2006年07月07日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「嫌われかなりん」の映画鑑賞

 映画を観た。そして久々に感動した。
こんな風に感動したのは実に3年以上も前に観た
「めぐり合う時間たち」以来のことだ。
タイトルは「嫌われ松子の一生」。

 さほどの映画好きというわけでもないので、
余り映画館へ足を運ぶ方ではない。
レンタル屋にも数えるほどしか行かない。
せいぜいTVから録画して観るくらいだ。
そもそも「話題作」や「大作」と言われるものには興味がわかない。
何年か前の「タイタニック」などは、TVで観ていてさえ退屈で
途中でやめてしまったほど。

 今でこそそんな私だけど、学生時代は週に1本は観ていたなぁ。
休講になるとすぐ「読書新聞」握りしめて新宿のアートシアターに
駆けつけた。30円だかの割引券がついてたのよね。
折しも「ヌーベルバーグ」全盛のときで、トリュフォー、フェリーニ、
日本では大島渚や篠田正浩といった監督たちが活躍してた。
「勝手にしやがれ」「突然炎のごとく」「81/2」「心中天の網島」
「死刑囚」…。

 あの頃の私にはそういう映画が何かフィットしてたのよね。
「今観たらどうなんだろう」とは思うけど。

 時代は変わり人も変わり…。
年をとるごとに段々フィットする映画も少なくなって、最近は強く「観たい」と
思う映画にも出会わなかった。
それでも今までに観た中で好きだった映画は何本かはある。
「フライドグリーントマト」「テルマアンドルイーズ」「ギルバートグレイプ」…。
特に「めぐり合う…」では一生分の感動をしちゃったような感じだった。

 「嫌われ松子…」は久しぶりに「観たいな」と思った映画ではあったが、
何となく観そびれていて、「ま、いいか。そのうちビデオででも観よう」と
思いかけていたところだった。それがたまたまあるクライエントさんとの
セッションでこの映画の話が出て、彼女が「すごくよかった」としきりに
強調するのに押されて、その日の仕事帰りに渋谷の上映館まで足をのばした。
これが大正解!

 「めぐり合う…」もそうだったのだが、作り方がすごく面白い。
とっても「映画チック」なのだ。「めぐり合う…」にはシーンの切り換えの
軽やかさがあった。「嫌われ松子…」の方はチープでコミカルな華やかさが
映画の全体に流れている。それでいてどちらも底に沈む主題は重いのである。

 「松子」には、どこかフローベールの「ボヴァリー夫人」やハーディーの
「テス」を彷彿とさせるところがある。どちらもろくな男に出会わなかった
ために悲惨な人生を招く女の話だが、それはまた人間が抱えている
「究極の孤独」の物語でもある。幻想でしかない「愛」なるものを求めて
性懲りもなく裏切られ、それでも現実から必死に目そむけようとする愚かさは、
誰にでも覚えのあるところなんじゃないか。

 私にこの映画の話をしてくれたクライエントさんは、「松子はとても
私に似てるんです」と言っていた。同じことを私も感じる。
きっと「松子」は誰の中にもいるのだろう。
フローベールの「ボヴァリー夫人は私だ」という言葉は有名だが、
「嫌われ松子…」を観た多くの人たちも思うのではないだろうか。
「松子は私だ」と。
posted by CSNメンバー at 17:40 | Comment(0) | TrackBack(0)
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