いうのを書いた。
http://npocsn.seesaa.net/article/374819167.html
まあ、賛否両論ある「違和感」ではあったが、
このところ私もそんな違和感を抱くことが
多い。これも賛否両論あるかもしれないけど。
実はこれ全て放送大学大学院の授業でのこと。
今学期私がとっているのは、「臨床心理面接特論」
「発達心理学特論」「臨床心理地域援助特論」の
3科目。初っ端は、何回目かの面接特論の放送授業。
その回は実際にクリニックで仕事をしている心理士が
ゲスト出演して話をしたのだが、その中で彼が来院者の
ことを一貫して「患者さま」と呼んでいたこと。彼が
何回も「患者さま」を連発するたび何だかイガイガ
みたいなものが胸のなかに広がったのである。
この頃こういう風に呼ぶ病院も多くなっている
ようだが、私にはどうも違和感がある。「患者さま」
という呼び方にはどうも「顧客としての患者」という
ニュアンスが感じられてしまうからだ。デパートが
顧客を「お客さま」と呼ぶように。患者は確かに
病院にとっての「お客さま」かもしれないが、それを
臆面もなく前面に押し出されたような、そんな感じが
してしまうのだ。
さて、次に違和感を覚えたのはテキストの方。
ある章に「障がい者」という記述があったこと。
テキストは章によって執筆者が違うので、「障害者」
を「障がい者」と書く執筆者は限られている。
それにこの表記方法は放大のテキストに始まった
ものではなく、結構あちこちで見かけることも多い。
これはどうも「害」という漢字の持つ意味が悪いもの
だから、ということらしい。当事者やその周辺から
上がった声だという話も聞くが、「障害」の「害」
をひらがな表記にして何が変わるというのだろうか。
漢字とひらがなを重ねることで、却って不自然な感じを
際立たせるだけのような気がするのである。その表記
に出会うと、どうも「わたしは障害者を害だと思うような
ひどい人ではありませんよ」というアピールのように
思えて、何だかちょっと姑息な感じさえしてきちゃうので
ある。ともかくこういうタイプのアピールが私は嫌なので
ある。これって私の偏見?
それからまたこれは今日のことで、いってみれば
違和感のほやほや。科目は「地域援助特論」。
40代くらいの女性准教授が担当なのだが、どうもその
言葉使いに「えっ?」ということが何箇所かあった
のである。テキストを読み上げるところはいいのだが、
ゲスト解説者を紹介するようなところでそれは連発。
例えば〜した経験を持たれております××先生に…」
とか「××先生がご指摘している〜は…」とか「〜で
お仕事をされております××先生です」とか。まあ、
お若いですからね、しょうがないよね…と思いつつ、
だってこれ、全国の学生が視聴する教材でしょ?と
いう思いも消えない。
…とこんな風に並べ立てつつツラツラ思うに
人は感じ方がそれぞれ違うのだ。だから自分と違う
流儀や言動にはひっかかった感じをもつのである。
そうやって違和感を確かめつつ、人は自分の存在を
確認しているようなところがある。だから違和感と
いうのは、結構自分にとっては大事なものだと思う。
だけどそれよりも大事なのは、自他の違いを認識し、
それを受け入れることである。そしてそれは一番
難しいことでもある。放大の授業というのは、
本当にいろいろなことを教えてくれるものだ。
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ぞんざいな扱いをされると困りますが、患者様って言われるのも何だかほんとイガイガしますね。
・・・障害 を障碍って書いたり 障がいって書いたりしないと それも知らないのか!勉強不足だとか時代遅れとかっても言われそうだし・・・
校長先生の退職祝いとして学校の先生達皆で旅行して、そこでその校長先生の経歴を年表にしてそれを貼ってお祝いした・・・とか先生に聞きましたが・・・「は? え?・・・なんでそんなことするの? 変わってるね〜」とつい言ってしまい・・・でもあまりそれを変だと思っていないリアクションなしのその先生に・・ああ 口出しするとこじゃないなあとか思ったことがあります。
そういえば 母親同士の会話では 〜ちゃんママとかって言い方したりすることも多いみたいですが・・へ? 何それ? だれだれさん にすればいいじゃないの って言いましたが・・・その人とは〜さん付き合いをしていますが、そこんとこもなんだか口出ししてはいけない感じもしたりして・・・
どれもこれもまあそれでどうこうなることでもないのかもしれませんが、なんでしょうねえ すっきりしません
私自身の感じ方なんでしょうが あなたはそれでいいと思ってそうしているのかなあ? ってのはとても不思議な感じがします 郷に入っては郷に従え っていうんでしょうかそういうんでしょうかね
石を投げると先生にあたる とか何とか昔は言っていたり 先生と呼ばれるほどなんとやらと言ってみたり昔はそういう風に言って揶揄したりしていた感じがしますが、今はそれもあまり聞かない気もします
まあ ある意味どうでもいいや みたいなものもあるのかなあ・・・どうでもよくないけどどうでもいいっていうか どうでもいいけどどうでもよくはないっていうか
何だか気持ち悪いけど・・・んんん もうんんん・・・ていうか
ある人が 自分を呼ぶところで 〜先生様 という風に書け と言われて・・・ああ そういう人なんだなあって思い 〜先生様って書きますがそれで喜んでいてそれであなたは素晴らしいよくわかっているとか言われ・・・それでそんなに喜ぶなんて へえ ま そうなんだなあと思い・・・それを軽蔑まではしませんがそうなんだ ふううんとは思います
そんなに偉いのかなあと思いますが・・・素敵だなあって思う側面も多々ありますが そういう側面もある人なんだなあって・・・
ふううんそうなんだ ふううん
「ここにお名前さまをおかきください」と言われて
「ゲッ」となったことがありました。
そこまでひどくはなくても、敬語と謙譲語の混乱した使い方に
違和感をもってしまう私。
特にアナウンサーとか、作家とか、大学の先生とか、
そういう人なら正しく使ってしかるべし、とつい
狭量になってしまうのですね。
カウンセラーならもっと寛容であってしかるべし、
という声が聞こえてきそうではありますが。
病気とか悩みだとか障害とかにしろ察知するには違和感を感じるってことが大事な気がします。(知識あってのでもありますが)
最近よく友達とかと話すのは 病院とか施設とかその筋の専門機関は案外 その人の違和感に気が付かないことがあると
認知症なども 家庭では 〜なへんなとこがあるんです って言っても そんなことありませんよ お年寄りはみなさんそんなもんですよ って何回も言われました・・・。
そうなんだけど・・・でも違うんだよおと言ってもなかなかわかってくれない。挙句の果てにはお年寄りを認めないいじめているかのようにとられそうにもなる・・・。
違和感を超えたところで差別なく人と付き合っていくことはとても大事なことと思うのですが、現実に生活している世界の中では その違和感こそがその相手の生活の質 だとか 治療だとかに重要なのだろうなあと思います
神様でありながら娑婆の世界にきているかのような・・・千手観音様とかって掌にも顔があったりでしたっけ不気味だとみる人もいると聞きますが、様々な視点で相手をみて様々な方法でそれに対処しようとしてくれているとかききますが、様々な視点って違和感(神様だから違和感を超えているのかなとも思いますが)に向かい合ってくれているなかなあともちょっと思ってみたりします。
人間は神様にはなれないでしょうから、そうはいかないまでも意識を少々研ぎ澄まし んん? 何んかへんだぞ って気持ちを大事にしたいものだと思いました(^^)