ブログをUPするのが遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
インターネットの世界にはいろいろと、人の発したものがある。
中にはウンコみたいなものもある。
スカトロジー的サイトには本当のウンコもあるだろうが、
ここで僕がいいたいのはそれではなく、ウンコのような意見のことである。
ポータルサイトのニュースでも動画サイトの流れるコメントでも、
巨大掲示板で見かけるようなウンコ意見が目につく。
目につくのはおそらくウンコだからである。
ウンコのように見たくもないものを見てしまったという気持ちにさせられる。
匿名で言いたいことを思いついたときに深く考えずに表出できる。
それはインターネットの特性のひとつと言い切って構わないだろう。
でもだからといってウンコのような意見を垂れ流すのはいかがなものか。
ウンコのような意見を垂れ流すヤカラの神経は到底理解しがたい。
あなたはそのあたりの道端でウンコをすることができるか?
そのウンコをそのままそこに放置して、それで平気でいられるか?
そういう意味ではネットのウンコ意見は本当のウンコ以下である。
「旅の恥は掻き捨て」というけれど、いわば「ネットの意見は言い捨て」である。
そして、ウンコウンコと書いているこの記事もウンコ記事である。
ふと思ったのだ。
ウンコのような意見を垂れ流せる人のことを長らく軽蔑していたのだが、
ウンコかウンコでないかはともかく、自分の意見を表出する、それができる、
その点においては僕よりも彼らのほうがずっと優れている、
そう考えたのだ。
「今日のブログは何を書こう?」とウンウンと唸り、
迷い迷ったあげくに無難なネタを体裁のいい記事に仕立て上げ、
表出したいという欲求を満たすよりもブログを書く義務を果たすことを優先する
(もちろんブログを書くことが義務であるというのは男Nの幻想に過ぎない)、
そういうことの繰り返しにもううんざりげんなりしてきたのだ。
言いたいことを言いたい
ウンコを撒き散らすように
できれば「馬子にも衣装」というようにオサレに気取った表現をしたいが
それができなくても ウンコをウンコのまま 垂れ流すように表出したい
そう考えたとき、
ネットの世界の歩き方を初めて見つけたような気分になり、
ウンコを垂れ流すアイツらと同じように表出すればいいのだと気が楽になり、
差別意識も優越感も劣等感もそのまんま、ありのまんまで、
ただ、出したいものをそのまま出せばいい、
クソくらえ!!
と、遅ればせながら小学生レベルの気づきを得たのだ。
前置きが長くなった。
都議選のときに久しぶりに見かけたので撮ってやった。
nekoちゃんにドン引きされながら、警備員に目をつけられながら、
撮ってやった。
菅原一秀の、
先の衆院選の際のポスターを。
それが ↓ こちら ↓
やっぱこれを当選させちゃう有権者が一番馬鹿でウンコだと改めて思う。