこで私は声を大にして言いたい! 跳べない恐怖はラケットだ。恐れるな、ためらうな。紆余曲折は多々あれど、いずれ親は消え果てる。そう、今こそ「Jump! Jump! Jump!」
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