一つで、その人のこころの深層に根深く存在する
偏った信念のようなものであり、「中核信念」とも
呼ばれている。放大大学院のテキスト「臨床心理学
特論」では、スキーマについて以下のように概説
している。
「スキーマはその人の基本的な人生観や人間観
であり、生得的要因と環境的要因の影響を受け
ながらそれまでに体験した事柄に基づいて形成され、
気づかれないまま心の底に存在している個人的な
思い込みである。人は幼少期のうちに世界や自分に
ついての基本的な考え方、スキーマ、中核信念を
もつようになる。」
これを読んで気づく人は気づくと思うのだが、
この概念、交流分析でいうところの「脚本」の概念と
実によく似ている。そういう視点からみると「交流分析」
における脚本の理論と「認知行動療法」の理論とは、
かなり相似しているのだ。認知、感情、行動の3つを
きちんと分けて考え、関連づけるところもそっくり
である。
相違点は「分析」をするか、しないかという
ところである。交流分析はその名が表わす通り
「精神分析」の流れを汲む理論である。「自我状態」
「対人交流」「脚本」の分析3本柱から成る。それが
どうやってどのように成立しているのかを子細に
分析するところは、誠に精神分析的である。
これに対して「認知行動療法」は一切分析を
行わない。現状の症状から解決するべき問題を
見つけ出し、具体的な方法を見つけていく。
「スキーマ」を探り当てることに力を尽くすが、
それがどうつくられてきたかは取り上げず、専ら
それをどうやって変容させるかに焦点を当てていく。
勢い、セッションはワークやトレーニングで
埋められる。ホームワークと呼ばれる宿題も必須
である。
「脚本」については、禁止令やドライバー
などの仕組みを分析し、自分の脚本の成り立ちを
理解することに重点を置く。そのうえで「脚本」
を変化させるのではなく、「行動」を変化させる
ことで「脚本からの脱却」を目指すわけである。
「脚本」と「スキーマ」とは、ともにアメリカ
生まれの兄弟なのであろう。そしてこの兄弟には、
ヨーローッパ生まれの「リビドー」という兄貴が
いる。かのフロイト大先生が提唱した、無意識に
存在する欲求や衝動のことである。
この3者に共通しているのは、「人間の心の深奥
には、容易には変容しがたい強固な何かが根を張って
いる」ということから生まれた概念だ、ということで
ある。主張する理論や療法に違いがあっても、「こころ」
というものに対する見方はさほど変わらないということ
である。いずれにせよ、人の心というのはなかなか
度し難いものだ、ということは確かであるようだ。
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