今日はその台本の元になっている「人生脚本」について書いてみようかなと
思います。
TA(交流分析)の創始者であるエリックバーン先生は、
「誰の人生にも予め決められたストーリーがあり、知らず知らずのうちに
そのストーリーをなぞって生きているのだ」とびっくりするようなことを
おっしゃいました。
「予め決められたストーリー」などというと「運命」みたいなものかと
思われる向きもあるかもしれませんが、バーン先生が言うのはそうではなくて、
全て人は幼い頃に「私の人生はこういう風にしよう」と決断していて、
その「決断」を土台にして「脚本」のあら筋を組み立てるのだということ
なのですね。
そしてそれは全て無意識のなかで行われるので、気づかない人は一生を
そのストーリーに翻弄されてしまうのだ、という恐ろしいことも
おっしゃっています。
「脚本」に関する詳しいことは、新しくアップした用語解説の方に譲るとして、
一番の問題は「脚本」の多くが幼児期の自己否定感に基づく感情を土台にして
出来ているということです。
ですからそうした「脚本」の結末は常に「自分はだめな存在だ」という
ところに帰着してしまいます。
人は無意識に予め用意されたその結末に向かって「脚本」のストーリーを生き、
そのたびに自分に対する否定感をどんどん強化していくのだと考えられています。
この「自己否定感」というのはなかなか手強く、ちょっとやそっとで
覆せるものではありません。
しかしそれは何事もきちんと判断できない幼児期に採り入れられたものなので、
整合性のあるものではないし、大人になってから必要なものでもないのだから、
「捨ててしまおう」と決断することで、脚本から脱却することは
不可能ではないのです。
男Nはこれを手放すのに10数年かかりました。
今でも完全に手放せているかどうかは未知数です。
しかし一挙に出来ることではないし、完全じゃなくてもいいのです。
まずは「手放す」という決断をするところから始めてみることです。
今までなじんできた感覚を手放すのは勇気がいります。
「自分は何をしてもうまくいかない」というストーリーを持っている人は、
物事がうまくいきそうになると理由のない不安に捕らわれ、無意識に
うまくいかない方に自分を向けていって
「あゝ、やっぱりうまくいかなかった…私ってだめなんだ」
と確認して妙に安心したりするのですね。
大人になれば頭では「こんな不合理なことはない」と誰にでも
分かることでも、子どもの頃の身体的な感情が関与すると、
その感情の強さに負けてしまうということはよく起こります。
特にストレスフルな状況に置かれたときなどは、強い無力感や破壊的な
怒りなどが湧いてきて制御が難しくなるのです。
私たちは「脚本に入る」という言い方をしますが、普段はもう脱却したと
思っていた「脚本」に思わぬところで引き戻されるということが
ままあります。これは「脚本抵抗」と呼ばれていますが、これがまた
非常に根深いのですね。
そんなこんなでなかなか一筋縄でいかない「脚本」ではありますが、
これから抜け出すキーワードは何と言っても「自己肯定感の獲得」と
いうことにに尽きます。
どんなときでも「自分はOKだ」と思えることですね。
「そのためにはどうすればいいんですか?」とよく聞かれますが、
当然のことながら魔法のようなノウハウなんてありません。
まずは自分がどんな脚本を持っているのかを分析し、それを自覚し、
そしてその自覚のもとに「今、ここ」での一瞬一瞬を意識的な決断と
ともに生きることが脱却への道を開くことになるのだと思います。
そうは言ってもこれはなかなか大変なことです。
我がCSNのメンバーたちもTA講座を受けたり、グループワークや
カウンセリングで自己をみつめ、悪戦苦闘しながらも懸命にその道を模索しています。
しかし日常の些細な行動の選択から始めて成功の兆しが見え始めた
男Nの事例が示す通り、決して不可能なことではありません。
405さんやA子さんもきっと自分なりの道を見つけてくれることと
思っています。
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