今回(1月12日)は通算5回目の講座となりました。午前中2時間の短いものですが、殆ど全員の方が参加されるので、「うわっ、元気ですか?」「いやー、懐かしい」などと、まるで同窓会に呼ばれた元担任教師みたいな再会感激モードの挨拶になってきました。
講座のテーマはいつもちょっといかめしく、今回も「高齢者の精神障害への対応について」というタイトルが掲げてありましたが、いつものようにできるだけ皆さんに具体的に困っていることを話して頂きながら、それについて私が感じたところをお話するという形をとりました。今回は担当されている対象者の方々がますます高齢化していくにつれ、認知症などの障害が出てきたり、今まで元気だった方が急に健康を害されてふさぎこんでしまわれたり、といったケースが多くなっていることが主な話題となりました。「早く死んでしまいたい」などと訴えられ、困惑してしまった事例なども出ました。そうした状況のなかで、ご自身も加齢に伴う不自由さを身をもって体験され、「今まで分かったように思ってたことも、本当には分かっていなかったんだと実感した」とおっしゃるボランティアさんもおられました。
僅か3年余りなのですが、時というのは確実に人を「老い」に向けて導いていくものなのですね。そのストレスにつきあいつつ、迫りくる「死」の不安とも対峙しなければならない方々の気持ちをどう受け取っていくのか、今回は、はからずも「生と死」という誠に深淵な課題が浮き彫りになった講座でした。
思えば3年前の初回の講座で皆さんが話されたのは、「いいお嫁さんなのに悪口ばっかり言う」とか、「近所に対する苦情を頑固に言い続ける」とかの「事柄」に対するものが殆どでした。その後の講座でも「厳しい環境のなかで落ち込んでいるお年寄りを何とかしてあげたい」という先走った熱心さが目立つようなところもありました。その都度「気持ちを受け取ることを大事にして」とか、「できることの限界に気づき、そのもどかしさを堪えることも大切」だとか、私なりに一生懸命お話してきました。僅かな回数を重ねただけなのに、今回一段と深まっている皆さんの様子に触れて、感慨もひとしおでした。
「私たちも対象者の方々から多くのものを貰っている」とおっしゃった方もおられました。まだ若いボランティアさんも何人かいらっしゃいますが、人は誰もが確実に年をとり、否応なく社会の第一線から引き下がり、そして必ずや「死」を迎える存在です。しかしだからといって決して高齢者が価値のない存在ではないことを、このボランティアのなかで実感できることは、本当に素晴らしいことですね。ご自分の人生にとってもきっと大きな財産になることでしょう。
このところこうした福祉事業に対する予算の削減が目立つようになっています。この「電話訪問」でも年1回開かれていた訪問対象者の方々との懇親会が中止になってしまったといいます。せっかくお互いに顔を見せ合える場だったのに、何とも残念に思いました。このうえは事業そのものが廃止されたりせず、長く存続されることを願ってやみません。